海の中にも、森がある。
それは、陸上の森のように幹を伸ばし、葉を広げるわけではない。けれど、海藻が揺れ、小さな魚が隠れ、貝やウニや甲殻類がすみ、産卵や成育の場になる。
藻場。
海の中に広がる海藻の森は、沿岸の生態系を支える大切な場所であり、漁業の土台でもある。
しかしいま、その海の森が各地で失われている。
磯焼け。
岩場から海藻が消え、海底が白っぽく、痩せたように見える現象。かつて海藻が茂っていた場所が、魚や貝にとってのすみかを失い、海の豊かさそのものが低下していく。
日本海側でも、藻場の衰退や磯焼けは、漁業、生態系、地域の暮らしに関わる重要な課題になっている。
海藻が消えると、海はどう変わるのか。
そして、海の森を再生することは、これからの地域にどんな意味を持つのか。
磯焼けは、単なる海藻の問題ではない。
それは、魚が育つ場所の問題であり、漁業の未来の問題であり、ブルーカーボンという新しい環境価値の問題でもある。
磯焼けとは、海の森が失われること
磯焼けとは、沿岸の岩礁域などで海藻が著しく減少し、海藻が茂る藻場が失われた状態を指す。
海藻がなくなると、岩肌がむき出しになり、海底は一見きれいに見えることもある。しかし、その見た目とは反対に、生きものにとっては厳しい環境になっている。
藻場は、小さな魚や稚魚の隠れ場所になる。貝やエビ、カニ、ウニ、アワビなどの生息場所にもなる。海藻そのものが餌になるだけでなく、多様な生きものが集まることで、沿岸の食物連鎖を支えている。
つまり、藻場は海の中のインフラだ。
道路や橋のように目に見える社会インフラではない。けれど、そこが失われれば、海の生産力は確実に落ちる。
漁業者にとっては、アワビやサザエ、ナマコ、魚類などの資源にも関わる。地域にとっては、食文化や観光、海辺の暮らしにもつながる。
海藻が消えることは、海の景色が変わるだけではない。
海の機能が失われていくことでもある。
なぜ、藻場は消えるのか
磯焼けの原因はひとつではない。
水産庁の磯焼け対策に関する資料では、ウニや植食性魚類による食害、海水温上昇、栄養塩不足など、複数の要因が組み合わさって藻場の衰退につながることが示されている。
たとえば、ウニが増えすぎると、芽生えた海藻を食べ尽くしてしまう。植食性魚類も、海藻の新芽や葉を食べ、藻場の回復を妨げる。
海水温が上がれば、海藻の生育に適した環境が変わる。これまでその地域で育っていた海藻が育ちにくくなり、逆に海藻を食べる魚の活動期間が長くなることもある。
栄養塩が不足すれば、海藻の成長は弱くなる。
つまり、磯焼けは単純な「海藻が減った」という現象ではない。
海水温、生物のバランス、栄養、海流、沿岸環境、人間活動。さまざまな条件が重なった結果として、海の森が維持できなくなっている。
だからこそ、対策も単純ではない。
海藻の種をまけば終わりではない。ウニを取り除けばすぐに戻るとも限らない。魚の食害を防ぎ、海藻が育つ基盤を整え、地域ごとの海の条件を読みながら、継続して見守る必要がある。
日本海側で起きている“静かな変化”
日本海側の沿岸は、海藻と深く結びついてきた。
岩場に育つ海藻は、アワビやサザエなどの磯根資源を支え、地域の漁業や食文化を形づくってきた。海藻そのものも、地域によっては食材や肥料、暮らしの資源として使われてきた。
しかし、海の中の変化は、陸上からは見えにくい。
砂浜の侵食や漂着ごみは、歩けば気づく。波打ち際にごみがあれば、誰でも目にできる。海岸線が細くなれば、風景として違和感を持てる。
けれど藻場の衰退は、潜らなければ見えない。
漁師やダイバー、研究者、地元の海をよく知る人たちが気づく変化であり、一般の人には届きにくい問題でもある。
だから、磯焼けは“静かな環境問題”になりやすい。
気づいたときには、海の中の森が失われ、魚や貝のすみかが減り、漁獲にも影響が出ている。
見えない場所で起きている変化を、どう見える言葉と映像に変えるか。
そこに、メディアが関わる意味がある。
藻場再生は、海を“植える”仕事である
藻場再生とは、単に海藻を増やすことではない。
それは、海の中にもう一度、生きもののすみかをつくる仕事である。
磯焼け対策では、ウニの密度管理、植食性魚類から海藻を守るための防護、母藻の設置、海藻の種苗投入、基盤づくり、モニタリングなど、さまざまな手法が組み合わされる。
水産庁は、磯焼け対策ガイドラインや藻場保全・創造に関する手引き、捕食者を利用した藻場回復の手引きなどを公開し、地域の活動場所で活用できる考え方や技術情報を整理している。
重要なのは、藻場再生が一度きりの作業ではないということだ。
陸上の植林と同じように、植えれば終わりではない。
芽が出るか。食べられないか。海水温は適しているか。周囲に海藻が広がっていくか。生きものが戻ってくるか。
海の中で起きる変化を、長い時間をかけて見続ける必要がある。
藻場再生は、海を“植える”仕事であり、海を“育てる”仕事でもある。
ブルーカーボンとしての藻場
藻場の価値は、漁業や生物多様性だけではない。
近年、藻場はブルーカーボンの吸収源としても注目されている。
環境省は、ブルーカーボンを、沿岸・海洋生態系が光合成によってCO₂を取り込み、その後、海底や深海に蓄積される炭素と説明している。主要な吸収源として、藻場、塩性湿地、干潟、マングローブ林が挙げられている。
つまり、藻場を守ることは、海の生きものを守るだけではない。
CO₂の吸収源を守ることでもあり、気候変動対策の一部にもなり得る。
さらに、ブルーカーボンの取り組みは、企業や自治体、漁業者が連携する新しい仕組みにもつながっている。
環境省の事例集では、藻場の保全活動により創出されたCO₂吸収量などを対象に、Jブルークレジットの発行が始まっていることが紹介されている。
ジャパンブルーエコノミー技術研究組合は、海洋の保全・再生・活用などブルーエコノミー事業の活性化に向けた方法論の研究開発を行う組織であり、Jブルークレジットの公募・認証にも関わっている。
この流れは、藻場再生に新しい意味を与えている。
漁業者が海を守る活動が、環境価値として可視化され、企業の支援や地域の資金循環につながる可能性がある。
海藻の森は、魚を育てるだけではなく、地域の環境経済を育てる基盤にもなり始めている。
海の森を守るには、地域の手が必要になる
藻場再生は、研究者だけでも、行政だけでも進まない。
日々、海の変化を感じている漁業者。調査や技術を支える研究機関。制度や予算を整える行政。活動を支援する企業。地域の海を学ぶ子どもたち。発信するメディア。
それぞれが関わることで、海の森は少しずつ守られていく。
特に漁業者の役割は大きい。
どの場所に海藻があったのか。いつから減ったのか。どの魚やウニが増えたのか。どの季節に変化が起きるのか。そうした現場知は、海の再生に欠かせない。
一方で、漁業者だけに負担を押しつけることもできない。
藻場は、地域全体に利益をもたらす。魚を育て、CO₂を吸収し、生物多様性を支え、海辺の景観や教育にもつながる。
だからこそ、藻場再生は地域全体のプロジェクトとして考える必要がある。
海藻が戻ると、何が戻るのか
藻場が戻ると、海に何が戻るのか。
まず、すみかが戻る。
小さな魚が隠れる場所。稚魚が育つ場所。貝や甲殻類が暮らす場所。
次に、餌が戻る。
海藻を食べる生きもの、その周辺に集まる小さな生物、それを食べる魚。食物連鎖の起点が戻る。
そして、地域の感覚が戻る。
昔はここに海藻があった。アワビがいた。サザエがいた。魚が集まった。そうした記憶が、海の中で再び確かめられる。
藻場再生とは、失われた生態系を戻すだけではない。
地域の海に対する記憶と誇りを取り戻すことでもある。
海の森を失うことは、未来の選択肢を失うこと
磯焼けをそのままにしておくと、海はどうなるのか。
藻場がなくなれば、魚や貝のすみかが減る。漁業資源が減る。海の生物多様性が低下する。ブルーカーボンとしての吸収源も失われる。
それは、地域の未来の選択肢が少なくなることでもある。
漁業を続ける選択肢。地域の食文化を守る選択肢。海を学びの場にする選択肢。企業や自治体が環境価値をつくる選択肢。子どもたちに豊かな海を見せる選択肢。
海藻が消えると、海は痩せていく。
そして、海が痩せると、地域の未来も痩せていく。
だから、藻場再生は単なる環境保全ではない。
地域の未来を太らせるための、海の基盤づくりなのである。
海を守るとは、見えない森を想像すること
私たちは、海の表面を見ている。
青い水面、波、夕日、水平線。美しい海の風景は、いつも海の上にある。
けれど、本当の豊かさは、海の下にある。
海藻が揺れ、小さな魚が隠れ、貝が育ち、CO₂が吸収され、生きものたちの循環が続いている。
その見えない森を想像できるかどうか。
磯焼けの問題は、そこから始まる。
日本海側の海岸線を歩くとき、私たちは砂浜や岩場だけでなく、その下にある海の森にも思いを向ける必要がある。
藻場は、海の記憶であり、漁業の土台であり、ブルーカーボンの吸収源であり、地域の未来のインフラである。
海藻が消えると、海は痩せていく。
だからこそ、海藻が戻ることは、海がもう一度、豊かさを取り戻す始まりになる。
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NEOTERRAIN Journalでは、これからも日本各地の海に起きている変化を、環境・漁業・地域・ブルーカーボンの視点から読み解いていきます。
参考資料・引用元
- 水産庁「藻場の保全・創造、磯焼け対策」
磯焼け対策ガイドライン、藻場保全・創造、捕食者を利用した藻場回復、施肥に関する技術資料など、磯焼け対策に関する各種資料を参照。
https://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_zyoho_bako/mobahozen_sozo_isoyaketaisaku.html - 水産庁「磯焼け対策ガイドライン」
磯焼けの要因、ウニや植食性魚類による食害、海水温上昇、地域ごとの対策の考え方などを参照。
https://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_zyoho_bako/attach/pdf/mobahozen_sozo_isoyaketaisaku-4.pdf - 環境省「ブルーカーボンとは」
ブルーカーボンの定義、藻場・塩性湿地・干潟・マングローブ林などのブルーカーボン生態系、CO₂吸収源としての位置づけを参照。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/blue-carbon-jp/about.html - 環境省「我が国におけるブルーカーボン取組事例集」
藻場の保全活動、ブルーカーボン生態系、Jブルークレジットの発行開始、地域・企業・自治体の連携事例を参照。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/blue-carbon-jp/pdf/materials/01_jp_1.pdf - ジャパンブルーエコノミー技術研究組合「JBE公式サイト」
海洋の保全・再生・活用などブルーエコノミー事業の活性化、Jブルークレジットに関する情報を参照。
https://www.blueeconomy.jp/

