滋賀県の県庁所在地は大津市である。
大津は古代から京都の東の玄関口として栄え、琵琶湖の水運、東海道、瀬田川の渡河点を押さえてきた。現在も行政、文化、観光の中心であり、滋賀県内最大の人口を抱える都市である。
それでも、現在の滋賀県南部を歩くと、県の成長が大津だけに集中しているわけではないことが分かる。
草津駅や南草津駅の周辺には、商業施設、マンション、大学、企業が集まり、栗東には工場や物流施設が広がる。守山や野洲も、京都・大阪へ通勤する人々の住宅地として発展してきた。
滋賀県の行政上の中心は大津だが、人口、交通、商業、産業の成長軸は、草津・栗東を含む湖南地域へ広がっている。
なぜ滋賀県は、大津への一極集中ではなく、複数の都市が役割を分担する構造になったのか。
その背景には、琵琶湖の南端という地形と、街道、鉄道、高速道路がつくった交通の結節がある。
大津は「滋賀県の中心」である前に「京都の入口」だった
大津市は、琵琶湖の南西岸に位置している。
西側には比叡山地が迫り、東側には琵琶湖が広がる。市街地は、山と湖の間にある限られた平地を南北に細長く延びてきた。
この地形は、大津に大きな役割を与えた。
東国から京都へ向かう人々は、近江を通り、大津から京都盆地へ入った。東海道の宿場として栄えた大津宿は、京都へ入る直前の重要な拠点だった。
また、琵琶湖を船で運ばれてきた物資は、大津で陸上輸送に積み替えられ、京都へ向かった。大津は、湖上交通と陸上交通を接続する港町でもあった。
しかし、大津の地理には別の側面がある。
大津は滋賀県内に向かって開かれていると同時に、京都へ強く引かれている。
県庁所在地でありながら、京都市の中心部に近く、鉄道で容易に移動できる。大津に住み、京都や大阪で働くという生活も成立する。
つまり大津は、滋賀県を統率する中心都市であると同時に、京都都市圏の東端という性格も持っている。
この二重性が、大津を独立した巨大都市へ成長させるというより、京都と滋賀を接続する玄関都市にしてきた。
山と湖に挟まれた大津には、都市拡大の限界がある
大津市の行政区域は広い。
しかし、都市として利用しやすい平地が、区域全体に均等に広がっているわけではない。
市の西側には比叡山地や比良山地が連なり、東側には琵琶湖がある。住宅地、道路、鉄道、商業施設を整備できる土地は、湖岸や河川沿い、瀬田周辺などに限られる。
そのため大津の市街地は、中心から全方向へ広がるのではなく、湖岸や鉄道路線に沿って細長く連続する。
北部の堅田や湖西地域、中心部の浜大津・膳所、南部の石山・瀬田は、同じ大津市にありながら、それぞれ異なる生活圏を形成している。
行政区域は一つでも、都市としては複数の拠点が南北に並ぶ構造である。
これは、大津市内の地域間移動を難しくする要因にもなる。
一方、琵琶湖の東南側にある草津、栗東、守山、野洲には、比較的連続した平地が広がっている。
都市を面的に拡張しやすいこの土地が、住宅、工場、物流施設、大学、商業施設の受け皿になった。
大津が山と湖の間にある「線状の都市」だとすれば、草津・栗東周辺は、都市機能を広く配置できる「面的な都市圏」なのである。
草津は、昔から道が集まる場所だった
草津の成長は、戦後になって突然始まったものではない。
江戸時代、草津宿は東海道と中山道が分岐・合流する宿場町だった。
江戸から京都へ向かう二つの主要街道が一つになる場所には、旅人、荷物、情報が集まる。宿泊、飲食、運送、商取引など、移動を支える産業も生まれた。
さらに草津は、陸上交通だけでなく、矢橋などの港を通じて琵琶湖の水運とも結ばれていた。草津市「草津市の概要・位置」
草津は、街道と湖上交通が交わる場所だったのである。
現代になると、街道は鉄道と道路に置き換わった。
JR東海道本線は京都・大阪方面へ延び、草津線は甲賀・三重方面へ向かう。国道1号と国道8号、名神高速道路、新名神高速道路も周辺を通る。
草津は、古代の官道、江戸時代の街道、近代の鉄道、現代の高速道路が、ほぼ同じ地域に重なってきた都市である。
交通手段は変わっても、「人と道が集まる場所」という地理的性格は変わっていない。
鉄道が草津を、京都・大阪の生活圏へ組み込んだ
草津の現代的な成長を支えたのが、JR東海道本線である。
草津駅と南草津駅には新快速が停車し、京都・大阪方面への通勤や通学が可能になった。
草津市の都市計画でも、JR東海道本線は京都・大阪方面を結ぶ基幹交通として位置づけられている。草津市都市計画マスタープラン
この鉄道利便性によって、草津は滋賀県内の都市であると同時に、京阪神都市圏の住宅地になった。
京都や大阪で働きながら、滋賀県内に住む。
大都市の雇用や商業機能を利用しつつ、比較的広い住宅や自然に近い生活環境を得る。
この選択肢が、草津、守山、栗東などへの人口流入を支えた。
とくに南草津駅は、1994年の開業後、周辺の開発が急速に進んだ。駅を中心に住宅、商業施設、教育機関が集まり、高密度な市街地が形成された。草津市・アーバンデザインセンターびわこ・くさつ資料
古い城下町や港町では、既存の道路や建物が都市改造の制約になる。
一方、南草津のように新しい駅を中心として開発された地域では、マンション、道路、商業施設をまとまって整備しやすい。
草津の成長は、単に京都に近いからではない。
鉄道駅の周囲に、新しい都市をつくれる土地があったことが大きい。
大学は、南草津に新しい人口と知識を運んだ
南草津の都市形成を語るうえで、大学の存在も欠かせない。
立命館大学びわこ・くさつキャンパスの開設によって、多くの学生、教職員、研究者が地域を訪れるようになった。
大学は、授業を行う施設だけではない。
学生向け住宅、飲食店、小売店、交通サービスが必要になり、企業との共同研究や人材交流も生まれる。若い世代が継続的に流入することで、街の人口構成や消費活動も変わる。
南草津では、鉄道駅、住宅開発、大学、企業が相互に影響しながら都市を成長させた。
駅が大学へのアクセスを支え、大学が駅の利用者を増やす。利用者が増えることで住宅や商業施設が集まり、生活利便性がさらに高まる。
これは、一つの施設だけで都市が発展したのではなく、複数の機能が連鎖的に集積した結果である。
大津が歴史と行政を蓄積してきた都市だとすれば、南草津は交通と開発によって新しい人口を受け入れてきた都市なのである。
栗東は「通過される場所」を産業の力に変えた
草津が鉄道と商業の拠点なら、栗東は道路と産業の拠点である。
栗東周辺では、国道1号と国道8号が接続し、名神高速道路の栗東インターチェンジが設置された。
1963年の栗東インターチェンジ開設後、田園地帯だった栗東では工場の立地が進み、内陸工業地域へ変化した。1991年にはJR栗東駅が開業し、住宅地としての性格も強まった。栗東市商工振興ビジョン
高速道路のインターチェンジ周辺には、工場や物流施設が集まりやすい。
原材料や部品を運び込み、完成品を京都、大阪、名古屋方面へ送り出せる。さらに北陸方面や周辺の港湾・空港にも接続できる。
海のない滋賀県にとって、道路は港の代わりになる。
栗東は、交通量が多いだけの「通過される場所」ではない。通過する車両や物流を、工業と雇用へ変換してきた場所である。
かつて草津宿が旅人の移動を宿泊や商業に変えたように、現代の栗東は高速道路の流れを工場や物流へ変えている。
時代は違っても、交通の流れを地域の経済に取り込む構造は共通している。
琵琶湖の南端では、湖が「壁」ではなくなる
琵琶湖は、滋賀県を東西に分ける大きな地形である。
湖の北部や中央部では、東岸から西岸へ移動するために、湖を大きく迂回するか、琵琶湖大橋を渡る必要がある。
しかし、琵琶湖の南端では事情が異なる。
大津、瀬田、草津は、湖が終わり瀬田川へ流れ出す場所の周辺に位置している。湖の東西を行き来しやすく、京都方面へ向かう道も集まる。
滋賀県南部は、巨大な琵琶湖によって分断される場所ではなく、湖の東西と京都方面が再び接続する場所なのである。
そのため、鉄道、道路、人口、商業が南部に集中しやすい。
滋賀県の都市が南部へ重心を移してきたのは、単に京都に近いからではない。
琵琶湖という地理的な障壁が終わり、複数の交通路を集約できる場所だからである。
大津と草津は、中心を奪い合っているのではない
大津と草津を比較すると、「どちらが滋賀県の中心か」という議論になりやすい。
しかし、両都市は同じ機能を競っているわけではない。
大津には、県庁をはじめとする行政機能、歴史文化、琵琶湖観光、京都との接続がある。
草津には、鉄道交通、商業、大学、新しい住宅地が集まる。
栗東には、道路交通、工場、物流機能がある。
守山や野洲は、住宅地、農業、湖岸環境を持ちながら、京都・大阪へ通勤する人々を受け入れてきた。
滋賀県南部は、一つの巨大都市が周辺を従える構造ではない。
複数の都市が、それぞれ異なる役割を持ちながら連続する都市圏である。
大津が弱くなったから草津が成長したのではない。
大津だけでは受け止めきれない住宅、商業、教育、製造、物流の機能を、南部の平地と交通網が分担してきたのである。
成長する南部が抱える新しい課題
交通の利便性は、滋賀県南部に人口と企業を集めた。
しかし、成長は新たな課題も生んでいる。
駅周辺や幹線道路には交通が集中し、渋滞が発生する。住宅地が広がれば、農地や自然環境との調整も必要になる。工場や物流施設が増えれば、水、電力、道路などへの負荷も高まる。
また、京都・大阪への通勤に支えられた都市は、外部の雇用や鉄道ネットワークに依存する。
鉄道の利便性が低下したり、大都市圏の働き方が変わったりすれば、住宅地としての優位性にも影響が出る。
さらに南部への集中が進む一方、湖北、湖東、高島などでは人口減少や地域交通の維持が課題になっている。
滋賀県の資料でも、大津・南部地域と、それ以外の地域との人口動向には差が示されている。滋賀県「人口減少を見据えた豊かな滋賀づくり」関連資料
南部の成長は滋賀県全体の力になる。
だが、その成長を県内の他地域とどう結びつけるかが、これからの課題になる。
滋賀県の重心は、一つの都市ではなく「都市間」にある
滋賀県の行政上の中心は大津である。
しかし、現在の経済や暮らしの重心は、大津、草津、栗東、守山、野洲へと広がっている。
その理由は、それぞれの都市が異なる地理的条件を持っているからだ。
大津は、琵琶湖と京都を結ぶ。
草津は、鉄道と街道を結ぶ。
栗東は、高速道路と産業を結ぶ。
守山や野洲は、大都市圏と住宅地、農地、湖岸環境を結ぶ。
滋賀県南部は、一つの中心都市によって形成されたのではない。
琵琶湖の南端に集まる複数の道と、その道に沿って役割を分けた都市群によって形成された。
県庁所在地が中心なのではない。人、商品、情報が交わる場所が、その時代の中心になる。
東海道と中山道が交わった草津宿。
名神高速道路によって工業化した栗東。
JRと大学によって成長した南草津。
それぞれの時代に、新しい交通が新しい中心を生み出してきた。
滋賀県南部の地政学とは、大津から草津へ中心が移った物語ではない。
一つだった中心が、交通と都市の発展によって、複数の場所へ分散していった物語なのである。

