海岸に流れ着いたペットボトルを見たとき、私たちはつい「海の向こうから来たごみ」だと思ってしまう。
遠い国から流れてきたもの。海流に乗って運ばれてきたもの。誰か知らない人が、どこか遠くで捨てたもの。
もちろん、そうした漂着物もある。
けれど、富山湾の海ごみを見ていくと、その思い込みは少し揺らいでくる。
富山県によれば、県内のほぼ全域の海岸で漂着物が確認されており、その約8割は県内の川の流れを通じて流出し、漂着したものと考えられている。
つまり、海ごみは、海から来るとは限らない。
それは、私たちの暮らしのそばにある道端から、側溝から、川から、少しずつ海へ運ばれていくものでもある。
富山湾の海岸に打ち上げられたごみは、海の問題であると同時に、川の問題であり、まちの問題であり、暮らしの問題でもある。
美しい湾の前に立つとき、私たちは海だけを見ているようで、実は自分たちの生活圏そのものを見ているのかもしれない。
富山湾は、山と川と海が近い場所
富山湾の特徴は、山と海の距離が近いことにある。
立山連峰から流れ出る水は、川となって平野を抜け、やがて富山湾へ注ぐ。山、川、まち、海が、非常に短い距離の中でつながっている。
この地形は、富山湾の豊かさを支えてきた。
山からの栄養を含んだ水が海へ届き、湾内の生態系を育てる。川と海のつながりは、漁業や食文化、地域の暮らしにも深く関わっている。
けれど、その近さは同時に、ごみが海へ届きやすい構造でもある。
まちなかで落ちた小さなプラスチック片。風で飛ばされた袋。雨で側溝へ流れ込んだ容器。河川敷に残された生活ごみ。
それらは、雨が降るたびに水の流れに乗り、川を通じて海へ向かう。
山と海が近いということは、豊かさが近いということでもあり、責任も近いということでもある。
海ごみは、暮らしの下流にある
海洋ごみという言葉には、どこか大きな環境問題の響きがある。
世界の海に漂うプラスチック。ウミガメや海鳥への影響。マイクロプラスチック。国際的な海洋汚染。
それらは確かに重要な問題だ。
しかし、富山湾の海ごみは、もっと身近な場所から始まっている。
コンビニで買った飲み物の容器。テイクアウトの包装。壊れた発泡スチロール。農業や漁業、生活の中で出るさまざまなプラスチック製品。
一つひとつは小さくても、まちの中で管理されなかったごみは、雨や風によって移動し、川へ入り、最後に海岸へたどり着く。
海岸にあるごみは、誰かが海に捨てたものだけではない。
それは、暮らしの下流に現れた結果でもある。
だから、富山湾の漂着ごみを見つめることは、海を見つめることだけでは終わらない。
私たちの消費、移動、管理、無意識の行動を見つめ直すことにつながっていく。
美しい海岸は、清掃だけでは守れない
海岸に漂着したごみを拾うことは、とても大切だ。
実際、富山県では「とやま海ごみボランティア部」などを通じて、清掃活動や啓発活動が行われている。県は、海岸漂着物の現状や清掃美化活動、発生抑制に向けた取り組みを紹介し、参加を呼びかけている。
けれど、海岸清掃だけでは、問題は根本的には終わらない。
海岸にたどり着いたごみを拾い続けることは、すでに流れ着いた結果への対応である。
もちろん必要だ。目の前の海岸をきれいにすることは、景観を守り、生きものへの影響を減らし、地域の誇りを保つ行為でもある。
しかし、本当に海ごみを減らすには、海に出る前の段階で止める必要がある。
道で捨てられないこと。川に流れ込まないこと。流域全体でごみを減らすこと。家庭、学校、企業、行政が、海から離れた場所でも海の問題を自分ごととして考えること。
海岸を守るためには、海岸だけを見ていては足りない。
川の上流から、まちの排水路から、暮らしの現場から、海ごみは減らしていかなければならない。
富山湾が映す、流域という考え方
富山湾の海ごみ問題が示しているのは、「流域」という視点の大切さだ。
流域とは、雨が降った水が川に集まり、海へ流れていく範囲のことを指す。
海は、海だけで存在しているのではない。
そこには必ず、川がある。川の上にはまちがあり、田畑があり、山があり、人の暮らしがある。
富山湾に流れ着くごみの多くが県内の川を通じて来ているとすれば、海岸の問題は、流域全体の問題になる。
海の近くに住む人だけが関係者なのではない。
内陸に暮らす人も、川沿いに暮らす人も、山の近くで暮らす人も、富山湾とつながっている。
この視点は、相模湾や日本海側の他の地域にも通じる。
海岸侵食も、漂着ごみも、磯焼けも、海だけを切り取って見ていると本質が見えにくい。
山から川へ。川から海へ。海から暮らしへ。
その循環の中で、私たちの行動がどこに影響しているのかを見つめる必要がある。
「誰かのごみ」ではなく、「私たちのごみ」へ
海岸に漂着したごみを見たとき、人は無意識に距離を取ろうとする。
自分が捨てたものではない。誰か別の人が捨てたものだ。遠くから流れてきたものだ。
そう考えた方が、心は少し楽になる。
けれど、富山湾の事実は、その距離を縮めてくる。
海岸にあるごみの多くが、県内の川を通じて流れてきたものだとすれば、それは「どこか遠くの誰か」の問題ではない。
私たちの暮らしの延長線上にある問題だ。
もちろん、個人だけに責任を押しつける話ではない。
ごみを出しにくい仕組み、回収しやすい仕組み、再利用できる素材、地域で学ぶ機会、企業の設計、行政の対策。社会全体で変えていく必要がある。
ただ、その出発点には、「これは自分たちの問題かもしれない」と気づくことがある。
海ごみを、誰かのごみから、私たちのごみへ。
その意識の転換が、富山湾から始まっている。
美しい湾を守ることは、暮らしを編集し直すこと
富山湾は、美しい。
海の向こうに山並みが見える。深い湾があり、豊かな魚があり、季節ごとの食文化がある。海と山が近いからこそ生まれる風景がある。
その美しさは、観光資源であり、地域の誇りであり、日々の暮らしの背景でもある。
しかし、美しい湾を守るということは、海岸だけをきれいにすることではない。
それは、暮らしの中で何を選ぶかを見直すことでもある。
使い捨てを減らす。ごみを風で飛ばされないようにする。川や側溝に流れ込む前に拾う。地域の清掃活動に参加する。学校で学ぶ。企業が包装や素材を見直す。行政が流域全体で仕組みを整える。
一つひとつは小さな行動かもしれない。
けれど、海ごみは小さなごみの積み重ねで生まれる。
ならば、減らすこともまた、小さな行動の積み重ねから始まる。
富山湾の海岸に流れ着いたごみは、私たちに問いかけている。
海は、どこから始まっているのか。
それは、波打ち際からではない。
川から始まっている。まちから始まっている。暮らしから始まっている。
海ごみは、海から来るとは限らない。
だから、海を守る行動も、海辺だけで始まるわけではない。
今日の暮らしの中で、私たちはもう、富山湾とつながっている。
よかったら、この記事をブックマークしておいてください。
NEOTERRAIN Journalでは、これからも日本各地の海岸線や湾に起きている変化を、環境・暮らし・地域の視点から読み解いていきます。
参考資料・引用元
- 富山県「海岸漂着物ポータルサイト ~美しい海岸を守るために」
富山県内のほぼ全域の海岸で漂着物が確認されていること、その約8割が県内の川の流れを通じて流出・漂着したものと考えられていること、「とやま海ごみボランティア部」などの取り組みを参照。
https://www.pref.toyama.jp/1705/kurashi/kankyoushizen/kankyou/kj00014049.html - 富山県「世界で最も美しい富山湾! 海洋ごみ問題とプラスチックごみ問題」
富山県の海岸漂着ごみの約8割が県内河川を通じて海に流出したものと考えられている点、海洋ごみと暮らしの関係を参照。
https://www.pref.toyama.jp/documents/28615/a.pdf - 富山市「富山市の海洋ごみ対策」
富山湾の漂着ごみの約8割が陸域で発生し、河川などを通じて海に流出していること、市の啓発活動や対策の概要を参照。
https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/pr/mag/260205/pages/page_1.html

