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森林は多いのに、山が弱っている─日本の森の静かな危機

日本の山あいに広がる森林と、下草の少ない人工林の内側を写した風景

日本は、森の国である。

山へ向かえば、斜面には木々が広がり、谷には水が流れ、季節ごとに緑の色が変わる。
春には新芽がひらき、夏には濃い緑が山を覆い、秋には紅葉が谷を染め、冬には裸木の枝が空を受け止める。

地図で見ても、車窓から眺めても、日本には森が多い。

だから、こう思ってしまう。

日本の山は豊かなのだ、と。
日本の森は守られているのだ、と。

けれど、森が多いことと、森が健全であることは同じではない。

林野庁によると、日本の森林面積は令和4年3月末時点で約2,502万ヘクタール、国土面積の約3分の2を占めている。さらに、その森林のうち約4割が人工林である。(りんや)

つまり日本は、たしかに森が多い。

しかし、その森の中には、人が植え、人が育て、人が手を入れることを前提にした山が多く含まれている。

スギ。
ヒノキ。
カラマツ。
戦後の復興期や高度経済成長期に植えられた木々。

それらは、いつか建材として使われることを前提に植えられた。
人が入り、間伐し、育て、伐り、また植える。

そうした循環の中で、山は成り立つはずだった。

しかし、社会は変わった。

木材価格の低迷。
林業の担い手不足。
山村の人口減少。
高齢化。
管理されない人工林。
増えすぎたシカによる食害。
豪雨災害の激甚化。

見た目には緑に覆われている山が、内側では少しずつ弱っている。

緑に見える山が、豊かな森とは限らない。

Contents

森は、木が生えていればよいのか

森というと、私たちは木の本数や緑の面積を思い浮かべる。

たくさん木がある。
山が緑に覆われている。
だから自然が豊かだと感じる。

しかし、森の豊かさは、木の量だけでは決まらない。

光が入るか。
下草が育つか。
落ち葉が土をつくるか。
根が斜面を支えるか。
鳥や昆虫、菌類、哺乳類が暮らせるか。
水がゆっくりとしみ込み、谷へ流れていくか。

森は、木だけでできているのではない。

土がある。
水がある。
菌がいる。
虫がいる。
鳥がいる。
獣がいる。
人の手がある。
時間がある。

林野庁は、森林には水源涵養、山地災害防止・土壌保全、快適環境形成、保健・レクリエーション、文化、生物多様性保全、地球環境保全、木材生産など、さまざまな機能があるとしている。(りんや)

森は、木材の倉庫ではない。

水を蓄える場所であり、土を守る場所であり、生き物のすみかであり、地域の暮らしを支える基盤である。

だからこそ、森が弱るということは、木が減ることだけを意味しない。

水の流れが変わる。
土が流れやすくなる。
生き物が減る。
獣が人里へ近づく。
山村の仕事が失われる。
災害への抵抗力が弱くなる。

森の問題は、山の中だけで完結しない。

川へ、海へ、集落へ、都市へとつながっていく。

人工林という“約束”

日本の山には、多くの人工林がある。

人工林は、自然ではないという意味ではない。
人が植えた森であり、人の暮らしと結びついてきた森である。

戦後、日本では住宅やインフラのために木材需要が高まり、多くの山にスギやヒノキが植えられた。

それは、未来への投資だった。

木を植える。
数十年育てる。
間伐する。
伐って使う。
また植える。

この循環が回れば、人工林は地域の産業となり、山村の仕事となり、建築の材料となり、炭素を蓄える資源にもなる。

しかし、その循環が崩れると、人工林は別の顔を見せる。

手入れされないまま木が密集する。
地面まで光が届かない。
下草が育たない。
根が浅くなる。
土がむき出しになる。
生き物の多様性が低くなる。

一見すると、山は緑に見える。

しかし森の中へ入ると、暗く、単調で、地面に草が少ない場所がある。

それは、木があるのに、森の機能が十分に働いていない状態かもしれない。

人工林は、人が植えた森である。
だからこそ、人が関わることを前提にしている。

放置された人工林は、人間と山との約束が途切れた姿でもある。

林業の担い手が減るということ

山を守るには、人が必要である。

木を伐る人。
道をつくる人。
間伐する人。
苗を植える人。
境界を確認する人。
獣害を見る人。
災害の前兆に気づく人。

林業は、木材を生産する仕事であると同時に、山を見続ける仕事でもある。

しかし、多くの地域で林業の担い手は減っている。

山村の人口が減る。
高齢化が進む。
山に入れる人が少なくなる。
所有者が遠くに住む。
相続によって山の境界や所有者がわかりにくくなる。

山に人の目が入らなくなると、変化に気づきにくくなる。

倒木。
崩れかけた作業道。
荒れた植林地。
シカの食害。
土砂の流出。
水の流れの変化。

山は、放っておけば勝手に健全になるとは限らない。

もちろん、すべての自然林に人が手を入れるべきだという話ではない。
原生的な森には、人が入らないことで保たれる価値もある。

しかし、人工林や里山のように、人の利用と管理の中で成り立ってきた森は、関わりが途切れることで弱っていく。

山を守るとは、単に木を植えることではない。

山を見続ける人を、地域に残すことでもある。

シカが森を変えている

日本の山を考える上で、シカの問題は避けて通れない。

ニホンジカは、かつては地域によって数が少なくなった時期もあった。
しかし近年、多くの地域で分布を広げ、農林業や生態系への影響が深刻になっている。

環境省は、ニホンジカやイノシシなどの野生鳥獣が全国的に分布を拡大し、希少な高山植物の食害などの生態系被害、生活環境被害、農林水産業被害が深刻化していると説明している。(環境省)

シカは草を食べる。
芽を食べる。
若木を食べる。
樹皮をはぐ。

その影響で、森の下層植生が失われることがある。

下草がなくなる。
若い木が育たない。
土が雨に直接打たれる。
表土が流れやすくなる。
昆虫や鳥のすみかが変わる。
森の更新が進みにくくなる。

森は、古い木が倒れ、若い木が育ち、世代交代していく。

しかし、シカが若木を食べ続けると、次の世代の森が育たない。

これは、いま立っている木だけを見ていては気づきにくい。

現在の森は緑に見える。
けれど、未来の森が育っていない。

シカの食害は、森の時間を止めてしまう問題でもある。

下草が消えると、山は弱くなる

森の中の下草は、地味な存在である。

木のように目立たない。
花のように注目されない。
木材のように売れるわけでもない。

しかし、下草は森の土を守っている。

雨が降る。
葉や草が雨粒の力を受け止める。
根が土をつかむ。
落ち葉が土の表面を覆う。
水がゆっくりしみ込む。

その働きによって、森は水を蓄え、土を流れにくくしている。

下草がなくなると、雨が直接地面を打つ。
土が流れる。
斜面が弱くなる。
谷に濁った水が流れ込む。
川の環境にも影響する。

森の豊かさは、上を見上げるだけではわからない。

足元を見る必要がある。

足元に草があるか。
落ち葉があるか。
小さな芽があるか。
虫がいるか。
土がふかふかしているか。

森の健康は、地面に現れる。

山が弱るとき、その最初のサインは、足元から始まっているのかもしれない。

山と水はつながっている

森は、水をつくる場所ではない。

けれど、森は水の流れ方を変える場所である。

雨を受け止める。
土にしみ込ませる。
ゆっくり谷へ流す。
地下水を育てる。
川の水量をならす。

林野庁は、森林の多面的機能の一つとして水源涵養機能を挙げている。森林は降水を樹冠や土壌で受け止め、洪水や渇水を緩和する働きなどがあると説明している。(りんや)

山の森が弱ると、水の出方が変わる。

強い雨が降ったときに、一気に水が流れる。
土砂が川へ流れ込む。
普段の水量が安定しにくくなる。
川の生き物にも影響する。
やがて海へも影響が及ぶ。

森と川と海はつながっている。

山の管理不足は、山だけの問題ではない。
川の濁り、ダムの堆砂、沿岸の栄養塩、藻場や漁場にも関わってくる。

森の問題は、海の問題でもある。

NEOTERRAIN Journalで見てきた、磯焼け、ブルーカーボン、海洋酸性化、サンゴ白化。
それらは一見、海の中の出来事である。

しかし、海へ流れ込む水は、山から来る。

山が弱ると、海も無関係ではいられない。

土砂災害と森

近年、豪雨による土砂災害が各地で問題になっている。

もちろん、土砂災害の原因を単純に「森が荒れているから」と言い切ることはできない。

雨の量。
地質。
地形。
過去の土地利用。
道路や林道。
開発。
崩れやすい斜面。
河川の状態。

さまざまな要因が重なる。

しかし、森が持つ土壌保全や山地災害防止の機能は、社会にとって重要である。

林野庁も、森林の機能として山地災害防止機能・土壌保全機能を挙げている。(りんや)

木の根が斜面を支える。
落ち葉や下草が土を守る。
土壌が水を受け止める。
谷の水の流れを緩やかにする。

そうした働きは、山の見えないインフラである。

コンクリートのダムや堤防だけが防災ではない。

森そのものも、防災の一部である。

だからこそ、森林管理は環境政策であると同時に、防災政策でもある。

“緑”に安心してはいけない

日本の山は、遠くから見ると緑である。

しかし、その緑の中身はさまざまだ。

手入れされた人工林。
放置された人工林。
自然林。
二次林。
竹林化した里山。
シカに食べ尽くされた林床。
伐採後に再造林されていない斜面。
太陽光発電施設へ変わった山林。
災害で崩れた谷。

同じ緑でも、その意味は違う。

緑があるから安心。
木があるから自然。
山が青いから豊か。

そう思ってしまうと、問題を見落とす。

大切なのは、緑の面積ではなく、森の中身を見ることである。

どんな木が生えているのか。
若い木は育っているのか。
下草はあるのか。
土は守られているのか。
水はどう流れているのか。
生き物は暮らしているのか。
人は山に関わっているのか。

森を見るとは、色を見ることではない。

関係を見ることである。

木を使うことは、森を守ることにもなる

森林問題というと、木を伐ることが悪いことのように語られることがある。

たしかに、無秩序な伐採や乱開発は森を傷つける。

しかし、適切に育て、適切に伐り、適切に使い、また植える循環は、人工林にとって重要である。

木を使わなければ、人工林の循環は止まる。

伐られない。
間伐されない。
山に人が入らない。
木材として使われない。
林業が続かない。
管理する人が減る。

もちろん、ただ伐ればよいわけではない。

伐った後に植える。
若い木を育てる。
土を壊さない。
水の流れを考える。
生物多様性に配慮する。
地域に利益が戻る仕組みをつくる。

木を使うことと、森を守ることは対立しない。

むしろ、人工林においては、木を使うことが森の管理につながる場合がある。

問題は、伐るか伐らないかという単純な話ではない。

どう伐るのか。
どう使うのか。
どう植えるのか。
誰が見続けるのか。

そこにこそ、森の未来がある。

里山の記憶が薄れていく

かつて、山は暮らしに近かった。

薪を拾う。
炭を焼く。
落ち葉を集める。
きのこを採る。
山菜を採る。
田畑へ水を引く。
祭りや信仰の場として山を見る。

山は、生活の一部だった。

しかし、暮らしが変わり、燃料が変わり、農業が変わり、山に入る機会は減った。

里山は、人と自然の間にある場所である。

完全な原生自然でもなく、完全な都市でもない。
人が関わることで、多様な環境が維持されてきた場所である。

その関わりが途切れると、里山は姿を変える。

竹が広がる。
藪になる。
獣が近づく。
道が消える。
水路が詰まる。
境界がわからなくなる。

里山の問題は、自然環境問題であると同時に、文化の問題でもある。

人が山をどう見てきたか。
山から何を受け取ってきたか。
山とどのように距離を保ってきたか。

その記憶が薄れると、山はただの背景になってしまう。

けれど山は、背景ではない。

暮らしを支える基盤である。

森林は、地域のインフラである

道路や橋、上下水道だけがインフラではない。

森もまた、地域のインフラである。

水を蓄える。
土を守る。
空気を冷やす。
生き物のすみかになる。
木材を生み出す。
人の休息の場になる。
災害をやわらげる。

ただし、森のインフラは見えにくい。

水道管のように図面に描かれない。
橋のように耐用年数が表示されない。
道路のように舗装のひび割れが目立たない。

だから、劣化していても気づきにくい。

森が弱る。
水が変わる。
土が流れる。
獣が出る。
川が濁る。
災害リスクが高まる。

その時になって初めて、森が地域の基盤だったことに気づく。

森林を守ることは、自然を守ることだけではない。

地域の水、防災、産業、文化、暮らしを守ることでもある。

森林は多いのに、なぜ不安なのか

日本には森が多い。

それは事実である。

しかし、その森の多くは、人が関わることで成り立ってきた森である。

人工林がある。
里山がある。
二次林がある。
水源林がある。
山村の暮らしがある。
林業がある。

森は、放置すれば必ず豊かになるわけではない。

特に、人がつくった森、人と自然の関係の中で維持されてきた森は、関わりが途切れることでバランスを崩す。

木はある。
でも、光が入らない。
緑はある。
でも、下草がない。
山はある。
でも、人が入らない。
森はある。
でも、未来の木が育っていない。

この矛盾が、日本の森林問題の核心にある。

森林は多い。
けれど、山が弱っている。

それは、見た目の緑と、森の中身がずれているということだ。

山をもう一度、暮らしの中に戻す

では、どうすればよいのか。

山を再び、暮らしの外側にある背景ではなく、暮らしの一部として見直すことが必要である。

地元の木を使う。
森林整備を支える。
山の水を意識する。
獣害を地域の問題として考える。
里山の活動に参加する。
木育や森林教育を進める。
行政、林業者、住民、企業、研究者がつながる。
森の価値を、木材価格だけで測らない。

森は、利益だけで維持できるものではない。

しかし、価値を言葉にしなければ、守る理由も共有されにくい。

水源としての価値。
防災としての価値。
生物多様性としての価値。
炭素を蓄える価値。
観光や教育としての価値。
地域の記憶としての価値。

それらを見える形にしていくことが、これからの森林管理には必要になる。

山は、遠くにある自然ではない。

蛇口の水にも、川の流れにも、海の濁りにも、災害のリスクにも、食卓にも、住まいにもつながっている。

緑に見える山の奥へ

日本の山は、今日も緑に見える。

けれど、その緑の奥には、静かな危機がある。

手入れされない人工林。
減っていく担い手。
増えすぎたシカ。
失われる下草。
弱る土。
変わる水。
薄れていく里山の記憶。

森林は多い。

しかし、森の中身を見なければ、山の本当の姿はわからない。

緑は、安心の色であると同時に、問題を隠す色でもある。

私たちは、山をただ眺めるだけではなく、山の内側で何が起きているのかを見つめなければならない。

森は、木だけではない。
森は、水であり、土であり、生き物であり、人の仕事であり、地域の記憶である。

森林は多いのに、山が弱っている。

その矛盾を見つめることから、日本の自然環境問題は少しずつ見えてくる。

引用・参考

林野庁「令和6年度 森林・林業白書 第1部 第1章 第1節 森林の適正な整備・保全の推進」
(りんや)

林野庁「森林の有する多面的機能について」
(りんや)

林野庁「森林の有する多面的機能」
(りんや)

環境省「令和8年版 環境・循環型社会・生物多様性白書」
(環境省)


日本の山は、遠くから見ると豊かな緑に包まれています。
けれど、その内側では、人工林の管理不足、担い手の減少、シカの食害、土や水の変化など、静かな自然環境問題が進んでいます。
これからも、美しい風景の裏側にある自然環境の変化を掘り下げていきます。
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