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なぜ、商品代の300円は払えても、送料の300円にはためらうのか?

陶器と硬貨を載せ、硬貨側に傾いた天秤と配送用の箱を描いた水彩画。「同じ300円なのに、心の重さが違う。」の文字。
陶器と硬貨を載せ、硬貨側に傾いた天秤と配送用の箱を描いた水彩画

同じ金額なのに、心の重さが変わる。買い物の小さな違和感から、価格と納得の関係を考える。

夜、スマートフォンで気になっていた商品を探す。

色もいい。サイズもちょうどいい。価格は2,000円。カートに入れ、購入手続きを進めたところで、指が止まる。

送料300円。

払えない金額ではない。それなのに、急に惜しくなる。別の店を探し始め、気づけば十数分が過ぎている。

一方、最初から「2,300円・送料無料」と表示されていたら、そのまま買っていたかもしれない。

支払う総額は同じだ。それでも、買い物の気分は同じにならない。

この300円には、マーケティングを考えるための問いが詰まっている。人は価格を、どのように受け取り、何をもって「払ってもいい」と判断しているのだろうか。

Contents

1.私たちは、同じお金を別々の財布に入れている

銀行口座から出ていくお金に、商品代と送料の区別はない。しかし、頭の中では区別が生まれる。

商品代は「欲しいものを手に入れるためのお金」。
送料は「それを届けてもらうためのお金」。

会計上はひとつの支払いでも、気持ちの中では別の勘定になっている。

この見方に手がかりを与えるのが、行動経済学の「メンタルアカウンティング」、日本語でいう心の会計だ。リチャード・セイラーが発展させたこの理論は、人が頭の中に用途別の勘定をつくり、お金に関する判断を行うことを説明する。NobelPrize.org

送料へのためらいも、この枠組みで考えられる。

欲しかった商品のためなら、少し予算を増やしてもいい。けれど、送料を払うために予算を増やすことにはためらう。商品への期待が、そのまま配送への支払い意欲になるとは限らないのである。

もちろん、送料への反応をすべて心の会計で説明できるわけではない。実際の予算、他店の条件、急ぎかどうかも関わる。

それでも、「同じ300円なら、同じように評価されるはずだ」という前提を外すと、顧客の行動が少し見えやすくなる。

2.送料が高いのか。「あとから増えた」ことが嫌なのか

次の二つの表示を考えてみたい。

表示商品代送料支払総額
A2,000円300円2,300円
B2,300円無料2,300円

※同じ商品・配送条件を想定した説明用の例。

この比較には、実は二つの論点がある。

ひとつは、価格を商品代と送料に分けること。もうひとつは、送料をいつ知らせるかということだ。

商品価格と必須の追加料金を分けて示す方法は、研究では「分割価格表示(partitioned pricing)」と呼ばれる。1998年のMorwitzらの研究では、こうした表示が総額の認識や記憶、購買判断に与える影響が検討された。journals.sagepub.com

一方、手続きを進める途中で追加料金が段階的に明らかになる方法は、「ドリップ・プライシング」として研究されている。

2020年のSantanaらの研究では、選択可能な追加料金をあとから示す条件で、参加者が最初の安い基本価格に引かれ、結果として総額の高い選択肢を選びやすくなった。選び直す機会があっても、その選択を維持し、満足度は相対的に低かった。Marketing Science

これは、送料300円への抵抗を直接証明した実験ではない。しかし、最初に目にする価格と、費用が明らかになる順序が、判断に関わることを示している。

買い物の場面に引き寄せれば、次のように考えられる。

最初に2,000円を見た人は、その金額を基準に「買ってもいい」と判断する。そこで300円が加わると、総額を受け入れ直す必要がある。

同じ300円でも、最初から分かっていた費用と、決めかけたところで現れた費用では、受け取り方が変わりうる。

顧客がためらっているのは、金額だけなのだろうか。それとも、期待していた条件が変わったことなのだろうか。

この区別は、改善策を考えるうえで大きい。

3.「あと700円で送料無料」は、本当に得なのか

送料300円を払うか。
あと700円の商品を加えて、送料無料にするか。

こんな場面で、予定になかった商品を探した経験はないだろうか。

追加の商品を買わなければ、増える支払いは300円。700円の商品を加えれば、支払額はそちらのほうが400円多くなる。

ただし、追加した商品を近いうちに買う予定だったなら、まとめ買いには意味がある。不要なものなら、送料を避けるために支出を増やしたことになる。

ここで問われるのは、「送料無料」という言葉が、自分の買い物の目的をどこまで変えたかだ。

無料には、小さな値引きとは異なる心理的な作用がある。2007年のShampanierらの研究では、商品の価格差を一定に保ちながら、一方を低価格から無料にすると、その無料の商品を選ぶ人が大きく増えた。送料そのものの実験ではないが、ゼロという価格が特別に受け取られることを示す研究だ。Marketing Science

送料施策を扱った実証研究もある。

Lewisらが2006年に発表したオンライン小売業者のデータ分析では、送料が購入の有無や注文金額に影響し、送料無料や一定額以上での送料無料が追加売上を生むことが確認された。一方、その分析対象では、送料収入の減少などにより、これらの施策は利益面で採算が合わなかった。Marketing Science

売上が増えることと、利益が増えることは別である。

「送料無料にすれば売れるか」という問いだけでは足りない。追加商品の粗利や配送費まで含めて、事業として続けられるかを見る必要がある。

4.送料無料の向こうにも、荷物を運ぶ人がいる

画面に「送料無料」と書かれていても、商品がひとりで玄関まで来るわけではない。

棚から取り出す人がいる。
箱を組み立てる人がいる。
仕分け、運び、最後の道を歩く人がいる。

購入者が送料という項目で支払わなくても、配送に必要な費用は存在する。

「送料無料」は、購入者に配送費を別途請求しないという条件だ。商品代に含める、販売店が負担するなど、その費用をどこかでまかなう必要がある。

ここに、マーケティングの難しさがある。

購入しやすい表示をつくることと、届ける仕事の価値を伝えること。その両方を考えなければならない。

たとえば、割れ物を守る梱包や、品質を保つ温度管理に費用がかかるなら、その内容を具体的に示す。配送日や受け取り方法を選べるなら、料金との関係を分かるようにする。

ただし、説明さえあれば顧客が必ず納得するわけではない。価格そのものに無理がある場合もある。

だからこそ、費用を説明することと、費用に見合う体験を届けることを、セットで考えたい。

5.この話は、営業の見積書にもつながっている

送料の問題は、ECサイトの中だけにあるわけではない。

企業間の取引でも、「何に払うお金なのか」が分かりにくい項目はある。

企画費。
進行管理費。
調査費。
初期設定費。

いずれも必要な仕事であっても、名前だけでは成果との関係が見えないことがある。

たとえば「進行管理費」と書かれた一行。その中身が、関係者の調整、確認工程の整理、日程の管理であれば、それを示すことで、発注者は何に対価を払うのかを判断しやすくなる。

送料の研究から、こうした見積書での効果まで直接証明できるわけではない。ただ、実務への示唆はある。

顧客に必要なのは、金額の内訳と、その費用が生む価値のつながりである。

顧客に生じうる疑問提示すると判断しやすくなる情報
結局、いくら払うのか総額と、金額が変わる条件
なぜ、この費用が必要なのか作業内容と目的
どこまで含まれているのか対応範囲、回数、納品条件
あとから増えないか追加費用が発生する条件と確認方法

「顧客は価格に厳しい」と考える前に、価格を判断するための情報が届いているかを確かめたい。

6.企業が見直すべきは、値引きの前にある

送料への抵抗を見て、すぐに無料化する。その前に、確かめられることがある。

まず、送料と支払総額を、顧客が無理なく確認できるか。

地域によって送料が変わるなら、その条件は伝わっているか。購入の最後になって初めて、大きな負担が分かる構造になっていないか。

次に、配送条件が比較できるか。

速さ、受け取りやすさ、梱包方法など、料金と一緒に判断できる情報があるか。顧客が求めていない速さのために、高い費用を払う設計になっていないか。

そして、施策の評価を購入率だけで終えていないか。

送料無料で注文が増えても、利益が減る場合がある。購入は完了しても、不満が残る場合がある。注文ごとの利益、問い合わせ、再購入まで見て、価格表示と体験の関係を確かめる必要がある。

値段をどう見せるかは、顧客とどんな関係をつくるかという判断でもある。

EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN

送料300円を惜しんで、別の店を探す。

その小さなためらいを、私たちは簡単に「損得勘定」と呼んでしまう。

けれど、その中にはいくつもの気持ちがある。予算を守りたい。納得して払いたい。買うと決めた気持ちを、最後まで気持ちよく運びたい。

そして画面の向こうには、商品を届けるための仕事がある。

価格は、その両者が出会う場所なのだと思う。

数字の横に、何を伝えるのか。
どの段階で、どんな約束をするのか。
支払いのあとに、その約束をどう果たすのか。

たった300円の表示にも、企業が顧客と向き合う姿勢は表れる。

NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。

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