都市の地下では、今日も新しいトンネルが掘られている。
鉄道、道路、地下街、上下水道、共同溝。地上の混雑を避け、都市の機能を支えるために、私たちは地下へ、さらに地下へと空間を広げてきた。
だが、地中にあるのは、利用を待つ空間だけではない。
何千年、何万年という時間をかけて形成された地層には、ヒ素、鉛、ふっ素、セレン、ほう素などの物質が、岩石や土壌の一部として含まれていることがある。工場が流したわけでも、不法投棄されたわけでもない。もともと、その土地の地質の中に存在していたものだ。
ところが、トンネルや地下構造物の建設によって土や岩石が掘り出されると、それまで閉じられていた物質が空気や雨に触れ、別の場所へ運ばれる。
自然の地層に眠っていた物質が、人間の開発によって動き始める。
そのとき、それは誰の「汚染」になるのだろうか。
土壌汚染は、工場跡地だけの問題ではない
「土壌汚染」と聞くと、多くの人は工場跡地や化学物質の漏えいを思い浮かべる。
確かに、過去の産業活動によって有害物質が地中へ浸透した土地は存在する。しかし、土壌中の有害物質には、人間の活動とは関係なく、地質的な成り立ちによって存在するものもある。
日本列島は、プレートの沈み込み、火山活動、海底堆積物の隆起など、複雑な地質作用によって形成されてきた。その過程で、さまざまな元素を含む岩石や堆積物が各地に分布した。
産業技術総合研究所は、天然の岩石や堆積物に含まれる重金属類の含有量や溶出量を「自然由来バックグラウンド情報」として整理している。つまり、同じ日本国内でも、土に含まれる元素の種類や濃度は、土地の地質によって異なる。
土の色や手触りだけでは、その違いを見分けることはできない。
森に覆われた山にも、都市の地下にも、川が運んだ堆積物の中にも、自然由来の重金属等が存在する可能性がある。
自然の中にあることと、安全であることは、必ずしも同じではない。
「含まれている」と「溶け出す」は違う
ここで重要なのは、土や岩石から重金属等が検出されたからといって、直ちに人の健康被害が生じるわけではないということだ。
土壌の問題を考えるときには、少なくとも二つを分けて考える必要がある。
一つは、土壌にその物質がどれだけ含まれているか。
もう一つは、その物質が水にどれだけ溶け出すかである。
土壌の粒子や鉱物に強く固定され、ほとんど移動しない状態であれば、人や生態系との接点は限られる。一方、雨水や地下水に溶け出せば、水の流れに乗って周辺へ移動する可能性が生まれる。
環境省が土壌汚染対策法で管理する健康リスクも、大きくは「汚染された土壌を直接口にするリスク」と、「土壌から溶け出した物質を地下水などを通じて摂取するリスク」に分けて考えられている。
したがって、基準を超える物質が見つかったことと、現に健康被害が発生していることは同義ではない。
問うべきなのは、物質の有無だけではなく、
- どのような状態で存在しているのか
- 水に溶け出す可能性があるのか
- 地下水や河川へ移動する経路があるのか
- その水を人が飲用しているのか
- 土が生活空間に露出しているのか
という、物質と人の間にある「経路」である。
危険を過小評価しないためにも、必要以上に恐れないためにも、この区別が欠かせない。
掘削は、地中の環境条件を変える
地中深くにある土や岩石は、地上とは異なる環境に置かれている。
空気との接触が少なく、水分や温度、酸化還元の状態も比較的安定している。その中で、ヒ素などの元素は鉱物に取り込まれ、長い時間を地層の一部として過ごしてきた。
しかし、工事によって掘り出されると条件が変わる。
岩石は砕かれ、表面積が増える。空気に触れる。仮置き場で雨が降る。土に含まれる水分や酸素の状態が変わる。これまで安定していた鉱物が酸化し、そこに保持されていた元素が水へ溶け出しやすくなることがある。
2024年、東京農工大学と産業技術総合研究所などの研究チームは、東京低地の地下に広がる有楽町層を調査し、深さによってはヒ素が土壌溶出量基準を超えて溶出することを確認した。
研究では、ヒ素が「フランボイダルパイライト」と呼ばれる、ラズベリー状の黄鉄鉱に集積していることが示された。この黄鉄鉱を含む土壌を掘削し、地上で大気にさらすと、酸化によってヒ素が溶出しやすくなる可能性があるという。
地下にあったときには、地層の一部として安定していた。
だが、人間が掘り出したことで、物質を取り巻く環境が変わる。
問題を生むのは、ヒ素が突然生まれることではない。存在していたヒ素が、移動できる状態へ変わることなのである。
都市の地下にも「土地の履歴」がある
有楽町層は、東京の下町や東京湾岸低地の地下に広がる比較的新しい地層である。かつて海や河川の影響を受けた場所に土砂が堆積し、現在の都市の地盤を形成してきた。
地上には、道路や住宅、高層ビルが並んでいる。
しかし、その下には、都市ができる以前の海、河川、湿地の履歴が残されている。
都市開発は、何もない地下へ進むわけではない。それまで見えなかった土地の記憶へ入り込んでいく。
トンネル工事で自然由来重金属等を含む掘削土が問題になるのは、特定の事業者が新たに有害物質をつくったからではない。自然が長い時間をかけて形成した地層と、現代の社会基盤整備が接触するからだ。
これは単純な「加害者」と「被害者」の構図に収まりにくい。
だからこそ、責任の所在も見えにくくなる。
掘り出した土は、建設発生土として地上へ出る
トンネル工事では、掘削の進行とともに大量の土や岩石が発生する。
通常の建設発生土であれば、盛土材や造成材として別の工事に利用できる可能性がある。だが、自然由来重金属等を含み、基準への対応が必要な土は、自由にどこへでも運べるものではない。
行き先で雨水にさらされれば、浸出水を通じて周辺の土壌や地下水へ影響する可能性がある。再利用する場合にも、土の性質、土地の地質、地下水の流れ、周辺の水利用などを確認し、適切な対策を設計しなければならない。
国土交通省は2023年、建設工事で遭遇する自然由来重金属等を含む岩石・土壌について、調査、評価、対策、施工後のモニタリングまでを整理した対応マニュアルを改訂した。
対策には、土を雨水や地下水から隔離する遮水・封じ込め、重金属等を溶けにくくする不溶化、溶け出した物質を捕捉する吸着層、排水処理、地下水や浸出水の監視などがある。
ただし、どの方法にも一律の正解があるわけではない。
土質、対象物質、濃度、酸化の可能性、降水量、地形、地下水、利用方法によって、必要な対策は変わる。封じ込めれば終わりではなく、構造が長期的に機能するかを見守る必要もある。
建設発生土の問題は「どこへ運ぶか」だけではない。
運んだ先で、どのような状態を保ち続けるかまでを含んでいる。
「自然由来」は、免責の言葉ではない
自然由来重金属という言葉には、二つの誤解が生まれやすい。
一つは、「自然のものなら安全だ」という誤解である。
自然界には、人に有害となり得る物質も存在する。由来が自然であることは、人為的な不法行為がなかったことを示しても、健康や環境への影響がないことまでは保証しない。
もう一つは、「基準を超えた土は、すべて除去すべきだ」という誤解である。
土を掘り出し、遠方の処理施設へ運ぶことにも、ダンプトラックの走行、二酸化炭素排出、新たな受入地の確保といった環境負荷が生じる。リスクの経路が遮断されている土地まで一律に掘削除去すれば、別の負担を増やすことにもなりかねない。
必要なのは、「自然だから問題ない」と片づけることでも、「検出されたからすべて撤去する」と反応することでもない。
その土地で、誰が、どの経路を通じて、どの程度の影響を受ける可能性があるのかを見極め、リスクに応じて管理することである。
制度も「汚染の有無」から「リスクの管理」へ動いている
自然由来の土壌は、広い地層に連続して分布する場合がある。そのすべてを人為由来の局所的な汚染と同じ考え方で扱えば、調査や対策の範囲は大きくなり、土の移動や再利用も難しくなる。
一方で、規制を緩めすぎれば、掘削をきっかけに、それまで動かなかった物質を別の土地へ拡散させるおそれがある。
環境省では現在、土壌汚染対策法の見直しが進められている。2026年2月の中間まとめを経て、自然由来重金属を含む土地について、区域指定のあり方を見直しながら、搬出時の管理を重視する方向が検討されている。2026年6月にも土壌制度小委員会が開かれ、自然由来か人為由来かを判断する方法や、搬出後の管理などが議論されている。
これは、自然由来の土を「安全」とみなす議論ではない。
土地に存在することと、掘り出して移動させることを分け、実際の健康リスクと拡散防止に焦点を当てようとする動きである。
制度が向き合っているのは、地質そのものを消すことではなく、人間の行為によって新たな曝露経路をつくらないための管理だ。
汚染を生んだのは、自然か、人間か
地中にヒ素が存在していたことは、自然の作用である。
しかし、それを掘り出し、砕き、空気や雨に触れさせ、別の土地へ運ぶのは人間の活動である。
この問題に、単純な答えはない。
自然が物質をつくり、人間が移動の条件をつくる。
だから責任とは、地中にヒ素を存在させた責任ではない。掘削によって状態を変えた土を調べ、その性質を伝え、適切な場所で管理し、必要な期間見守る責任である。
建設工事は、構造物が完成したときに終わるように見える。
だが、掘り出された土は、その後も雨に打たれ、水と接し、周囲の土地と関係を持ち続ける。
都市が地下へ広がるほど、私たちは地上の設計だけでなく、地層との付き合い方まで設計しなければならない。
掘らなければ、汚染ではなかった。
正確に言えば、掘らなければ、そこにあった物質が社会の管理対象として姿を現すことはなかった。
地中のヒ素は、自然が残した土地の一部である。
しかし、それを地上へ持ち出した瞬間から、その未来は人間の責任になる。

