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埼玉県は、なぜ“ちょうどいい”のか。東京の影ではない、暮らしの土地

早朝の埼玉の駅と線路、広い空の中に「埼玉は、ちょうどいい。」という文字が配置されたサムネイル画像
早朝の埼玉の駅と線路、広い空

埼玉県と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。

東京に近い県。
ベッドタウン。
住宅地。
通勤する人が多い場所。
あるいは、かつて何度も言われてきた「ださいたま」という言葉。

埼玉は、長く「特徴がない県」として語られてきた。
海があるわけではない。
日本を代表する観光都市のような強い記号があるわけでもない。
京都のような歴史都市でも、北海道のような大自然でも、沖縄のような南国のイメージでもない。

けれど、その“特徴のなさ”は、本当に弱さなのだろうか。

むしろ埼玉の本質は、強烈な個性ではなく、日々の暮らしに寄り添う「ちょうどよさ」にあるのかもしれない。

都会すぎず、田舎すぎない。
東京に近く、でも東京ではない。
駅前には生活に必要な店があり、少し離れれば住宅街があり、さらに歩けば川や畑や広い空がある。

それは、観光地として見せるための土地ではなく、人が生活を置くための土地だった。

Contents

ベッドタウンという言葉の奥にあるもの

埼玉県は、東京圏の暮らしを支える大きな生活圏として発展してきた。

朝、多くの人が埼玉から東京へ向かう。
仕事、学校、情報、消費、文化。
都市の中心は、いつも東京にあるように見える。

そして夜になると、人々は埼玉へ帰ってくる。

この構造は、埼玉県の統計にも表れている。
埼玉県は昼夜間人口比率が全国で最も低く、県外で従業・通学する人の割合も高い。
つまり、昼間は県外へ出て、夜に埼玉へ戻る人が多い県だということだ。

だからこそ、埼玉は「ベッドタウン」と呼ばれてきた。

けれど、ベッドタウンという言葉には、どこか受け身な響きがある。
寝に帰る場所。
東京の周辺にある住宅地。
都市の影にある生活圏。

しかし、その見方だけでは、埼玉の価値を見誤ってしまう。

そこには食卓があり、家族があり、学校があり、商店街があり、日々の生活がある。
都市を支えているのは、オフィス街だけではない。
人が帰る場所があって初めて、都市は成り立つ。

埼玉は、東京の影ではなく、東京圏の暮らしを受け止めてきた土地なのだ。

早朝の埼玉の住宅街にある駅で、東京方面へ向かう電車を待つ人々

“ちょうどいい”という感覚

埼玉を好きな人は、よく「ちょうどいい」と言う。

この“ちょうどよさ”とは何だろうか。

東京ほど人も情報も過剰ではない。
けれど、地方のように不便すぎるわけでもない。
都心へ出ようと思えば出られる。
でも、帰ってくると少し空が広い。

駅前にはスーパー、カフェ、チェーン店、病院、学校、行政施設がある。
日常を送るには十分な機能が整っている。
一方で、少し移動すれば、荒川、利根川、入間川、見沼田んぼ、秩父の山々のような自然にも触れられる。

この距離感が、埼玉の魅力なのだと思う。

完全な都会ではない。
完全な田舎でもない。
その中間にある、ほどよい生活感。

それは、派手な観光地では得られない安心感でもある。

埼玉は、日常に近すぎる。
だからこそ、その価値が見えにくかった。

広い空の下、埼玉の平野を流れる川と、遠くに見える住宅地やマンション群

「特徴がない県」という誤解

埼玉は、よく「特徴がない」と言われる。

しかし、それは本当に特徴がないのではなく、ひとつの強い記号に回収されにくい県なのだと思う。

京都なら歴史。
沖縄なら海。
北海道なら大自然。
神奈川なら横浜や湘南。
長野なら山。

こうした県は、外から見たときに分かりやすいイメージを持っている。

一方で埼玉には、住宅街、通勤電車、ロードサイド、団地、商店街、川、畑、工業団地、ショッピングモール、古い宿場町、山間部が混在している。

それは、観光パンフレットのような分かりやすさではない。
むしろ、現代日本の日常そのものに近い風景だ。

だから、特徴として見えにくい。

でも、そこにこそ埼玉のリアリティがある。

特別ではない。
だからこそ、多くの人が自分の生活を置くことができた。
気取らず、背伸びせず、普通に暮らせる。

その“普通”こそが、埼玉の価値なのかもしれない。

曇り空の下に広がる埼玉の幹線道路と物流倉庫、郊外の街並み

暮らしに根づいた手仕事

埼玉には、暮らしに根づいた工芸も多い。

岩槻人形、江戸木目込人形、越谷ひな人形、春日部桐箪笥、行田足袋、秩父銘仙、小川和紙、草加せんべい。

京都や金沢のように「工芸の県」として強く語られることは少ないかもしれない。
しかし、埼玉の手仕事は、人の暮らしのすぐそばにあった。

人形は、子どもの成長を祝うもの。
足袋は、働く身体を支えるもの。
桐箪笥は、家の記憶を守るもの。
和紙は、暮らしと文化を支える素材。
せんべいは、日常の味として親しまれてきたもの。

埼玉の工芸は、美術館に飾られるための工芸というより、生活を支えてきた手仕事に近い。

名品というより、暮らしの道具。
鑑賞するものというより、日々の生活の中に置かれてきたもの。

ここにも、埼玉らしさがある。

派手ではない。
けれど、人の生活に近い。
その距離感が、埼玉という土地の美意識なのだと思う。

暗い木のテーブルに並べられた足袋、和紙、木箱、道具など、埼玉の生活工芸を象徴する静物

経済的に見る、埼玉の強さと弱さ

経済的に見ると、埼玉県の規模は決して小さくない。
県内総生産は名目で25兆円を超え、首都圏の中でも大きな経済圏を形成している。

製造業、物流、小売、食品、農業、工芸、住宅関連産業。
埼玉には多様な産業がある。

しかし、県外から見たときに「埼玉といえばこの産業」というイメージは、あまり強くない。

ここに、埼玉の経済的な課題がある。

実体はある。
しかし、物語として見えにくい。

東京に近いことは、埼玉にとって大きな強みだった。
都心へ通える。
買い物に行ける。
情報にアクセスできる。
企業活動ともつながりやすい。

だが、その近さは同時に、県内で働き、県内で消費し、県内で文化を育てる力を見えにくくしてきた。

特別な買い物は東京へ。
大きな文化体験も東京へ。
仕事の中心も東京へ。
発信の場も東京へ。

便利さは、時に地域の個性を薄めてしまう。

埼玉の課題は、東京に近いことではない。
東京に近いからこそ、埼玉自身の価値をどう言語化するかにある。

物流、工芸、農業、食品、ものづくり、郊外の生活文化。
それぞれは確かに存在している。
けれど、それらをひとつの地域価値として編集する視点が、まだ十分に見えていないのかもしれない。

郊外の未来をどう更新するか

もうひとつの課題は、郊外の未来だ。

埼玉の多くの地域は、人口増加と都市拡大の時代に発展してきた。
若い家族が家を持ち、駅前が整備され、住宅地が広がり、学校や商業施設がつくられていった。

しかし、これからは状況が変わる。

人口減少。
高齢化。
空き家。
車に依存した生活。
商店街の空洞化。
医療や介護の負担。
駅から離れた住宅地の維持。

かつて「ちょうどいい」と感じられた郊外の暮らしを、これからの時代にどう更新していくのか。
これは埼玉だけでなく、日本全体の課題でもある。

埼玉は、過去のベッドタウンではない。
これからの郊外生活を考える実験場でもある。

仕事はどこで行うのか。
買い物はどこで完結するのか。
地域の文化はどう育てるのか。
高齢化する住宅地をどう支えるのか。
若い世代が住み続けたいと思える地域にできるのか。

その問いの先に、埼玉の未来がある。

夕暮れの埼玉の住宅街を、ひとりの人物が家路へ向かって歩く風景

東京の影ではなく、暮らしが主役になる土地

埼玉は、特別な県ではないのかもしれない。

しかし、特別ではないからこそ、人はここで普通に生きてこられた。

東京に近く、でも東京ではない。
都会すぎず、田舎すぎない。
気取らず、背伸びせず、生活に必要なものがある。
そして、少し余白がある。

埼玉の“ちょうどよさ”は、単なる便利さではない。
それは、現代日本の暮らしが求めてきたバランスなのだと思う。

働く場所と、帰る場所。
刺激と安心。
都市と自然。
消費と生活。
個性と普通。

その間に、埼玉はある。

「ださいたま」と呼ばれた県。
「ベッドタウン」と呼ばれた県。
「特徴がない」と言われた県。

でも、その言葉の奥には、普通に暮らすことの強さがあった。

埼玉は、何もない県ではない。
あまりにも日常に近すぎて、価値が見えにくかった県なのだ。

東京の影ではない。
暮らしが主役になる土地。

埼玉県には、これからの日本の生活風景を考えるヒントがある。


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