茨城県は、東京に近い。
しかし、埼玉県や千葉県、神奈川県ほど「東京圏」として語られることは多くない。
県南部では、つくばエクスプレスによって東京都心と結ばれ、住宅地や研究都市が広がる。一方、県北部には山地と人口減少地域があり、太平洋岸には港湾、工業地帯、発電施設、原子力研究施設が並ぶ。
内陸には日本有数の農業地帯があり、霞ヶ浦と利根川は、首都圏の水と食料を支えている。
茨城県は、単なる東京の郊外ではない。
農業、工業、科学技術、エネルギー、物流、防災という、日本の国家基盤を一つの県内に抱えた土地である。
茨城県の地政学を読み解くと見えてくるのは、東京から少し離れた「余白」が、日本の成長を受け止めてきた歴史だ。
茨城県は、首都圏の「北東の縁」にある
茨城県は、関東平野の北東部に位置する。
南には利根川を挟んで千葉県、西には栃木県と埼玉県、北には福島県、東には太平洋が広がる。
東京と東北地方、太平洋と北関東内陸部が交わる位置にあり、陸と海の両方から首都圏を支えることができる。
この立地は、茨城県に三つの役割を与えてきた。
一つ目は、東京に食料や水、工業製品を供給する「生産基地」。
二つ目は、港湾や高速道路を通じて北関東と世界をつなぐ「物流拠点」。
三つ目は、東京だけでは抱えきれない研究機関、工業施設、エネルギー施設を引き受ける「国家機能の受け皿」である。
茨城県は東京に依存するだけでなく、東京が巨大都市として存在するために必要な機能を、外側から支えてきた。
山・平野・湖・海がつくる、四つの茨城
茨城県の地形は、一つではない。
県北部には阿武隈高地から続く山地があり、中央部から南部には広大な平野が広がる。南東部には霞ヶ浦と北浦があり、その先には鹿島灘と太平洋がある。
この地形の違いが、県内に異なる地域性を生み出した。
県北──山と海に挟まれた産業地域
日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市などの県北地域は、平地が限られ、山地が海岸近くまで迫っている。
この地形は大規模農業には向かない一方、鉱業や製造業、水力を利用した産業の発展を促した。
日立製作所の起源が日立鉱山にあるように、県北では地下資源と電力、港湾、技術が結びつき、日本を代表する工業地域が形成された。
県央──水戸を中心とする政治・行政地域
水戸市を中心とする県央地域は、江戸時代から政治と文化の中心だった。
水戸藩は徳川御三家の一つとして、江戸の北東を守る位置に置かれた。水戸は単なる地方城下町ではなく、江戸幕府にとって政治的に重要な拠点だったのである。
現在も水戸市は県庁所在地として行政機能を担うが、県内最大の人口を持つ都市ではなくなった。2025年国勢調査の速報では、つくば市の人口が水戸市を上回っている。
これは、茨城県の重心が歴史的な水戸から、東京との結びつきが強い県南へ移りつつあることを示している。
県南──東京と接続する研究・居住地域
つくば市、守谷市、つくばみらい市、取手市などの県南地域は、東京の通勤圏であると同時に、日本最大級の研究開発地域でもある。
つくばエクスプレスの開業によって、県南と東京都心の時間距離は大きく縮まった。守谷、つくばみらい、つくばでは住宅開発が進み、人口減少が続く県内にあって成長地域となっている。
2025年国勢調査の速報では、前回調査から人口が増えた県内自治体は4市町に限られ、その中心がつくば市、つくばみらい市、守谷市、阿見町だった。
茨城県の人口問題は、県全体の減少だけでは捉えられない。
県南に人が集まり、県北・県西・県央から人が減るという「県内の南北格差」が同時に進んでいる。
鹿行──湖と海を利用した農業・工業地域
鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市からなる鹿行地域は、霞ヶ浦、北浦、鹿島灘に囲まれている。
ここでは、水に近い土地で農業と漁業が営まれてきた一方、高度経済成長期以降は鹿島港と鹿島臨海工業地帯が整備された。
鹿行地域は、自然の水辺と巨大な人工インフラが隣り合う、茨城県の縮図ともいえる。
霞ヶ浦は、風景ではなく「首都圏の水の装置」である
霞ヶ浦は、日本で二番目に大きい湖として知られる。
しかし、地政学的に重要なのは、その大きさだけではない。
霞ヶ浦と北浦、その周囲の河川や用水路は、農業用水、工業用水、生活用水、漁業、治水という複数の役割を担っている。
水は農地を潤し、鹿島臨海工業地帯の発展を支え、周辺都市の生活を成り立たせてきた。
つまり霞ヶ浦は、自然の湖であると同時に、人間が管理する巨大な社会インフラでもある。
一方で、水を利用すればするほど、水質汚濁や生態系の変化という問題が生まれる。生活排水、農地から流れ込む栄養塩、湖岸の人工化などによって、霞ヶ浦では長年、水質改善が課題となってきた。
湖を「資源」として使うことと、「生態系」として守ること。
茨城県の水辺には、この二つをどう両立させるかという現代的な問いがある。
利根川は、茨城を東京へ結びつけた
県南部を流れる利根川は、茨城県と千葉県を隔てる県境である。
しかし、川は地域を分断するだけではない。
江戸時代には舟運によって物資や人を運び、霞ヶ浦や利根川流域の農産物を江戸へ届ける交通路となった。水戸もまた、水陸交通の要衝として発展した。
茨城県の農業が首都圏市場と強く結びついている背景には、東京に近いことだけでなく、水運の時代から続く流通の歴史がある。
現在、その役割は鉄道や高速道路、トラック輸送へ移った。
常磐自動車道、北関東自動車道、圏央道などの道路網は、農産物や工業製品を東京、北関東、東北へ運ぶ。
交通手段は変わっても、茨城県が「生産地」と「巨大消費地」を結ぶ位置にあることは変わっていない。
全国有数の農業県は、東京の近さによって生まれた
茨城県は、北海道や鹿児島県に次ぐ全国有数の農業県である。
2024年の農業産出額は5,494億円で、全国第3位。かんしょ、はくさい、ピーマン、メロン、れんこん、くりなど、多くの品目で全国上位に位置する。
この強さを支えているのは、平坦な土地、比較的温暖な気候、豊富な水だけではない。
最大の条件は、東京という巨大市場に近いことである。
農産物は鮮度が重要であり、輸送時間と物流コストが競争力を左右する。茨城県は広い農地を持ちながら、首都圏へ短時間で出荷できる。
北海道ほど遠くなく、東京近郊県ほど都市化されていない。
この「近いが、土地が残っている」という距離感が、茨城県を首都圏の食料供給基地にした。
ただし、その優位性も永続的ではない。
農業従事者の高齢化、担い手不足、耕作放棄地、気候変動、物流費の上昇が進めば、東京に近いだけでは農業を維持できない。
茨城県の農業はこれから、量を供給する産地から、技術、ブランド、加工、輸出まで含めた産業へ変わる必要がある。
鹿島は「何もなかった土地」ではなく、国家がつくった工業空間である
鹿島灘沿岸は、もともと遠浅の砂浜が続き、大型船が接岸できる天然の良港ではなかった。
その土地に、巨大な掘込港湾を建設し、工業用地、道路、鉄道、工業用水を一体的に整備したのが鹿島開発である。
1961年に策定された鹿島臨海工業地帯造成計画を基に、鉄鋼、石油精製、石油化学、発電、飼料などの産業が集積した。
鹿島港は自然条件に恵まれた港ではない。
国家と県が地形そのものをつくり変えた人工港である。
ここには、高度経済成長期の日本が必要とした基礎素材、エネルギー、食料関連産業が集められた。東京湾岸の過密を避けながら、首都圏に近く、広大な土地と工業用水を確保できる場所として鹿島が選ばれたのである。
現在の鹿島臨海工業地帯は、国際競争、設備の老朽化、脱炭素化という転換点に立っている。
鉄鋼や石油化学は日本の産業を支えてきた一方、大量のエネルギーを消費し、二酸化炭素を排出する。
鹿島が今後も産業拠点であり続けるためには、再生可能エネルギー、水素、アンモニア、資源循環などを組み込んだ新しい工業地帯へ移行できるかが問われる。
茨城港は、東京を通らずに北関東と世界を結ぶ
茨城県には、日立港区、常陸那珂港区、大洗港区からなる茨城港がある。
なかでも常陸那珂港区は、北関東自動車道と直結し、栃木県や群馬県の工業地域と太平洋を結ぶ物流拠点となっている。
この港の地政学的な意味は、「東京港を経由しない物流ルート」にある。
北関東で生産された自動車、建設機械、工業製品を、東京都心の混雑を通らずに海外へ運ぶことができる。反対に、海外から入った資源や部品を、北関東の工場へ直接届けることもできる。
茨城県は東京に近いが、すべてを東京経由にする必要はない。
港と高速道路を結ぶことで、東京への集中を回避しながら、北関東全体の産業を支えることができる。
茨城港は、茨城県だけの港ではなく、海を持たない栃木県や群馬県にとっても重要な「外港」なのである。
つくばは、東京の過密が生んだ「知の分散都市」である
筑波研究学園都市は、自然発生的に生まれた都市ではない。
1963年、東京に集中していた国の研究機関や大学を移転し、首都圏の過密を緩和するとともに、高水準の研究・教育拠点を形成するために建設が決定された。
現在のつくば市には、筑波大学、産業技術総合研究所、国土地理院、JAXA筑波宇宙センター、高エネルギー加速器研究機構など、多数の研究・教育機関が集積している。
つくばは、東京から機能を移した結果として成立した都市である。
その意味では、鹿島臨海工業地帯と似ている。
鹿島が東京圏の外側に工業を配置した場所なら、つくばは東京圏の外側に知識と研究を配置した場所だ。
2005年のつくばエクスプレス開業後、つくばは東京と再接続された。
かつて「東京から研究機能を分散するためにつくられた都市」が、現在では東京へ通勤できる住宅都市として成長している。
分散のためにつくられ、接続によって発展する。
この矛盾こそ、つくばの地政学的な特徴である。
東海村は、日本の科学技術とリスクが集中する場所
茨城県北部の東海村と、その周辺の大洗町、那珂市には、原子力や核融合、量子科学に関わる施設が集積している。
東海村では1957年、日本で初めて原子炉が臨界に達した。現在も日本原子力研究開発機構の研究施設やJ-PARCなどが立地し、物質科学、生命科学、原子核・素粒子研究が行われている。
これは茨城県が、農業県や工業県であるだけでなく、日本の科学技術政策を支える場所でもあることを示している。
一方、原子力関連施設の集積は、事故時の避難、広域防災、住民との合意形成という重い課題を地域に背負わせる。
科学技術の恩恵は全国へ広がるが、施設に伴うリスクは立地地域に集中する。
茨城県の地政学を考えるとき、「国家に必要な機能を地方が引き受ける構造」を避けて通ることはできない。
平らな土地は、豊かさと水害リスクを同時に生む
茨城県の平野部は、農業や都市開発に適している。
しかし、低地が広がり、利根川、鬼怒川、小貝川、那珂川など複数の河川が流れる地形は、水害の危険とも隣り合わせである。
2015年の関東・東北豪雨では、鬼怒川の堤防が常総市で決壊し、市域の広い範囲が浸水した。市役所や住宅、道路、鉄道、上下水道などが被害を受け、多数の住民が孤立した。
この災害は、堤防だけで水を封じ込めることの限界を示した。
上流の森林、農地、遊水地、河川、都市の排水施設を一つの流域として考えなければ、水害は防げない。
農地や未利用地は、経済的には「開発できる土地」に見える。しかし同時に、雨水を受け止める空間でもある。
都市化が進む県南地域では、人口増加と治水をどう両立させるかが重要になる。
茨城県には、二つの時間が流れている
現在の茨城県では、県南部とそれ以外の地域で異なる時間が流れている。
つくば市、守谷市、つくばみらい市などでは、人口流入、住宅開発、研究開発、新しい企業活動が進む。
一方、県北部や県西部の多くの地域では、人口減少、高齢化、公共交通の縮小、空き家の増加が進んでいる。
県南は東京に近づき、県北は東京から遠くなる。
これは物理的な距離ではなく、雇用、交通、教育、医療、情報にアクセスする「社会的な距離」の問題である。
県内全域を同じ政策で成長させることは難しい。
県南には人口増加を受け止める都市設計が必要であり、県北には人口減少を前提とした交通、医療、産業、地域コミュニティの再設計が必要になる。
重要なのは、県南の成長を県南だけで完結させないことだ。
つくばの研究、鹿島の産業、県北の製造技術、県央の行政、県西と鹿行の農業を結び直すことができれば、県内の地域差は弱点ではなく、機能の多様性に変わる。
茨城県の未来は、「東京の外側」から何を生み出すかにある
茨城県は長い間、東京を支える土地だった。
食料をつくり、水を蓄え、工業製品を生産し、エネルギーと研究施設を受け入れてきた。
しかし、これからの茨城県が目指すべきなのは、東京に何を供給するかだけではない。
東京の外側だからこそ、何を生み出せるかである。
農業と科学技術を結びつける。
工業地帯を脱炭素化する。
港湾を北関東全体の物流網として再設計する。
霞ヶ浦を水資源だけでなく、生態系と地域文化の基盤として捉え直す。
つくばの知識を、県北や県西、鹿行の現場へ還元する。
茨城県には、農業、工業、科学、港湾、エネルギーという、日本の未来を考えるための要素がすでにそろっている。
必要なのは、それぞれを個別に発展させることではない。
土地、水、産業、技術、人を、一つの地域構造として編集することだ。
まとめ──茨城県は、日本を動かす「見えにくい基盤」である
茨城県は、東京の隣にありながら、東京の影に隠れやすい。
しかし、その土地を地政学的に眺めると、日本社会を支える重要な機能が集まっていることが分かる。
霞ヶ浦と利根川は、水と農業を支える。
鹿島は、工業とエネルギーを支える。
茨城港は、北関東と世界を結ぶ。
つくばは、日本の科学技術を支える。
東海村は、科学の可能性とリスクを引き受ける。
そして県内の平野、農地、河川、海岸は、首都圏の豊かさと自然災害の両方に向き合っている。
茨城県は「何もない土地」ではない。
むしろ、日本の暮らしに必要なものがあまりに多く存在するため、一つのイメージでは捉えきれない土地なのである。
東京に近いから発展したのではない。
東京が発展するために、茨城県の土地、水、港、農業、工業、科学が必要だった。
それが、茨城県の地政学である。

