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湘南の海は、誰のものか—消えた「なぎさシティ構想」と海岸開発の記憶

湘南海岸と富士山を俯瞰し、「消えた都市。残された海。」の文字を重ねたイメージ

江の島の向こうに富士山が浮かび、波を待つサーファーが海に並ぶ。

砂浜を歩く人がいて、犬を連れた人がいて、夕暮れを眺める人がいる。

私たちは、この風景を「昔からある湘南の日常」のように感じている。

しかし1990年代、江の島西側の海岸では、海を埋め立て、新しい観光拠点をつくる大規模な開発計画が進められていた。

その名は、「湘南なぎさシティ構想」。

もし計画が実現していたら、現在の湘南海岸は、まったく違う風景になっていたかもしれない。

これは、消えた都市計画の話である。

同時に、海岸は誰のものであり、その未来を誰が決めるのかという、現在にも続く問いの物語でもある。

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19キロの海岸を再設計する「湘南なぎさプラン」

構想の背景には、1985年に神奈川県を中心として策定された「湘南なぎさプラン」があった。

対象となったのは、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町にまたがる約19キロの海岸地域である。

湘南海岸の自然環境を守りながら、公園、道路、スポーツ施設、観光施設などを一体的に整備し、21世紀に向けた新しい海岸地域をつくろうとする広域計画だった。

自然保護だけでもない。観光開発だけでもない。

当時の湘南には、都市化、交通渋滞、海岸利用、景観保全など、複数の課題が重なっていた。その解決を図りながら、地域の新たな経済価値を生み出そうとしたのである。

その流れのなかから浮上したのが、江の島に近い片瀬西浜周辺を開発する「湘南なぎさシティ構想」だった。

海を埋め立て、都市をつくる

構想では、自然海岸の一部を埋め立て、公園、文化ホール、商業・飲食施設、観光船施設などを備えた総合的なリゾート拠点を整備するとされた。

事業規模は、およそ200億円とも伝えられている。

背景にあったのは、海岸を観光と消費によって経済価値を生み出す「開発資源」として捉える発想だった。

海に施設をつくれば、人が集まる。

人が集まれば、飲食や買い物、宿泊などの消費が生まれる。地域の雇用や税収にもつながる。

経済合理性だけを見れば、開発には一定の根拠があった。

しかし、行政や事業者が地図の上に描いた海と、日々その海に接している人が感じていた海は、同じものではなかった。

失われようとしていたのは「波」だった

計画に対し、自然海岸や景観への影響を懸念する住民、作家、地域の議員などが反対の声を上げた。

そのなかには、地元のサーファーたちもいた。

計画区域の近くには、「大六ポイント」と呼ばれるサーフポイントがあった。

サーフィンにおける波は、単なる海面の動きではない。

海底の地形、砂の堆積、風向き、うねり、潮の満ち引き。複数の自然条件が重なって、その場所にしかない波が生まれる。

埋め立てや構造物の建設によって海底地形や砂の動きが変われば、その波は失われる可能性がある。

海そのものが消えなくても、地域の人が長い時間をかけて親しんできた「波の文化」が消えてしまう。

1995年7月、サーファーたちは「SOS——SAVE OUR SHORE」を立ち上げ、計画への反対署名を始めた。

それは自然保護運動であると同時に、海を日常的に見てきた人たちが、自分たちも地域の未来を決める当事者であると表明する行動だった。湘南ビジョン研究所「藤沢市サーフィン協会・佐賀和樹氏」

1996年、計画は見直された

住民や関係者の反対が続くなか、1996年、神奈川県と藤沢市は「湘南なぎさシティ構想」を見直す方針を示した。

藤沢市の歴史年表にも、同年6月13日、市長が県の見直し方針に協力を表明したことが記録されている。藤沢市歴史年表

大規模な総合リゾート開発は実現せず、計画は片瀬漁港の整備を中心とする方向へ転換された。

この出来事を「市民が開発を止め、海を守った物語」として語ることはできる。

しかし、本質はもう少し複雑だ。

開発は、必ずしも悪ではない。

地域経済を支え、雇用を生み、公共空間の利便性を高める可能性もある。一方で、自然環境や景観、地域固有の文化は、一度失われると元に戻すことが難しい。

問われていたのは、開発か自然保護かという二者択一だけではない。

誰が地域の価値を定義し、誰が未来を決めるのか。

そこに、この構想が残した最も重要な問いがある。

計画が消えても、砂浜は残り続けるとは限らない

湘南なぎさシティ構想は見直された。

しかし、それによって湘南の海が永遠に守られたわけではない。

現在の湘南海岸は、海岸侵食という別の問題に直面している。

湘南の砂浜は、相模川などから海へ運ばれた土砂が、波や沿岸流によって移動することで形成されてきた。

山の岩が削られ、川によって運ばれ、海岸へたどり着く。

砂浜は、山・川・海をつなぐ長い循環の先に生まれた地形なのである。

しかし、ダムや河川改修によって川から海への土砂供給量が減少した。さらに漁港や防波堤などの構造物が、海岸に沿って移動する砂の流れに影響を与えてきた。

特に茅ヶ崎海岸の中海岸地区では、約50年間で汀線が約50メートル後退したとされる。

2007年には高波によって、国道134号沿いの自転車歩行者道が被災した。

砂浜の減少は、景観やレジャーだけの問題ではない。波の力を弱め、背後の住宅や道路を守る海岸本来の防災機能も低下させる。神奈川県「茅ケ崎海岸侵食対策事業」

人が砂を運び、海岸を維持する時代

現在、茅ヶ崎海岸などでは「養浜」と呼ばれる侵食対策が行われている。

相模貯水池や茅ヶ崎漁港西側などに堆積した土砂を運び、海岸に敷きならすことで砂浜を回復させる取り組みだ。

かつて川が自然に担っていた砂の移動を、現在では人間がトラックや重機を使って補っている。

ここには、現代の自然環境を考えるうえで重要な現実がある。

私たちが「手つかずの自然」と思っている風景のなかにも、人間の継続的な管理によって維持されている場所がある。

湘南の砂浜も、もはや何もしなくても同じ姿で残り続ける自然ではない。

守るとは、ただ手を触れずに置いておくことではなくなっている。

山から川、川から海へと続く土砂の流れを理解し、地域の暮らしや防災、漁業、観光、海の生態系まで含めて管理していかなければならない。

海岸を「地域のコモン」として考える

湘南の海は、誰のものなのだろうか。

観光客のもの。

サーファーのもの。

漁業者のもの。

海岸に暮らす住民のもの。

行政が管理する公共空間。

しかし、そのどれか一つだけではない。

海岸は、多くの人が利用する一方で、誰か一人が自由に所有し、未来を決められるものでもない。

だからこそ、海を「コモン」、すなわち地域と社会が共有し、共同で守り、次の世代へ受け渡す財産として捉える視点が必要になる。

コモンとは、ただ無料で使える場所という意味ではない。

利用する人々が、その維持と未来に責任を持つ関係のことである。

海を守るとは、選び続けること

かつて湘南の海には、幻の都市がつくられようとしていた。

その計画に対し、海を日常として生きていた人たちが声を上げた。

計画は姿を消した。

しかし、湘南の海をめぐる選択が終わったわけではない。

海岸侵食、観光混雑、住宅開発、漁業の変化、災害リスク。湘南の海は、いまも複数の課題のなかにある。

海を守るとは、過去の風景をそのまま保存することではない。

変わり続ける自然と社会を見つめながら、何を残し、何を変え、どこまで人が手を加えるのかを、地域の意思として選び続けることである。

湘南の海は、誰のものか。

その答えは、海を利用するすべての人ではなく、この海の未来に責任を持とうとする、すべての人のものなのかもしれない。


この海岸を次の世代へどう受け渡すべきか。ぜひ、あなたの考えも聞かせてください。

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