夏の水田は、美しい。
青々とした稲が風に揺れ、季節が進むにつれて穂が膨らんでいく。
しかし、その風景を維持する仕事は決して穏やかなものばかりではない。
稲の生育を確かめ、水を管理し、病害虫を防ぎ、必要な時期に肥料を与える。とりわけ夏場の追肥は、暑さのなかで肥料を運び、水田の中や畦を歩きながら行う重労働である。
その負担を減らしたのが、肥料成分をプラスチックの膜で包んだ「被覆肥料」だった。
田植えの時期に一度施すだけで、稲の成長に合わせて肥料が少しずつ溶け出す。農家は夏場の追肥を省くことができ、少ない人数でより広い水田を管理できるようになった。
一方、肥料が溶けた後にはプラスチックの被膜殻が残る。その一部は水田から用水路や川を通り、海へ流出する可能性が指摘されている。
なぜ、環境への影響が懸念される技術が、これほど農業に広がったのか。
その背景にあるのは、農家の意識の低さではない。
人が減り、高齢化し、一つの経営体がより広い農地を引き受けなければならなくなった、日本農業の構造そのものである。
一度の施肥で、収穫まで支える
水稲は、田植えから収穫まで、同じ量の養分を必要とするわけではない。
生育の初期には茎や葉を増やし、やがて穂をつくり、実を充実させていく。それぞれの時期に合わせて、必要な量の窒素などを供給する必要がある。
従来の施肥では、田植え前後に与える「基肥」に加え、生育途中で「追肥」や「穂肥」を施す。
生育状態を見ながら肥料を調整できる一方、複数回の作業が必要になる。しかも追肥の時期は、気温と湿度が高くなる夏場と重なることが多い。
そこで普及したのが、速効性肥料と被覆肥料を組み合わせた「基肥一発肥料」である。
被覆肥料の粒を包む樹脂膜には、水分や温度に応じて肥料成分を徐々に放出する働きがある。製品によって溶け出す速さや期間を変えられるため、初期の生育から穂が形成される時期まで、一度の施肥で養分を供給できる。
田植え機に施肥装置を取り付ければ、苗を植える作業と肥料を与える作業を同時に行うこともできる。
施肥を一回で終わらせられる。
この単純に見える利点が、日本の稲作にとって大きな意味を持った。
追肥をなくすことは、作業を一つ減らす以上の意味を持つ
追肥には、肥料をまくだけではない作業が伴う。
肥料の購入と運搬、圃場ごとの生育確認、散布機への積み込み、機械の移動、散布後の洗浄などが必要になる。
水田が複数の場所に分散していれば、そのたびに移動しなければならない。雨や風、生育状況によって作業日程がずれることもある。
稲作では、必要な作業を適切な時期に行うことが重要だ。しかし、複数の水田が同じ時期に追肥を必要とすれば、限られた人数で対応することは難しくなる。
基肥一発肥料を使えば、こうした夏場の作業を大幅に減らせる。
特に高齢の農業者にとって、重い肥料や散布機を抱えて高温の屋外を歩く作業を省けることは、安全面からも重要である。
被覆肥料は、単なる便利な資材ではなかった。
農作業を続けられるかどうかを左右する、省力化技術だったのである。
農業者は20年間で半分以下になった
被覆肥料への依存を考えるうえで、避けて通れないのが農業人口の減少である。
農林水産省の資料によると、個人経営体の基幹的農業従事者は、2000年の240万人から2025年には約102万人まで減少した。25年間で半分以下になったことになる。
2025年の平均年齢は67.6歳で、年齢構成では70歳以上が最も多い。
農業をやめる人が増える一方、その農地すべてが使われなくなるわけではない。地域の農業法人や意欲のある農家が、離農した人の水田を引き受けることも多い。
その結果、農業経営体の数は減りながら、一つの経営体が管理する農地は広くなっている。
2025年農林業センサスの概数値では、農業経営体は5年前から23%減少した一方、一経営体当たりの経営耕地面積は3.1ヘクタールから3.7ヘクタールへ拡大した。
さらに、20ヘクタール以上を管理する農業経営体が占める面積の割合は、初めて全国の半分を超えた。
少ない人数で、より広い農地を守る。
現在の日本農業は、この方向へ進まざるを得ない状況にある。
農地が広がっても、一日は長くならない
経営規模が大きくなれば、機械を効率的に使えるようになり、生産コストを下げられる可能性がある。
しかし、管理する農地が増えても、一日の時間や働ける人数が増えるわけではない。
日本の水田は、必ずしも一か所にまとまっていない。離れた場所に小さな圃場が点在し、水路や進入路の条件も異なることがある。
田植え、水管理、草刈り、防除、追肥、収穫。それぞれの作業を、天候と稲の生育に合わせて複数の圃場で進めなければならない。
一つでも作業を減らせる技術があれば、その効果は管理面積が広くなるほど大きくなる。
被覆肥料による基肥一発施肥は、こうした大規模化を支える技術として組み込まれてきた。
言い換えれば、農業がプラスチックを選んだというより、人手不足と農地集積が進むなかで、プラスチックを使った省力化技術から離れにくくなったのである。
環境負荷を減らす技術でもあった
被覆肥料には、もう一つの側面がある。
肥料を効率よく作物へ届ける技術でもあることだ。
一般的な速効性肥料は、水に溶けやすい。そのため、一度に多く施すと、作物が吸収しきれなかった成分が雨水や農業用水とともに流れ出すことがある。
窒素などの肥料成分が河川や湖沼へ過剰に流入すれば、水質の悪化や富栄養化につながる可能性がある。
被覆肥料は、肥料成分を少しずつ放出し、作物が必要とする時期に合わせて供給する。肥料の利用効率を高め、施肥量や水田から流出する肥料成分を減らせる利点がある。
一部の栽培技術では、慣行的な施肥方法と比べて窒素肥料を削減しながら、安定した収量を確保できることも報告されている。
つまり被覆肥料は、当初から環境に無関心な技術だったわけではない。
肥料成分による水質への負荷を抑え、農作業を省力化し、収量を安定させる技術として評価されてきた。
ところが、肥料の流出を減らすために使われた樹脂膜が、別のプラスチック汚染を生み出すことになった。
一つの環境負荷を軽減する技術が、新たな環境負荷を残す。
ここに、この問題の難しさがある。
「一発肥料」は気候変動にも万能ではない
基肥一発肥料にも弱点はある。
被覆肥料は、地温や水分などの条件によって肥料成分が溶け出す。地域の気象条件や品種の生育に合わせて設計されているが、実際の天候は毎年同じではない。
高温の年には、想定より早く肥料成分が溶け出す可能性がある。その結果、生育の後半に養分が足りなくなり、追加の追肥が必要になることもある。
反対に、生育が予想より遅れれば、肥料が供給される時期と稲が必要とする時期がずれる可能性もある。
近年は、記録的な高温や豪雨など、従来の栽培暦だけでは対応しにくい気象が増えている。
「あらかじめ設計された肥料を一度だけ与える」という仕組みは、省力化には優れている。しかし、変化する生育状態を見ながら肥料の量を細かく調整する点では、追肥のほうが柔軟である。
省力化を優先するのか。
その年の稲の状態に応じて調整するのか。
被覆肥料からの転換は、プラスチックの問題だけでなく、変動する気候にどう適応するかという課題にもつながっている。
代替技術は「昔の農業へ戻ること」ではない
プラスチック被覆肥料をやめる方法として、単純に従来の追肥へ戻せばよいという意見もある。
しかし、それでは省力化によって補ってきた人手が再び必要になる。
現在の農業人口や経営規模を考えれば、農家の努力だけで作業を増やす方法には限界がある。
必要なのは、環境負荷を減らしながら、省力化の利点も失わない新しい仕組みである。
現在、さまざまな代替技術が検討されている。
ペースト状の肥料を田植えと同時に土の中へ施す「ペースト側条施肥」や、異なる深さに肥料を配置して効き方を調整する「ペースト二段施肥」では、プラスチック被膜を使わずに追肥を減らせる可能性がある。
水口から液体肥料を流し込む方法なら、水田の中を歩いて散布する負担を軽くできる。
ドローンを使えば、稲の生育状況を上空から把握し、必要な場所へ必要な量だけ追肥することもできる。農林水産省が紹介する実証では、ドローンによる追肥は、背負い式動力散布機より散布時間を短縮できる可能性が示されている。
プラスチックの使用量を減らした被覆肥料や、被膜そのものを使わない緩効性肥料の開発も進んでいる。
ただし、どの技術にも条件がある。
導入費用、機械の購入、肥料価格、圃場の形状、水量、通信環境、品種や土壌との相性。地域によっては、ドローンを飛ばせる人材や設備が不足している場合もある。
一つの技術ですべての水田を置き換えることは難しい。
環境対策の費用を、誰が負担するのか
代替肥料や新しい機械が開発されても、それだけで普及するとは限らない。
環境負荷の小さい肥料が従来品より高ければ、農家の生産コストは上がる。追肥作業を復活させれば、人件費と労働時間が増える。ドローンや自動水管理設備の導入にも費用がかかる。
一方、米の販売価格にその費用を反映できなければ、負担は農家に集中する。
消費者は環境に配慮した農業を求めながら、安い農産物も求める。
この二つを同時に農家だけへ求めれば、農業経営はさらに厳しくなる。
被覆肥料の被膜殻が海へ流出する問題は、使用する農家だけの問題ではない。
省力化技術によって安定した食料供給を受けてきた消費者、肥料を製造・販売してきた企業や農業団体、農業政策を設計する国や自治体にも、それぞれ役割がある。
代替技術の研究開発や設備導入への支援、地域単位での機械共有、環境配慮型農産物の価格形成など、転換に必要な費用を社会で分担する仕組みが欠かせない。
プラスチックへの依存は、農業の弱さではない
農業でプラスチックが使われてきた背景には、現場の合理性がある。
人手が減る。
農業者が高齢になる。
一つの経営体が引き受ける水田が増える。
それでも田植えや収穫の時期は待ってくれない。
限られた人数と時間で稲作を続けるため、農家は一度の施肥で長期間効果が続く被覆肥料を選んだ。
その選択が日本の米づくりを支え、私たちの食卓にもつながってきた。
だから、海へ流出する被膜殻だけを見て、過去の選択を誤りだったと断じることはできない。
問われているのは、被覆肥料を使った農家の責任ではなく、その技術がなければ維持しにくいほど人手が減った農業を、これからどのように再設計するかである。
必要なのは、依存を責めることではなく、次の選択肢をつくること
プラスチック被覆肥料は、日本農業の矛盾を映している。
農作業を減らし、肥料を効率よく使い、米の生産を支える。一方、役割を終えた被膜殻は農地に残り、その一部が海へ流れ出す。
便利さと環境負荷は、別々の場所に現れる。
水田では省力化という利益になり、海岸では小さなプラスチックごみとして見つかる。
この問題を解決するために必要なのは、農家へ我慢や追加作業を求めることではない。
被覆肥料が果たしてきた機能を、別の技術と制度で置き換えることである。
人手を増やさず、収量を落とさず、農家の所得を圧迫せず、海へのプラスチック流出を減らす。
難しい条件だが、そのすべてを同時に考えなければ、本当の転換にはならない。
農業がプラスチックに依存したのは、農家が環境を軽視したからではない。
少ない人手で田んぼを守り、米をつくり続けるためだった。
だからこそ、次に問うべきなのは「なぜ使ったのか」だけではない。
プラスチックに頼らなくても農業を続けられる選択肢を、社会は用意できるのか。
田んぼと海を守る未来は、その問いから始まる。
参考・引用資料
農林水産省
「農業経営をめぐる情勢について」
https://www.maff.go.jp/j/kobetu_ninaite/251225_meguzi.pdf
農林水産省
「2025年農林業センサス結果の概要(概数値)」
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/noucen/pdf/census_25.pdf
農林水産省
「稲作における施肥の現状と課題」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/nenyu_koutou/n_kento/pdf/2siryo1.pdf
農林水産省
「肥料のコスト低減事例集」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/210528-1.pdf
農林水産省
「稲作追肥手法の特徴(一覧表)に係るQ&A」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sizai/pdf/tsuihi_qa.pdf
農林水産省
「緩効性肥料におけるプラスチック被膜殻の流出防止に向けた対応の継続・強化について」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/hihuku_hiryo_taisaku-46.pdf
農林水産省
「みどりの食料システム戦略推進交付金 取組事例集」
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/midori/attach/pdf/jirei-113.pdf
京都府
「水稲におけるプラスチック被覆肥料代替技術」
https://www.pref.kyoto.jp/nosan/documents/manyuaru_ine.pdf
第一弾では、田んぼから海へ流れ出す被膜殻を追いました。
第二弾では、その肥料が日本の農業に必要とされてきた背景を見つめました。
次回は、プラスチックに代わる肥料やドローン施肥、生分解性素材などを取り上げ、「代替技術は本当に解決策になるのか」を考えます。
この記事が、農業と海の未来を考えるきっかけになったら、ぜひブックマークして、また読みに来てください。

