世界の環境地誌|アルバニア
川は、一本の線ではない。
山から運ばれた石や砂が川底に積もると、水はそれを避けて流れを変える。増水すれば岸を削り、別の場所に土を残す。水路の間に中州が生まれ、やがて植物が根を張る。
アルバニアを流れるヴョサ川には、そうした川の動きが今も残っている。
ギリシャのピンドス山脈に源を発し、アルバニアを通ってアドリア海へ向かうこの川は、ヨーロッパに残る大規模な自由流下河川の一つとされる。2023年、アルバニア政府はヴョサ川を「野生河川国立公園」に指定した。川の流れそのものを守ろうとする試みである。IUCN
ただし、地図に国立公園の境界を引いた瞬間に、川が守られるわけではない。
水を取り、石を採り、観光客を迎える。川の周りでは、人の暮らしと経済活動が続いている。ヴョサ川の問題は、川を使いながら、その自由な流れをどう残すかという問いでもある。
「自由に流れる」とは、何が自由なのか
自由に流れる川とは、水が上流から下流へ通っているだけの川ではない。
水量が季節によって変わり、砂や小石が運ばれ、流路が動く。川岸や中州、氾濫原が、その変化に応じて姿を変える。魚や鳥、川辺の植物は、この動きの中に生息場所を見つける。
ヴョサ川は、上流の峡谷、中流で複数の流れに分かれる河道、下流のデルタへと、異なる風景をつないでいる。国際自然保護連合(IUCN)は、川と主な支流がギリシャの山地からアルバニアのアドリア海沿岸まで、400キロメートル以上にわたって流れると説明する。この数字には支流を含み、アルバニア国内の本流だけの長さを示すものではない。IUCN
川が運ぶのは水だけではない。砂礫も、栄養も、生きものが移動できる経路も、上流から下流へつながっている。
UNESCOは、ヴョサ川の流れが水路、中州、氾濫原を絶えずつくり変え、多様な生息環境を生んでいると説明している。川が動くこと自体が、この土地の自然を形づくる力なのだ。Man and the Biosphere Programme (MAB)
ダムをめぐる議論から、国立公園へ
ヨーロッパの河川の多くは、発電、治水、取水、航行などの目的で姿を変えてきた。ヴョサ川でも、水力発電のためのダム計画が議論されてきた。
水力発電には、電気を供給するという役割がある。一方、川をせき止めれば、水や土砂の流れ方が変わり、河原や下流の生態系にも影響が及びうる。ヴョサ川で問われたのは、発電設備一つの是非だけではなく、この川に残る連続した流れをどう評価するかだった。
アルバニア政府、地域の団体、研究者、IUCNなどによる保護の取り組みを経て、2023年3月に「ヴョサ野生河川国立公園」が宣言された。最初の指定対象には、川の活動的な河道や、洪水・侵食の影響を受ける土地などが含まれる。支流を含む流域全体の保護は、その後も検討と管理が必要な課題として残された。IUCN
国立公園の指定は、川を利用しないと決めることではない。何を守るために、どこで、どのような利用を認めるのか。その判断の基準をつくる出発点である。
川辺の暮らしも、流れとともにある
ヴョサ川沿いでは、農業、牧畜、漁業が営まれてきた。近年はラフティングやカヤック、自然観察など、川を訪れる観光も地域の仕事につながっている。IUCN
その人々にとって、川は遠くから眺める景勝地だけではない。畑に関わる水であり、移動する魚の場所であり、観光客を案内する仕事の場でもある。
だから保護の議論では、「人を入れるか、入れないか」という単純な線は引けない。川の変化を知り、そこに暮らしてきた人々が、利用のルールづくりにも関わる必要がある。
一方、観光が増えれば、道路や宿泊施設、水道、廃棄物処理も必要になる。川の価値に人が集まるほど、その価値を損なわないための管理が問われる。IUCNも、国立公園とその周辺で、観光の成長を地域の暮らしと自然保護の両方につなげることを課題に挙げている。iucn.org
国立公園の中で、水を取るということ
保護指定後の具体的な論点の一つが、支流からの取水である。
ヴョサ川の支流シュシツァ川では、地方への水供給に関わる施設計画について、IUCNが2024年に生態系への影響を評価した。水道を整えることは人々の暮らしに必要だ。その一方で、国立公園内の川から水を取れば、流量や生息環境に影響する可能性がある。IUCN
IUCNが示す判断の順序は、まず影響を避けられる方法を探し、それができない場合に影響を減らし、傷んだ場所の回復を考えるというものだ。2025年には、保護区域外の代替水源を検討する重要性も示した。IUCN
これは、川の水を一滴も使ってはいけないという話ではない。必要な水を得る方法を比べるとき、川に残すべき水と、その水が支える生態系を判断に含めるということだ。
蛇口まで届く水には、取水した場所がある。その場所が国立公園の川なら、供給の便益と川への影響を、ともに見なければならない。
名前を守るだけでは、川は守れない
水だけでなく、河床の砂利や周辺の土地も利用の対象になる。
砂利を採れば、川底や中州の形が変わりうる。廃棄物や排水が流れ込めば、水質に影響する。ヴョサ川の保全に取り組む団体Riverwatchなどは、2025年に、採掘、取水、廃棄物、観光開発を国立公園に残る圧力として報告した。これらは同団体の現地調査に基づく指摘であり、影響の程度は場所や活動ごとに確かめる必要がある。riverwatch.eu
IUCNも同年、正式な保護指定だけでは十分ではなく、実効的な管理と開発計画への慎重な判断が必要だと述べている。川と支流のつながりを保つことが、国立公園を運営するうえでの焦点になっている。IUCN
守ると決めた川について、水質を測る。取水量を把握する。採掘や施設計画が流れに何を変えるか調べる。地域の人々と利用の方法を決める。
そうした地道な仕事があって初めて、地図上の保護区域は、実際に川を守る仕組みになる。
山から海までを、ひとつの川として見る
ヴョサ川はギリシャに源を発し、アルバニアを流れて海に注ぐ。国境は、川の途中にある。
アルバニア側で流れを守っても、上流や支流、河口とのつながりを切り離して考えることはできない。水が運ばれる経路を守るには、国立公園の境界だけでなく、流域全体を見る視点が必要になる。
2025年には、ヴョサ川の谷がUNESCOの生物圏保存地域に指定された。これは2023年の野生河川国立公園とは別の枠組みで、川の自然と、流域で続く暮らしの両方を視野に入れている。Man and the Biosphere Programme (MAB)
川を川のまま残すとは、昔の風景を一枚の写真のように固定することではない。
水が増えれば広がり、石を運び、岸を変える。その変化を受け止める余地を残しながら、人が川とどう暮らすかを考え続けることだ。
ヴョサ川が問いかけるのは、川をどれだけ利用できるかだけではない。川が自ら流れをつくる力を、未来へどれだけ残せるかである。

