イスラエルと周辺地域の水利用から考える、暮らし・産業・自然のつながり
水面は、静かに見える。
塩をまとった湖岸と、乾いた山々。その間に広がる死海は、長い時間をそのまま閉じ込めたような風景をしている。
しかし、この静けさの中で、水際は動き続けている。
イスラエル海洋湖沼研究所の観測紹介では、死海の水位は年間およそ1メートル低下すると説明されている。年によって変動はあるが、水が減り続ける傾向は長期にわたるものだ。[1]
なぜ、これほど大きな湖が小さくなっていくのか。
その答えは、湖のほとりだけを見ていても分からない。川の上流にある農地、都市へ向かう水道、鉱物を取り出す工場。それぞれの場所で必要とされる水をたどると、死海の輪郭が変わる理由が見えてくる。
1|「海」という名前を持つ、流れの終着点
死海は、海とつながっていない塩湖である。
ヨルダン川などから水が入る一方、外へ流れ出す川はなく、水は主に蒸発によって失われる。流れ込む水と、失われる水。その収支が湖の大きさを左右する。
もともと蒸発の大きい乾燥地域にある湖だからこそ、流入量の変化は重い意味を持つ。[2]
死海は、イスラエル、ヨルダン、パレスチナのヨルダン川西岸に接する地域に位置する。その水の収支には、さらに上流の国々での利用も関わる。
今回のシリーズではイスラエルからこの風景を見つめるが、問題の範囲は一国の中には収まらない。
地図には国境がある。しかし、水は流域という別のまとまりで動いている。
2|湖へ届く前に、水には使い道がある
死海の水位低下を考えるうえで、大きな要因となるのが上流での取水だ。
イスラエル政府が公表した2024年の報告書は、イスラエル、ヨルダン、シリアによる生活・農業用水への転用や、流域でのダム建設を挙げている。[3]
水は、途中で突然消えるわけではない。
蛇口から出る水になる。作物を育てる水になる。人が暮らし、食べ、生きていくために使われる。
一つひとつの利用には理由がある。けれど、その利用が流域全体で積み重なると、最も下流にある湖まで届く水が少なくなる。
それぞれの場所で必要な水を確保した結果、流れの終着点で水が足りなくなる。
死海が映しているのは、こうした配分の問題である。
乾燥した土地に暮らす人々へ、ただ「水を使わないでほしい」と求めるだけでは解決しない。生活を支える水と、川や湖を維持する水を、同じ計画の中で考える必要がある。
3|鉱物を取り出す産業も、水の収支を変える
死海の水には、産業に利用される鉱物資源が含まれている。
その採取では、北側の湖から南側の蒸発池へ湖水を送り、蒸発によって濃縮する工程が使われる。イスラエルとヨルダンの鉱物産業による湖水利用も、水位低下に関わっている。[4]
ここで注意したいのは、写真や地図で見える死海の水面が、すべて同じ仕組みで保たれているわけではないことだ。
北側には自然湖が残る一方、南側には工業用の人工蒸発池が広がる。水面があるという見た目だけでは、自然の湖が健全に維持されているかどうかは判断できない。[5]
鉱物資源は、雇用や経済活動を支える。同時に、その生産工程が湖の水収支へ負担を与える。
問われるのは、産業から得られる価値と、自然に生じる変化をどう結びつけて管理するかである。どれだけ水を失うのか。影響をどう測るのか。その負担を誰が引き受けるのか。
製品の向こう側にある水の動きまで見て、初めて産業と土地の関係が見えてくる。
4|水位が下がると、なぜ地面に穴が開くのか
死海の縮小は、水際が遠ざかるだけの変化ではない。
湖岸では、地面が陥没する「シンクホール」が問題になっている。
その仕組みには、地下の塩の層が関わる。湖の水位が下がると、周辺の地下水位や、塩分の濃い地下水と比較的薄い地下水の境界も変化する。塩を溶かしやすい地下水が塩の層に触れることで空洞ができ、その上の地面が崩れ落ちる場合がある。[2]
水面で起きた変化が、地下へ伝わり、足元の安全を変えてしまう。
イスラエル地質調査所も、水位低下に伴う地下水や湖岸の変化が、地域のインフラや住民の暮らしに課題を生んでいると説明している。[6]
湖は、そこに水がたまっているだけの場所ではない。地下水、地層、道路、建物、人の活動をつなぐ、一つの基盤でもある。
5|水をつくる技術と、自然に水を戻す仕組み
水不足に対し、イスラエルは海水淡水化や処理水の再利用を進めてきた。
海水から塩分を取り除き、使える水を増やす。生活排水を処理し、再び利用する。これらは、水源の選択肢を広げる重要な技術である。[7][8]
ただし、代わりの水源ができれば、自動的に死海へ流れる水が増えるわけではない。
新しく確保した水を、増え続ける需要に充てるのか。それとも、従来の取水の一部を減らし、自然の流れを回復させるのか。結果は、その後の配分によって変わる。
これは、技術の性能だけでは決まらない。
どの水源から、どれだけ取るか。川にどれだけ残すか。節水で生まれた余力をどこへ振り向けるか。技術を、流域全体の運用につなぐ必要がある。
また、淡水化や再利用には、設備投資や運転の費用もかかる。世界銀行は、中東・北アフリカ地域について、こうした水源への投資が財政に与える負担を指摘している。[9]
水を確保する能力と、水の循環を守る能力。その両方が必要になる。
6|自然に残す水を、配分の出発点にできるか
川や湖を守るために必要な水量や流れ方を、あらかじめ管理に組み込む考え方がある。環境流量という考え方だ。
人が使ったあとに偶然残る水だけに、自然の維持を委ねない。生態系を支える流れも、水を配分するときの条件として扱う。
ヨルダン川下流域の再生を提案するEcoPeace Middle Eastなどの地域計画でも、流量の調整に加え、水質改善、農業、生態系、観光を一体で扱っている。[10]
ただし、川の再生と死海の水位安定化は、同じ規模の課題ではない。川に水を戻す意義は大きいが、それだけで湖全体の水不足が解消するとは限らない。
川をどの状態へ戻すのか。湖の水位低下をどこまで抑えるのか。目標を分け、必要な水量と負担を確かめていく必要がある。
その際、国境を越える協力とともに、流域の人々が生活に必要な水へ公平にアクセスできることも、配分の前提に置かなければならない。
7|日本から見る、流れの下流で起きること
死海の風景は、日本から遠く見える。
しかし、上流での利用が下流の環境を変えるという関係は、日本でも考えるべき問いだ。
農業用水、都市用水、工業用水。それぞれに必要性があり、その先には、川や河口、干潟、海で生きるものがある。
もちろん、雨の多い日本と、乾燥地の塩湖では条件が違う。同じ原因や対策を、そのまま重ねることはできない。
それでも、水を施設ごと、産業ごと、行政区域ごとに見るだけでは、その流れの先に起きる変化を捉えきれないという点は共通する。
蛇口に水が届いていることと、流域の自然が保たれていること。その二つを、一緒に確かめる視点が必要なのだ。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
死海の水際は、社会が水をどう使ってきたかを映している。
そこには、畑を耕す人の営みがある。都市を支える設備がある。資源を取り出す仕事がある。その一つひとつがつながった先で、湖の輪郭が変わっていく。
私たちは、必要なものを得るための技術を発達させてきた。
これからは、その必要を満たしながら、流れの先に何を残すかまで考えなければならない。
死海を見つめることは、遠い国の風景を惜しむことだけではない。
自分たちの暮らしを支える水が、どこから来て、その先の何を支えていたのか。
そのつながりを、もう一度たどることでもある。
文・構成:三宅雅之/NEOTERRAIN Journal
※本記事は公開資料に基づくデスクリサーチ記事です。現地取材によるものではありません。
参考資料
- Israel Oceanographic and Limnological Research「Monitoring of the Dead Sea」
- Shalev et al.(2006)「Salt dissolution and sinkhole formation along the Dead Sea shore」
- イスラエル政府公表報告書(2024年)死海の水位・鉱物採取に関する検討
- Abelson et al.(2017)「Natural versus human control on subsurface salt dissolution and development of thousands of sinkholes along the Dead Sea coast」
- 米国SEC公開資料:死海に関する技術報告書(2025年)
- Geological Survey of Israel「Dead Sea」
- イスラエル環境保護省「Desalination facilities – the MoEP’s policy」
- イスラエル環境保護省「Urban wastewater: background, purposes and goals」
- 世界銀行(2023年)「Water Scarcity in MENA Requires Bold Actions」
- EcoPeace Middle East「Regional NGO Masterplan」

