マレーシアと日本に学ぶ、選べる安心のマーケティング
旅先で、おいしそうな料理を見つけた。
湯気が立ち、香りが漂い、店内には楽しそうな会話がある。けれど、メニューを眺めたまま、注文できない人がいる。
何が入っているのか。どのようにつくられているのか。自分が口にしてよいものなのか。
その答えがわからなければ、魅力的な料理も、選択肢に入らない。
マーケティングでは、「どうすれば欲しくなるか」を考えることが多い。しかし、その前に考えるべきことがある。
その人は、安心して選べる状態にいるだろうか。
マレーシアのハラル認証を入り口に日本の食品やサービスを見直すと、魅力を伝えるだけでは届かない、顧客理解の深さが見えてくる。
※本記事は、マレーシアのハラル認証と日本の食品情報提供を手がかりにした考察であり、両国の消費者や企業を一括りにするものではない。
1.同じ食卓でも、選ぶ条件は同じではない
マレーシアには、マレー系、中華系、インド系、先住民族など、異なる文化的背景を持つ人々が暮らしている。
食文化も多様である。その市場を理解するとき、「マレーシア人は何が好きか」という問いだけでは、捉えきれない。
味の好みに加えて、宗教、生活習慣、価格、食べる相手や場面が、選択に関わるからだ。
例えば、イスラム教徒であるムスリムにとって、ハラルであることは重要な判断条件になる。ハラルとは、イスラムの教えにおいて許されていることを意味する。
ただし、実際の商品選択や確認の仕方には個人差がある。マレーシアのすべての人が、同じ条件で食事を選ぶわけでもない。
ここで注目したいのは、好みの違いよりも手前にある、選択の前提条件の違いだ。
どれほどおいしくても、価格が魅力的でも、その条件が満たされていると判断できなければ、購入には進めない。
2.ハラル認証は、商品の見えない部分を確かめる仕組み
ハラル対応は、「豚肉を使わなければよい」というだけの話ではない。
原材料の由来や加工助剤、製造・調理、保管など、完成品を見ただけではわからない部分が関係する。マレーシアの公式資料でも、原材料や加工助剤に関する証明・仕様情報の確認が示されている。halal.gov.my
ここには、食品の難しさがある。
一皿の料理を見ても、調味料の中身まではわからない。加工品の形を見ても、その原材料が何に由来するかは判断できない。
つくり手が知っていることと、食べる人が知っていることのあいだには、距離がある。
認証は、その距離を埋める手段の一つだ。マレーシアのJAKIM公式サイトには、認証情報を確認するための案内も用意されている。Halal Status Check
マーケティングの視点から見ると、これは顧客が一つひとつ調べる負担を減らす仕組みと捉えられる。
もちろん、認証があれば必ず売れるわけではない。味や価格、利便性も必要になる。
それでも、選べるかどうかわからない商品を、比較検討できる商品へ変える役割は大きい。
3.「日本製だから安心」では、答えにならないことがある
日本の商品を海外へ届けるとき、品質の高さや丁寧なものづくりを強調することがある。
それは強みになり得る。しかし、顧客が確かめたいことに、必ずしも答えているとは限らない。
「厳選した原料です」
「職人が丁寧につくっています」
「長年愛されている味です」
こうした説明があっても、「自分が食べられる原材料か」という問いは残る。
つくり手が誇りたい品質と、顧客が確認したい条件は、重なりながらも異なる。
ハラル認証は、日本製であることや一般的な食品衛生の説明によって代替できるものではない。また、ハラル認証があるからといって、アレルゲンを含まないことや、あらゆる人の健康上の条件を満たすことを意味するわけでもない。
顧客がどの意味で「安心」を求めているのか。その中身を具体的にする必要がある。
4.日本にもある、「情報があるから選べる」という価値
この話は、海外市場だけのものではない。
日本でも、食物アレルギーのある人にとって、原材料やアレルゲンの情報は重要な判断材料になる。消費者庁も、食物アレルギー表示について、事業者・消費者向けの情報を提供している。caa.go.jp
宗教上の条件と食物アレルギーは、背景も確認方法も異なる。両者を同じものとして扱うことはできない。
一方で、商品を選ぶ場面には共通する問いがある。
必要な情報が、選ぶ前にわかるか。
情報がわからなければ、問い合わせる必要がある。回答を待つ間に、別の商品を選ぶこともある。確認できず、購入自体を諦めることもあるだろう。
企業から見れば、商品を断られたように見える。
しかし、顧客の側では、商品を評価する段階にさえ進めていない可能性がある。
売れない理由を、魅力や広告の弱さだけに求めると、この障壁を見落としてしまう。
5.比較すると見える、信頼をつくるための仕事
マレーシアのハラル認証と、日本の食品情報提供を並べてみると、信頼を支える仕事が見えてくる。
| 視点 | マレーシアのハラル認証から見えること | 日本の食品・サービスへの問い |
|---|---|---|
| 選ぶ前提 | 宗教上の条件への適合を確かめられること | 顧客が利用できる条件を示しているか |
| 見えない部分 | 原材料や製造工程などの確認 | 完成品の魅力だけを説明していないか |
| 情報の役割 | 判断に必要な確認を支える | 問い合わせ前に判断できるか |
| 信頼の根拠 | 基準と認証、確認の仕組み | 主張を裏づける情報があるか |
| 販売との関係 | 検討対象に入るための条件になり得る | 欲しくなる前の障壁を解消しているか |
この比較から読み取れるのは、信頼が広告表現だけでは成立しないということだ。
仕入れ、製造、記録、確認、接客。その積み重ねが、顧客に伝わる形になって初めて、選択を支える情報になる。
6.一人が選べないと、グループ全体の行き先が変わる
ここで、会食の場面を想像してみたい。
家族や友人、仕事仲間で店を探している。そのうちの一人が、食べられるものを確認できない。
その場合、別の店を探すことは十分に考えられる。
これは特定の調査結果ではなく、グループでの意思決定から考えられる場面だ。
店側は一人分の条件への対応だと思っていても、実際には、グループ全体の選択に関わることがある。
旅行でも、企業の会食でも同じだ。
誰が最も強く行きたいと思うかに加えて、誰が参加できずに困るかが、意思決定を左右する。
マーケティングでは、購買意欲の強い人に目を向けがちである。しかし、参加の障壁を抱えている人を見ることで、別の市場機会が見つかることもある。
7.対応することと、正確に伝えることはセットになる
日本企業がこの視点を取り入れるなら、最初の仕事は、顧客が何を確認したいのかを知ることだ。
例えば、料理の写真や多言語メニューがあっても、原材料や調理方法について必要な情報がなければ、判断できない人がいる。
反対に、説明を増やすだけで、実際の運用が伴わなければ、信頼にはつながらない。
仮にラーメンを提供するなら、肉の種類だけでなく、スープ、たれ、麺、調味料などを確認する必要が生じる。対応範囲によっては、設備や調理工程も検討対象になる。
そこで大切なのは、できていることを正確に伝えることだ。
「豚肉不使用」という情報だけで、ハラル認証取得と同じ意味にはならない。「ムスリムフレンドリー」という表現も、具体的に何へ対応しているのかがわからなければ、判断材料としては不十分になり得る。
対応範囲と、その根拠を一致させる。
情報のわかりやすさは、表現の巧みさだけでなく、事業の実態をどれだけ整理できているかにも左右される。
8.PSELで読む、マレーシアからの学び
Product|味と品質に、利用できる条件を組み込む
商品価値には、おいしさや見た目に加えて、その人が利用できることも含まれる。
完成した商品を、あとから説明するだけでは対応しきれない場合もある。顧客の条件を理解し、原材料や工程の段階から考える必要がある。
顧客理解は、広告のためだけに行うものではない。商品設計そのものに関わる。
Story|つくり手の物語を、顧客の生活へつなぐ
歴史や職人技は、魅力的な物語になる。
そこに、顧客が知りたい説明を加えられるだろうか。
どんな原料を使っているのか。誰が、どのような根拠で確認しているのか。どの範囲まで対応しているのか。
物語に具体的な情報が伴うと、共感が選択へつながりやすくなる。
Energy|現場で続けられる仕組みをつくる
一度の確認で終わるとは限らない。
原材料が変わる。仕入れ先が変わる。スタッフが入れ替わる。
そのときにも、説明と実態を一致させる仕事が必要になる。
顧客への約束を守る力は、日々の管理や教育、部門間の連携の中にある。
Land|市場の背景を、商品の条件として理解する
同じ商品でも、土地が変われば、選ばれる条件が変わる。
宗教、言語、食文化、流通、認証制度。これらは、販売の外側にある事情ではない。商品が市場へ入るための条件そのものである。
土地を理解することは、顧客が何を前提に暮らしているかを理解することでもある。
9.「欲しくない」と「選べない」を見分ける
商品の反応が弱いとき、企業は魅力を強めようとする。
写真を変える。コピーを磨く。価格を下げる。
しかし、顧客が購入しない理由が「選べるかどうかわからない」ことにあるなら、解決すべき場所は別にある。
必要な情報があるか。確認できるか。利用条件が明確か。
マレーシアのハラル認証から学べるのは、特定のマークを付ける販売手法ではない。
顧客が大切にしている条件を、事業の中で引き受けるという姿勢である。
「おいしい」と伝える前に、その人が食べられるかを考える。
「便利」と伝える前に、その人が使えるかを考える。
その順番を見直すことで、これまで届いていなかった顧客の姿が見えてくる。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
同じテーブルを囲んでいても、目の前の料理を同じように選べるとは限らない。
ある人には、何気ない一皿である。別の人には、原材料を確かめなければ口にできない一皿でもある。
その違いは、見た目だけではわからない。
だからこそ、つくる側には、相手の暮らしを知ろうとする仕事がある。使っているものを確かめ、工程を見直し、伝わる言葉へ置き換える仕事がある。
マーケティングは、欲望を刺激する技術であると同時に、選べずにいた人へ、選択肢をひらく仕事でもあるのだと思う。
「おいしい」の前に、「食べられる」がある。
その順番を知ることから、信頼は始まる。
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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