三重県の県庁所在地は津市である。
行政、教育、医療などの機能は津に集まっている。しかし、三重県の産業地図を見ると、経済を強く牽引しているのは、県北部の四日市、鈴鹿、いなべ、亀山を中心とする北勢地域だ。
四日市には、日本有数の石油化学コンビナートと国際貿易港がある。鈴鹿には自動車産業が集積し、いなべでは大規模な製造業が地域経済を支える。亀山もまた、自動車、電子部品、機械関連の企業が立地する工業都市である。
なぜ県庁所在地ではなく、北勢にこれほど多くの工場が集まったのか。
その理由は、個々の企業の進出だけでは説明できない。
伊勢湾に面した港、名古屋との距離、鈴鹿山脈の位置、東西を結ぶ高速道路、そして工場の周囲に形成された部品供給網。これらが重なり合い、北勢に一本の「工業回廊」をつくり出したのである。
北勢は、三重県の北部ではなく「中京工業地帯の西端」である
北勢地域には、桑名市、いなべ市、四日市市、鈴鹿市、亀山市などが並んでいる。
地図上では三重県の北部だが、経済圏として見れば名古屋都市圏の南西部に位置する。桑名から名古屋までは鉄道や道路で移動しやすく、木曽三川を越えれば愛知県である。
この地域には、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、新名神高速道路、東海環状自動車道が通り、鉄道ではJR関西本線、近鉄名古屋線などが名古屋方面と結んでいる。
つまり北勢は、三重県の中心である津から北へ広がった地域ではない。
名古屋を中心とする人口、企業、市場、物流の力が、県境を越えて三重県側まで及んだ地域である。
三重県は行政上、近畿地方として扱われることが多い。しかし北勢の産業構造は、愛知県の自動車産業や名古屋港を含む中京工業地帯と切り離して考えることができない。
北勢を三重県の周縁と見るか、中京圏の前線と見るか。
見方を変えるだけで、この地域に産業が集まった理由が見えてくる。
四日市港が、海と工場を結びつけた
北勢工業回廊の出発点は、四日市港にある。
四日市港は1899年に開港し、当初は羊毛や綿花などを輸入する港として発展した。1952年には外国貿易上重要な港として特定重要港湾に指定され、現在は国際拠点港湾として、中部圏の物流とエネルギー供給を支えている。四日市港管理組合「四日市港のキホン」
港があるということは、船が着くというだけではない。
海外から大量の原料を運び込み、製品を国内外へ送り出せる。沿岸部に広い工場用地を確保でき、燃料や原材料をパイプラインで直接供給できる。大量生産を行う重化学工業にとって、港は生産設備の一部なのである。
戦後、四日市の臨海部では、旧海軍燃料廠の跡地が石油化学工業基地として活用された。石油精製工場と関連する化学工場が相次いで進出し、昭和30年代には大規模な石油化学コンビナートが形成された。
原油を精製する工場が立地すると、そこで生まれる原料を使用する化学会社が近くに集まる。さらに、それらの製品を加工する企業や、設備の保守、輸送、包装を担う会社が集積していく。
工場が工場を呼ぶ。
こうして四日市港の周辺には、一社だけでは成立しない巨大な産業生態系がつくられた。
産業集積は、企業の「近くにいたい」という力から生まれる
製造業では、完成品をつくる一社だけが存在しているわけではない。
原材料、部品、金型、機械設備、輸送、保守、人材派遣、研究開発など、多数の企業が分業することで生産が成り立っている。
自動車一台をつくる場合にも、エンジン、車体、座席、ガラス、タイヤ、ワイヤーハーネス、電子部品など、膨大な部品が必要になる。それらを決められた時間に、決められた量だけ工場へ届けなければならない。
取引先との距離が遠ければ、輸送時間と在庫が増える。道路が渋滞すれば、生産ラインに影響が出る。
そのため部品メーカーや物流会社は、主要工場に近い場所へ立地しようとする。
大規模工場が進出すると、その周囲に関連企業が集まり、技術者と雇用が生まれる。人が集まれば住宅、商業施設、学校、道路が整備される。地域の条件が良くなると、さらに別の企業が進出する。
北勢の産業集積は、単に土地が広かったから生まれたのではない。
企業同士が近くにいることで生まれる効率が、次の企業を引き寄せてきたのである。
鈴鹿を「自動車のまち」に変えた土地
四日市から南へ進むと、鈴鹿市がある。
鈴鹿は現在、自動車や輸送用機械に関わる産業が集まる都市として知られている。市によると、輸送用機械製造業は市内製造品出荷高の約7割を占めている。鈴鹿市「製造業」
その起点の一つとなったのが、戦後に残された旧軍用施設の跡地である。
広い土地と交通条件を利用して企業が誘致され、自動車産業を中心とする工業都市へ転換していった。大規模な完成車工場が立地したことで、周辺には部品製造、金属加工、金型、樹脂、物流などを担う企業が集まった。
鈴鹿が自動車産業の拠点になった理由は、工場の敷地だけにあるのではない。
北には四日市港があり、東には伊勢湾がある。名古屋や愛知県の自動車産業集積へ接続しやすく、亀山を経由すれば滋賀、京都、大阪方面へも移動できる。
鈴鹿は、港と内陸、名古屋と近畿をつなぐ位置にある。
自動車産業は、地理的な中間点に生まれたのではない。複数の市場と物流経路を選べる場所に生まれたのである。
いなべでは、山沿いの土地が工業地帯へ変わった
北勢の工業化は、伊勢湾沿岸だけで終わらなかった。
鈴鹿山脈の東側に位置するいなべ市にも、自動車関連を中心とした大規模な製造業が集積している。いなべ市は、企業誘致によって雇用と税収を生み出し、2022年調査では製造品出荷額が県内2位、市町民所得は一人当たりで県内1位になったとしている。いなべ市「令和7年度施政方針」
港に面していない内陸部になぜ工場が集まったのか。
背景には、まとまった土地を確保しやすかったことに加え、愛知県の自動車産業との近さがある。北勢から木曽三川を越えれば、愛知県西部や岐阜県南部へ接続できる。さらに東海環状自動車道の整備によって、豊田や岐阜方面との物流経路が強化されてきた。
自動車産業では、決められた時刻に部品を届ける定時性が重要になる。
東海環状自動車道の大安IC―東員IC間の整備では、大安周辺から東員までの所要時間が短縮され、自動車関連企業の輸送効率向上につながったと報告されている。NEXCO中日本「開通区間概要」
道路は、完成した製品を運ぶだけの施設ではない。
どこに工場が建つかを決め、どこに雇用が生まれるかを決める、産業配置の装置でもある。
亀山は、東西と南北が交差する場所である
亀山市は、北勢工業回廊の南西側に位置している。
古くは東海道の亀山宿、関宿、坂下宿を持ち、伊勢と近江、大和、京都方面を結ぶ交通の要衝だった。現在も東名阪自動車道、新名神高速道路、伊勢自動車道、名阪国道が接続し、名古屋、大阪、伊勢の三方向を結んでいる。
亀山の価値は、どこか一つの大都市に近いことではない。
複数の方向へ移動できることである。
名古屋方面へ向かう東名阪、滋賀・京都方面へ向かう新名神、奈良・大阪方面へ向かう名阪国道、津・伊勢方面へ向かう伊勢自動車道。これらが交差することで、亀山は製造業と物流に適した内陸拠点になった。
亀山市では、液晶関連産業や自動車関連産業などが「ものづくり」の基盤を形成している。亀山市「先端設備等導入促進基本計画」
交通の要衝という性格は、江戸時代の宿場町から現代の工業都市へ、形を変えながら引き継がれているのである。
北勢は「港・工場・道路」が連動する地域である
北勢地域の産業は、都市ごとに独立しているわけではない。
四日市港から原材料が入る。四日市のコンビナートで化学素材やエネルギーが生産される。鈴鹿やいなべでは、自動車や関連部品がつくられる。亀山は、東西と南北を結ぶ交通結節点として、製造と物流を支える。
それぞれの都市が異なる役割を担いながら、一つの工業回廊を形成している。
四日市港
↓ 原料・エネルギー・国際物流
四日市
↓ 化学・半導体・機械
鈴鹿
↓ 自動車・輸送用機械
亀山・いなべ
↓ 部品製造・内陸物流
愛知・岐阜・滋賀・奈良・大阪へ
ここで重要なのは、行政区分よりも企業の供給網の方が広いことである。
北勢の工場は、三重県内だけで完結していない。愛知県の完成車工場、岐阜県の部品産業、滋賀県の製造拠点、名古屋港や四日市港と結ばれている。
県境は行政の線だが、産業は道路と取引関係によって広がっていく。
四日市公害は、工業化のもう一つの側面だった
北勢の工業化は、雇用と税収だけをもたらしたわけではない。
高度経済成長期の四日市では、石油化学コンビナートから排出された硫黄酸化物などによって大気汚染が深刻化し、多くの住民がぜんそくなどの健康被害を受けた。四日市公害は、日本の四大公害の一つとして知られている。
これは、工場が集まることで生まれる利益と負担が、同じ地域に重なった出来事だった。
港に近く、工場に適した土地であること。住宅地と工業地帯が近かったこと。国全体が経済成長を優先していたこと。複数の条件が重なり、地域住民が大きな代償を負った。
その後、規制や公害防止技術の導入、企業と行政の対策によって環境は改善された。しかし四日市の歴史は、産業集積を経済規模だけで評価してはならないことを伝えている。
土地が産業を育てる一方で、産業もまた土地と暮らしを変えてしまう。
それも地政学の一部である。
脱炭素化は、北勢の産業地図を再び変える
現在、四日市コンビナートは新たな転換点に立っている。
石油化学産業は、化石燃料を大量に扱うことで発展してきた。しかし脱炭素化が進むなか、エネルギーや原材料の転換を迫られている。
これは単に工場の設備を新しくする問題ではない。
原料をどこから調達するのか。水素やアンモニアなどの新たなエネルギーをどの港で受け入れるのか。既存のパイプラインや貯蔵施設をどう生かすのか。関連企業や雇用をどのように維持するのか。
コンビナート全体の仕組みを再設計する必要がある。
一方、自動車産業でも電動化やソフトウェア化が進み、必要とされる部品や技術が変わり始めている。エンジン関連部品への依存度が高い企業にとっては、これまで蓄積してきた技術を新しい市場へ転換できるかが課題になる。
北勢の強さは、産業が集まっていることにある。
しかし同じ産業に集中していることは、世界的な技術転換の影響を地域全体で受けやすいことも意味する。
集積は強さであると同時に、連鎖するリスクでもある。
県庁所在地ではなく、接続点に産業は集まった
なぜ、三重県の産業は津ではなく北勢に集中したのか。
答えは、行政の中心と経済の中心を生み出す条件が違うからである。
県庁は、県内各地域を統治し、調整する場所に置かれる。一方、工場は原材料を運び込み、製品を送り出し、取引先と短時間で結ばれる場所を選ぶ。
北勢には四日市港があり、名古屋都市圏が近い。伊勢湾沿いの平地があり、鈴鹿山脈の東側を鉄道と道路が通る。新名神や東海環状自動車道によって、愛知、岐阜、滋賀、京都、大阪方面へ接続できる。
北勢は、三重県の行政的な中心ではない。
しかし、海上輸送と陸上輸送、東海と近畿、素材産業と組立産業が交差する場所である。
産業は県庁を目指して集まったのではない。
港へ、道路へ、市場へ、そして取引先へ近づこうとして集まった。
その結果として生まれたのが、四日市、鈴鹿、いなべ、亀山をつなぐ北勢工業回廊なのである。

