人の物語と、風景の余白から考えるブランドの伝え方
広告を見ていたはずなのに、いつの間にか、誰かの人生を見ている。
食卓を囲む親子。毎日働く母親。その大変さを、まだ十分には知らない子ども。
商品が登場する前に、自分の記憶が動き出す。タイの広告を読み解くとき、この「商品より先に立ち上がるもの」に注目すると、マーケティングの違う景色が見えてくる。
一方、日本の広告にも、説明を超えて心に届く表現がある。季節の風景と短い言葉だけで、「どこかへ行きたい」という気持ちを呼び起こす広告だ。
今回は、タイ生命保険の映像広告と、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」を手がかりに、ブランドが感情とどう結びつくのかを考えてみたい。
ここで扱うのは、二つの国を代表する国民性ではない。異なる業種・広告目的を持つ具体的な事例から見えてくる、価値の伝え方である。
1.タイ生命保険は、人生のどこにカメラを向けるのか
タイ生命保険(Thai Life Insurance)の広告「Mother Knows Best」には、夕食を囲む母親と息子が登場する。
息子が語るのは、世界や未来を変える新しい技術。しかし、母親は未来についてゆっくり考える余裕を持てず、息子の暮らしを支えるために日々働いている。制作を担うOgilvyの公式紹介は、この親子の異なる視点を物語の中心として説明している。
ここから先は、広告表現としての読み解きだ。
この設定には、「家族を大切にしましょう」と言葉で教えるよりも、具体的な関係を通して気づかせる力がある。
子どもが見ている未来。その未来を、今日の労働で支えている親。
同じ食卓にいる二人が、違う時間を生きている。その距離が見えると、生命保険という商品を考える前に、「自分の暮らしは誰に支えられているのか」という問いが生まれる。
保険の価値を保障額や条件から説明する方法は必要だ。一方、この広告は、その説明を受け取る土台となる感情にカメラを向けている。
商品が必要になる理由を、人と人の関係の中に置く。
そこに、この事例から学べるマーケティングの設計がある。
出典:Ogilvy「Mother Knows Best」
https://www.ogilvy.com/work/mother-knows-best
2.「感動する広告」の奥にある、ブランドの視点
タイ生命保険には、2014年の「Unsung Hero」など、物語を軸とした映像広告の蓄積がある。同作品の広告主・制作会社・制作年は、タイの広告賞ADMANの作品記録でも確認できる。
さらに「Unfading Love」では、アルツハイマー病を抱える母親と、喘息のある息子の関係を描いている。Ogilvyの公式紹介によれば、母親は息子の薬を自分の手首に刻み、ケアしようとする。この作品はあくまで広告上の物語であり、病気やケアの実態全体を説明するものではない。
これらを「タイは泣ける広告が得意」と括るだけでは、表現の構造が見えなくなる。
注目したいのは、生命保険という事業と、物語の中心に置く価値の関係だ。
人を支えること。大切な人の暮らしを気にかけること。先の見えない時間の中でも、関係を守ろうとすること。
こうした主題は、生命保険の意味と接続しうる。これは本稿の解釈であり、広告による販売効果を示すものではない。
感動そのものがブランドになるわけではない。その感動が「なぜこの企業の物語なのか」と結びつくことで、ブランドの意味が生まれる。
出典:ADMAN「Unsung Hero」、Ogilvy「Unfading Love」
https://admanawards.com/oldsite/portfolio/unsung-hero/
https://www.ogilvy.com/ap/work/unfading-love
3.日本の広告は、風景に自分の時間を重ねさせる
日本側の事例として考えたいのが、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」だ。
公式のキャンペーンギャラリーによると、1993年秋に始まったこのキャンペーンは、京都の寺社や季節の風景を長年取り上げてきた。
鉄道会社の広告でありながら、視線を向ける先は、移動の目的地である。
桜の下を歩く時間。庭に立ち止まる時間。普段の生活から少し距離を置く時間。
こうした風景とコピーの組み合わせを、本稿では「受け手が自分の時間を重ねる余白」と捉えたい。
親子の具体的な物語を描くタイ生命保険の事例では、登場人物の関係に自分を重ねる。一方、京都の風景を描く広告では、まだそこにいない自分を想像する。
人の人生に入っていく表現と、自分の人生を置いてみる表現。
両者は、感情を生む入口が異なる。そして、どちらも商品・サービスがもたらす意味へとつながっている。
生命保険では、大切な人を支えること。鉄道では、その場所へ行くこと。
感情表現を事業から切り離さずに見ると、広告が伝えている価値の輪郭が見えてくる。
出典:JR東海「キャンペーンギャラリー」
https://souda-kyoto.jp/campaign/index.html
4.比較の軸は、国民性より「感情の入口」
ここまでの比較を整理すると、次のようになる。
| 視点 | タイ生命保険の事例 | 「そうだ 京都、行こう。」の事例 |
|---|---|---|
| 表現の中心 | 親子など、人と人の関係 | 京都の場所と季節 |
| 受け手が重ねるもの | 誰かを支えた、支えられた経験 | そこで過ごしてみたい自分の時間 |
| 価値への橋渡し | 関係を守ることと保険の意味 | 訪れたい気持ちと移動の意味 |
| 企画で考える問い | 誰の、どんな行為を描くか | どんな場所・時間を想像させるか |
これは事例についての編集的な分析であり、タイと日本の広告全体の傾向を測定した表ではない。
日本にも家族の物語を描く広告はある。タイにも商品機能を説明する広告はある。
重要なのは、表現を国別の型として覚えることよりも、自分の事業にとって、どこから感情を立ち上げるのが自然なのかを考えることだ。
5.心が動くことと、買うことの間には距離がある
ここで忘れてはいけないのは、感動した人が、そのまま顧客になるとは限らないということだ。
物語だけが記憶に残り、広告主が思い出されないこともある。企業に好意を持っても、商品が自分に合うとは限らない。
企画を考える際には、少なくとも三つの問いを分けておきたい。
- 何を感じてほしいのか。
- その感情を、企業や商品のどんな価値と結びつけるのか。
- 興味を持った人が、次に何を確認できるのか。
たとえば保険なら、広告で「大切な人を支えたい」という気持ちが生まれた後に、保障内容、保険料、対象条件などを理解できる必要がある。
旅行なら、「ここへ行きたい」の後に、アクセスや日程、費用を具体的に考えられる必要がある。
ブランドへの好意と、購入判断を支える情報。それぞれに役割がある。
物語は、説明を受け取りたくなる理由をつくる。説明は、その選択を確かめる材料になる。
広告を評価するときも、再生数や好意的な反応だけで販売効果を判断することはできない。何を目的とした広告なのかに合わせて、ブランドの想起、問い合わせ、購入などを見ていく必要がある。
6.PSELで読む、商品の向こう側
NEOTERRAINの四つの視点で整理すると、この比較は広告制作の外側にも広がる。
P|Product — 機能が、誰の暮らしを支えるのか
保障や移動という機能を、生活の中へ戻してみる。
誰が、どんな状況で使うのか。それによって、何を守り、何を実現できるのか。
商品を生活との関係から捉えることで、説明すべき価値が具体的になる。
S|Story — 価値を、どんな場面で見せるのか
「家族への愛」だけでは抽象的だ。夕食の会話や、日々の働く姿を置くと、関係が見える。
「旅の魅力」も、場所と季節と過ごし方を選ぶことで、想像できる体験になる。
ストーリーとは、価値を受け手が理解できる場面へと編集することでもある。
E|Energy — 誰の行為が、価値を生んでいるのか
家族を支える働き。サービスを届ける仕事。庭や建物を守る手入れ。
広告の表に出る魅力の背後には、人の行為がある。
そこに目を向けると、映像はきれいなイメージを超えて、価値が生まれる過程を描けるようになる。
L|Land — その関係や風景は、どこに根ざすのか
食卓、街路、寺院、庭。場所は単なる背景ではない。
そこにある暮らし方や時間の流れが、物語の手触りをつくる。
海外事例から学ぶときも、表情や音楽だけを借りるのではなく、その表現がどんな生活の場から生まれているのかを見たい。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
広告は、何を映すかを選ぶ仕事である。
商品を映す。使う人を映す。その人を支えてきた誰かを映す。
あるいは、まだ訪れたことのない場所を映し、そこに自分の時間を置いてもらう。
どこへカメラを向けるかによって、同じ商品が持つ意味も変わる。
タイと日本の広告を並べて見えてくるのは、感情の大きさの競争ではない。暮らしと商品の間に、どんな関係を見つけるかという編集の仕事だ。
誰かの小さな行為に気づくこと。見慣れた風景に、もう一度立ち止まること。
ブランドが語るべき物語は、そうした場所に眠っているのかもしれない。
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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