イラン北西部、トルコとの国境に近い乾燥地帯に、ウルミア湖という巨大な塩湖がある。
かつては中東最大級の湖面を持ち、青く広がる水辺にはアルテミアと呼ばれる小さな甲殻類が生息し、それを求めてフラミンゴなどの渡り鳥が飛来していた。
しかし現在、かつて水に覆われていた湖底の多くは、白い塩の大地へ変わっている。
湖の水は、なぜ消えたのか。
干ばつや気温上昇だけでは説明できない。湖へ流れ込むはずだった水が、その途中で農地や都市へ振り分けられてきたからである。
ウルミア湖の縮小は、自然環境の変化というより、限られた水を社会がどのように配分してきたのかを映す風景でもある。
海へ流れない水がつくった塩湖
ウルミア湖は、海へつながる出口を持たない「内陸湖」である。
周囲の山々に降った雨や雪は、河川を通って湖へ流れ込む。しかし湖から外へ流れ出す川はなく、水は主に蒸発によって失われていく。
水だけが空へ戻り、河川が運んできた塩分や鉱物は湖に残る。その長い積み重ねによって、ウルミア湖は海水よりも塩分濃度の高い塩湖となった。
湖は、流域の最も低い場所にある。
言い換えれば、湖面に現れる変化は、湖だけで起きているのではない。山の積雪、河川の流れ、ダムの運用、地下水の汲み上げ、農地の拡大など、流域全体で行われた選択の結果が、最後に湖へ集まってくる。
湖は、流域社会の水利用を映す鏡なのである。
湖面の大部分が失われた
ウルミア湖の水位低下は、1990年代以降、急速に進んだ。
NASAと米国地質調査所の衛星観測を用いた分析では、1970年代から湖面積が大幅に縮小し、2006年から2015年の間だけでも、その規模の約88%が失われたと推定されている。NASAの衛星観測
2018年から2019年にかけての大雨などによって、一時的に湖面が回復した時期もあった。しかし、その回復は安定したものではなかった。
2023年秋には湖の大部分が再び干上がり、広大な塩の平原へ変化したことが衛星画像から確認されている。NASA Earth Observatory
湖は単純に消え続けているわけではない。
雨の多い年には広がり、乾燥した年には縮小する。その激しい変動の下に、湖へ届く水そのものが減少したという構造的な問題が存在している。
水は農地の途中で使われている
ウルミア湖流域は、イラン有数の農業地域でもある。
小麦やテンサイ、リンゴ、ブドウなどが栽培され、農業は地域の雇用と生活を支えてきた。人口の増加や食料需要の拡大に伴い、灌漑農地も広がった。
農業そのものが問題なのではない。
問題は、乾燥した地域で利用できる水の量を超えて、農業用水への依存が大きくなったことである。
河川には多数のダムが建設され、湖へ向かう水が貯水や灌漑へ振り分けられた。さらに、地下水の汲み上げも進み、流域全体の水循環が変化した。
2020年に発表された研究では、ウルミア湖の水量減少について、地表水の過剰利用による流入量の減少が大きな割合を占め、貯水池の建設や湖面への降水量変化も影響したと推定されている。Scientific Reports
湖へ注ぐ河川の上流で水を使えば、その分だけ湖へ届く水は少なくなる。
一つひとつの農地から見れば、必要な水を確保しているにすぎない。しかし流域全体で同じ選択が積み重なると、最下流にある湖は水を失っていく。
気候変動だけが原因ではない
ウルミア湖の縮小は、しばしば気候変動の象徴として語られる。
確かに、気温上昇は湖面からの蒸発を増やす。干ばつや降水量の変動、積雪量の減少、雪解け時期の変化も、湖へ流れ込む水量に影響する。
近年の研究では、雪が少なくなるだけでなく、雪解けの時期が早まることで、農業が多くの水を必要とする春から夏にかけて河川流量が不足しやすくなる可能性も指摘されている。Scientific Reports
しかし、気候だけに原因を求めると、社会が変えられる部分が見えなくなる。
雨を降らせることはできない。気温をすぐに下げることも難しい。
一方で、どの作物を育てるのか、どれだけの農地に水を配るのか、灌漑方法をどう改善するのか、湖に最低限どれだけの水を残すのかは、人間が選択できる。
ウルミア湖の危機とは、気候変動と水利用が重なった結果である。そして気候が厳しくなるほど、これまでの水利用の仕組みが持つ弱さが表面化する。
水が消えた後に、塩が残る
湖の縮小によって現れるのは、乾いた土地だけではない。
湖底には大量の塩が残される。
乾燥した塩湖底に強い風が吹けば、塩分を含む微粒子が周辺へ運ばれる可能性がある。塩分を含んだ砂塵は農地や植生に影響し、住民の生活環境や健康に対する新たな不安にもつながる。
湖を失うことは、水辺の景観を失うことだけではない。
アルテミアを基盤とする生態系が変化し、渡り鳥の中継地が縮小する。観光や地域文化も衰え、農業を守るために使った水が、長期的には農地を塩害の危険へ近づけるという逆説も生まれる。
湖の衰退による影響は、湖岸で止まらない。
食料、雇用、公衆衛生、生物多様性、地域経済へと広がっていく。
湖の再生は、農村の暮らしと切り離せない
イラン政府は2010年代から、ウルミア湖の再生事業を本格化させた。
河川から湖への水供給、灌漑効率の改善、農業用水の削減、住民参加型の環境保全など、複数の対策が進められている。
日本政府も2014年以降、国連開発計画を通じて再生事業を支援してきた。持続可能な農業の導入や地域住民の参加、女性の代替生計づくりなど、単なる湖への導水にとどまらない取り組みである。UNDP Iran
重要なのは、「農業用水を減らせばよい」と簡単に結論づけないことである。
水を減らすだけでは、農家の収入や地域の雇用が失われる。生活が成り立たなければ、環境政策への協力も続かない。
節水によって生まれた水が本当に湖へ届く仕組みをつくり、水を多く必要としない作物への転換を支え、農業以外の収入源も育てる必要がある。
湖を再生するとは、水を戻すことだけではない。
流域に暮らす人々の産業と生活を、水の限界に合わせて再設計することである。
湖は、水の使い方を記録している
ウルミア湖には、雨の多い年に水が戻ることがある。
その光景は、湖がまだ完全に失われたわけではないことを示している。しかし一時的な降雨だけでは、長期的な再生を保証できない。
上流で使われる水の量が変わらなければ、次の干ばつによって湖は再び縮小する。
湖を守るために必要なのは、湖岸だけを見ることではない。
山に積もる雪から河川、ダム、農地、地下水、都市、そして湖までを、一つの水循環として捉える視点である。
かつて水面だった場所に広がる白い塩の大地は、自然が突然つくり出したものではない。
そこには、食料を増やし、農地を広げ、生活を豊かにしようとしてきた人間の選択が積み重なっている。
ウルミア湖が問いかけているのは、湖を救うか、農業を守るかという二者択一ではない。
限られた水の中で、湖と農業と暮らしをどのように共存させるのか。
その答えを見つけられるかどうかが、乾燥する世界で生きる地域社会の未来を左右している。

