少し苦労したものが、少し特別になる。「IKEA効果」から、手間と愛着の関係を考える。
休日の午後、床に板と部品を広げる。
説明書を見ながら、ネジを締める。向きを間違え、一度外して、また締める。
完成品を買えば、こんな時間は必要なかった。途中では、そう思っていた。
それでも、ようやく立ち上がった棚を壁際に置くと、少し離れて眺めてしまう。
自分でつくった。
その事実が、棚の見え方を変えている。
数年後、部屋の模様替えをするときも、その棚には少し迷う。もっと便利な収納はある。それでも、組み立てた日のことを覚えている。
私たちは、ものの機能だけを評価しているのだろうか。
自分が費やした時間や手間は、どのように価値へと変わるのだろう。
1.「自分でつくった」が、商品の評価を変える
この問いに関わるのが、IKEA効果と呼ばれる現象だ。
自分が制作や組み立てに関わったものを、より高く評価することを指す。名前は、購入者が組み立てる商品で知られる家具ブランド、IKEAに由来する。企業が名付けた販売手法ではなく、研究者が付けた名称である。11-091 norton mochon ariely.doc
Michael I. Norton、Daniel Mochon、Dan Arielyが2012年に発表した研究では、IKEAの収納ボックスの組み立て、折り紙、レゴを使った四つの研究を通じて、自分でつくったものへの評価を検討した。
その中では、参加者が自分のつくったものを高く評価し、他者もその評価を共有するだろうと考える傾向が示された。dash.harvard.edu
ここで、記事の問いと研究の範囲を分けておきたい。
この研究が主に扱ったのは、自作品への評価や支払意思である。「組み立て家具を何年使い続けたか」「捨てるときにどれだけ迷ったか」を直接示したものではない。
冒頭の「手放しにくい」という感覚は、日常の入口としての問いだ。その背景の一つを考える手がかりとして、IKEA効果がある。
2.好みに合わせたから、だけではない
自分で色や形を選んだものが気に入るのは、理解しやすい。
好きな色の靴。自分の名前を入れた革小物。部屋に合わせた寸法の家具。
それらには、好みに合っているという理由がある。
しかし、IKEA効果が興味深いのは、自由にデザインしていなくても、自分でつくる行為が評価を高めうる点だ。
研究者らは、独自性やカスタマイズ、つくる楽しさがなくても、組み立てる労力そのものが評価に関わる可能性を論じている。11-091 norton mochon ariely.doc
同じ説明書を使い、同じ完成形に向かう。
それでも、自分で部品を確かめ、形にした人には、完成品を見るだけの人とは異なる経験がある。
この視点に立つと、商品が顧客の手に渡るまでの工程にも、価値を生む余地が見えてくる。
ただし、作業を増やせば増やすほど価値が上がる、という意味ではない。
3.大事なのは、苦労の量より「できた」という感覚
組み立ての途中で、部品が足りないと分かる。
説明書の意味がつかめず、何度やっても形にならない。最後には、未完成の板を部屋の隅へ寄せる。
この場合も、時間と手間はかかっている。
けれど、完成した棚を眺めるときと、同じ気持ちになるだろうか。
2012年のNortonらの研究では、作業を完了できなかった場合や、つくったものをその後に解体した条件では、IKEA効果が失われたと報告されている。少なくとも、この研究の条件では、成功裏に完成させることが重要だった。dash.harvard.edu
さらに、同年のMochonらの別の研究では、組み立てを通じて生じる「自分にはできる」という有能感が、自作品への評価上昇を媒介することが示された。ScienceDirect
日常の言葉にすれば、「苦労したから好きになる」という説明だけでは足りない。
自分が関わったことで、何かが形になった。
その手応えが、価値の感じ方に関わっているのである。
4.顧客参加を、作業の肩代わりで終わらせない
この知見は、企業にとって魅力的だ。
顧客が参加することで、商品への評価が高まる可能性がある。制作や利用の工程を、体験として設計できるかもしれない。
一方で、ここには取り違えも起きやすい。
「手間をかけてもらえば、愛着が生まれる」
そう考えて、入力項目や設定作業を増やしても、顧客にとって意味のある参加になるとは限らない。
参加する側から見れば、同じ作業でも目的が違う。
| 顧客の作業 | 意味のある参加になりうる場面 | 負担になりやすい場面 |
|---|---|---|
| 組み立てる | 手順を理解し、自分で完成できる | 説明不足で何度もやり直す |
| 初期設定する | 自分の仕事に合う環境をつくれる | 用語が難しく、使い始められない |
| 素材を用意する | 自分の経験や意図を反映できる | 何が必要か分からず探し続ける |
| 制作に参加する | 自分の判断が成果に反映される | 意見を出しても扱いが分からない |
これは、各場面でIKEA効果が実証されているという一覧ではない。研究から顧客参加の設計を考えるための整理だ。
実務上の問いは、顧客に何をしてもらうかと同時に、その作業によって何ができるようになるかである。
完成まで支える説明、途中でつまずいたときの助け、本人が関わった結果を確かめられる仕組み。
参加を求めるなら、その先まで設計する必要がある。
5.便利にすることと、参加する余地を残すこと
商品やサービスの改善では、手間を減らすことが重視される。
それは多くの場面で重要だ。急いでいる人、作業が難しい人、完成品が必要な人もいる。
その一方で、自分で手を動かしたい人もいる。
旅先で器をつくる。味噌を仕込む。木を磨いて、小さな道具を完成させる。
こうした体験の価値を、すべてIKEA効果だけで説明することはできない。学び、土地との接点、誰かと過ごす時間など、複数の要素がある。
それでも、自分が完成に関わることへ目を向けると、体験づくりの問いが具体的になる。
どこまでを専門家が担うのか。
どの工程を参加者に任せるのか。
初めての人でも、最後に「できた」と思えるか。
たとえば、職人が難しい下準備を担い、参加者が仕上げの工程に関わる構成も考えられる。作業時間の長さだけでなく、自分の関与を実感できるかが検討点になる。
また、参加を望まない人のために、完成品や代行サービスを用意することにも意味がある。
顧客によって、求めている便利さと、楽しみたい手間は異なる。
6.企画をつくる側にも、同じ問いが返ってくる
この話は、商品を売る側だけのものではない。
自分で書いた企画書。何度も直した広告コピー。長い時間をかけた新規事業案。
その仕事に深く関わるほど、外からの評価との間に距離が生まれる可能性がある。
IKEA効果の実験を、そのまま複雑な経営判断へ当てはめることはできない。それでも、自作品への評価が高まるという知見は、企画を見直す際の問いになる。
「自分がつくった」という事情を知らない人にも、この価値は伝わるだろうか。
顧客が求めているのは何か。つくる側が苦労した部分と、顧客が喜ぶ部分は重なっているか。
制作過程で得た手応えは大切だ。同時に、成果物が他者にどう受け取られるかも確かめたい。
つくった人の愛着と、使う人にとっての価値。その両方を見ることが、企画の精度につながる。
7.顧客参加の成果は、参加人数だけでは分からない
顧客参加型の施策を行うなら、何人が参加したかに加えて、体験の中身を見る必要がある。
最後まで完成できたか。どこで支援が必要だったか。仕上がりに納得したか。そのあと、実際に使っているか。
商品への評価が高まったとしても、作業に疲れ果てていれば、次も同じ体験を選ぶとは限らない。
見るべき点は、たとえば次のように整理できる。
| 確認する点 | 分かること |
|---|---|
| 完成率・利用開始率 | 顧客が目的に到達できているか |
| つまずく工程 | 説明や支援を改善すべき場所 |
| 完成後の納得感 | 自分の成果を肯定的に受け止めたか |
| その後の利用 | 体験が日常の価値につながったか |
| 参加方法の希望 | 自作、支援付き、代行のどれが合うか |
これらは実務への提案であり、単一の心理効果を測る指標ではない。
大切なのは、手間をかけてもらったという企業側の事実と、参加してよかったという顧客側の実感を、混同しないことだ。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
棚の裏側に、少しだけ傷がある。
組み立てるときに、工具を滑らせた跡だ。
他の人には、ただの傷に見えるだろう。けれど、つくった本人には、休日の午後や、説明書を見返した時間が残っている。
ものの価値には、性能や価格だけでは測れない経験が重なる。
それは、自分でつくるものにも、誰かと一緒に仕上げるものにもあるのだと思う。
企業が参加の機会をつくるなら、その人が最後に何を持ち帰るかを考えたい。
完成した品物。新しく覚えたこと。そして、「自分にもできた」という手応え。
小さなネジを締め終えた、その瞬間から始まる価値がある。
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