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土地が働く、ひと手間。鵠沼魚醤と生豚に宿る藤沢の時間

江戸時代の家族の食卓風景を背景に、「土地が働く、ひと手間。」というコピーを重ねたHITOTEMA第一弾の記事アイキャッチ画像
江戸時代の家族の食卓風景イメージ

HITOTEMA 第一弾|人が整え、土地が仕上げる味。

私にとって、夕方の鵠沼海岸は、一日の余白を取り戻す場所だ。

朝から仕事をして、少しだけ頭の中が詰まってきた頃、海へ向かう。 5月の藤沢は、気温も穏やかで、風もやわらかい。 晴れた日には、雪を残した富士山が、相模湾の向こうに大きく姿を見せる。

日が沈む頃、海にはサーファーのシルエットが浮かび、 海沿いでは犬を散歩する人たちがゆっくりと歩いている。 その風景には、観光地としての湘南ではなく、 生活の中にある藤沢の時間が流れている。

相模湾に面するこの街には、海の匂い、南から吹く風、 温暖な気候、そして古くから続く暮らしがある。 その風土から生まれたものに、どんな価値が宿るのか。

今回、HITOTEMA第一弾として訪ねたのは、 藤沢市稲荷、湘南卸売市場の一角にある有限会社NORMA。 ピンク色の建物に店舗を構えるその場所で、 オーナーの高橋睦さんに話を聞いた。

テーマは、片瀬漁港で揚がるイワシを使った「鵠沼魚醤」と、 藤沢の風土の中で熟成される生ハム「生豚(なまはむ)」。

どちらも、すぐに完成する食品ではない。 塩を使い、時間を待ち、温度や湿度、微生物の働きによって、 ゆっくりとうま味が育っていく。

そこにあるのは、単なる食品づくりではなく、 土地と時間をどう受け入れるかという思想だった。

高橋睦さん|鵠沼魚醤と生豚を手がけるNORMAオーナー
Contents

新しい商品ではなく、古い知恵を現代に戻す

高橋さんに、鵠沼魚醤をつくるきっかけを尋ねると、 話はすぐに歴史へと広がっていった。

鵠沼魚醤は、単なる新しいご当地商品ではない。 高橋さんは魚醤を、古くからあった保存と発酵の知恵として捉えている。

もともと日本における魚醤は、現在私たちが想像するような液体調味料というより、 塩辛のような固体状の保存食に近いものだったという。 魚を塩で保存し、うま味を引き出す。 それは、冷蔵庫も冷凍庫もなかった時代に、 人々が食を守るために編み出した知恵だった。

江戸時代の文献には、液体状の魚醤が登場し、 庶民が醤油や味噌のように日常的に使っていた可能性もあるという。

つまり、鵠沼魚醤は「新しい発明」ではない。 むしろ、過去にあった食の知恵を、現代の藤沢で蘇らせる試みである。

新しいものを無理につくるのではなく、 失われかけたものを、いまの暮らしに戻す。 その視点が、HITOTEMAの考え方と深く重なっていた。

江戸時代の和室で家族4人が食卓を囲み、父親が小さな器から魚醤を料理に注いでいるイメージ

「湘南」ではなく、「鵠沼」と名づける意味

鵠沼魚醤は、藤沢市が「藤沢には名産品が少ない」という課題意識から、 地域ごとに名産品づくりを進めた流れの中で生まれた。

当時、鵠沼地区で手が挙がり、藤沢市のバックアップを受けて商品化が始まったという。 名前については、「湘南魚醤」という案もあったそうだ。

しかし高橋さんは、「鵠沼魚醤」という名前を選んだ。

湘南という言葉は広く、響きもよい。 けれど、広い言葉は便利である一方で、 場所の輪郭を曖昧にしてしまうこともある。

鵠沼市民センターから始まり、鵠沼という土地に根ざして生まれたものだからこそ、 「鵠沼」と名づける。 そこには、単なるブランディングではなく、 具体的な場所に責任を持つ感覚がある。

地域ブランドとは、広く見せることだけではない。 むしろ、ときには狭く、具体的な地名に降りていくことで、 土地の記憶が立ち上がる。

江の島を背景に置かれた鵠沼魚醤

魚醤も、生ハムも、保存食である

今回の取材では、生ハムについても話を聞いた。

一般的に生ハムと聞くと、イタリアやスペインの食文化を思い浮かべる。 しかし高橋さんは、単にヨーロッパへの憧れで生ハムをつくっているわけではないと語る。

日本にも、かつて肉を塩漬けにして保存する文化があった。 猪や鹿の肉を塩漬けにした「宍(しし)」のような保存食の文脈である。

そう考えると、生ハムはヨーロッパの模倣ではなく、 日本の古い保存食文化の延長線上にも置き直すことができる。

藤沢には養豚の歴史もある。 高座豚の流れ、鎌倉ハムの前史、外国人向けのハムやソーセージ需要。 そうした歴史をたどると、藤沢で生ハムをつくることにも、 単なる偶然ではない文脈が見えてくる。

魚醤も、生ハムも、塩と時間によって素材を保存し、 うま味へ変えていく食である。 それは、冷蔵技術がなかった時代の知恵であり、 同時に、現代の大量生産とは異なる価値を持つ食でもある。

熟成中の生豚

ひと手間とは、手を加えすぎないこと

取材の中で、もっとも印象に残ったのは、 高橋さんの「手間」に対する考え方だった。

一般的に「ひと手間」と聞くと、 人が何かを足すこと、工夫すること、手をかけることを想像する。 しかし、高橋さんの熟成食品づくりにおける“ひと手間”は、少し違っていた。

人間がやるべきことは、腐敗しないベースをつくるところまで。 塩を使い、素材の鮮度を見極め、安全な状態を整える。 その後は、温度、湿度、気候風土、バクテリアが働く。

完全に放置しているわけではない。 安全面では水分活性などを確認し、科学的な管理も行う。

ただし、味づくりの最後の部分を、人間が支配しすぎない。

高橋さんは、作り手は役者ではなく、演出家のような存在だと語る。 舞台を整え、あとは気候風土や微生物に委ねる。

この考え方は、HITOTEMAにとって非常に重要だ。

ひと手間とは、人間が余計に手を加えることではない。
土地が働ける状態を整えることなのかもしれない。

熟成庫に吊るされた多数の生ハム「生豚」

見えない従業員が、味を育てている

高橋さんの言葉で、もうひとつ忘れられない表現がある。

もし従業員を雇っているとしたら、 それは気候風土であり、バクテリアであり、テロワールだという。

目には見えない。 けれど、彼らは確かに働いている。

人が眠っている間も、熟成庫の中では温度が変わり、 湿度が動き、微生物が働き、味が育っている。 同じ魚でも、その年の脂の乗り方によって違う。 同じ肉でも、季節や空気によって変わる。 雨が降る日もあれば、暑すぎる年もある。

その変化を、できるだけ消さない。 むしろ、違いとして受け入れる。

大手の商品は、いつ買っても同じ味であることが求められる。 しかし、鵠沼魚醤や生豚のような熟成食品は、毎回少し違う。

その違いは、失敗ではない。 その年、その場所、その環境が働いた証拠である。

いつも同じでは、つまらない。
違っていい。
むしろ、その違いが、土地の味になる。

鵠沼魚醤と生ハム「生豚」について語る高橋睦さん

塩は、味つけではなく、時間をつくる

魚醤にも生ハムにも共通しているものがある。 それは、塩である。

しかし高橋さんにとって、塩は単に塩味を加えるためのものではない。

塩の役割は、腐敗を防ぎ、素材が安全に熟成できる土台をつくること。 素材が新鮮なうちに塩を入れ、 菌が悪い方向に働かない状態をつくる。 そこから時間が始まる。

つまり塩は、味つけというより、 時間を設計するためのものなのだ。

魚と塩。
肉と塩。
そして、温度と湿度。

そこに人間のコントロールを超えた環境の働きが重なり、 うま味が生まれる。

HITOTEMAが見つめたいのは、まさにその見えない工程である。

鵠沼魚醤の熟成過程

使い方を固定しすぎない

鵠沼魚醤の使い方について尋ねると、 高橋さんは、あまり特定のレシピに固定したくないと話した。

「魚醤といえば鍋」
「この料理専用」

そうしたイメージがつきすぎると、使い方が狭まってしまうからだ。

基本は、塩の代わりに使うこと。

野菜炒めに少し加える。
冷奴に数滴たらす。
パスタにうま味を足す。
おにぎりに少しだけしみ込ませる。
唐揚げのマヨネーズに混ぜる。

醤油だけでは味が決まりにくい料理でも、 魚醤を使うと、塩味とうま味が一度に入り、輪郭が立つ。

料理に足すのは、強い味ではない。 海の奥行きである。

生豚の切り出し

売れすぎても、つくれない

ローカルブランドには、独特の難しさがある。

鵠沼魚醤は、12〜13年ほど続いており、少しずつ認知も広がっている。 湘南エリアだけでなく、東京の飲食店でも使われているという。

しかし、売れればいくらでも増産できるわけではない。

片瀬漁港でイワシが取れにくくなっていること。 製造スペースに限りがあること。 小ロットで、気候風土に委ねながらつくっていること。

それらが、生産量の限界にもつながっている。

認知が上がれば、売れる。 けれど、売れすぎても、つくれない。

ここには、地域資源を扱う難しさがある。 大量生産できないからこそ価値がある。 しかし、大量生産できないからこそ、広げ方には工夫が必要になる。

HITOTEMAが担うべき役割は、単に「もっと売る」ことではない。 その商品の背景を伝え、無理のない広がり方をつくることだ。

片瀬漁港で水揚げされたイワシ

物語は、薄ければ届かない

いま、世の中にはモノも情報もあふれている。 スーパーの棚には、似たような商品が並び、 ネットでは無数のおすすめが流れてくる。

その中で、人は何を基準に選ぶのか。

価格なのか。
味なのか。
デザインなのか。

もちろん、それらも大切だ。 しかし高橋さんは、背景や作り手の思い、 ブランドとしての物語がなければ、なかなか愛着は生まれない時代だと語る。

ただし、物語なら何でもいいわけではない。 「ストーリー性が大事」と言うのは簡単だ。 けれど、薄っぺらい物語では、人の心は動かない。

本当に深い歴史があること。
作り手の思想があること。
土地との関係があること。
そして、それが商品そのものの味や存在理由と結びついていること。

鵠沼魚醤と生豚には、その条件がある。

だからこそ、HITOTEMA第一弾として取材する意味があった。

江の島を背景に置かれた鵠沼魚醤

作り手のひと手間を、食卓のひと手間へ

HITOTEMAが大切にしたいのは、 作り手のひと手間を、食べる人のひと手間へつなげることである。

高橋さんが整えた熟成の舞台。
気候風土やバクテリアが育てた味。
片瀬漁港の魚。
藤沢の豚。
鵠沼の名前。
歴史の中にあった保存食の知恵。

それらが、一本の魚醤や一枚の生ハムになる。

そして食べる人は、いつもの料理に数滴足す。 いつもの食卓に一枚添える。 その小さな行為によって、料理は少しだけ変わる。

ただおいしくなるだけではない。 藤沢という土地の時間が、食卓に届く。

ひと手間が、ひと皿の価値を変える。

生ハム「生豚」の盛り合わせ

土地が仕上げる味

夕方の鵠沼海岸で感じる潮の香り。
南から吹く風。
相模湾の魚。
藤沢に残る養豚の歴史。
見えない微生物。
変わり続ける温度と湿度。

鵠沼魚醤と生豚は、それらを一滴、一枚に閉じ込めた食品ではない。 むしろ、閉じ込めきれない土地の変化を、 そのまま受け入れている食品なのだと思う。

人が整え、土地が仕上げる。 その余白に、藤沢の味が生まれる。

HITOTEMA第一弾は、鵠沼魚醤と生豚から始まる。

料理に足すのは、味だけではない。
土地の時間を、少しだけ足すのだ。

NEOTERRAIN Journal 編集長 三宅雅之

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