世界のマーケティングを、土地と暮らしから読み解く|チリ編
仕事帰りのスーパーで、チリのワインを手に取る。
夕食に合わせられそうな一本を選び、買い物かごに入れる。そのとき、遠い南米の畑まで思い浮かべることは、あまりないかもしれない。
けれど、そのワインが生まれた場所には、海から流れ込む霧があり、ぶどうを育てる人がいて、収穫を待つ季節がある。
一方、日本の酒蔵で仕込まれた日本酒も、海を渡っている。
遠い街のレストランで、料理の隣にグラスが置かれる。その一杯を飲む人は、日本の冬の蔵や、米を蒸す白い湯気を知らないかもしれない。
土地で生まれたものが、別の土地の暮らしに入っていく。
チリのワインと日本酒を比較すると、海外へ商品を届けることの、その先が見えてくる。
何を伝えれば、初めての一本を選んでもらえるのか。そして、その一本を、繰り返し選ぶ理由はどこに生まれるのだろうか。
「手に取りやすい」は、遠い国への入口になる
チリワインに、「手頃な価格で楽しめる」という印象を持つ人もいるだろう。
その価格を考えるとき、生産者の努力だけでなく、貿易の仕組みにも目を向ける必要がある。
2007年に発効した日チリ経済連携協定では、ボトルワインの関税が段階的に引き下げられ、2019年4月には撤廃された。これは、日本市場に届く価格を支える条件の一つになった。customs.go.jp
もちろん、店頭価格には輸送費や為替、流通など、さまざまな要因が関わる。関税だけで、チリワインの普及を説明することはできない。
それでも、初めて買う商品にとって、試しやすい価格には意味がある。
どんな味か分からない。料理に合うか分からない。自分が好きになれるかも分からない。
未知の一本を選ぶとき、人は期待と同時に、小さな不安も抱えている。
価格は、その不安を越えるための入口になり得る。
ただし、入口ができた後には、別の問いが待っている。
次も、その国の、その一本を選ぶのはなぜか。
チリが伝えようとしている、価格の先の風景
チリのワイン産業が伝えようとしている価値は、手頃さだけではない。
チリの輸出振興機関ProChileは、「Wines of Chile」の取り組みについて、海外で販売するワインの平均単価を高め、国際市場での位置づけを向上させることを目指すと説明している。
そこで掲げられているのが、多様性、品質、持続可能性だ。商品そのものから飲用体験へと視点を広げ、ワインを通じてチリという国や人々を伝える方向も示されている。prochile.gob.cl
ここには、ブランドを育てるうえで重要な課題がある。
価格で知ってもらった商品に、価格以外の選ぶ理由を重ねていくことだ。
その手がかりの一つが、産地の違いである。
Wines of Chileが紹介するカサブランカ・ヴァレーは、太平洋の影響による冷涼な朝霧を特徴とする産地。一方、アコンカグア・ヴァレーでは、アンデスに近い内陸部と海岸部で、異なる栽培条件が見られる。Vinos de Chile
「チリ産」というひと言の内側に、いくつもの風景がある。
消費者がその違いを知れば、選び方も変わる可能性がある。
前に飲んだワインが好みに合ったから、同じ産地を探す。料理に合わせて、別の地域の一本を試す。
国名が入口となり、その先で産地や造り手への関心が育っていく。
マーケティングの視点で見ると、これは、ひとつの国のイメージを、選択肢の豊かさへと開いていく仕事だ。
日本酒には、「いつ飲むか」を伝える仕事がある
日本酒が海外の食卓へ入るときにも、品質を伝えるだけでは解決しない問いがある。
いつ飲むのか。
何と合わせるのか。
どのくらいの量を、どんな器で頼めばよいのか。
造り手にとって当たり前のことが、初めて出会う人には分からない。
そこで参考になるのが、JFOODOによる日本酒の海外プロモーションだ。
2025年度の取り組みでは、米国の非和食レストランで、看板料理と日本酒を組み合わせたメニューを提供。フランスでも料理とのペアリングを訴求し、店舗スタッフへの事前教育やメニューカードの設置に取り組んでいる。主な活動・取り組み – 日本食品海外プロモーションセンター(JFOODO) – ジェトロ
ここで伝えているのは、日本酒の製法だけではない。
目の前の料理と一緒に楽しむ方法である。
「日本の伝統的なお酒です」と説明されたとき、興味を持つ人はいるだろう。
そこに、「この料理に合わせるなら、こちらの一杯はいかがですか」と提案が加わる。
その瞬間、遠い国の文化が、いま座っているテーブルとつながる。
文化への関心が、注文できる具体的な選択肢になる。
産地の物語を、相手の食卓へ翻訳する
チリのワインと日本酒では、海外市場での知名度も、流通条件も、消費者が持つ知識も異なる。
二つを同じ成功法則で説明することはできない。
それでも、事例から共通の問いを取り出すことはできる。
生まれた土地の価値を、飲む人の生活にどう結びつけるか。
産地の気候や造り手の技術は、商品を理解するための大切な背景だ。しかし、その説明を受け取った人が、自分の生活で楽しむ場面を思い描けるとは限らない。
たとえば、酒蔵が米や仕込みへのこだわりを紹介する。その情報に、現地で親しまれている料理との組み合わせや、提供温度の目安を添える。
すると、造り手の説明と、飲み手の行動の間に橋が架かる。
ここでいう翻訳は、言葉を外国語に置き換えるだけの作業ではない。
土地に根ざした価値を保ちながら、相手が受け取れる場面をつくることだ。
チリの産地を知ることも、日本酒の造りを知ることも、その一杯を楽しむ時間と結びついたとき、自分に関係のある知識になる。
「持続可能」は、確かめられる言葉へ
商品を選ぶ理由には、味や価格に加えて、その生産をどう受け止めるかという視点もある。
チリのワイン産業には、任意の認証制度「サステナビリティ・コード」がある。
環境、社会、経済、ガバナンスに関する要件を設け、独立した認証機関による監査で適合状況を評価する仕組みだ。チリのすべてのワインが認証を受けているという意味ではない。Sustainable
この取り組みから考えたいのは、魅力的な言葉を、確かめられる内容で支えることだ。
「自然を大切にしています」
その言葉の先に、何を行い、どう確認しているのかがある。
日本の地域産品にも、同じ問いを向けることができる。
水を守るための活動。原料を育てる人との関係。地域の中で仕事を続けるための工夫。
それぞれの取り組みを、実態に即して具体的に伝える。
風景に心を動かされ、その背景を知って信頼が深まる。そうした順序をつくれるかどうかも、ブランドの仕事なのだろう。
二つの国から持ち帰れる、マーケティングの視点
今回の比較は、国民性の違いを語るものではない。
チリのワインと日本酒、それぞれの海外への届け方から、商品が選ばれるまでの接点を考えるものである。
| 視点 | チリワインの事例 | 日本酒の事例 |
|---|---|---|
| 最初の接点 | 日本市場では関税撤廃も価格を支える条件に | 海外の飲食店で試せる機会をつくる |
| 選ぶ理由の具体化 | 産地の多様性や品質を伝える | 料理との組み合わせを提案する |
| 伝える人への支援 | 業界ブランドによる海外への情報発信 | 店舗スタッフへの教育や説明ツール |
| 関係を深める背景 | 土地、人々、持続可能性への取り組み | 酒蔵や製法への理解を飲用体験につなぐ |
この比較から、地域の事業者が持ち帰れる問いは三つある。
「初めての人は、何に迷うのか」
「自分たちの商品を、どんな場面で楽しんでもらうのか」
「その場面を提案する人に、必要な情報が届いているか」
広告で関心を集めても、飲食店で勧め方が分からなければ、注文にはつながりにくい。
商品の物語に共感しても、購入できる場所が見つからなければ、その関心は行き場を失う。
海外へ届ける仕事には、魅力を伝える表現と、その魅力を受け取れる流通や接客の両方が必要になる。
そして、取り組みの成果を見るときには、認知や試飲の人数に加えて、実際の注文、再購入、継続的な取り扱いを確かめたい。
その土地の一杯が、遠い街の日常に居場所を得たかどうかは、そこから見えてくる。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
日本の台所で、チリのワインが開く。
遠い街のレストランで、日本酒がグラスに注がれる。
それぞれの食卓には、いつもの料理があり、その日を過ごしてきた人がいる。
商品が国境を越えるというのは、その時間の中に迎え入れられることでもある。
土地の物語は大切だ。けれど、その物語を聞く人にも、自分の暮らしがある。
何を食べ、誰と過ごし、どんな一杯を楽しみたいのか。
その暮らしへ想像を伸ばしたとき、造り手の言葉は、もう少し遠くまで届くのかもしれない。
次にチリのワインを手に取るとき、ラベルの産地名を少し見てみたい。
日常に溶け込んでいた一本の向こうに、まだ知らなかった土地が見えてくるかもしれないから。
参考資料
- 東京税関|ワインとウイスキーの輸入(2019年)
- 税関|日チリ経済連携協定における関税の撤廃及び引き下げの概要
- ProChile|Wines of Chile
- Wines of Chile|Winegrowing Regions
- チリワイン産業サステナビリティ・コード|認証制度
- JFOODO|日本酒の海外プロモーション
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