酒蔵の中で、蒸した米の状態を確かめる。麹の変化を見つめ、発酵の進み方を判断する。
日本酒は、人が微生物と向き合いながらつくる酒だ。その仕事を支えてきたのが、杜氏や蔵人の技術である。
一方で、どれほど優れた酒をつくっても、その価値が次の飲み手へ届くとは限らない。伝統、歴史、手仕事。つくり手には大切な言葉も、初めて選ぶ人には、味や楽しみ方の説明になっていないことがある。
獺祭の歩みを読み解くと、生産とマーケティングが深く結びついていることがわかる。
期待する味を繰り返し届けられる仕組みをつくり、その味に出会う機会を増やす。
そこには、伝統産業が新しい顧客と出会うためのヒントがある。
杜氏の技術は、日本酒の品質を支えてきた
日本酒造りでは、米を磨き、洗い、吸水させ、蒸す。蒸米の一部で麹をつくり、酵母を育てる酒母を用意し、米・麹・水を段階的に加えてもろみを育てる。
麹が米のでんぷんを糖に変え、酵母が糖をアルコールへ変える。日本酒のもろみでは、この二つが並行して進む。
温度や米の状態、微生物の働きは変化する。その変化を読み、目指す味へ導くのが、現場の技術だ。
2024年にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載されたのも、日本の麹菌を用いた伝統的な酒造りの知識と技術である。酒そのものに加え、その背後にある伝承と地域の関係が評価されている。
こうした技術を、どのように次の世代へ渡すか。獺祭はその問いに、社員のチームとデータの共有を組み合わせることで向き合った。
獺祭の改革は、職人技を組織で支えることだった
獺祭の公式説明では、一人の杜氏の勘や経験に依存せず、社員全員で酒造りを行い、高品質の酒を安定的に届ける方針が示されている。
桜井博志氏は取材で、杜氏の退職をきっかけに、測定や分析の結果を社員で共有する体制をつくったと説明している。
ただし、これを「機械だけで酒をつくるようになった」と理解すると、実態から離れる。
公式の製造工程では、洗米や麹造りなどに、人の手や五感を使う仕事が残されている。データで確かめることと、人が状態を読み取ることを組み合わせているのだ。
ここから読み取れる改革の意味は、技術を特定の人だけが知る状態から、チームで学び、改善できる状態へ近づけたことにある。
生産者にとっては、技術の継承と品質管理の仕組みになる。顧客にとっては、前回気に入った酒を、次も安心して選ぶための土台になる。
再現できる品質は、買い手の信頼を支える。
四季醸造は、供給と学習をつなぐ
獺祭は、冬だけでなく年間を通じて酒を仕込む四季醸造を行っている。
冬季の酒造りには、低温環境を利用できる利点がある。獺祭の蔵元日記では、季節雇用の慣行にも触れながら、四季醸造によって製造担当者を年間雇用でき、設備の稼働率も高められると説明している。
マーケティングの視点では、品質を支える仕事を継続し、需要に応じて供給を組み立てやすくする意味がある。
また、獺祭は純米大吟醸の仕込みを繰り返すことで、若い社員も経験を蓄積できると説明している。商品への集中と、年間を通じた製造が、学習の機会にもつながる。
ただし、四季醸造なら季節差やロット差が消え、どこで飲んでも完全に同じ味になるという意味ではない。米の状態、発酵、保管、流通、提供方法は、飲むときの品質に関わる。
獺祭の仕組みは、こうした変化を管理し、高い品質を安定して届けるための取り組みとして捉えるのが適切だ。
「若者の日本酒離れ」を、一つの理由で説明しない
日本酒を選ばない人に、歴史や製法を説明すれば飲んでもらえるのか。
必ずしも、そうではない。
アスマークが公表した20〜30代の男女200人を対象とする調査では、普段日本酒を購入しない理由として「味」が最も多く、価格も挙がった。調査地域は首都圏・関西の一部であり、全国の若年層全体を代表する結果として扱うことはできない。
それでも、文化への関心と、商品を買う理由が別であることを考える手がかりになる。
味が好みに合わない人。価格が気になる人。種類が多くて選べない人。日本酒を飲む場面を思い浮かべられない人。
同じ「買わない」でも、必要な対応は異なる。
さらに、飲酒そのものを選ばない人と、酒は飲むが日本酒を選ばない人も分けて考えたい。若年層向けという大きなくくりより、どんな場面で、何を求め、何が障壁になっているかを具体的に見る必要がある。
獺祭の事例は、若者全体を取り戻した成功談として読むよりも、日本酒を選ぶ新しい理由を構築した事例として読むほうが、学びが深い。
新しい価値は、「味わう時間」を提案すること
獺祭は、味わうことを中心に据えたブランドの姿勢を示している。
この姿勢をマーケティングの言葉に置き換えると、酒の価値を、飲む量や酒席への参加だけでなく、味や香りを楽しむ時間へ広げたと解釈できる。
たとえば、料理と合わせる一杯。大切な人に贈る一本。初めて日本酒を選ぶときの、期待できる銘柄。
これらは、顧客への提案例であり、個々の施策の効果を示すものではない。それでも、「純米大吟醸です」という商品説明と、「どんな時間に楽しめるか」という体験の説明をつなぐ意味がわかる。
技術は、その提案を裏側で支える。品質の安定は、もう一度選ぶ理由を支える。
その二つを結ぶのが、プロモーションである。
酒の会で、顧客が販路を動かした
獺祭のプロモーションを考えるうえで、具体的に注目したいのが酒の会だ。
桜井一宏氏は2023年のインタビューで、ニューヨークで飲食店向けの営業から、一般消費者向けの酒の会を重ねる方法へ移っていったと説明している。
そこで獺祭を好きになった人が、飲食店に取り扱いを尋ねる。顧客からの要望が、店にとって仕入れを考える理由になる。
マーケティングでは、買い手の需要を育て、流通側を動かす方法をプル戦略と呼ぶ。
メーカーが店へ働きかける営業と、顧客が店へ求める需要。その両方がつながることで、販路は育つ。
ここで重要なのは、試飲を単なる無料配布として考えないことだ。
飲んで味を確かめる。つくり手の考えを聞く。自分の言葉で人に紹介できるようになる。
酒の会は、その接点になる。広告で名前を知ることとは異なる、確かめた実感をつくれる。
SNSも、体験した人の言葉が支える
同じインタビューで桜井一宏氏は、整った自社発信以上に、顧客が発信するコンテンツを重視する考えを示している。
これを「きれいな写真は不要」と受け取る必要はない。写真や文章は、商品の理解を助ける大切な手段だ。
そのうえで、実際に飲んだ人が「この料理に合った」「贈って喜ばれた」と話すと、その人の暮らしに沿った意味が加わる。
企業の発信は、品質への考えや商品情報を伝える。顧客の発信は、体験から生まれた解釈を伝える。
両者がつながるためには、発信してもらう仕掛けだけでなく、話したくなる体験が必要だ。
海外では、料理や文化と出会う場所をつくる
獺祭の海外展開には、試飲会だけでなく、料理とともに体験する接点づくりがある。
桜井博志氏の取材では、2018年にパリで「Dassaï Joël Robuchon」を開いた経緯が紹介されている。また、2023年9月にはニューヨーク州の酒蔵からDASSAI BLUEの販売を開始した。
日本から輸出するだけでなく、海外で造り、味わう接点もつくる。その活動は、商品を新しい生活文化へ接続する挑戦と読める。
2025年1月の同社発表では、アカデミー賞への協賛などに加え、酒販店や飲食店と連携し、日本を中心に年間1,000回のイベントを実施する方針が示された。これは発表時点の計画であり、実施回数や売上への効果を確認した数字ではない。
大きな舞台でブランドを知ってもらう機会と、実際に一杯を味わう身近な機会。この両方を整える考え方が見える。
ただし、有名な舞台への登場だけで成功を説明することはできない。知った後に飲める場所があり、買えて、次も期待に応える品質がある。その接続までが、ブランドを支える。
獺祭の「勝ちパターン」を、どう読むか
ここまでの事実から、獺祭の戦略を次のように整理できる。これは公開情報に基づく編集上の分析であり、各要因の売上貢献を統計的に証明したものではない。
| 戦略の要素 | 取り組み | 顧客にとっての意味 |
|---|---|---|
| 商品への集中 | 純米大吟醸を中心に技術を蓄積する | ブランドの特徴を理解しやすい |
| 品質の再現性 | データ共有と社員の技術を組み合わせる | 次も期待して選びやすい |
| 継続的な製造 | 四季醸造で人材と設備を生かす | 品質と供給を支える基盤になる |
| 体験による需要づくり | 酒の会で飲み手と直接出会う | 味を確かめ、紹介する理由を持てる |
| 接点の拡張 | 飲食店や海外の食文化とつなぐ | 日本酒を楽しむ新しい場面に出会える |
つまり、製造の改革とプロモーションが、同じ顧客価値に向かっている。
飲んだときの満足。その満足をもう一度得られる期待。誰かに薦められる実感。
この積み重ねが、ブランドを育てると考えられる。
PSELで見る、日本酒の価値の更新
NEOTERRAINのPSELで捉えると、獺祭の取り組みは四つの視点に広がる。
Product/商品は、味と品質、それを安定して届ける生産の仕組み。
Story/物語は、伝統産業の中で、顧客へよりよい酒を届けるために方法を問い直してきた歩み。
Energy/熱量は、酒の会で生まれる対話と、飲んだ人が誰かに薦めたくなる気持ち。
Land/土地は、山口の酒蔵や原料を支える場所と、海外で新たに育つ生産・消費の接点である。
土地の背景を伝えながら、別の土地の暮らしにも接続する。技術を磨きながら、その価値を専門知識のない人にも届ける。
日本酒の未来を考えるうえで、この両立は重要だ。
受け継ぐ価値を、次の飲み手へ届ける
獺祭の方法が、すべての酒蔵の正解になるわけではない。季節ごとの酒、熟成、杜氏の個性、小さな土地の特徴に価値を見いだす顧客もいる。
学びたいのは、同じ設備や商品構成を採用することよりも、方法と顧客価値を結びつける姿勢だ。
何を受け継ぐのか。どこを共有できる仕組みにするのか。どんな人の、どんな時間に届けたいのか。
その問いが明確になると、製造も、売り場も、広告も、一つの方向へ進める。
伝統の技術が未来へつながるのは、その仕事が、次の飲み手の喜びに届いたときだ。
参照資料
- 獺祭:獺祭について
https://dassai.com/about/ - 獺祭:獺祭ができるまで
https://dassai.com/about/flow.html - 獺祭:蔵元日記vol.218「磨き三割九分 夏仕込」(過去の蔵元日記の再掲載)
https://note.com/dassai/n/n71cc51172f04 - ビルコム:桜井博志氏インタビュー
https://www.bil.jp/blog/details/171 - DIMENSION NOTE:桜井一宏氏インタビュー(2023年10月3日)
https://dimension-note.jp/articles/interview/9040/ - アスマーク:若者と日本酒に関する調査
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000491.000018991.html - 株式会社獺祭:社名変更と事業方針の発表(2025年1月23日)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000053.000046778.html - UNESCO:日本の麹菌を用いた伝統的な酒造りの知識と技術
https://ich.unesco.org/en/RL/traditional-knowledge-and-skills-of-sake-making-with-koji-mold-in-japan-01977
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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