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香川用水の地政学|水は誰のものか——吉野川を分け合う四国の合意

雨が降る四国の山々から川が平野へ流れる絵画調のイラスト。「水は、県境を越えて届く。」の文字が重なる
雨が降る四国の山々から川が平野へ流れる絵画調のイラスト

香川県の田園風景を歩くと、ため池がいくつも現れる。水面は静かだ。しかし、この風景の背後には、県境を越える大きな水の流れがある。

香川用水。吉野川の水を讃岐山脈の向こう側へ運び、農業、家庭、産業を支える広域インフラだ。前編では、香川を「海を越え、水を引く県」と捉えた。今回はその「水を引く」という行為を掘り下げたい。

川の水は、地図に線を引けば動くわけではない。上流で水をためる地域、川が流れる地域、水を受け取る地域。それぞれの事情を調整して初めて、一滴の水が県境を越える。香川用水は土木事業であると同時に、四国の地域間で築かれた合意の形でもある。

■ 雨が少ないから、ため池が必要だった

香川県は南に讃岐山脈、北に瀬戸内海を抱える。川は山から海へ短い距離を流れ、県内で大量の水を長期間蓄えることは難しい。雨が少ない一方で、平野では稲作を続けてきた。必要な時に必要な水が降るとは限らない。この時間差を埋めるために、ため池が築かれた。

香川県によると、県内のため池は12,187か所。香川用水が通る以前、農業用水の70%をため池に頼っていた。通水後、その依存度は52%へ下がったが、ため池が不要になったわけではない。県内に水を蓄える仕組みと、県外から水を運ぶ仕組みが重なって、讃岐平野を支えている。

つまり香川用水の歴史は、「足りない水を一本の水路で解決した」という単純な話ではない。昔からある分散型の貯水網に、広域の導水網を加えた歴史なのである。

■ 水源は高知、取水は徳島、利用は香川

香川用水の経路をたどると、四国の地理が立ち上がる。高知県に位置する早明浦ダムで新たに確保した水を、徳島県の池田ダム付近から取水する。そして讃岐山脈を貫く約8キロの導水トンネルを通し、香川県三豊市へ運ぶ。そこから水路は県内の東西へ伸びる。

香川県の説明では、早明浦ダムによって新たに開発された年間8億6,300万立方メートルのうち、年間2億4,700万立方メートルが香川用水として計画された。用途は農業用水だけではない。水道用水、工業用水も含まれる。

ここに香川用水の地政学がある。水源を持つ県、川の中流で取水施設を受け入れる県、分水を受ける県が異なる。さらに吉野川の水は四国のほかの地域でも使われる。香川だけの合理性で水の配分を決めることはできない。

県境は行政上の線だが、川はその線に従って流れない。水を分け合うには、取水量だけでなく、治水、発電、農業、都市の需要を一つの流域で考える必要がある。吉野川総合開発が「四国は一つ」という考えのもとで進められた理由は、そこにある。

■ 水路は、産業の選択肢を広げた

水が安定して使えることは、暮らしを便利にするだけではない。作付けを考える農家にも、立地を検討する工場にも、都市を運営する自治体にも、先の見通しを与える。

農業では、雨任せの度合いを減らし、ため池を補完できる。都市では、人口や事業活動を支える水道水源を確保できる。工業では、生産に必要な水の供給が立地条件になる。水の確保は、土地の使い方や投資の判断に関わる基盤なのだ。

ただし、用水が通ったことと、水不足の心配が消えたことは同じではない。香川用水は吉野川水系の貯水と降雨に支えられている。県内で晴れていても、上流の雨が少なければ影響を受ける。遠くの水源へ接続することで供給力は増す一方、その水源の状態を県境の向こうまで見なければならなくなった。

企業の立地を考える際も、「水道がある」という表示だけでは十分ではない。その水がどの流域から来て、渇水時にどのような調整が行われるのか。供給の経路まで理解して初めて、地域の事業継続力を評価できる。

■ 2026年の渇水が示した、合意の現在形

香川用水は、過去に完成した施設としてだけ語れない。2026年8月、吉野川の第三次取水制限に伴い、池田ダム地点からの香川用水の取水量は計画値の50%になった。水資源機構は、三豊市の香川用水調整池・宝山湖から水道用水を補給する措置を発表した。

同年9月には、早明浦ダムの利水貯水率がゼロになった後、発電専用容量から香川用水へ水道用水を緊急補給することも、関係機関の協議で決まった。ここで見えるのは、設備の大きさだけではない。用途の異なる水をどう融通し、誰の生活をどう守るかを話し合う仕組みである。

渇水時には、上流にも下流にも事情がある。「香川が必要だから引く」「ダムがあるから使える」では済まない。水の利用は、平時の計画と非常時の調整によって成り立つ。香川用水が四国4県の「友情の水」と呼ばれるのは、きれいな標語だからではない。利害の違う地域が、供給を続けるために協議してきた事実を表している。

■ 「水を持つ地域」と「水を使う地域」を分けない

水を受け取る側から見れば、用水は安定供給のインフラだ。水源側から見れば、ダムや流域の環境、治水、地域の暮らしと切り離せない。二つの視点はどちらも必要である。

これは香川だけの問題ではない。都市が使う水も、工場が使う水も、多くの場合、需要地の外にある山や川に支えられている。蛇口や工場の配管から上流へ地図を逆にたどると、普段は見えない地域間の関係が現れる。

経済圏は、人と物の移動だけで決まるのではない。水をどこから得るかによっても形づくられる。水源地域との関係、複数の貯水手段、渇水時の合意形成まで含めて、その土地の競争力であり、備えでもある。

香川用水は、讃岐山脈にトンネルを通した技術の物語である。同時に、地形と県境を越えて、限られた水を分け合う政治と経済の物語でもある。香川のため池に映る空を見ながら、はるか上流の雨を思い浮かべる。そこから、この県の地政学はもう一段深く見えてくる。

参考資料
香川県「香川用水の概要」 https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/yousui/yousui_gaiyou.html
香川県「香川用水計画について」 https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/shiryoukan/about.html
香川県「ため池のデータ」 https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/about_tameike/deta.html
水資源機構「香川用水調整池(宝山湖)からの取水について」 https://www.water.go.jp/yoshino/kagawa/pdf/news/2026/20260818_kisha.pdf
香川県「早明浦ダム発電専用容量からの緊急補給についての知事コメント」 https://www.pref.kagawa.lg.jp/kocho/chijipage/chijicomment/2026/20260904mizu.html

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