海の上を風が通り抜けていく。
陸上よりも強く、安定して吹く風。その力で巨大な風車を回し、電気をつくる洋上風力発電は、脱炭素社会を支える重要な選択肢として期待されている。
化石燃料を燃やさずに発電し、温室効果ガスの排出を抑える。
その意味では、洋上風力発電は地球環境を守るためのインフラである。
しかし、海の上に風車を建てるということは、何もなかった空間へ構造物を設置することでもある。
海底を調査する。
基礎を設置する。
海底ケーブルを敷く。
大型船や作業船が行き来する。
完成後も風車が回り、保守管理が続く。
その過程では、海の景観だけでなく、海底、生き物の移動、漁業、そして水中の「音の環境」も変化する可能性がある。
再生可能エネルギーであれば、自然環境への影響が自動的になくなるわけではない。
気候変動を抑えながら、地域の海をどう守るのか。
洋上風力発電は、エネルギーと生物多様性を同時に考える時代の象徴なのである。
洋上風力発電は、なぜ海へ向かうのか
風力発電には、陸上へ設置する方法と海上へ設置する方法がある。
日本では、平地が限られ、山間部には森林や集落が広がっている。大型風車を設置するためには、搬入道路、送電線、造成地なども必要になる。
海上には広い空間があり、陸上と比べて強く安定した風を得られる海域もある。大型の風車を導入しやすく、一つの区域に複数の風車を設置することで、大規模な発電所をつくることができる。
一方、日本の周辺海域は急に深くなる場所が多い。
海底へ基礎を固定する「着床式」に適した浅い海域には限りがあり、風車を海に浮かべて係留する「浮体式」の開発も進められている。
洋上風力発電は、一つの技術ではない。
海の深さ、地質、風、波、港との距離、漁業、生態系によって、適した方式も環境への影響も変わる。
水中音は、どの段階で発生するのか
洋上風力発電による水中音は、風車が回っているときだけ発生するものではない。
計画から撤去まで、複数の段階で異なる音が生じる。
| 段階 | 主な音の発生源 | 特徴 |
|---|---|---|
| 事前調査 | 海底地質調査、調査船、音響機器 | 海底の状態を調べるため、音波を使う場合がある |
| 建設 | 杭打ち、掘削、作業船、ケーブル敷設 | 強い衝撃音や連続音が発生する可能性がある |
| 稼働 | 風車の機械振動、海中構造物、保守船 | 建設時より小さくても、長期間続く可能性がある |
| 撤去 | 構造物の切断、引き抜き、作業船 | 撤去方法によって異なる音が発生する |
特に問題として注目されているのが、着床式洋上風力発電の建設時に行われる杭打ちである。
大型風車を支える基礎を海底へ固定するため、巨大な鋼管杭をハンマーで繰り返し打ち込む。
その衝撃は、空気中だけでなく、水中と海底の地盤を通じて周囲へ伝わる。
発生する音の大きさや伝わり方は、杭の太さや長さ、ハンマーの力、海底の地質、水深、水温、塩分、海底地形などによって変化する。
同じ形式の風車であっても、別の海域では音の届く範囲が変わる可能性がある。
だから、水中騒音は設備の仕様だけでは評価できない。
その土地、その海に合わせて調べる必要がある。
工事の音は、海洋生物へ何をもたらすのか
海中では、光よりも音が遠くまで伝わる。
クジラやイルカは、音を使って仲間と連絡し、移動し、餌を探している。魚類や一部の無脊椎動物も、繁殖、採餌、捕食者の回避などに音を利用している。
そこへ強い工事音が加わると、影響は一つではない。
音源の近くでは、一時的または永続的な聴覚への影響が生じる可能性がある。
より離れた場所でも、生き物が音を避けて移動したり、採餌や繁殖行動を変えたりすることが考えられる。
また、人間が出す音によって、仲間や獲物の音が聞き取りにくくなる「マスキング」も起こり得る。
重要なのは、すべての生き物が同じように影響を受けるわけではないということだ。
聞こえる周波数が違う。
泳げる距離が違う。
繁殖する季節が違う。
海底で暮らす生き物もいれば、広い海域を回遊する生き物もいる。
影響は、音の大きさだけでは決まらない。
どの生き物が、いつ、どこにいるのかという生態系の情報と、水中音の情報を重ねて考えなければならない。
建設音と稼働音は分けて考える
洋上風力発電の水中騒音については、建設時と稼働後を分けて考える必要がある。
建設時の杭打ち音は、短期間ではあるものの、強い衝撃を繰り返す。
一方、稼働後の音は一般に建設時より小さいと考えられるが、風車が稼働する限り長期間続く。さらに、保守点検の船舶、複数の風車、近隣の船舶交通など、別の音も重なる。
つまり、短く強い音と、小さくても長く続く音では、評価の方法が異なる。
工事が終わったから、音の問題も終わったとは限らない。
完成後も水中マイクで音を記録し、生き物の分布や行動とともに変化を追う必要がある。
浮体式なら影響はなくなるのか
浮体式洋上風力発電は、風車を海面に浮かべ、係留索やアンカーで位置を保つ方式である。
着床式のように大型の基礎を海底へ打ち込まない方式であれば、杭打ちによる強い衝撃音を減らせる可能性がある。
しかし、浮体式であれば海洋環境への影響がなくなるわけではない。
アンカーの設置。
係留索の動き。
海底ケーブル。
設置船や保守船の航行。
浮体構造物から伝わる振動。
さらに、係留索と漁船の航行、漁具の使用、海洋生物の移動との関係も考えなければならない。
重要なのは、着床式か浮体式かという名称だけで環境性を判断しないことである。
その海域で、どの方式が総合的に負荷を抑えられるのかを比較する必要がある。
海の「工事前」を記録する
環境影響評価で最初に必要なのは、工事前の海を知ることである。
その海域では、もともとどのような音がしていたのか。
船舶はどれくらい通っているのか。
季節によって音は変わるのか。
クジラやイルカは通過するのか。
魚の産卵場所になっているのか。
漁業は、いつ、どこで行われているのか。
工事前の状態が分からなければ、工事中や稼働後に何が変わったのかを判断できない。
環境省の洋上風力発電に関する技術ガイド案では、水中音を春夏秋冬の四季にわたって連続観測し、工事前、工事中、工事後の変化を確認する考え方が示されている。
ここで重要なのは、水中音だけを測らないことである。
音の記録とともに、魚類、海生哺乳類、海鳥、海底生物、海流、水温、漁獲などの情報を重ねる。
音が増えたかどうかだけでなく、そのとき生き物がどう動いたのかを見る。
海洋環境は、単独の数値ではなく、複数の関係によって成り立っている。
音を抑える方法はある
洋上風力発電の建設音を減らす方法は、すでに複数検討されている。
1.静かな基礎と施工方法を選ぶ
杭を強く打ち込む方法だけでなく、振動を利用する工法、穴を掘って設置する工法、重力式基礎、吸引によって海底へ固定する方式などがある。
すべての海域で使えるわけではないが、計画の初期段階で複数の方式を比較することが重要になる。
2.繁殖期や回遊期を避ける
重要な生き物が集まる時期に工事を行わない。
魚の産卵期、稚魚の成育期、クジラやイルカの回遊期などを把握し、工事工程を調整することで影響を減らせる可能性がある。
3.段階的に音を大きくする
杭打ちを最初から最大の力で始めず、弱い出力から段階的に強くする「ソフトスタート」という方法がある。
周辺にいる生き物が音源から離れる時間をつくり、近距離で突然強い音にさらされる危険を減らす考え方である。
ただし、離れた先に適切な生息環境があるとは限らない。追い出せば解決するわけではないため、立地や季節の配慮と組み合わせる必要がある。
4.バブルカーテンで音を遮る
海底の管から圧縮空気を送り、杭の周囲に気泡の壁をつくる。
水と空気の境界で音の一部が反射・吸収されるため、水中へ広がる杭打ち音を抑えることができる。
欧米では実際の洋上風力発電工事で利用されている。ただし、水深や潮流、周波数によって効果が変わるため、導入後の測定が欠かせない。
5.工事中もリアルタイムで測る
事前に予測するだけでなく、実際の工事音を測定する。
想定よりも音が大きい場合や、生き物への影響が懸念される場合には、工事方法、出力、時間帯などを見直す。
環境影響評価は、許可を得るための書類ではない。
工事を調整するための情報として使われて初めて、意味を持つ。
一つの事業だけを見ても、海全体は分からない
洋上風力発電の環境評価で、今後さらに重要になるのが「累積的影響」である。
一つの風力発電所だけなら、工事期間は限られているかもしれない。
しかし、隣接する複数の海域で、別々の事業が連続して進められたらどうなるだろう。
ある場所の工事を避けて移動した生き物が、別の工事区域にも行けない可能性がある。
船舶航路、港湾工事、漁業、海底資源調査など、洋上風力以外の音も重なる。
個別の事業がそれぞれ基準を満たしていても、海域全体では負荷が大きくなることがある。
海には、事業者ごとの境界線はない。
だから環境評価も、風車一本、事業区域一つだけではなく、広い海域と長い時間軸で考えなければならない。
調査データを、地域の共有資産にする
水中音や海洋生物の調査には、多くの費用と時間がかかる。
しかし、環境影響評価図書や調査データが限られた期間しか公開されなければ、別の研究や次の事業、地域の環境管理に活用することが難しくなる。
どこで、いつ、どの周波数の音が観測されたのか。
工事中にどれだけ音が増えたのか。
バブルカーテンはどの程度機能したのか。
生き物は一時的に離れたのか。
工事後に戻ってきたのか。
こうした情報を継続的に公開すれば、次の事業は過去の経験から学ぶことができる。
データは事業者だけのものではない。
地域の漁業者、研究者、行政、住民、次世代の事業者が共有する「海の環境資産」になり得る。
洋上風力発電によって得られるのは、電気だけである必要はない。
その海を理解するための知識も、地域へ残すべきである。
再生可能エネルギーだからこそ問われること
洋上風力発電をめぐる議論は、賛成と反対に分かれやすい。
気候変動対策には必要だ。
海の自然や漁業が壊れる。
地域経済や雇用につながる。
景観や生態系が変わる。
どの主張にも、それぞれの現実がある。
だが、本当に必要なのは、洋上風力を進めるか止めるかという二択だけではない。
どこに建てるのか。
どの方式を選ぶのか。
いつ工事するのか。
どのように音を抑えるのか。
誰が測定するのか。
結果を誰と共有するのか。
影響が確認されたとき、計画を変更できるのか。
再生可能エネルギーであるからこそ、そのつくり方も持続可能でなければならない。
脱炭素という目的が、地域の自然環境への配慮を省略する理由になってはならない。
おわりに
洋上風力発電は、気候変動への重要な答えのひとつである。
しかし、それだけで完全な答えになるわけではない。
風車が生み出す電気の向こうには、海底があり、漁場があり、生き物が暮らす音の世界がある。
海の上では、風がエネルギーになる。
海の中では、音が生き物の情報になる。
その二つを両立させることが、これからの洋上風力発電に求められている。
自然を守るためのエネルギーが、別の自然を見えない形で傷つけないように。
建設前の海を知り、工事中の音を測り、完成後の変化を追い続ける。
再生可能エネルギーの価値は、どれだけ発電したかだけでは決まらない。
その土地と海に、どのような未来を残したかによっても評価されるべきなのである。
よくある質問
洋上風力発電は、必ず水中騒音を発生させますか?
調査船、建設工事、風車の稼働、保守船などによって水中音は発生します。ただし、音の大きさや性質は、着床式・浮体式などの方式、施工方法、海域条件によって異なります。
最も大きな音が発生するのはいつですか?
着床式洋上風力発電では、海底へ基礎を設置する杭打ち工事が、大きな衝撃音の発生源として特に注目されています。
バブルカーテンで音を完全に消せますか?
完全に消すことはできませんが、音の伝播を抑える効果が確認されています。ただし、水深や潮流、音の周波数によって効果が変わるため、現地での測定が必要です。
浮体式は着床式より環境負荷が小さいですか?
大型杭を使わない方式であれば、杭打ち音を減らせる可能性があります。一方で、アンカー、係留索、海底ケーブル、船舶航行など別の影響があります。海域ごとの総合的な比較が必要です。
洋上風力と海洋生態系は両立できますか?
適切な立地、工法、工事時期、騒音対策、長期モニタリングを組み合わせることで、影響を減らすことは可能です。ただし、影響をゼロと決めつけず、調査結果に応じて計画を修正する姿勢が欠かせません。

