池の水面は、静かに見える。
水草が揺れ、トンボが飛び、カエルの声が聞こえ、小さな魚が影のように泳ぐ。
子どものころ、用水路やため池でザリガニを見つけたり、川辺でカメを見たりした記憶がある人も多いかもしれない。
その風景は、どこか懐かしい。
けれど、私たちが「昔からそこにいた」と思っている生き物の中には、もともとその場所にいなかった外来種もいる。
アメリカザリガニ。
アカミミガメ。
ブラックバス。
ブルーギル。
ウシガエル。
セイタカアワダチソウ。
オオキンケイギク。
ナガエツルノゲイトウ。
外来種は、ただ珍しい生き物のことではない。
人間の活動によって、本来の生息地ではない場所へ持ち込まれた生き物である。
すべての外来種が悪いわけではない。
野菜や果物、家畜、園芸植物の中にも、海外から持ち込まれたものは多い。
しかし、その中には、地域の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすものがある。
環境省は、外来種の中でも地域の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすおそれのあるものを「侵略的外来種」と説明している。(環境省)
外来種の問題は、遠い自然保護区だけの話ではない。
池。
川。
田んぼ。
水路。
ため池。
公園。
学校のビオトープ。
住宅地のそばの小さな水辺。
身近な場所で、静かに進んでいる自然環境問題である。
外来種とは何か
外来種とは、人間の活動によって、本来はその地域にいなかった場所へ持ち込まれた生き物のことである。
船や飛行機、貨物、土、植物、ペット、釣り、観賞用、農業利用。
さまざまな経路で生き物は移動する。
意図的に持ち込まれる場合もある。
知らないうちに紛れ込む場合もある。
観賞用として輸入された。
食用や養殖のために導入された。
釣りの対象として放された。
ペットとして飼われていたものが逃げた。
飼えなくなって野外に放された。
輸入品や船のバラスト水に混じって入ってきた。
生き物は、自分の力だけで国境を越えるわけではない。
多くの場合、その移動の背後には人間の経済や暮らしがある。
外来種の問題とは、生き物そのものの問題であると同時に、人間が生き物をどう扱ってきたかという問題でもある。
なぜ外来種が問題になるのか
外来種が新しい場所に入ると、必ず問題を起こすわけではない。
環境に合わず、定着できない場合もある。
人間の管理下で利用され、自然環境に影響を与えない場合もある。
しかし、ある外来種がその土地に定着し、増えすぎると、地域の生態系に大きな影響を与えることがある。
在来種を食べる。
在来種のすみかを奪う。
餌を奪う。
交雑する。
病気や寄生虫を持ち込む。
水草を食べ尽くす。
水質を変える。
農業や漁業に被害を与える。
外来種は、単に「よそから来た生き物」ではない。
その土地で長い時間をかけて成り立ってきた生き物同士の関係を、急に変えてしまう存在になることがある。
生態系は、目に見える生き物だけでできているわけではない。
魚がいる。
水草がある。
昆虫がいる。
カエルがいる。
鳥が来る。
微生物が水を分解する。
落ち葉がたまる。
泥の中に貝やイトミミズがいる。
その関係の中に、強い外来種が入ると、バランスが崩れることがある。
一種類の生き物が増えることで、別の生き物が消えていく。
それが、外来種問題の怖さである。
アメリカザリガニは、なぜ問題なのか
アメリカザリガニは、多くの人にとって身近な生き物である。
子どものころ、用水路や田んぼのそばで捕まえた記憶がある人もいるだろう。
赤い体。
大きなハサミ。
水辺の遊びの象徴のような存在。
しかし、アメリカザリガニは日本にもともといた生き物ではない。
水草を切る。
水生昆虫や小さな生き物を食べる。
泥を巻き上げる。
水辺の環境を変える。
在来の生き物に影響を与える。
アメリカザリガニが増えすぎると、水草が減り、水辺の生き物のすみかが失われることがある。
水草は、ただの草ではない。
魚の産卵場所。
ヤゴや水生昆虫の隠れ場所。
メダカや小魚の避難場所。
水をきれいにする働き。
水辺の小さな生態系の土台。
その水草が失われると、池や田んぼの風景は変わる。
水は濁りやすくなり、生き物の種類も減っていく。
アメリカザリガニは、懐かしい生き物であると同時に、水辺の生態系を大きく変えてしまう外来種でもある。
アカミミガメという身近な外来種
アカミミガメもまた、非常に身近な外来種である。
子ガメのころは「ミドリガメ」と呼ばれ、ペットとして広く流通してきた。
小さく、かわいらしく、飼いやすそうに見える。
しかし、成長すると大きくなる。
長く生きる。
世話が難しくなる。
飼いきれなくなる人もいる。
そして、野外に放される。
一度池や川に放されたアカミミガメは、在来のカメや水辺の生き物に影響を与える可能性がある。
日光浴の場所を奪う。
餌を競合する。
水草や小動物を食べる。
在来種の生息環境を変える。
問題は、アカミミガメそのものが悪意を持っているわけではないということだ。
人間が連れてきた。
人間が売った。
人間が飼った。
人間が放した。
その結果、地域の水辺に定着してしまった。
外来種問題は、生き物への責任の問題でもある。
「逃がしてあげる」は優しさなのか
外来種の問題で、もっとも難しいのは人間の感情である。
飼えなくなった。
かわいそうだから逃がす。
自然の中で生きてほしい。
池に放せば自由になれる。
そう考える人もいるかもしれない。
しかし、野外に放すことは、その生き物にとっても、地域の自然にとっても、必ずしも優しさではない。
環境省は、アカミミガメとアメリカザリガニについて、一般家庭等で飼うこと自体は許可なしで可能とする一方、野外への放出、販売・頒布・購入などは規制対象としている。これらは2023年6月1日から条件付特定外来生物に指定されている。(環境省)
つまり、飼えなくなったからといって、池や川へ放してはいけない。
一度野外に放された生き物は、そこで繁殖するかもしれない。
在来種を食べるかもしれない。
水辺の環境を変えるかもしれない。
捕まえることが難しくなるかもしれない。
その一匹が、地域の生態系を変える始まりになることもある。
逃がすことは、命を助ける行為に見える。
しかし、生態系全体で見ると、別の命を追い詰める行為になる可能性がある。
優しさは、時に自然を傷つける。
池と川は、閉じた場所ではない
外来種を放す場所として、池や川が選ばれることがある。
水がある。
生きていけそう。
自然に見える。
誰かが世話をしなくてもよさそう。
しかし、池や川は閉じた場所ではない。
雨が降れば水があふれる。
水路とつながる。
川へ流れる。
下流へ移動する。
卵や小さな個体が運ばれる。
人が別の場所へ持ち出すこともある。
一つの池に放したつもりでも、その影響は周辺へ広がることがある。
水辺は、つながっている。
田んぼ。
水路。
ため池。
川。
湿地。
湖。
海。
これまでNEOTERRAIN Journalで見てきた水辺の問題と同じように、外来種の問題も流域の問題である。
ひとつの水辺で起きたことは、別の水辺へ移動する。
だから、外来種対策は一か所だけでは終わらない。
上流、下流、農地、住宅地、公園、学校、行政区域を越えて考える必要がある。
在来種はなぜ弱いのか
外来種が強く、在来種が弱いという単純な話ではない。
在来種は、その土地の環境に長い時間をかけて適応してきた。
しかし、急に入ってきた外来種に対して、防御の仕組みを持っていない場合がある。
食べられた経験がない。
競争相手として想定されていない。
病気への抵抗力がない。
繁殖場所を奪われる。
餌を奪われる。
さらに、在来種が暮らす環境そのものも弱っている。
水路のコンクリート化。
田んぼの減少。
ため池の管理不足。
川の直線化。
湿地の消失。
水質悪化。
農薬や生活排水。
気候変動。
都市化。
在来種は、外来種だけに追い詰められているわけではない。
すでに弱った環境に、外来種という新しい圧力が加わる。
その結果、在来種はさらに暮らしにくくなる。
外来種問題は、外来種を取り除けば終わる問題ではない。
在来種が生きられる環境を取り戻すことも必要である。
外来種は、人間社会の鏡である
外来種は、勝手に国境を越えてきたわけではない。
多くの場合、人間が移動させた。
ペット産業。
園芸。
釣り。
食用。
養殖。
輸送。
貿易。
観光。
都市開発。
生き物の移動は、人間社会の移動と重なっている。
経済が広がる。
物流が速くなる。
遠い国の生き物が身近になる。
飼う。
売る。
飾る。
食べる。
逃がす。
捨てる。
外来種問題は、自然の問題であると同時に、消費の問題でもある。
私たちは、生き物を商品として扱ってきた。
かわいいから買う。
珍しいから育てる。
便利だから使う。
増えすぎたら困る。
飼えなくなったら手放す。
その結果、地域の自然が変わっていく。
外来種は、人間の欲望と無責任が、水辺や森に残した影でもある。
外来植物が景色を変える
外来種は動物だけではない。
植物もまた、地域の景色を変える。
河川敷に広がる外来植物。
道路沿いに咲く黄色い花。
水辺を覆う水草。
空き地に増える草。
農地や湿地に入り込む植物。
植物は動かないように見える。
しかし、種子は風で飛び、水で流れ、土に混じり、人の靴や車に付着し、どんどん広がる。
一度広がると、在来植物の生える場所を奪うことがある。
水辺を覆い、水流を変えることもある。
農業や河川管理に影響することもある。
外来植物は、風景を少しずつ変える。
最初は美しい花として見える。
緑が増えたように見える。
しかし、その下で在来植物が消えていることがある。
美しい花が、地域の生態系を静かに変えているかもしれない。
自然環境問題は、必ずしも汚れた風景として現れるわけではない。
きれいに見える風景の中でも、異変は進む。
駆除すれば終わるのか
外来種対策というと、駆除を思い浮かべる。
捕まえる。
抜き取る。
処分する。
個体数を減らす。
確かに、外来種が増えすぎた場所では、駆除が必要になることがある。
しかし、駆除だけでは問題は終わらない。
なぜそこに外来種が入ったのか。
なぜ増えたのか。
在来種が戻れる環境はあるのか。
再び持ち込まれる可能性はないのか。
地域の人が継続して関われるのか。
これらを考えなければ、同じことが繰り返される。
外来種対策には、予防が重要である。
入れない。
捨てない。
広げない。
飼ったら最後まで責任を持つ。
知らない生き物を持ち帰らない。
地域の自然に放さない。
水草や土を別の場所へ移動させない。
一度広がった外来種を完全になくすことは難しい。
だからこそ、最初に広げないことが大切である。
子どもの自然体験と外来種
外来種問題は、子どもの自然体験とも関わっている。
ザリガニ釣り。
カメを見つける。
魚を捕まえる。
水草をすくう。
学校のビオトープで生き物を観察する。
こうした体験は、自然への関心を育てる大切な入口である。
しかし、その生き物が外来種であることを知らないまま、持ち帰ったり、別の場所へ放したりすると、問題が広がることがある。
大切なのは、自然体験を否定することではない。
むしろ、自然体験の中で、生き物との関わり方を学ぶことが必要である。
捕まえた生き物をどうするのか。
持ち帰ってよいのか。
飼えるのか。
最後まで世話できるのか。
別の場所へ放してはいけない理由は何か。
その生き物は在来種なのか、外来種なのか。
自然を好きになることと、自然に責任を持つことは、同時に学ばなければならない。
外来種問題は、教育の問題でもある。
在来種を守るとは、関係を守ること
在来種を守るというと、特定の珍しい生き物を守ることのように聞こえるかもしれない。
しかし、本当に守るべきものは、生き物同士の関係である。
メダカがいる。
水草がある。
ヤゴがいる。
カエルがいる。
ヘビがいる。
サギが来る。
田んぼがある。
水路がある。
季節の水の流れがある。
その関係全体が、地域の生態系である。
在来種は、単独で存在しているのではない。
水、土、植物、虫、鳥、人の暮らしとつながっている。
外来種が入ることで、その関係が変わる。
だから、在来種を守るとは、ただ一種類の生き物を守ることではない。
水辺の環境を守ること。
田んぼや水路のつながりを守ること。
ため池を管理すること。
川の自然を取り戻すこと。
地域の人が生き物を見続けること。
関係を守ることが、在来種を守ることにつながる。
外来種を憎むだけでは足りない
外来種問題を考えるとき、注意しなければならないことがある。
外来種そのものを悪者にしすぎないことだ。
アメリカザリガニも、アカミミガメも、ウシガエルも、自分の意志で日本に来たわけではない。
人間が持ち込み、人間が広げた。
外来種は、その場所では問題を起こすかもしれない。
しかし、その生き物自体が悪いわけではない。
問題は、人間がその生き物を移動させたこと。
管理できないまま広げたこと。
飼えなくなって放したこと。
自然のつながりを軽く見たこと。
だから、外来種対策は、憎しみではなく責任から始めるべきである。
どの生き物をどこでどう扱うのか。
飼うなら最後まで飼う。
買う前に調べる。
野外に放さない。
地域の自然を観察する。
在来種が生きられる場所を守る。
外来種を憎むだけでは、問題の根は見えない。
外来種問題の根は、人間社会の中にある。
身近な水辺から始める
外来種問題は大きなテーマである。
しかし、入口は身近な場所にある。
近所の池。
公園の水辺。
田んぼの水路。
学校のビオトープ。
川沿いの草地。
ため池。
そこにどんな生き物がいるのかを見る。
昔からいる生き物なのか。
外来種なのか。
どのくらい増えているのか。
在来種は残っているのか。
水草はあるのか。
水は濁っているのか。
誰が管理しているのか。
知ることが、最初の一歩である。
外来種問題は、専門家だけで解決できるものではない。
地域の人が気づき、行政が動き、学校が学び、研究者が調べ、管理者が継続する。
その積み重ねが必要である。
生態系は、日常の中にある。
だからこそ、日常の目で見続ける必要がある。
池と川から何が消えているのか
外来種が増えるとき、そこでは何かが消えている。
メダカ。
ドジョウ。
水草。
トンボの幼虫。
小さな貝。
カエルの卵。
在来の魚。
地域に昔からいた生き物。
消えたものは、目立たない。
大きな動物がいなくなるわけではない。
ニュースになるほど劇的ではない。
池は池のままに見える。
川は川のまま流れている。
しかし、生き物の顔ぶれは変わっている。
外来種問題の怖さは、風景が残っているのに、中身が変わってしまうことにある。
池はある。
水もある。
緑もある。
けれど、そこにいたはずの生き物がいない。
自然環境問題は、消えたものに気づく力を必要とする。
外来種は、境界線を越えた生き物である
外来種は、境界線を越えた生き物である。
国境。
地域の境界。
水辺の境界。
飼育と野外の境界。
人間の暮らしと自然の境界。
その境界を越えさせたのは、多くの場合、人間である。
だから、外来種問題は、人間が境界線をどう扱うかという問題でもある。
飼うことと、放すことの境界。
楽しむことと、壊すことの境界。
利用することと、管理することの境界。
自然を好きになることと、自然に責任を持つことの境界。
池や川に放された一匹の生き物は、その境界線の曖昧さを映している。
外来種は、自然の外から来た問題ではない。
人間社会の内側から、水辺へ出ていった問題である。
水辺の記憶を守るために
池や川には、地域の記憶がある。
子どもが遊んだ水路。
田んぼの横の小さな溝。
夏の夜のカエルの声。
トンボが飛ぶため池。
メダカが泳ぐ小川。
湧水のそばの湿地。
そうした風景は、ただ懐かしいだけではない。
そこには、その土地の生物多様性がある。
水の流れがある。
人と自然の距離感がある。
外来種が増え、在来種が消えていくと、その記憶も変わっていく。
未来の子どもたちは、何を「昔からいる生き物」だと思うのだろうか。
私たちが外来種だと知っている生き物も、次の世代には当たり前の風景になってしまうかもしれない。
それは、自然の記憶が書き換わるということである。
だからこそ、今いる生き物を記録し、守り、伝える必要がある。
池と川から在来種が消える日。
それは、単に生き物の種類が減る日ではない。
地域の水辺の記憶が、静かに失われていく日でもある。
引用・参考
環境省「侵略的な外来種」
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/invasive.html
環境省「日本の外来種対策|外来生物法」
https://www.env.go.jp/nature/intro/
環境省「アカミミガメ・アメリカザリガニの規制内容と手続き」
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/regulation/kisei.html
環境省「条件付特定外来生物アカミミガメ・アメリカザリガニの規制について」
https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/regulation/jokentsuki.html
国立環境研究所「侵入生物データベース」
https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/
外来種の問題は、珍しい生き物の話ではありません。
池、川、田んぼ、水路、ため池、公園など、私たちの身近な水辺で進む自然環境問題です。
これからも、美しい風景の裏側にある自然環境の変化を掘り下げていきます。
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