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シンガポールと日本のマーケティング比較|「通り過ぎる場所」を、選ばれる目的地へ

Colorful illustration linking a Jewel Changi-inspired indoor waterfall and tropical greenery with a Japanese shopping street and bullet train. Japanese text reads, “Turn a transit point into a destination.”
シンガポールと日本|通過点を目的地に変える顧客体験
Contents

空港・食文化・国家ブランドから考える、顧客体験のつなぎ方

飛行機を降りた先に、滝が流れている。
ガラスの屋根の下には緑が広がり、人々は足を止め、写真を撮る。

シンガポールのチャンギ空港に隣接する複合施設「Jewel」は、移動の途中にある場所を、訪れたい場所へ変える試みだ。

空港を便利にすることと、空港へ行きたくなること。
二つは似ているようで、顧客に提供する価値が違う。

今回、シンガポールと日本を比較する軸は、商品の品質や広告表現だけではない。空間、サービス、文化、情報をつなぎ、一つの体験として選ばれる理由をつくるマーケティングである。

※本稿は具体的な事例を通じた考察であり、両国の企業や消費者すべてに共通する特徴を示すものではない。

1.Jewelが変えた、空港の役割

Jewelの公式説明によれば、構想の出発点にはチャンギ空港第1ターミナルなどの容量拡張があった。そこから、航空ハブとしての競争力を高め、旅行者にとって魅力ある立ち寄り先をつくるという構想へ発展した。

庭園、アトラクション、商業施設、飲食店、ホテル、空港機能を支える施設が組み合わされている。[1]

ここで注目したいのは、滝の大きさだけではない。

空港を利用する人には、出発を待つ時間や、到着後の空き時間がある。その時間を、食事や買い物、散策を楽しめる時間へ変えようとしている。

マーケティングの視点から読むと、Jewelは施設の魅力によって、旅行者が時間を使う理由を増やす設計だと考えられる。

もちろん、乗り継ぎ客が誰でも自由に利用できるという意味ではない。実際の利用には、入国条件や搭乗までの時間などの確認が必要になる。

それでも、「通過する人がいる」という事実を、「滞在したい人をつくる機会」と捉える発想は、空港以外にも応用できる。

駅、道の駅、商業施設、サービスエリア。人が通る場所には、その時間をどう過ごしてもらうかという問いがある。

2.日本にもある、入口を体験に変える仕組み

日本の空港も、移動機能だけを提供しているわけではない。

羽田空港第3ターミナルに直結する「羽田エアポートガーデン」には、ホテル、温泉施設、飲食店、日本各地の逸品や銘産品を扱う専門店、バスターミナルなどがある。[2]

Jewelと同一の施設ではないが、空港に接する場所へ複数の機能を集め、旅の前後に過ごす理由をつくるという点では、比較できる。

この比較から考えたいのは、日本に不足している施設を数えることではない。

食事をした人が、その食文化をもっと知りたくなる。
買い物をした人が、その品物の産地へ行ってみたくなる。
温泉を体験した人が、次の旅では温泉地を選ぶ。

こうした「次の行動」へ、入口の体験がどこまでつながっているかである。

例えば、空港で買った工芸品に、工房の見学予約へ進める案内がある。地域の料理を味わったあとに、その土地までの交通と滞在プランが分かる。

これは応用のための提案だが、売り場と産地の間をつなげれば、一度の購入が次の訪問の入口になる。

3.ホーカー文化——日常を、訪れる理由として伝える

シンガポールの魅力は、大型施設だけでできているわけではない。

ホーカーセンターで食事をする文化も、その一つだ。ユネスコは、ホーカー文化を多文化都市における共同の食事と料理の実践として位置づけ、2020年に無形文化遺産の代表一覧表へ記載した。[3]

シンガポール国家遺産局の情報では、ホーカーセンターは多様な背景を持つ人々が食事を共にする「地域の食堂」と説明されている。[4]

ここには、マーケティングを考えるうえで興味深い点がある。

住民にとって日常の場所が、旅行者にとっては、その国の暮らしに触れる場所になる。

日本でも、商店街の惣菜店、朝市、立ち食いそば、地域の食堂には、その土地の生活が表れている。

ただし、「地元らしい場所です」と紹介するだけでは、初めて訪れる人は入りづらいことがある。

どう注文するのか。
席は先に確保するのか。
支払いはいつするのか。
どんな作法を知っておけばよいのか。

魅力を伝えることと、参加できるようにすることは、一緒に考える必要がある。

日常の文化を観光客にも開くとは、その場の暮らしやルールを尊重しながら、初めての人が入れる入口を整えることでもある。

4.観光とビジネスをつなぐ、国家ブランド

シンガポールのマーケティングには、観光とビジネスを横断する取り組みもある。

2017年にシンガポール政府観光局(STB)と経済開発庁(EDB)が共同で発表した「Passion Made Possible」は、観光とビジネスの両面でシンガポールを海外へ伝える統一ブランドだった。[5]

ここで大切なのは、同じロゴを使うことだけではない。

観光客に見せる国の姿と、企業や投資家に伝える国の姿に、共通する考え方を置くことである。

旅行で都市を訪れる。そこで新しい事業や人に出会う。後日、仕事で関わる可能性が生まれる。

こうした関係を考えると、観光と産業は、必ずしも切り離された領域ではない。

日本の地域でも、観光では風景を紹介し、産業では工場を紹介し、移住では暮らしやすさを紹介する。それぞれの目的は違っても、同じ土地について語っている。

例えば、その地域が「水を生かす土地」であるなら、食、酒、製造業、景観を、水との関係から紹介できる。

担当部署ごとの情報に共通する筋道が通れば、訪問者は地域をより立体的に理解しやすくなる。

5.「何があるか」を、「何ができるか」へ変える

STBが2023年に発表した「Made in Singapore」キャンペーンは、日常的な瞬間が特別な体験へ変わるという考え方を掲げた。

発表資料では、Jewelの滝や緑、ホーカーセンターでの食事などを、意外性のある体験として紹介している。[6]

本稿では、この表現を、資源の説明を顧客の体験へ翻訳する取り組みとして読みたい。

「庭園があります」と伝える。
「旅の途中で、緑に包まれる時間を過ごせます」と伝える。

事実の紹介に加えて、そこを訪れた自分を想像できるようにする。

日本の地域事業でも、同じ問いを立てられる。

提供側から見た資源顧客が想像できる体験への翻訳例
伝統工芸の工房職人と話し、自分が使う道具を選ぶ
地域の発酵食品土地ごとの味の違いを食べ比べる
港の朝市朝の仕事と食卓のつながりを知る
古い商店街店主に教わりながら、地域の日常を歩く

右側は実在サービスの紹介ではなく、価値提案を考えるための例である。実際の商品化には、受け入れる側の意向や負担、料金、予約方法を整える必要がある。

顧客が「面白そう」と感じたあと、実際に参加できるところまでつなげて、価値提案は具体的になる。

6.体験をつなぐことには、限界と負担もある

シンガポールの事例を、そのまま日本全体へ移すことはできない。

一つの都市国家と、各地に生活圏や産業が広がる日本では、移動距離も、行政や事業者の関係も異なる。大規模投資でつくられる施設と、小さな地域事業では、使える資金や人材も違う。

また、観光客が増えれば、暮らしの場との摩擦や、現場の負担が生じる可能性がある。

だからこそ、応用するなら、体験をつなぐ範囲を絞ることが現実的だ。

一つの駅から、一つの商店街へ。
一つの宿から、一つの工房へ。
一つの購入から、次の訪問へ。

その際に見るべきなのは、発信の閲覧数だけではない。

案内を見た人が予約したか。途中で迷わなかったか。参加後に満足したか。受け入れた側に利益が残ったか。

つながりの数より、実際に機能しているつながりを増やしたい。

7.PSELで読む、シンガポールと日本

視点シンガポールの事例から読み取れること日本の事業や地域への問い
Product|何を届けるか移動・食事・買い物などを組み合わせる個々のサービスの前後に、どんな体験があるか
Story|何を伝えるか観光やビジネスに共通する考え方を置く違う窓口でも、土地の魅力がつながって伝わるか
Energy|誰が動かすか行政、企業、文化の担い手の役割を見る誰が運営し、負担と利益をどう分かち合うか
Land|どこから生まれるか空港や都市の日常を、訪問の理由へ変える地域の入口と、暮らしや産業をどうつなぐか

シンガポールから学べるのは、限られた場所でも価値をつくれるという可能性と、その価値を体験できるようにする設計だ。

日本の各地にある資源にも、同じ問いを向けられる。

よいものがある。その先に、見つける、選ぶ、訪れる、使うという行動を、どうつくっていくのか。

EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN

旅の記憶には、有名な景色だけが残るわけではない。

到着して最初に食べたもの。
店に入るときの小さな不安。
迷っていたときに、誰かが教えてくれたこと。

一つひとつは小さい。それでも、それらが重なって、その土地の印象になる。

シンガポールの事例を見つめると、マーケティングは、旅の記憶が生まれる前から始まっていると感じる。

どんな期待を抱いて来てもらうか。
到着した人を、何へ案内するか。
帰るとき、何を持ち帰ってもらうか。

土地の魅力を伝える仕事は、その間にある時間まで、丁寧に考える仕事なのだと思う。


参考資料

[1] Jewel Changi Airport「Our Story」
https://www.jewelchangiairport.com/en/our-story.html

[2] 羽田エアポートガーデン「特長」
https://www.shopping-sumitomo-rd.com/haneda/shopping/about/

[3] UNESCO「Hawker culture in Singapore」
https://ich.unesco.org/en/RL/hawker-culture-in-singapore-community-dining-and-culinary-practices-in-a-multicultural-urban-context-01568

[4] National Heritage Board/Roots「Hawker Culture」
https://www.roots.gov.sg/ich-landing/ich/hawker-culture

[5] STB・EDB「Passion Made Possible」発表資料(2017年)
https://www.nas.gov.sg/archivesonline/data/pdfdoc/20170824004/Press%20Release%20-%20STB%20and%20EDB%20launch%20joint%20brand%20SG%20Passion%20Made%20Possible.pdf

[6] STB「Made in Singapore」発表資料(2023年)
https://www.stb.gov.sg/about-stb/media-publications/media-centre/singapore-tourism-board-launches-made-in-singapore-global-campaign-to-inspire-travel-to-singapore/

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