和歌山県と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、みかん、梅、熊野古道、高野山、白浜といった風景だろう。
しかし、和歌山県の経済を統計から見ると、もう一つの顔が現れる。
鉄鋼、石油、化学、繊維、機械。
和歌山市から海南市、有田市へと続く県北部の沿岸には、大規模な製鉄所やエネルギー関連施設が立地し、その周辺には繊維、皮革、機械金属などの地場産業が集積してきた。
県の資料でも、和歌山市を中心とする北部では、鉄鋼・石油・化学などの素材型産業や、繊維・皮革などの加工型産業が発達した一方、中部・南部では食料品製造や木材関連など、地域資源を生かした産業が中心になっていると整理されている。
なぜ、同じ和歌山県の中で、これほど明確な産業の違いが生まれたのだろうか。
その理由は、企業誘致政策だけでは説明できない。
紀ノ川がつくった平野、紀伊水道に面した港、大阪市場への距離、そして山によって分断された紀伊半島の地形。
和歌山県北部の工業地帯は、土地が持つ条件が重なった場所に形成されたのである。
和歌山県で最も広い「入口」は紀ノ川流域にあった
和歌山県は、県域の大部分を紀伊山地が占めている。
紀伊半島の南部では、山地が海岸近くまで迫り、まとまった平地は河口や谷沿いに限られる。大規模な工場、住宅地、道路、物流施設を同時に配置できる場所は多くない。
その中で例外的な地形を持つのが、紀ノ川流域である。
奈良県では吉野川と呼ばれる川が紀伊山地を横断し、和歌山県に入ると紀ノ川となって西へ流れ、紀伊水道に注ぐ。その下流部には和歌山平野が広がり、古くから政治、商業、交通の中心が形成された。
川は水を供給するだけではない。
山間部の木材や農産物を下流へ運び、内陸部と海を結ぶ物流経路にもなった。近代以降は、川に沿うように鉄道や道路が整備され、和歌山市と橋本市、さらに奈良方面をつなぐ東西軸が形成された。
和歌山市は、紀伊半島の奥にある都市ではない。
紀ノ川という内陸への回廊と、紀伊水道という海上の回廊が交差する場所なのである。
この「川と海の接点」が、後の工業化の土台になった。
紀伊水道は、原材料を運び込む産業道路だった
鉄鋼や石油化学といった素材産業には、大量の原材料が必要になる。
製鉄には鉄鉱石や石炭、石油精製には原油が必要だが、その多くは海外から大型船で運ばれてくる。完成した製品も重量があり、陸上輸送だけに頼れば物流コストが大きくなる。
そこで重要になるのが港である。
和歌山市、海南市、有田市の沿岸部に広がる和歌山下津港は、紀伊水道に面する重要港湾として、鉄鋼、石油、化学などの産業を支えてきた。
港の歴史を見ると、1930年代から大型船に対応する岸壁や石油関連施設が整備され、戦前から戦後にかけて製油所や製鉄所が操業を開始している。その後、和歌山北港や木材港、国際コンテナターミナルなどが整備され、臨海部の産業基盤が拡張された。国土交通省による和歌山下津港の沿革
これは、和歌山の工業が県内の資源だけで成立したものではないことを意味する。
海外から原材料を運び込み、港の近くで加工し、国内外へ送り出す。
和歌山県北部は、紀伊半島の山林資源を扱う地域から、世界規模の原材料供給網に組み込まれた臨海工業地域へと変化したのである。
地図上では太平洋に突き出した半島の一角に見えるが、海上物流から見れば、和歌山は決して行き止まりではなかった。
製鉄所は、和歌山を「農林水産県」だけではなくした
和歌山県北部の工業化を象徴する存在が、現在の日本製鉄・関西製鉄所和歌山地区である。
その前身となる製鉄所は1942年に操業を始め、1961年には高炉が稼働。高度経済成長期には設備が相次いで拡張され、和歌山の臨海部は大規模な鉄鋼生産拠点へと成長した。
現在は高炉1基体制となっているが、和歌山地区と海南地区を合わせた敷地は約560万平方メートルに及ぶ。シームレスパイプ、電縫鋼管、高炭素鋼板などを製造し、特にエネルギー開発や社会インフラに使われる高付加価値の鋼管を世界へ供給している。日本製鉄・関西製鉄所和歌山地区
製鉄所が地域にもたらすものは、工場そのものの雇用だけではない。
設備の保守、金属加工、輸送、建設、港湾荷役、資材供給、環境管理など、多くの関連企業と仕事が周囲に生まれる。巨大な生産拠点を中心に、人材、技術、道路、港湾、エネルギー供給網が集まり、それが次の企業立地を呼び込む。
一度形成された工業集積は、さらに集積を強めていく。
和歌山県が、果樹、林業、水産業だけでなく、鉄鋼や化学の比重が大きい産業構造を持つのは、この臨海部の集積があるからだ。
和歌山県の長期総合計画でも、鉄鋼、石油、化学などの基礎素材型産業が、県内製造品出荷額の大きな割合を占めてきたことが示されている。和歌山県長期総合計画
有田の製油所が示す、戦後型産業の転換点
和歌山市から海南市を経て、有田市へと続く沿岸部には、製鉄だけでなく石油関連産業も集積してきた。
有田市のENEOS和歌山製造所は、1941年に操業を開始し、長年にわたって石油製品を生産してきた。広大な敷地、港湾設備、貯蔵施設を持ち、戦後の自動車社会と石油化学産業を支えた拠点の一つだった。
しかし、国内の石油需要の減少や脱炭素化を背景に、2023年10月、石油精製機能を停止した。
これは、一つの工場の操業形態が変わったという話だけではない。
海外から化石燃料を輸入し、国内で精製し、大量に消費するという戦後日本の産業モデルが転換期を迎えたことを示している。
一方で、施設そのものが完全に役割を終えたわけではない。
ENEOSは現在、この広大な拠点を、SAFと呼ばれる持続可能な航空燃料など、カーボンニュートラルに関わる新事業の候補地として再構築する準備を進めている。ENEOS和歌山製造所
ここで重要なのは、産業の中身が変わっても、土地の優位性は残るということである。
港がある。大規模な敷地がある。燃料や化学物質を扱ってきた技術がある。配管、貯蔵設備、電力、用水、物流網がある。そして、長年にわたって工場を支えてきた人材と関連企業がある。
石油精製の停止は、産業基盤が消滅することと同じではない。
既存の基盤を次のエネルギー産業へ転換できるかどうかが、和歌山県北部の将来を左右する。
大工場の周囲に、目立たない地場産業が育った
和歌山県北部の産業は、製鉄所や製油所だけではない。
和歌山市には、丸編みニット、染色、皮革、機械金属などの中小企業が集積している。
特に丸編みニット生地は、和歌山を代表する地場産業の一つである。独特の風合いや品質が評価され、国内外のアパレルブランドに生地を供給している。市の資料では、100社を超える企業が関わり、撚糸、編み立て、染色、縫製などの関連工程が近隣に存在することが、少量・多品種・短納期への対応力につながっているとされる。和歌山市「ニット物語」
ここにも「集積」の力がある。
大企業が大量の原材料を輸入して製品をつくる臨海型産業と、中小企業が細かな工程を分担し、高度な加工技術を蓄積する地場産業。
規模もビジネスモデルも異なるが、どちらも単独の企業だけでは成立しにくい。設備を直す企業、部品をつくる企業、染色や加工を担う企業、製品を運ぶ企業が近距離に存在することで、地域全体が一つの生産装置として機能する。
和歌山県北部の本当の産業資産は、巨大な工場だけではない。
長い時間をかけて地域に蓄積された、企業間の関係と職人・技術者の知識なのである。
なぜ同じ工業化が紀南では起きなかったのか
では、なぜ田辺、串本、新宮などの紀南地方には、北部と同じ規模の工業集積が生まれなかったのだろうか。
理由の一つは、平地の少なさである。
紀南では紀伊山地が海岸近くまで迫り、大規模な工場用地と住宅地を同時に確保できる場所が限られている。
二つ目は、大消費地との距離である。
和歌山市は大阪湾岸の工業地域と比較的近く、紀ノ川沿いの内陸交通と紀伊水道の海上交通を利用できる。これに対して紀南は、海路では開かれていても、陸上では大阪・名古屋の両都市圏から時間を要する位置にある。
三つ目は、産業に適した資源の違いである。
北部では港湾と平野を生かした素材産業や加工業が発達した。一方、中南部では、森林、果樹、漁場、温泉、景観、信仰文化など、その土地に存在する資源を利用する産業が中心となった。
和歌山県の南北差は、単純な発展と停滞の差ではない。
北部は、海外から原材料を入れて加工する「移入型産業」に適していた。中南部は、地域にある自然や文化を価値に変える「資源立地型産業」に適していた。
土地の条件が、異なる産業の姿を選び取ったのである。
港がもたらす強さは、そのまま災害リスクにもなる
臨海部への産業集積には、大きなリスクもある。
鉄鋼、石油、化学、物流などの施設は、港に近いほど効率が高い。しかし、沿岸部は津波、高潮、液状化、強風などの影響を受けやすい。
和歌山県は南海トラフ地震の想定地域であり、紀伊水道沿岸の工場や港湾が被災すれば、地域経済だけでなく、原材料やエネルギーの供給網にも影響が及ぶ可能性がある。
さらに、和歌山県北部の産業は、少数の大規模な素材産業が製造品出荷額に与える影響が大きい。主要工場の生産縮小や再編は、統計上の数字だけでなく、雇用、関連企業、自治体財政、地域人口にも波及する。
港と大工場への集中は、成長期には圧倒的な強さを生む。
しかし、産業構造が変わる時代には、その集中が地域の脆弱性にもなる。
これから必要なのは、大企業を維持するか撤退させるかという二者択一ではない。既存の工場、港湾、技術、人材を分解し、新しい用途へ組み替える発想である。
和歌山北部は、石油と鉄の時代から何へ向かうのか
和歌山県北部の臨海工業地帯は、戦後日本の成長モデルを縮小したような場所である。
海外から鉄鉱石、石炭、原油を輸入し、大規模な工場で素材を生産し、国内の建設、自動車、エネルギー需要を支える。
だが、人口減少、国内需要の縮小、脱炭素化、国際競争の激化によって、このモデルは変化を迫られている。
今後の可能性の一つが、既存の臨海工業基盤を活用したGX、グリーントランスフォーメーションである。
SAF、水素、再生可能エネルギー、資源循環、低炭素素材。
これらの産業にも、港、貯蔵設備、広い用地、大量の電力と用水、化学物質を安全に扱う技術が必要になる。つまり、かつて石油や鉄のためにつくられた基盤は、次世代産業にとっても価値を持つ可能性がある。
和歌山県は水素社会推進ビジョンや洋上風力発電の検討など、新しいエネルギー産業の可能性を探っている。和歌山県成長産業推進課
ただし、設備を新しい名称に置き換えるだけでは産業転換にならない。
誰が原料を供給し、どこへ製品を販売し、どれだけの雇用が生まれ、地域企業がどの工程に参加できるのか。新しい産業と既存の中小企業を接続する設計が必要になる。
産業転換とは、工場の看板を掛け替えることではない。
地域の人材と企業が、次の供給網の中に居場所を持つことである。
大阪に近いからではなく、海と川の交点だったから
和歌山県北部の工業化は、「大阪に近かったから」という一言では説明できない。
大阪への近さだけであれば、府県境に近い地域すべてが同じように工業化していてもよいはずである。
重要だったのは、複数の条件が一か所で重なっていたことだ。
紀ノ川が内陸部への回廊をつくった。
河口部に平野と都市が形成された。
紀伊水道が大型貨物を運ぶ海上交通路となった。
港の周囲に工業用地を確保できた。
大阪湾岸の市場や企業群とも接続できた。
この地理的な組み合わせが、和歌山市から海南市、有田市へ続く臨海工業地域を生み出した。
和歌山県北部は、大阪の周辺部として工業化したのではない。
川、港、海峡という独自の地理的条件を持っていたから、大阪湾岸の産業圏と結びつくことができたのである。
おわりに——土地は産業を固定せず、次の産業を準備する
かつて紀伊山地の木材を運んだ紀ノ川は、近代には都市と工業を支える軸になった。
紀伊水道に面した港は、鉄鉱石や原油を受け入れ、製鉄所と製油所を育てた。その周囲では、繊維、皮革、機械金属などの技術が蓄積された。
そして現在、石油精製の停止や製鉄設備の再編を通じて、北部工業地帯は再び転換点を迎えている。
しかし、産業が変わっても、地理が消えるわけではない。
港は残る。広大な工業用地も残る。大阪湾と太平洋を結ぶ位置も変わらない。何十年もかけて培われた技術や人材も、次の産業へ受け継ぐことができる。
土地が特定の産業を永遠に保証することはない。
だが、その土地に蓄積された基盤は、次の産業を生み出す条件になり得る。
和歌山県北部の未来は、石油と鉄の時代を懐かしむことではなく、その時代が残した港、設備、技術、人材を、どのような新しい供給網へ接続できるかにかかっている。
紀ノ川と紀伊水道は、和歌山の最初の工業化を支えた。
次の時代、その同じ地理が、和歌山を新しいエネルギーと高付加価値製造業の拠点へ導けるのか。
北部臨海工業地帯は今、戦後とは異なる二度目の産業形成を問われている。

