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『陸王』を10回観ても飽きない理由——一人のランナーから始まる顧客起点マーケティング

工房でランニングシューズを仕上げる職人と、外を走る一人のランナーを描いた水墨画風イラスト。「その一足は、一人の足から生まれた。」の文字入り

日曜劇場『陸王』を、たぶん10回は観ている。

展開を知っている。誰が苦境に立ち、誰が手を差し伸べるかも覚えている。それでも茂木裕人が走り出すと、こちらの呼吸まで少し変わる。あのドラマには、勝負の行方とは別に、ものをつくる人間と、それを使う人間が少しずつ近づいていく面白さがある。

埼玉県行田市の老舗足袋メーカー、こはぜ屋。四代目社長の宮沢紘一(役所広司)は、足袋の需要が先細るなか、新たな事業としてランニングシューズ「陸王」の開発に踏み出す。そこに現れるのが、故障を抱え、再起を目指す実業団ランナーの茂木裕人(竹内涼真)だ。

足袋屋がランニングシューズをつくる。その時点では、まだ「売れる話」ではない。宮沢たちにあるのは技術と意志であって、ランナーの足に本当に応えられるという証拠ではないのだから。

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「ランナー全般」より、目の前の一人の足

新規事業の会議では、ターゲットを決め、ペルソナを描く。年代、年収、運動習慣、購買動機。対象を見定めるために、どれも役に立つ。

しかし、紙の上で「故障に悩むランナー」と書くだけでは、茂木がシューズを履いたときの感触までは分からない。走ることを諦めたくない焦りも、ようやく得た手応えが崩れる怖さも、平均値には残らない。

宮沢が向き合うのは、抽象的な市場ではなく、茂木という一人の人間だ。陸王を履いてみた茂木は、その感覚に驚く。けれど、履いてくれたから完成ではない。走ればソールの不安定さも見えてくる。作り手にとって耳の痛い事実が、次に直すべき場所を教える。

私はここに、顧客起点という言葉の実感があると思う。顧客の言うことを何でも聞く、という意味ではない。相手が達成したいことと、使う現場で起きていることを見続ける。売り手の思い込みよりも、走っている足から返ってくる答えを優先する。

茂木は「ロイヤルカスタマー」だったのか

茂木をロイヤルカスタマーと呼びたくなる。ただ、最初から陸王の熱心な愛用者だったわけではない。むしろ製品の可能性と欠点を、同時に見せる厳しい使用者だった。

ここは分けて考えたい。ロイヤルカスタマーとは、単に褒めてくれる人ではない。何度も使い、違いに気づき、必要なときには離れる選択肢も持つ人だ。その人がなお選ぶ理由を理解できれば、商品の価値は少し具体的になる。

もちろん、一人の声だけで市場全体を決めつけるのは危うい。競技者が求める性能と、一般のランナーが求める履き心地は同じとは限らない。それでも、最初の一人を深く理解することには意味がある。広く薄いアンケートでは見落としがちな、使用場面、ためらい、改良の順番が見えてくるからだ。

「たくさんの顧客を見なくていい」というより、「最初からたくさんの顧客像に逃げない」。『陸王』から私が受け取るのは、その姿勢である。

足袋の技術だけでは、シューズは走らない

このドラマが面白いのは、顧客を理解すれば万事解決、という物語にしていないところだ。

こはぜ屋には足袋づくりの技術がある。それでも、ランニングシューズには新しい素材や製造の課題がある。シルクレイをめぐる協力、資金繰り、製造機の故障、供給を続けられるかという問題。良い試作品ができたとしても、事業が続かなければランナーに届け続けられない。

製品の価値は、足に触れる一瞬だけで決まるわけではない。必要な日に手に入り、同じ品質で走れることまで含めて価値になる。宮沢が背負っているのは、茂木の走りと、こはぜ屋で働く人たちの暮らし、その両方だ。

だから資金調達の場面にも、単なる経営ドラマ以上の緊張がある。目の前の顧客に応えたいという気持ちだけでは、設備は動かない。けれど、数字だけを追えば、なぜこの靴をつくるのかが消えてしまう。両方を持ったまま判断することの苦しさが、宮沢の表情に出る。

エンターテインメントとして、なぜ胸を打つのか

『陸王』は、商品開発を会議室の説明で終わらせない。完成度は走りのなかで試される。相手に選んでもらえるかどうかが、企業の計画ではなく、ランナー自身の決断として描かれる。

視聴者は、宮沢たちが費やした時間を知っている。同時に、茂木が自分の競技人生を賭けていることも知っている。だから彼が靴を選ぶ場面には、売り手の努力が報われるかどうか以上の重みがある。選ぶ権利は最後まで、履く人の側にあるのだ。

つくる人の手と、走る人の足。その距離が縮まり、また離れる。仕事の話なのに、どこか人間関係のドラマとして観てしまう理由はそこにあると思う。

私たちの仕事に引き寄せてみる

映像や記事の制作でも、似たことが起きる。企画書には「ターゲット」を書ける。しかし実際に誰が、どんな状況でそれを見るのか。何を理解したいのか。見終わったあと、何が変わるのか。そこまで見なければ、整った表現はできても、相手の生活には届かない。

一人を見つめることは、視野を狭めることではない。その人が置かれた現場を丁寧にたどることで、まだ名前のついていない課題に出会える。そこから他の人にも通じる価値が見つかるかどうかを、次に確かめていけばいい。

こはぜ屋が売ろうとしたのは、足袋屋の新商品だった。茂木が必要としていたのは、もう一度、自分の足で走れるという手応えだった。その二つが重なる場所を探し続けることに、新規事業の難しさも、顧客起点マーケティングの面白さもある。

何度観ても、あの靴に目がいく。画面のなかでは、靴だけが走っているわけではない。つくる人の未来と、履く人の未来が、しばらく同じ方向へ走っている。


作品情報・参照資料

※マーケティング上の解釈と筆者の感想は、作品の事実関係と区別して記した。

NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。

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