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滋賀県の地政学|なぜ琵琶湖は、交通・産業・暮らしの中心になったのか

琵琶湖と周囲の都市・交通網を上空から捉え、「湖が道をつくり、道が産業を育てた」と表現した滋賀県の地政学イメージ

滋賀県の地図を見ると、県の中央に大きな琵琶湖がある。

そのため、滋賀県は「琵琶湖を囲む県」として理解されやすい。しかし、地政学的に見ると、琵琶湖は単なる観光資源でも、県の中央にある巨大な水面でもない。

琵琶湖は、人の移動を遮る「壁」であると同時に、人や物資を運ぶ「道」でもあった。

さらに周囲を山地に囲まれた滋賀県は、京都・大阪、名古屋、北陸を結ぶ通過点でもある。東海道、中山道、北国街道が交わり、現代では東海道新幹線、名神高速道路、新名神高速道路、北陸自動車道が県内を通っている。

つまり滋賀県は、湖によって内側にまとまりながら、街道によって外の世界とつながってきた土地なのである。

滋賀県の産業、都市、商人文化を理解するには、琵琶湖だけを見るのでは足りない。

重要なのは、琵琶湖と、その周囲を通る道の関係である。

Contents

中央に湖があることで、都市は周囲に分かれた

滋賀県は、伊吹山地、鈴鹿山脈、比良山地、野坂山地などに囲まれ、その中央に琵琶湖がある。

琵琶湖の面積は約669平方キロメートル。滋賀県全体の約6分の1を占める。湖の周囲には、山から流れ出した河川が土砂を運び、平野や扇状地をつくってきた。滋賀県「琵琶湖の概要」

しかし、県の中央に巨大な湖があるため、一つの中心都市から放射状に県全体が広がる構造にはなりにくい。

代わりに、湖の周囲に性格の異なる都市が点在した。

南には、京都と隣接する大津や草津。東には、近江八幡、東近江、彦根。北には、長浜や米原。西には、比良山地と琵琶湖に挟まれた高島がある。

滋賀県は、県庁所在地である大津だけですべてをまとめる「一極集中型」の県ではない。

琵琶湖を取り囲むように、それぞれの土地が異なる役割を担う、環状型の地域構造を持っている。

湖は滋賀県を一つに見せる。しかし実際には、湖があることによって、県内の地域は分かれて発展してきたのである。

滋賀県は、京都の隣ではなく、日本の東西を結ぶ回廊だった

滋賀県の地政学を考えるうえで、最も重要なのが交通である。

日本列島を東西に移動するとき、中部地方から京都・大阪へ向かう主要なルートは、滋賀県を通る。

江戸時代の東海道は、鈴鹿峠を越えて甲賀方面から草津・大津へ向かった。一方、中山道は関ケ原から米原、彦根、近江八幡、守山を通り、草津で東海道と合流した。

草津は、東海道と中山道が交わる宿場町だった。国土交通省による街道紹介

北へ向かえば、長浜や木之本を経て北陸へつながる。米原周辺は、東西方向の移動と北陸方向の移動が分かれる結節点になった。

現代になっても、この構造は変わっていない。

東海道新幹線と東海道本線、名神高速道路が東西を結び、米原からは北陸方面へ鉄道と高速道路が延びる。さらに新名神高速道路が中京圏と関西圏を結んでいる。

滋賀県は、近畿・中部・北陸の三つの経済圏が接続する場所である。滋賀県企業立地ガイド

滋賀県が「京都の隣にある県」とだけ見られてしまうと、この役割は見えにくい。

実際には、滋賀県は古代から現代まで、東日本と西日本、太平洋側と日本海側を結ぶ、列島規模の交通回廊だったのである。

大津と瀬田は、京都を守る入口だった

滋賀県南部、とくに大津と瀬田は、京都の東側に位置する。

東国から京都へ向かう人や軍勢は、滋賀県を通り、大津を経て京都盆地へ入った。そのため、大津は単なる湖岸都市ではなく、政治都市・京都の東の玄関口として重要な位置を占めてきた。

とりわけ瀬田川周辺は、交通と水の両方が集中する場所である。

琵琶湖には多くの河川が流れ込むが、自然に流れ出す河川は瀬田川だけである。瀬田川は宇治川、淀川へとつながり、京都・大阪方面へ流れていく。国土交通省「瀬田川」

この地形によって、瀬田は水の出口になった。同時に、東海道が瀬田川を渡る交通上の狭窄点にもなった。

橋を押さえることは、京都への入口を押さえることを意味した。

滋賀県は、京都の外側にある周辺地域ではない。京都という政治的中心を東から支え、時には守り、時には脅かす位置にあった。

比叡山延暦寺もまた、京都の鬼門とされる北東側に位置する。宗教的な意味だけでなく、京都と近江を見渡す山上の要地でもあった。

滋賀県の歴史には、常に「京都に近い」という地理的条件が作用している。

琵琶湖は壁であると同時に、巨大な輸送路だった

現在の感覚では、湖は県内移動を妨げる存在に見える。

対岸へ行くには、琵琶湖大橋や道路を経由しなければならない。南北に細長い湖があることで、東岸と西岸の移動には距離が生まれる。

しかし、陸上交通が十分に発達していなかった時代、琵琶湖は水上交通の舞台だった。

大量の米や木材、生活物資を陸路で運ぶには、大きな労力が必要になる。一方、船を使えば、一度に多くの荷物を運ぶことができる。

琵琶湖の北側は、北陸や日本海方面とつながっていた。南側は、大津から京都、大阪へ接続する。湖上交通は、北国の物資を畿内へ運ぶ物流網の一部を構成した。

つまり琵琶湖は、滋賀県の中央を占有する空白ではなかった。

湖岸の港町を結び、地域間の物資を運ぶ、巨大な水上道路だったのである。

陸上の街道と湖上交通が重なったことで、滋賀県には人、商品、情報が集まった。この接続性が、後の近江商人を生み出す土台になったと考えられる。

なぜ近江商人は、滋賀の外へ出ていったのか

滋賀県を代表する存在として、近江商人がいる。

近江八幡、五個荘、日野などを拠点とした商人たちは、地元だけで商売をするのではなく、全国各地へ出向いて商圏を広げた。

近江商人は「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の精神で語られることが多い。滋賀県「近江商人と地域社会」

しかし、その背景には精神論だけでなく、滋賀県の地理がある。

滋賀県は大消費地である京都や大阪に近く、東海道や中山道を通じて江戸方面にもつながっていた。北国街道を使えば、日本海側にも進出できた。

一方、滋賀県内だけを市場にしていては、商売の規模には限界がある。

だからこそ、近江商人は街道を利用し、県外へ出ていった。

滋賀県は、商品を生産する場所であると同時に、商人が全国へ向かう出発点になった。近江商人の「他国稼ぎ」は、個人の商才だけではなく、複数の街道が交わる土地から生まれた経済活動だったのである。

全国を移動し、異なる地域の需要を知り、信用を積み重ねる。

そこから生まれた商いの思想が、後に「三方よし」として語られるようになった。

街道の県は、内陸工業県へ変わった

交通の要衝という滋賀県の性格は、近代以降、製造業の立地へと引き継がれた。

滋賀県には大規模な海港がない。それでも、全国有数の内陸工業県になっている。

理由の一つは、京阪神と中京という二つの巨大市場に近いことである。加えて、鉄道、高速道路、新幹線などの広域交通網が県内を通っている。

原料や部品を運び込み、完成した製品を大都市圏へ送り出すことができる。海がなくても、陸上物流によって複数の市場や港湾へ接続できるのである。

さらに、比較的まとまった工業用地と、琵琶湖を含む水資源の存在も企業立地を支えてきた。

東近江地域では、名神高速道路や東海道新幹線などの交通基盤が整うにつれて、都市化と工業化が進んだ。琵琶湖の水は、生活用水だけでなく工業用水としても利用されている。滋賀県「馬渕浄水場・彦根浄水場」

現在の滋賀県は、県内総生産に占める製造業の割合が高く、企業のマザー工場や研究開発拠点も立地する内陸工業県である。滋賀県企業立地ガイド

近江商人が街道を使って全国へ商品を届けた時代から、工場が高速道路を使って製品を送り出す時代へ。

輸送手段は変わっても、滋賀県が「つくり、外へ運ぶ土地」であることは変わっていない。

南部の成長と、北部・西部との違い

滋賀県内は、すべての地域が同じように発展しているわけではない。

京都に近い大津・草津・守山・栗東などの南部では、住宅地の開発や企業立地が進んできた。

鉄道を利用すれば京都や大阪方面へ通勤できる。名神高速道路や新名神高速道路を使えば、中京圏や京阪神圏へアクセスできる。

このため南部は、京都・大阪の都市圏と結びつきながら人口や都市機能を集めてきた。

一方、湖北の長浜や米原は、北陸への入口という性格が強い。湖東の彦根や東近江は、城下町、街道、農業、製造業が重なる。湖西の高島は、琵琶湖と比良山地の間に細長く市街地や交通路が延び、福井方面へ向かう回廊を形成している。

同じ湖を囲んでいても、それぞれの地域が向いている方向は異なる。

南部は京都・大阪へ、東部は名古屋方面へ、北部は北陸へつながる。

滋賀県は一つの県でありながら、複数の経済圏へ顔を向けているのである。

水資源を持つ県には、下流への責任も生まれる

琵琶湖は、滋賀県だけの水ではない。

瀬田川から宇治川、淀川へと流れ、京都や大阪を含む京阪神地域の暮らしや産業を支えている。琵琶湖・淀川水系は、広域的な水のネットワークである。

そのため滋賀県の環境問題は、県内だけで完結しない。

湖の水質が悪化すれば、下流地域にも影響が及ぶ。一方で、洪水時に琵琶湖から大量の水を流せば、下流側の河川にも負担がかかる。

琵琶湖には多数の河川が流れ込むが、自然の出口は瀬田川だけである。そのため大雨が続くと湖の水位が上昇しやすく、下流の状況を見ながら放流量を調整しなければならない。国土交通省「瀬田川での事業」

滋賀県にとって琵琶湖は、豊かな水資源であると同時に、慎重な管理を必要とする巨大な水域でもある。

水を持つことは、力を持つことでもある。しかし同時に、上流と下流、産業と環境、開発と保全を調整する責任を持つことでもある。

滋賀県は「湖の県」ではなく「接続の県」である

滋賀県を象徴するものは、間違いなく琵琶湖である。

だが、琵琶湖だけを見ていると、滋賀県の地政学の半分しか見えてこない。

もう半分にあるのは、湖の周囲を走る街道、鉄道、高速道路である。

琵琶湖が水と暮らしを支え、その周囲に生まれた道が、京都、大阪、名古屋、北陸を結んできた。

そこから宿場町が生まれ、近江商人が全国へ進出し、現代には工場や物流拠点が集まった。

滋賀県は、巨大な湖によって閉じられた土地ではない。

むしろ湖の周囲に人と都市が集まり、そこから複数の方向へ道が伸びていった。

水を蓄え、道を通し、人と商品を外へ送り出す。

それが、滋賀県という土地が長い時間をかけてつくってきた構造である。

滋賀県は「琵琶湖のある県」ではない。

琵琶湖を中心に、日本の東西と南北をつないできた、接続の県なのである。

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