アルメニアの山々に抱かれたセヴァン湖は、この国の暮らしを支える大きな淡水湖だ。農地への水、発電、漁業、湖畔で過ごす時間。その水面には、いくつもの生活が重なっている。
かつて湖の水は大量に引き出され、水位が大きく下がった。その後、流出量の制限や河川からの導水によって水位を戻す取り組みが続いてきた。だが近年、夏の湖面にはシアノバクテリアの大規模な増殖が繰り返し現れている。
湖は満ちていけば、元に戻るのだろうか。セヴァン湖が問いかけるのは、水の量と質を一緒に守る難しさだ。documents1.worldbank.org
人が下げた水位
セヴァン湖から流れ出る水は、1930年代以降、灌漑や水力発電のために利用されてきた。世界銀行の報告書によると、自然に近い状態だった1930年代と水位が最も低かった2001年を比べると、その差は19メートルを超える。水量は約44%減ったと推計されている。岸辺の位置が変わるほどの変化は、生息環境や水質にも影響を及ぼした。documents1.worldbank.org
湖水は下流の農業と電力を支えていた。だから、水位低下を「使いすぎ」の一言で片づけても、問題は解けない。水を必要とする人々の暮らしを見据えながら、湖を維持できる取水量を決める必要がある。
アルメニアは1980年代から水位の安定と上昇を図り、2001年以降は導水や流出量の管理によって水位を上げてきた。2026年の灌漑期について、政府はセヴァン湖からの取水量を7,530万立方メートルと発表した。前年の1億8,010万立方メートルを下回り、政府によれば過去65年間で最も少ない。湖面の水位も前年より21センチメートル高くなった。ただし、これは2026年の取水実績と前年同時期の水位比較であり、湖の生態系全体が回復したことを示す数字ではない。documents1.worldbank.org
戻る水、濁る湖
水位の上昇には、水環境を改善する可能性がある。実際、過去の観測を調べた研究では、水位が上昇した時期に湖の透明度が高かったことが示されている。ところが、その見通しを揺さぶる出来事が起きた。2018年の夏、セヴァン湖でシアノバクテリアが大量に増殖し、水の透明度が大きく低下したのだ。Wiley Online Library
シアノバクテリアは、しばしば「藍藻」や「アオコ」の名で語られる微生物だ。湖に以前から存在していたが、研究では2018年の大規模な増殖に加え、毒素の検出も報告された。ただし、湖の緑色の部分がすべて有毒だと断定できるわけではない。種類や場所、時期によって状態は異なるため、観測と検査が欠かせない。Wiley Online Library
なぜ、水位を戻している湖で増殖が起きるのか。鍵の一つは、窒素やリンなどの栄養分だ。家庭排水、農地からの流出、畜産や養殖に伴う負荷が湖へ入り、藻類の増殖を支える。アルメニア・アメリカン大学の研究機関は、洗剤に含まれるリンにも着目している。湖底に蓄積したリンが再び水中へ供給される可能性も研究されており、流入を減らしても改善には時間がかかりうる。Acopian Center for the Environment
水温も関係する。2018年の増殖を調べた研究者は、栄養分の状態に加えて、当時の高い水温が発生を後押しした可能性を示した。ただし、一つの要因だけで発生を説明できる段階ではない。水位、排水、湖底の栄養分、季節ごとの水温を合わせて見なければ、湖の変化を読み違える。Wiley Online Library
湖の外から始める再生
湖を澄ませる仕事は、湖面だけでは終わらない。流入する川、その上流の集落、農地、下水の仕組みまでがセヴァン湖の環境につながっている。
対策はすでに始まっている。2025年には湖畔のノラトゥスで、幼稚園の生活排水を現地で処理し、灌漑用に再利用する小規模な設備が稼働した。湖へ未処理の排水を流さないための一例だ。世界銀行も、アルメニアの水管理には排水処理の改善とセヴァン湖の浄化が必要だとしている。個々の設備を流域全体の取り組みにつなげられるかが、次の課題となる。Ministry of the Republic of Armenia
水位を守る政策と、水質を守る政策は、同じ湖を見ている。灌漑に必要な水を確保しながら取水を管理する。排水を処理し、農地や集落から流れ込む栄養分を減らす。そして、水位だけでなく、透明度や栄養分、シアノバクテリアの変化を測り続ける。一度に湖を「元通り」にする方法はないが、何を減らし、何を確かめるべきかは見えている。Wiley Online Library
セヴァン湖の水面が上がることは、再生への大切な一歩だ。その水の中で生きものが暮らせるか、人が安心して利用できるかまで見届けて、初めて回復を語れる。湖の深さは、水位計だけでは測れない。

