ウィーンの伝統的なカフェを思い浮かべる。
大理石の小さなテーブル。曲木の椅子。新聞を読む人と、会話を続ける人。
そこには、飲み物を受け取ったらすぐ立ち去る店とは違う時間がある。
私たちはコーヒーを注文している。しかし、求めているのは味だけではない。
考えを整理するひととき。誰かと話せる場所。ひとりでいても落ち着ける空間。
オーストリアのウィーンと、日本の喫茶文化を重ねてみると、マーケティングの問いが立ち上がる。
商品に値段をつけるとき、その商品が支えている時間まで見えているだろうか。
※本稿はウィーンの伝統的カフェと日本の喫茶店の事例を比較するものです。両国の消費者全体を国民性で分類するものではありません。実務への示唆は、事例をもとにしたNEOTERRAINの考察です。
1.文化遺産になったのは、コーヒー豆だけではない
ウィーンのカフェ文化は、2011年にオーストリア国内の無形文化遺産目録に登録された。ユネスコの世界遺産や、国際的な無形文化遺産の代表一覧への登録とは区別される。
オーストリア・ユネスコ委員会が紹介する特徴には、大理石のテーブル、トーネットの椅子、新聞用のテーブル、歴史的な様式の内装がある。
注目したいのは、味や製法だけでなく、人がそこで過ごす環境が文化として捉えられていることだ。
この事例をマーケティングの視点から読むと、商品価値をつくる範囲が変わる。
コーヒーの品質はもちろん大切だ。しかし、椅子の座り心地、会話のしやすさ、ひとりで過ごす安心感も、店を選ぶ理由になり得る。
メニューに載っていないものが、来店の理由になっている。
2.新聞は、店の「使い方」を変える
知的トリビアをひとつ。
オーストリア・ユネスコ委員会によると、ウィーンでは1720年にカフェ・クラマーが客向けに新聞を提供した。
新聞があることで、飲み物を待つ時間は、情報に触れる時間になる。
ひとりで来た人にも、そこで過ごす理由が生まれる。
ここに、現代の店づくりにも使えるヒントがある。
商品を増やすだけでなく、その場所で何ができるかを増やすという発想だ。
書店に腰を落ち着けられる席を設ける。地域の店に小さな読み物を置く。ショールームで、選び方を相談できる時間をつくる。
こうした工夫は、来店の目的を広げる可能性がある。
ただし、滞在時間が長くなれば利益が増えるとは限らない。席数、人件費、客単価、混雑時の運用まで含めて成立させる必要がある。
文化として魅力的なことと、事業として続けられること。その両方を設計してこそ、体験は守られる。
3.日本にもある、「居場所」を売るマーケティング
日本の比較対象として分かりやすいのが、コメダ珈琲店だ。
コメダは、自宅のリビングルームの延長のように過ごせる「街のリビングルーム」を目指すと説明している。また、木やレンガを使った空間、メニュー、客との距離感を含めて、くつろぎを提供する方針を示している。
ウィーンの伝統的カフェが、歴史ある都市の空間と結びつく一方で、コメダは日々の生活の中に戻ってこられる場所を提示する。
これを本稿では、「文化に身を置く時間」と「暮らしの中でくつろぐ時間」という、価値の伝え方の違いとして捉えたい。
| 比較の視点 | ウィーンの伝統的カフェ | 日本のコメダ珈琲店 |
|---|---|---|
| 公式説明で重視するもの | 内装、家具、新聞などを含むカフェ文化 | おいしさ、おもてなし、居心地 |
| 空間との関係 | 歴史的な都市文化を体感する場 | 自宅の延長のように使える場 |
| 本稿が読み取る価値 | 都市の時間に参加すること | 日常にくつろぎを持つこと |
| 共通する示唆 | 飲み物と、その場で過ごす体験を一体で考える | 飲み物と、その場で過ごす体験を一体で考える |
似ているのは、コーヒーを媒介として、その先の生活を提供している点だ。
「おいしいコーヒーがあります」という説明から、もう一歩進む。
「あなたが、ここでどう過ごせるか」を伝える。
そこにブランドの輪郭が生まれる。
4.歴史は、使われ続けることで価値になる
古い建物や長い創業年数は、ブランドの手がかりになる。
しかし、「歴史があります」という言葉だけで、顧客の体験が豊かになるわけではない。
大切なのは、その歴史が今日の使い心地にどうつながっているかだ。
椅子に座り、注文し、会話をする。その一連の体験の中で、店が積み重ねてきたものを感じられるか。
日本の老舗や地域産業にも、同じ問いを向けられる。
伝統の菓子が、家族の集まる時間をつくる。工芸品が、毎朝の食卓で使われる。旅館の設えが、旅先で心を休める手助けをする。
歴史を説明することと、歴史を体験にすることは、別の仕事だ。
販促では由来を語り、商品や接客ではその意味を実感してもらう。
ストーリーと現場がつながることで、伝統は現在の価値になる。
5.PSELで読む、コーヒーの外側にある価値
NEOTERRAINの四つの視点で、この比較を整理してみたい。
Product|何を提供しているか
目に見える商品は、コーヒーや食事。
顧客が受け取る価値には、休息、会話、考える時間も含まれる。
品質の改善に加えて、その商品が何を可能にするかを見ることが大切になる。
Story|なぜ、その店を選ぶのか
ウィーンのカフェには都市の歴史があり、コメダには日常のくつろぎという約束がある。
ストーリーは、顧客が自分の時間をその店に預ける理由になる。
長い物語を語るより、ひとつの約束を体験全体で伝えることが有効な場合もある。
Energy|誰が、その価値を保つのか
心地よい店には、接客、清掃、調理、設備の手入れを支える人がいる。
静かな時間も、放っておけば生まれるわけではない。
くつろぎを売るなら、それを提供する人の働き方と、店の採算も考える必要がある。
Land|なぜ、その場所にあるのか
都市の歴史、周囲の街並み、地域の暮らし。
立地は、人通りや賃料だけでなく、体験の意味にも関わる。
同じ飲み物でも、どこで、誰と、どのように飲むかによって記憶は変わる。
土地は、商品を受け取る文脈をつくっている。
6.「便利」と「くつろぎ」は、同じ人の中にある
忙しい朝には、すぐ受け取れる一杯がありがたい。
休日には、落ち着いて過ごせる店を選びたい。
顧客を「効率を求める人」「情緒を求める人」と固定してしまうと、この変化を見落とす。
同じ人でも、場面によって求める価値は変わる。
だから、マーケティングで確かめたいのは、誰に売るかと同時に、その人のどんな時間に役立つかだ。
店舗なら、来店時の目的を聞く。
商品開発なら、使う前後の生活を見る。
広告なら、機能の説明に、その機能が役立つ場面を添える。
「何が優れているか」に、「いつ、なぜ必要になるか」を重ねることで、価値は自分ごとになる。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
一杯のコーヒーを、成分と価格だけで説明することはできる。
けれど、その説明だけでは、人がなぜ同じ店へ戻るのかは分からない。
窓から入る光。座り慣れた椅子。話しかけてくれる人。そっとしておいてくれる距離。
そうした小さなものが、生活の中で店の意味をつくっていく。
オーストリアと日本の喫茶文化から見えてくるのは、商品を包む時間へのまなざしだ。
価値は、つくり手が込めたものだけで完結しない。使う人の生活に届き、居場所を得たところで育ち始める。
あなたの商品は、誰の、どんな時間を支えているだろうか。
参考資料
- オーストリア・ユネスコ委員会「Viennese coffee house culture」
https://www.unesco.at/en/culture/intangible-cultural-heritage/inventory/element/article/viennese-coffee-house-culture - コメダ珈琲店「“くつろぎ”の秘密」
https://www.komeda.co.jp/commitment/kutsurogi.html - コメダ珈琲店「ご挨拶」
https://www.komeda.co.jp/company/message.html
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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