——スズキ、地域の商店、デジタル決済から考える、暮らしに届く価値のつくり方
良い商品をつくった。
魅力を伝える広告もつくった。
それでも、売れない。
そんなとき、私たちは商品の特徴や、広告の表現を見直そうとする。
しかし、顧客の前にあるのは、魅力が伝わらないという問題だけだろうか。
欲しいけれど、買いに行けない。
購入できても、維持できるか不安。
使ってみたいけれど、支払い方がわからない。
「買いたい」と「買える」の間には、いくつもの段差がある。
インドのマーケティング事例を日本と重ねると、その段差を埋める仕事の重要性が見えてくる。
1.「インド人は安さを求める」だけでは、市場は見えない
インド市場を語るとき、「価格に敏感」という説明がよく使われる。
けれど、それだけで理解しようとすると、顧客の生活を見落としてしまう。
同じ価格でも、近所で買える商品と、遠くまで出かけなければ買えない商品では、負担が違う。購入後に修理を頼めるかどうかでも、選ぶ理由は変わる。
さらに、インドをひとつの市場として扱うことにも限界がある。
日用品大手のヒンドゥスタン・ユニリーバ〈HUL〉は、地域ごとの違いを踏まえる「Winning in Many Indias」という戦略を展開している。2024–25年度の報告では、従来の16の地域クラスターを基礎に、さらに多様な需要へ対応する方針を示している。Hindustan Unilever Limited (HUL)
「多くのインドで勝つ」という発想は、国全体の平均だけで顧客を捉えない姿勢とも読める。
これは、日本にも必要な視点だ。
都心で一人暮らしをする人と、地方で家族の送迎を担う人。同じ年齢、同じ所得であっても、必要な価値は一致しない。
国民性を探す前に、その人が、どんな条件のなかで暮らしているのかを見る必要がある。
2.スズキが示す、「買った後」まで含めた商品価値
日本とインドをつなぐ企業として、スズキは興味深い存在だ。
スズキはインドでの事業について、現地生産や調達に加え、農村部まで広がる販売・サービス網を強みとして挙げている。また、手頃で使いやすい小型車を提供することを、自社のものづくりの考え方と結びつけている。Global Suzuki
ここから、マーケティング上の意味を考えてみたい。
自動車は、購入した瞬間に価値が完結する商品ではない。
日々使い続け、点検し、必要があれば修理する。そのため、顧客が判断するのは車両価格や装備だけではない。
「自分の暮らしのなかで、使い続けられるだろうか」
この問いに応える仕組みも、商品価値の一部になる。
販売店や整備の拠点は、企業から見れば流通やアフターサービスだ。しかし、顧客から見れば、購入を決めるための安心である。
商品を届ける仕組みと、使い続ける仕組み。その両方が、選ばれる理由になる。
日本でも同じだろう。
高機能な機器であっても、設定が難しければ使われない。便利なサービスでも、困ったときの相談先が見つからなければ、契約をためらう。
商品の外側に見えるものが、実は商品の評価を支えている。
3.地域の売り手を育てることが、顧客との接点になる
インドの農村部への販売を考えるうえで、HULの「Project Shakti」も示唆に富む。
2001年に始まったこの取り組みでは、農村部の女性に販売や事業運営の研修を提供し、小規模な起業を支援してきた。同時に、企業にとっては農村地域へ商品を届ける販売網を広げる仕組みとなっている。hul.co.in
ここには、マーケティングを広告だけで考えていては見えにくい構造がある。
広告は、商品を知ってもらう接点になる。
地域の売り手は、商品について聞き、確かめ、購入する接点になる。
この事例からは、地域に根を持つ売り手の存在が、商品への理解や安心を支える可能性も読み取れる。
日本で考えるなら、地域の電器店や、顔の見える専門店に通じる部分がある。
「この商品の性能が良い」という信頼に、「この人に相談できる」という信頼が重なる。
ブランドへの信頼と、売り手への信頼は、互いを支える関係にある。
販路とは、商品が移動する経路であると同時に、顧客との関係が生まれる場所でもある。
4.デジタルは、地域の商店と組み合わせることもできる
インドの事例を、昔ながらの対面販売だけで理解するのも十分ではない。
HULは「キラナ」と呼ばれる地域の小売店に向けて、発注や価格確認などを行えるアプリ「Shikhar」を提供している。地域商店や流通業者を含めて、販売の仕組みをデジタル化する取り組みだ。Hindustan Unilever Limited (HUL)
ここで注目したいのは、人と技術の組み合わせ方である。
地域の店が持つ顧客との関係を活かしながら、仕入れや情報確認の手間を減らす。
人が担う部分を見極め、その活動を技術で支えるという考え方だ。
決済にも、購入を支える仕組みがある。インドのUPIは、NPCIが開発した即時決済システムで、銀行口座間の送金を可能にする。UPIを利用するアプリのひとつであるBHIMでは、携帯電話番号やUPI IDなどを使った支払いができる。NPCI
マーケティングの視点で捉えるなら、決済は「購入の最後に置かれた事務手続き」ではない。
顧客が行動を完了するための、大切な接点だ。
広告で関心を持ってもらっても、支払いの途中で迷えば、購入は止まる。だからこそ、伝え方と同じように、買い方も設計する必要がある。
5.日本とインドを、「品質か価格か」で分けない
ここまで見てくると、「日本は品質、インドは価格」という分け方では、多くのことが説明できないとわかる。
スズキの事例は、日本企業にも、手頃さと使いやすさを追求する思想があることを示している。HULの事例は、インドで販売する際にも、価格だけでなく、地域ごとの需要や販売接点の設計が重視されていることを示している。
比較すべきなのは、国民性の優劣ではなく、顧客の前にある障壁と、その解き方だ。
| 顧客の問い | マーケティングで考えること |
|---|---|
| 欲しいと思えるか | 商品の便益、表現、ブランドの意味 |
| 無理なく買えるか | 価格、支払い方法、購入までの負担 |
| 自分にも使えるか | 操作、説明、導入時の支援 |
| 使い続けられるか | 維持費、修理、相談先 |
| 安心して選べるか | 品質の根拠、売り手との関係 |
同じ商品でも、どの問いが購入を止めているのかによって、打つべき手は変わる。
魅力が伝わっていないなら、表現を見直す。
使い方が不安なら、説明や体験を整える。
購入後が心配なら、サポートを設計する。
価格を下げる前にできることも、広告を増やす前にすべきこともある。
6.PSELで読む、「暮らしに届く」マーケティング
NEOTERRAINの4つの視点で、この比較を整理してみたい。
P|Product:使い続けられるところまで考える
商品の性能に加え、購入費用、維持費、操作、修理までを見渡す。
顧客が手にするのは製品だが、求めているのは、それによって実現する生活である。
S|Story:生活がどう変わるかを伝える
技術や歴史は、その商品の大切な背景になる。
そこからさらに、「自分の毎日に、どんな変化が起きるのか」へつなげることで、顧客が選ぶ理由になる。
E|Energy:届ける人の活動を支える
販売する人、説明する人、修理する人。
価値を届け続けるには、関わる人々が活動を続けられる仕組みが必要だ。販路の持続性も、マーケティングの課題に含まれる。
L|Land:土地によって、便利さの意味は変わる
近所に店があるか。移動に何を使うか。誰に相談できるか。
土地の条件が変われば、商品の使われ方も変わる。市場を理解するには、生活が営まれる場所まで見る必要がある。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
良いものをつくることと、その価値が暮らしに届くことの間には、距離がある。
その距離は、広告の言葉だけでは埋まらない。
近くで買えること。
支払いやすいこと。
困ったときに相談できること。
明日も、無理なく使い続けられること。
インドの事例を日本と重ねると、マーケティングの仕事が、商品と生活をつなぐ細かな設計の積み重ねであることが見えてくる。
私たちが伝えたい価値は、顧客の日常のどこで止まっているのだろう。
「買いたい」を「買える」へ。そして、「使い続けられる」へ。
その道筋をつくるところに、次の市場を開く手がかりがある。
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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