物流都市の海に、自然は戻るのか
東京の風景と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、高層ビルや繁華街、歴史ある街並みかもしれない。
しかし、その巨大都市の日常を足元から支えているのは、東京湾である。
海外から運ばれてくる衣服、家具、電化製品、食料品。私たちが店頭やインターネットで購入する商品の多くは、海を渡り、港で積み降ろされ、倉庫やトラックを経由して生活の中へ届けられる。
一方、東京湾は、物流や工業のためだけに存在する海ではない。
かつては広大な干潟や浅瀬が広がり、魚や貝、鳥など多様な生き物が暮らしていた。江戸前の漁業や食文化も、その豊かな生態系によって育まれてきた。
都市を支える物流の海と、生命を育む自然の海。
二つの役割が重なる東京湾は、これからの都市と自然の関係を映し出している。
東京の暮らしを支える巨大なバックヤード
東京港は、日本と世界を結ぶ国際貿易港である。
東京都港湾局によれば、東京港の外貿コンテナ取扱量は全国のおよそ4分の1、東日本全体の約6割を占める。東京だけでなく、首都圏や東日本の産業と消費を支える重要な物流拠点だ。(東京港湾局)
2025年上半期の東京港のコンテナ取扱個数は、速報値で242万TEU。前年同期と比較して6.5%増加した。TEUとは、20フィートコンテナ1個を一単位として数える、コンテナ取扱量の指標である。(東京港湾局)
大井ふ頭や青海ふ頭などに並ぶ巨大なガントリークレーンは、船からコンテナを降ろし、陸上輸送へと引き渡す。
港で荷物が降ろされ、倉庫へ運ばれ、仕分けされ、トラックに積み替えられる。その先で、ようやく商品は店舗や家庭へ届く。
私たちが普段目にするのは、この長い物流の最終地点だけだ。
ボタンを押せば翌日に届く便利さも、港湾労働者、倉庫作業員、船員、トラックドライバーなど、多くの人々の仕事によって成り立っている。
東京湾は、華やかな都市の背後で休むことなく動き続ける、巨大なバックヤードなのである。

物流の効率化だけでは解決できない課題
大量の貨物が集中する東京港では、コンテナターミナル周辺の交通混雑や、トラックドライバーの待機時間も課題となる。
東京都は、混雑する時間帯を避けて貨物を運ぶ「オフピーク搬出入」を推進している。2024年には荷主・物流事業者10社が参加するモデル事業が行われ、コンテナの搬出入時間を分散させることで、ゲート前の待ち時間やドライバーの運転時間を削減する効果が確認された。(東京港湾局)
物流の効率化は、経済活動を支えるだけでなく、渋滞や排出ガス、長時間労働といった社会課題とも関係している。
東京湾を考えることは、海や港だけを見ることではない。
そこで働く人々の労働環境、都市部への商品供給、道路交通、エネルギー消費、私たち自身の買い物のあり方まで、一つの連続した構造として考える必要がある。
東京は、海を陸地へ変えて成長した
現在の東京の海岸線は、長い時間をかけて人の手によってつくり変えられてきた。
15世紀に太田道灌が江戸湊を開いた頃、海岸線は現在の皇居付近まで入り込み、日比谷周辺には「日比谷入江」と呼ばれる浅瀬があった。
江戸時代に入ると、徳川家康は江戸を港湾都市として整備するため、現在の駿河台付近にあった神田山を切り崩し、その土で日比谷入江を埋め立てた。これが東京港における埋め立ての始まりとされる。(国土交通省パーキング情報)
その後も、人口の増加や都市機能の拡大に伴って埋め立ては続いた。
特に高度経済成長期には、工場、倉庫、道路、港湾施設、廃棄物処分場などを整備するため、大規模な埋め立てが進められた。東京港は沖合へと拡張され、その姿を大きく変えていった。(国土交通省パーキング情報)
海だった場所が陸になり、その上に現在の都市が築かれている。
東京の発展は、海を都市空間へ変換してきた歴史でもある。

埋め立てによって失われた干潟と浅瀬
都市の拡大によって、新しい土地や港湾機能が生まれた一方、多くの干潟や浅瀬、自然の海岸線が失われた。
干潟は、満潮時には海となり、干潮時には地面が現れる場所である。
一見すると何もない泥や砂の平地に見えるが、そこには貝類、カニ、ゴカイ、小魚など、さまざまな生き物が暮らしている。また、それらを餌とする渡り鳥にとっても、干潟は重要な休息地や採餌場所となる。
環境省によれば、東京湾にはかつて広大な河口や干潟が存在していたが、現在は三番瀬、谷津干潟、葛西、多摩川河口など、数カ所に残るのみとなっている。(環境省)
多摩川河口には、東京湾でまとまった規模の塩性湿地を含む河口干潟が残されており、56種の底生生物が確認され、そのうち16種は希少種または絶滅危惧種とされている。(環境省)
残された自然は、過去の風景の断片ではない。
離れた干潟や河口を移動する鳥や魚、生き物たちにとって、生態系をつなぐ重要な拠点になっている。

江戸前文化を育てた海
東京湾は、物流と工業の海になる以前から、人々の食と暮らしを支えてきた。
「江戸前」という言葉は、もともと江戸の前に広がる海、現在の東京湾で取れた魚介類を指していた。
魚介を酢飯と組み合わせた江戸前寿司、魚や野菜をごま油で揚げた天ぷら、うなぎ、海苔、貝類。
現在では日本を代表する料理として世界に知られている食文化も、江戸の都市生活と、身近な海の恵みの中から生まれた。
東京湾は商品を運ぶ場所であると同時に、東京という都市の味覚と記憶を育んできた場所でもある。
だからこそ、東京湾の自然環境が変化することは、生き物の問題だけではない。
漁業、食文化、地域の記憶、人と海との関係そのものが変化することを意味している。
人と海を遠ざけたコンクリートの護岸
東京湾岸の多くは、自然の砂浜や干潟ではなく、直線的なコンクリート護岸によって囲まれている。
護岸は、高潮や波浪から都市を守り、船舶の接岸や港湾施設の運用を可能にする。人口と資産が集中する東京にとって、防災と物流の両面で不可欠なインフラである。
一方で、人が簡単に水辺へ降りられず、生き物が生息しにくい構造も多い。
東京に暮らしていても、日常生活の中で海に触れる機会が少ないのは、都市と海の間に港湾施設や道路、倉庫、護岸が存在することとも関係している。
海はすぐ近くにある。
しかし、物理的にも心理的にも、都市生活者から遠い場所になっている。
東京港で始まる藻場の再生
失われた自然を少しでも取り戻すため、東京港では藻場を創出する取り組みが始まっている。
藻場とは、海草や海藻がまとまって生育する海中の環境である。
小さな魚の隠れ場所や産卵場所となり、貝や甲殻類など多様な生き物を支えることから、「海の森」とも呼ばれる。
東京都は2024年12月に「東京港藻場創出の活動方針」をまとめ、企業や団体と協働しながら、東京港における継続的な藻場創出を進めている。藻場を二酸化炭素の吸収源としてだけではなく、生物の生息場所や環境学習の場としても位置づけている。(東京港湾局)
東京都の港湾政策では、藻場の創出や干潟の拡充、水質改善、生物生息環境の保全を進め、ブルーカーボンを活用した脱炭素化につなげる方向性も示されている。(東京港湾局)

ブルーカーボンは万能の解決策ではない
海草や海藻、塩性湿地などの沿岸生態系によって吸収・貯留される炭素は、「ブルーカーボン」と呼ばれる。
気候変動対策への関心が高まる中、海の生態系を再生しながら炭素を吸収する仕組みとして注目されている。
しかし、藻場を造成すれば、それだけで東京湾の自然が元に戻るわけではない。
海草や海藻が安定して育つためには、水質、光、波、海底の状態、水温など、さまざまな条件が必要になる。造成後も、生育状況を観察し、長期的に維持管理しなければならない。
さらに、東京湾には港湾物流、工業、防災、航空、エネルギー供給、廃棄物処理など、首都圏を支える多くの機能が集まっている。
すべての護岸を自然海岸へ戻したり、埋め立て地を再び海へ戻したりすることは現実的ではない。
必要なのは、ブルーカーボンという言葉を環境配慮の象徴として使うだけではなく、どの場所で、どの程度の生態系が回復し、どのように維持されているのかを検証し続けることである。
「物流か自然か」という二者択一を超える
東京湾をめぐる議論は、物流を優先するのか、自然を守るのかという対立構造になりやすい。
しかし、都市で暮らす私たちは、港を通じて運ばれる商品の恩恵を受けている。
港湾機能をすべて否定しながら、現在と同じ便利な生活を維持することはできない。
同時に、経済活動を理由として、生態系の損失を無制限に受け入れることもできない。
問われているのは、どちらかを排除することではなく、都市機能の中に自然の価値をどのように組み込むかである。
例えば、護岸を整備するときに、生き物が定着できる凹凸や浅場を設ける。
港湾施設の一部に藻場を創出する。
人が海に近づける親水空間をつくる。
物流の効率化によって、渋滞や環境負荷を減らす。
一つひとつの取り組みは、かつての東京湾を完全に取り戻すものではない。
それでも、都市か自然かという線引きを越え、両者が共存できる場所を少しずつ増やすことはできる。
環境負荷を誰が引き受けているのか
「東京湾は誰のものか」という問いには、もう一つの意味がある。
港によって利益を得る企業、港を管理する行政、漁業者、湾岸地域の住民、そして消費者。
多くの人が東京湾と関係している一方、利益と負担が均等に分けられているとは限らない。
都市部の消費者が便利さを得る一方で、湾岸地域にはトラック交通、騒音、排出ガス、廃棄物処理などの負荷が集中する。
企業の事業活動によって利益が生まれる一方、自然再生やインフラの維持には公的な費用も使われる。
東京湾の環境問題を考えるときには、自然がどれだけ失われたかだけでなく、誰が利益を得て、誰が負担を引き受けているのかを見る必要がある。
東京湾の問題は、湾岸に暮らす人だけの問題ではない。
その港を経由した商品を買い、便利な配送サービスを利用する私たちもまた、東京湾の使い方を選ぶ一員なのである。
都市の豊かさを、もう一度問い直す
東京湾は、長い時間をかけて都市のために姿を変えてきた。
海を埋め立て、港をつくり、商品とエネルギーを受け入れ、首都圏の経済と暮らしを支えてきた。
その発展によって、私たちは多くの利便性を手に入れた。
同時に、干潟や浅瀬、生き物の居場所、人が海に触れる機会を失ってきた。
これからの東京湾に必要なのは、かつての自然へ完全に戻ることではない。
都市の機能を維持しながら、これまで経済的な価値として数えられてこなかった、生態系、景観、文化、地域の記憶を、都市の設計に組み戻すことである。
港を強くすること。
物流を効率化すること。
災害から都市を守ること。
そして、生き物が暮らし、人が海とつながる場所を残すこと。
それらを別々の課題として扱うのではなく、一つの都市政策として考える必要がある。

東京湾は、私たちの選択を映す海
東京湾は、行政や企業だけのものではない。
漁業者や湾岸地域の住民だけのものでもない。
そこで運ばれる商品を買い、都市のエネルギーを使い、便利な暮らしを享受している私たち一人ひとりが、この海とつながっている。
だからこそ、東京湾は「誰のものでもない海」ではなく、「多くの人が責任を分かち合う海」と捉えるべきなのかもしれない。
物流都市の海に、自然は戻るのか。
その答えは、藻場の面積や吸収された炭素の量だけでは測れない。
人と海との関係をどこまで取り戻せるのか。
経済活動の中に自然の価値をどこまで組み込めるのか。
そして、私たちがどのような豊かさを未来に残したいのか。
東京湾は今、これからの都市のあり方を、静かに問いかけている。
東京湾に関するよくある質問
東京湾はなぜ埋め立てられたのですか?
人口増加や都市開発に対応し、港湾施設、工場、倉庫、道路、住宅地などを整備するためです。 東京港の埋め立ては江戸時代に始まり、徳川家康による江戸の都市整備では、神田山を切り崩した土を使って日比谷入江が埋め立てられました。 その後も東京港は沖合へ拡大し、特に高度経済成長期には大規模な埋め立てが進められました。
東京湾には自然の干潟が残っていますか?
三番瀬、谷津干潟、葛西、多摩川河口などに、干潟や浅瀬が残っています。 東京湾にはかつて広大な河口や干潟が広がっていましたが、現在は限られた場所に残るのみです。 これらの干潟は、魚介類や底生生物、渡り鳥の生息地となるほか、水質浄化などの役割も担っています。
ブルーカーボンとは何ですか?
ブルーカーボンとは、沿岸や海洋の生態系が二酸化炭素を取り込み、海底や深海などに蓄積する炭素のことです。 主な吸収源には、海草や海藻が育つ藻場、塩性湿地、干潟、マングローブ林などがあります。 気候変動対策として注目されているほか、生物多様性の保全や水質浄化など、複数の環境価値を持っています。
東京湾の物流と自然環境は両立できますか?
港湾機能を維持しながら、藻場や浅場の造成、生物が生息しやすい護岸の整備、物流の効率化などを進めることで、環境負荷を抑えることは可能です。 ただし、自然再生は一度整備すれば終わるものではありません。 水質や水温、生き物の定着状況などを継続的に観察し、長期的な維持管理と効果検証を行う必要があります。
情報源
- 国土交通省 関東地方整備局「東京港の歴史」
- 国土交通省 関東地方整備局「東京港の埋立の変遷」
- 環境省「沿岸域 12207 東京湾奥部」
- 環境省「重要湿地 No.200 東京湾の干潟・浅瀬」
- 環境省「ブルーカーボンとは」
あとで読み返すために
都市の便利さと、海の自然は本当に両立できるのでしょうか。
東京湾の風景を目にしたとき、その向こう側で動く物流や、かつてそこに広がっていた干潟、生き物たちの営みにも思いを巡らせてみてください。
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