「マーケティングとは何か?」
この問いに、一言で答えるのは難しい。顧客を理解すること。価値をつくること。新しい市場を開くこと。認知から購入までを設計すること。どれも間違いではないが、一つだけを選ぶと、仕事の大切な部分がこぼれ落ちる。
私が考えたいのは、その次の問いだ。
マーケティングで見つけた課題や価値を、どうすれば人に届く表現へ変えられるのか。
商品が売れないとき、ビジネスの現場では「もっと認知を広げよう」「顧客の不安を解消しよう」「商品の強みを伝えよう」といった方針が立てられる。しかし、その言葉をそのまま映像や広告、記事にしても、人の心はなかなか動かない。方針と表現のあいだには、もう一つ考えるべき工程がある。
私は、最後のアウトプットから仕事を始めた
私の出発点は映像制作だった。市場を分析し、事業や商品について考え、訴求の方向を決めたあとに、最後のアウトプットを形にする。仕事の流れを上から下へ並べれば、制作は下流に置かれやすい。
そこで求められるのは、決まった方針を限られた時間と予算のなかで実現することだ。けれども制作を続けるほど、疑問が増えていった。
「この商品の良さは、そもそも誰にとっての良さなのか」
「買わない人は、何を理由に立ち止まっているのか」
「この表現を見たあと、相手にどうなってほしいのか」
答えが曖昧なままでは、表現を磨いても届かない。私は映像の側から、顧客や市場を考える側へ、少しずつ思考の範囲を広げていった。知識を学び、企画に使い、代理店やクライアントとの場で自分の考えを言葉にする。その過程は簡単ではなかった。制作の立場から戦略に踏み込むことに、ためらいもあった。
それでも、最後に人が触れる表現をつくる以上、その手前にある判断を理解しなければならない。逆に、表現の現場を知っているからこそ、抽象的な方針のどこがまだ曖昧なのかにも気づける。
「顧客の不安を解消する」だけでは、まだ制作できない
たとえば、ある保険商品の課題を「加入への不安を減らす」と定めたとする。方向としては正しいかもしれない。しかし、それだけでは何を描けばよいか決まらない。
顧客が不安に思っているのは、保険料だろうか。保障の対象だろうか。以前に加入を断られた経験だろうか。申込みの手間だろうか。
不安の正体が違えば、伝えるべき事実も、登場人物も、最初のひと言も変わる。
仮に「過去に断られた経験があり、自分には申し込む資格がないと思っている」という人を想定するなら、冒頭で商品の特徴を列挙するより、その人が抱えている思い込みを言葉にしたほうが、話の入口をつくれる。ただし、実際に申し込めるかどうかは商品の条件による。表現で期待をつくる前に、事実を確認しなければならない。
ここで起きているのは、単なる言い換えではない。「不安を解消する」という方針を、「誰が、どんな場面で、何を不安に思っているか」まで掘り下げる作業だ。そこまで見えて、ようやくクリエイティブの選択が始まる。
戦略と表現のあいだにある、四つの問い
売るための表現を考えるとき、私は次の順番で問いを置きたい。
1.誰の、どの瞬間に届けるのか
「30代の女性」「中小企業の経営者」といった属性だけでは、相手の気持ちは見えない。仕事帰りにスマートフォンで情報を探しているのか。家族との会話のあとで決断を迷っているのか。同じ人でも、置かれた場面によって必要な言葉は変わる。
2.その人は、なぜ今のままでいるのか
知らないから買わないとは限らない。すでに知っていても、比較が面倒、失敗が怖い、今すぐ必要だと思えない、といった理由で動かないことがある。売れない理由を「認知不足」だけに決めつけると、伝える量を増やしても課題が残る。
3.商品は、その人の何を変えるのか
機能や性能は大切だ。ただ、顧客が想像したいのは、それによって自分の生活や仕事がどう変わるかでもある。通販なら商品の仕様を見せるだけでなく、「これまで手間だったことが、使うとどうなるか」を具体的に見せる。変化が見えれば、商品の情報にも意味が生まれる。
4.見終えたあと、何をしてほしいのか
すぐに買ってほしいのか。比較表を確認してほしいのか。家族に相談してほしいのか。次の行動によって、必要な情報の深さも、表現の終わり方も違う。一つのコンテンツですべてを完結させようとすると、肝心の一歩がぼやけてしまう。
この四つを考えると、上流で決めた方針が、登場人物、場面、言葉、構成へとつながっていく。
「センス」は、何を見せるかを選ぶ力
マーケティングをクリエイティブに落とし込む力には、確かにセンスと呼びたくなる部分がある。
ただ、それは思いつきで印象的なコピーを生み出す才能だけではない。顧客の言葉にならない迷いを捉え、その人が自分のことだと感じる場面を選び、伝える事実に優先順位をつける力だと思う。
たとえば通販映像で、商品の機能を十個紹介できるとしても、最初に必要なのは十個の説明とは限らない。視聴者が「あの面倒が減るのか」と理解する一場面のほうが、入口になることがある。その場面を選ぶには、商品の知識に加えて、顧客の生活を想像する力が要る。
一方で、表現だけで売上の問題を解決できるとは限らない。価格が合っていない、購入できる場所が少ない、商品の約束そのものが顧客の求めるものとずれている場合もある。だからクリエイティブの仕事には、与えられた方針を形にするだけでなく、必要に応じて「何が購入を妨げているのか」と問い返す姿勢も含まれる。
企画の前に、一枚のメモを書いてみる
売ることに悩んだら、いきなり広告のアイデアを出す前に、次の四行を書いてみてほしい。
誰が:どんな場面にいる人か。
止まる理由:何が分からず、何をためらっているか。
伝える変化:商品によって何がどう変わるか。
次の一歩:見たあとに何をしてほしいか。
たとえば「忙しくて調理器具を買い替えられない人」では、まだ広い。「平日の夕食後、片付けに時間を取られ、子どもと過ごす時間が足りないと感じている人」まで具体化すると、見せる場面が変わるかもしれない。商品が実際に片付けの時間を減らせるなら、その変化を確かめられる形で伝えればよい。
もちろん、この四行は仮説だ。顧客の声や行動、商品の事実と照らし合わせて直していく必要がある。それでも、抽象的な「強みを伝える」から一歩進み、何をつくるべきかを話し合えるようになる。
最後に人が触れるものから、上流を考える
マーケティングは、上流にいる人だけの仕事ではない。顧客の課題を見つけ、価値を考え、それを相手に届く形にして、結果から学ぶ。そのどこか一つが欠ければ、思考は途中で止まる。
私は最後のアウトプットから始めた。だからこそ、きれいな方針が、そのまま人の行動につながるわけではないことを知った。
顧客を理解する。動けない理由を見つける。伝えるべき変化を選ぶ。そして、人が自分のこととして受け取れる場面にする。
マーケティングをクリエイティブに変えるとは、この一連の判断をつなぐことなのだと思う。

