春、田植えの季節を迎えた水田に水が張られる。
土をならす代かきが行われ、苗が植えられ、余分な水は排水路へ流れていく。その水は用水路から川へ、やがて海へとつながっている。
この流れに乗って、水田から小さなプラスチック片が流れ出していることをご存じだろうか。
その正体の一つが、「プラスチック被覆肥料」の使用後に残る被膜殻である。
海洋プラスチックごみと聞くと、ペットボトルやレジ袋、漁網などを思い浮かべる。しかし海へ流れ込むプラスチックは、都市や漁業の現場だけから生まれるわけではない。
私たちの食卓を支える水田もまた、川と海を通じて環境問題につながっている。
肥料をプラスチックで包む理由
プラスチック被覆肥料とは、肥料の粒を薄い樹脂の膜で覆ったものである。
土壌の水分が被膜を通って内部へ入り、肥料成分を溶かす。そして、溨けた成分が被膜を通して少しずつ外へ出ていく。
作物の生育に合わせて肥料がゆっくり溶けるため、「緩効性肥料」や「コーティング肥料」とも呼ばれている。
一般的な肥料では、作物の成長に合わせて追加の肥料を与える「追肥」が必要になる。しかし被覆肥料を使えば、田植え前後の一度の施肥で、長期間にわたって必要な養分を供給できる。
農林水産省によると、プラスチック被覆肥料には、農作業の省力化や施肥量の低減につながる利点がある。
農業従事者の高齢化や担い手不足が進み、一つの経営体が管理する農地も拡大するなか、追肥作業を減らせることの意味は大きい。
また、肥料成分が一度に溶け出さないため、雨や農業用水によって窒素などが流亡することを抑え、肥料を効率よく利用できる。
つまり被覆肥料は、単に便利だから使われてきたのではない。
日本の農業が抱える労働力不足を補い、生産性を維持するために必要とされてきた技術なのである。
肥料が溶けても、殻は残る
問題は、内部の肥料成分が溶けた後にある。
肥料がなくなっても、それを包んでいたプラスチックの膜は水田の土壌に残る。中が空になった被膜殻は軽く、水面に浮かびやすい。
水田では、田植え前に土と水をかき混ぜる「代かき」が行われる。このとき、土の中に残っていた過去の被膜殻が水面へ浮かび上がることがある。
その後、田植えのために水を抜いたり、水を流し続けたりすると、被膜殻は排水口から用水路へ出ていく。
環境省が紹介する研究では、海岸や湖岸に堆積する被膜殻が5月から6月に増えることが確認されている。田植えに伴う代かきや落水の時期と重なることから、水田での農作業が流出に関係していると考えられている。
水田から出た被膜殻は、用水路、河川、河口を通り、最後は海へたどり着く。
田んぼと海は、離れた二つの環境ではない。
水の流れをたどれば、一つの連続した生態系なのである。
海岸で見つかる小さな殻
環境省がまとめた研究資料では、水稲栽培が盛んな地域において、灌漑期に調査した汀線のマイクロプラスチックのうち、7〜9割が被覆肥料の殻だったという結果も報告されている。
また、調査対象となった水田では、被膜殻の流入量に対する流出率が1〜28%、中央値で7.1%だった。
すべての被膜殻がすぐに海へ流れるわけではない。多くは水田の土壌に残り、次の年、さらにその次の年の代かきによって再び水面へ浮き上がる可能性がある。
つまり、水田に残る被膜殻は、一年ごとに消える問題ではない。
過去に使用されたプラスチックが農地に蓄積し、長い時間をかけて少しずつ外へ流れ出す可能性がある。
さらに、流出した被膜殻は紫外線や波、砂との摩擦などによって細かく砕かれる。小さくなればなるほど回収は難しくなり、水生生物が取り込む可能性も高まる。
現時点では、被覆肥料由来の微細なプラスチックが生態系や人体へどの程度影響するのか、まだ解明されていない部分も多い。
だからこそ、海へ流れ出す前に抑えることが重要になる。
農家だけを責めても解決しない
この問題を考えるとき、被覆肥料を使用する農家だけに責任を負わせるべきではない。
農業の現場では、高齢化、後継者不足、農地の大規模化、肥料価格の上昇といった複数の課題が同時に進んでいる。
追肥を減らせる被覆肥料は、厳しい条件のなかで農業を続けるための合理的な選択でもあった。
仮に使用を一律に禁止すれば、農家の作業負担や生産コストが増え、米づくりそのものが維持できなくなる地域も出てくるかもしれない。
必要なのは、「プラスチックを使う農家が悪い」という単純な構図ではない。
被覆肥料を製造する企業、販売する農業団体、施肥方法を指導する行政、代替技術を開発する研究機関、そして農産物を購入する消費者までを含め、社会全体の問題として考えることである。
農業を守りながら、海への流出を減らす。
その両方を成立させる仕組みが求められている。
田んぼの出口で止める
現在、すぐに実施できる対策として挙げられているのが、水田からの流出抑制である。
例えば、代かきの際に水量を少なくする「浅水代かき」、排水口への捕集ネットの設置、田植え前に水を一気に抜く強制落水を避けることなどがある。
環境省が紹介する研究では、代かき後のかけ流しや田植え時の強制落水を行わないことで、流出する被膜殻を大幅に減らせることが確認されている。
ただし、これらは流出を完全になくす方法ではない。
捕集ネットには管理や清掃が必要であり、地域の土壌、気候、水管理の方法によっても導入のしやすさは異なる。
また、水田の中に残った被膜殻そのものが消えるわけではない。
出口で流出を止める対策と同時に、プラスチックを使用しない肥料や施肥方法へ移行していく必要がある。
「2030年には頼らない農業」へ
2022年、全国農業協同組合連合会、全国複合肥料工業会、日本肥料アンモニア協会は、「2030年にはプラスチックを使用した被覆肥料に頼らない農業に」という理想を掲げた。
取り組みの柱は、被覆肥料にプラスチックが含まれていることの周知、農地からの流出抑制、代替技術の開発と普及である。
2026年2月に公表された中間報告では、プラスチック使用量を減らした「減プラ被覆肥料」への切り替えが進み、2025年4月から12月までの実績で、現行品のおよそ22%が切り替わったとされる。
プラスチックを使用しない緩効性肥料、生分解性樹脂を使った肥料、ドローンによる追肥、用水に肥料を流す施肥方法などの開発や実証も進められている。
しかし、代替肥料の価格、効果の安定性、地域や品種との相性、農家の作業負担など、解決しなければならない課題は少なくない。
2030年という目標は、単に新しい肥料へ置き換えれば達成できるものではない。
農業の生産性を維持しながら、どのようにプラスチックへの依存を減らしていくのか。日本の農業技術と制度の両方が問われている。
海の問題は、田んぼから始まっている
水田は、食料を生産する場所であると同時に、雨水を一時的に蓄え、生物を育み、地域の風景をつくってきた。
その水田から、意図せず小さなプラスチックが流れ出している。
これは、農業が自然を壊しているという単純な話ではない。
省力化を求めて開発された技術が、別の場所に環境負荷を生み出してしまったという、現代社会の構造的な問題である。
便利な技術の利益は農業と消費者が受け取り、使用後に残った小さな殻は、水の流れとともに海へ向かう。
だからこそ、田んぼの中だけで解決しようとしてはいけない。
肥料をつくる場所から、水田、用水路、川、河口、海までを一つの流域として捉えること。その視点が、これからの農業と海洋環境をつなぐ第一歩になる。
田んぼから流れ出す一粒の小さな殻は、私たちに問いかけている。
食料をつくることと、海を守ることを、どうすれば同じ未来の中に置けるのか、と。
参考・引用資料
農林水産省
「緩効性肥料におけるプラスチック被膜殻の流出防止に向けた対応の継続・強化について」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/hihuku_hiryo_taisaku-46.pdf
農林水産省
「肥料をめぐる情勢」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/index-239.pdf
環境省 プラスチック・スマート
「マイクロプラスチック削減のために。」
https://plastics-smart.env.go.jp/microplastics/
環境省
「環境中流出プラスチックに関する既往研究と今後の重点課題」
https://www.env.go.jp/content/000255573.pdf
農林水産省
「緩効性肥料におけるプラスチック被膜殻の流出防止に向けた対応の強化について」
https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/s_hiryo/attach/pdf/hihuku_hiryo_taisaku-15.pdf
田んぼと海の間で起きている、まだあまり知られていない環境問題です。この記事が考えるきっかけになったら、ぜひブックマークして、また読みに来てください。

