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海辺を使う人が、海辺を守る人になる─越前海岸に見る、漂着ごみと地域参加のかたち

越前海岸の岩場と日本海を背景に、漂着ごみが残る海辺で人々がビーチクリーン活動をしている風景。

福井県の越前海岸を歩くと、日本海の荒々しさと美しさが、同時に迫ってくる。

岩場に砕ける波。海に沿って続く道。季節によって色を変える水平線。冬には強い風が吹き、夏には海水浴やドライブ、釣り、サーフィンを楽しむ人たちが訪れる。

越前海岸は、ただ眺めるだけの風景ではない。

人が訪れ、遊び、食べ、移動し、暮らし、働く場所だ。

けれど、その海岸には、もうひとつの現実がある。

波に運ばれ、風に寄せられ、海岸に打ち上げられる漂着ごみ。ペットボトル、発泡スチロール、漁具、プラスチック片、生活ごみ。美しい海岸線の足元には、さまざまなものが流れ着いている。

海岸のごみは、誰が拾うのか。

行政だけなのか。地元の人だけなのか。海を使う人は、ただ訪れるだけでいいのか。

越前海岸の取り組みを見ていると、ひとつの答えが見えてくる。

海辺を使う人が、海辺を守る人になる。

観光客、サーファー、釣り人、地域住民、企業、ボランティア。海岸は、使う人が多い場所だからこそ、守る人もまた多様であっていい。

Contents

漂着ごみは、海岸に現れる“社会の断片”である

海岸に流れ着くごみを見ると、つい「海のごみ」と呼びたくなる。

しかし、その多くは、もともと海で生まれたものではない。

まちで使われたもの。川を通じて海へ流れ出たもの。漁業や物流の現場から流出したもの。海を越えて運ばれてきたもの。風や雨や波に運ばれ、最後に海岸へ打ち上げられたもの。

海岸は、そうしたものが集まる場所でもある。

つまり漂着ごみは、単なる景観の問題ではない。

それは、私たちの消費、移動、産業、暮らし方が、海岸に可視化されたものでもある。

越前海岸に打ち上げられたごみを拾うことは、海岸をきれいにする行為であると同時に、社会の断片を拾い上げる行為でもある。

どこから来たのか。なぜここにあるのか。どうすれば次は流れ着かないのか。

ごみを拾う手元から、海と暮らしのつながりが見えてくる。

海岸清掃は、地域の“参加の入口”になる

海岸清掃というと、地味な活動に見えるかもしれない。

けれど、実際にはとても開かれた地域参加の入口だ。

専門知識がなくても参加できる。年齢を問わず関われる。短い時間でも意味がある。地域の外から来た人でも、海岸を歩き、ごみを拾うことで、その場所との関係を持つことができる。

観光は、どうしても「見る」「食べる」「買う」に偏りがちだ。

しかし、海岸清掃に参加すると、旅先の風景に対して少し違う感覚が生まれる。

ただ消費する場所ではなく、自分も少しだけ関わった場所になる。

拾ったごみの重さ。風の強さ。砂の感触。岩場の歩きにくさ。海岸に残されたものの種類。

その体験は、写真だけでは持ち帰れない記憶になる。

越前海岸のように、観光と自然が近い場所では、こうした参加型の関わり方が、これからますます重要になる。

地域を訪れる人が、地域を守る側にもまわる。

それは、観光のあり方を少しだけ変える可能性を持っている。

行政は“拾う人”を支える仕組みをつくる

海岸清掃は、善意だけでは続かない。

ごみ袋はどうするのか。集めたごみはどこに置くのか。分別は必要なのか。回収後の処分は誰が担うのか。危険物があった場合はどうするのか。

こうした実務が整っていないと、ボランティアは始めにくく、続けにくい。

福井県は、海岸漂着物対策として、発生抑制、調査、清掃活動の情報発信、ボランティア団体や企業が海岸清掃を行う際の相談先などを整理している。

また越前町では、ボランティア団体やサーファーなどが海岸清掃を行う場合に、事前連絡のうえ、ごみ袋の提供や、回収したごみの処分対応を行う仕組みを案内している。

これは、とても大切なことだ。

海岸を守るには、拾う人が必要だ。けれど同時に、拾う人を支える仕組みも必要になる。

行政の役割は、すべてを自分たちで拾うことだけではない。

拾いたい人が参加しやすい環境を整えること。活動を孤立させず、地域の仕組みとして支えること。海岸清掃を一過性のイベントで終わらせず、継続できる形にすること。

海岸保全は、現場の手と制度の支えが重なって初めて続いていく。

サーファーや釣り人は、海の変化に気づく人たちでもある

海辺を日常的に使う人たちは、海岸の変化に敏感だ。

サーファーは、波の変化を見る。釣り人は、潮や魚の変化を見る。地元の人は、昨日と今日の浜の違いを見る。海辺で働く人は、季節ごとの風や漂着物の量を肌で感じている。

海岸の問題を考えるとき、こうした人たちの感覚は重要だ。

行政の調査やデータだけでは見えにくい、小さな変化がある。いつも同じ場所にいるからこそ分かる違和感がある。

ごみが増えた。流木が多い。発泡スチロールが目立つ。外国語のラベルがついた容器がある。台風のあとに一気に漂着物が増える。冬の波のあとに浜の様子が変わる。

そうした現場の感覚は、海岸を守るうえで貴重な情報になる。

海を使う人は、海を知る人でもある。

だからこそ、海を守る担い手にもなり得る。

美しい海岸は、誰かの手で保たれている

私たちは、美しい海岸を前にすると、その美しさを自然なものとして受け取ってしまう。

けれど実際には、その美しさの背後に、たくさんの手がある。

ごみを拾う人。清掃活動を企画する人。回収したごみを運ぶ人。処分方法を調整する人。SNSで参加者を募る人。子どもたちに海ごみのことを伝える人。企業として参加する人。地域の景観を守ろうとする人。

海岸は、自然の力だけで美しいのではない。

そこに関わる人の手によって、美しさが保たれている。

越前海岸の漂着ごみ問題は、その事実を教えてくれる。

海辺を使うだけではなく、海辺に手をかけること。

それは、大げさな社会貢献でなくてもいい。

訪れた海岸でひとつごみを拾う。地域の清掃活動に参加する。ごみを持ち帰る。海に流れ出る前に、暮らしの中で減らす。

小さな行動でも、海岸との関係は変わる。

観光の未来は、関わり方の深さで変わる

これからの観光は、ただ訪れるだけでは十分ではなくなっていくかもしれない。

美しい景色を見て帰る。名物を食べて帰る。写真を撮って帰る。それだけでは、地域との関係は浅いまま終わってしまう。

もちろん、観光の入口としてそれは大切だ。

しかし、そこから一歩進んで、その土地の課題に少し触れる。地域の人の活動を知る。自分も短い時間だけ関わってみる。

そうした体験は、旅を消費から参加へと変えていく。

越前海岸のビーチクリーンは、そのひとつの形になり得る。

海を見に来た人が、海を守る人になる。

その小さな転換が、観光地の未来を変えるかもしれない。

海辺を守ることは、地域の記憶を守ること

越前海岸には、地域の記憶がある。

海水浴の記憶。釣りの記憶。家族で歩いた海岸。冬の荒波。夕暮れのドライブ。海沿いの集落。食卓に並ぶ海の幸。

海岸は、単なる自然景観ではなく、人々の暮らしや記憶を支える場所でもある。

そこにごみが流れ着くということは、景観が損なわれるだけではない。

地域の記憶の場所が、少しずつ傷ついていくということでもある。

だから、海辺を守ることは、地域の未来だけでなく、過去から続く記憶を守ることでもある。

誰かが拾ったひとつのペットボトルは、小さな行為に見える。

しかし、その行為の先には、海岸を次の世代へ渡すという大きな意味がある。

海辺を使う人が、海辺を守る人になる。

越前海岸の漂着ごみと地域参加のかたちは、これからの海と人の関係を考えるための、大切な入口なのかもしれない。


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NEOTERRAIN Journalでは、これからも日本各地の海岸線や湾に起きている変化を、環境・観光・暮らし・地域参加の視点から読み解いていきます。

参考資料・引用元

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