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岐阜県の地政学──海のない日本の中央で、山・水・街道がつくった土地

飛騨の山々から濃尾平野へ流れる川と街道を描いた岐阜県の地政学イメージ
飛騨の山々から濃尾平野へ流れる川と街道を描いた岐阜県の地政学イメージ

岐阜県を地図で見ると、日本列島のほぼ中央に位置している。

海には面していない。北には飛騨山脈をはじめとする高い山々が連なり、南には木曽川、長良川、揖斐川が流れ、濃尾平野へと開いていく。

一見すると、山に囲まれた内陸県である。

しかし岐阜は、外から閉ざされた土地ではない。東西日本を結ぶ街道が通り、北陸と東海を結ぶ谷筋が走り、南部は名古屋という巨大都市圏と接続している。

つまり岐阜県は、海を持たない代わりに、山の間を抜ける「道」と、山から平野へ流れる「水」によって、日本の中央と結ばれてきた。

岐阜の地政学を読み解く鍵は、県境ではない。

山が土地を分け、水と街道が土地をつないできた構造にある。

Contents

岐阜県は、ひとつの土地ではない

岐阜県は大きく、北部の飛騨と南部の美濃に分けられる。

県の公式説明でも、飛騨には標高3000メートルを超える山々が連なり、美濃には木曽三川が流れる濃尾平野が広がるとされる。その地形は、古くから「飛山濃水」──飛騨の山、美濃の水──という言葉で表現されてきた。

参考:岐阜県「岐阜県の概要」

だが、この違いは単なる景観の違いではない。

飛騨では、集落が山と谷によって隔てられる。人や物の移動は峠や河川沿いの限られた経路に集まり、冬の雪は移動をさらに難しくする。そのため、高山を中心とする独自の生活圏と文化が形成された。

一方の美濃は、南へ行くほど濃尾平野に開かれていく。岐阜市、大垣市、各務原市、多治見市などは、それぞれ異なる河川、街道、産業圏と結びつきながら発展してきた。

同じ県内でも、飛騨から見た南は「山を越えた先」であり、美濃から見た南は「名古屋へ続く平野」である。

岐阜県は行政上ひとつでも、地理的には複数の世界を内包している。

山は県を守り、同時に県を分けた

岐阜県の県土の約8割は森林である。

山は豊かな木材、水、鉱物、食文化を育ててきた。飛騨の木工、美濃和紙、関の刃物、東濃の陶磁器といった産業も、単に職人の技術だけから生まれたのではない。森林、良質な水、土、燃料、河川交通、街道という土地の条件が、地域ごとのものづくりを支えてきた。

だが、山は資源であると同時に障壁でもある。

平地が少なく、集落と集落の間に峠がある土地では、道路や橋、トンネルの維持が生活そのものを左右する。岐阜県が管理する道路、橋梁、トンネルの量が全国でも上位にあるのは、広い県土だけが理由ではない。複雑な地形の中で暮らしと産業をつなぐため、それだけ多くのインフラを必要としてきたからである。

参考:岐阜県「岐阜県道路施設維持管理指針」

人口が減少する時代、山間地域の問題は「人が少ない」ということだけではない。

少ない人口で、多くの道路、橋、斜面、森林、水源を維持しなければならない。山の豊かさを守る費用と、山を越えて暮らしをつなぐ費用。その両方を背負うことが、岐阜県の大きな地政学的課題となる。

木曽三川は、恵みと脅威を同時に運んだ

美濃の地政学を語るうえで欠かせないのが、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川である。

山地に降った雨や雪は川となり、南部へ流れ、濃尾平野を潤してきた。水は農業を支え、和紙や繊維、食品、刃物などの生産にも深く関わってきた。

一方で、三つの大河川が接近する低地では、洪水との闘いが繰り返された。

集落を堤防で囲む「輪中」、母屋より高い場所につくられた「水屋」、避難に使う「上げ舟」。これらは、水害を避けるための設備であると同時に、地域で協力して生きるための社会構造でもあった。

参考:国土交通省「木曽三川について」木曽川上流河川事務所「輪中」

川は行政区分とは無関係に流れる。上流で降った雨は下流の暮らしを変え、ある地域の堤防は別の地域の水位に影響する。

だから治水は、ひとつの村だけでは完結しない。岐阜の水の歴史は、地域ごとの利害を調整し、流域全体で安全をつくる歴史でもある。

現代の岐阜においても、気候変動による豪雨の激甚化、河川施設の老朽化、山林管理の担い手不足は別々の問題ではない。山の保水力、斜面の状態、河川の流れ、都市の排水能力は、ひとつの流域としてつながっている。

岐阜県は「清流の国」であると同時に、これからも水との関係を更新し続けなければならない土地なのである。

関ケ原は、なぜ歴史の舞台になったのか

岐阜県西部の関ケ原は、1600年の天下分け目の戦いで知られている。

しかし、歴史的な決戦がこの土地で起きたのは偶然ではない。

関ケ原は、東の濃尾平野と西の近江盆地を結ぶ狭い通路に位置する。北と南を山地に挟まれながら、東海道側と畿内を結ぶ軍勢や物資が通過できる場所だった。

古代には不破関が置かれ、近世には中山道が通り、現代では鉄道、高速道路、幹線道路が東西を結んでいる。

時代が変わっても、地形がつくる通路の価値は大きく変わらない。

関ケ原が示しているのは、岐阜が日本の中央に「ある」ということではなく、東西を移動しようとする人々が岐阜を「通らざるを得なかった」という事実である。

交通の要衝は、人と物を集める。しかし同時に、戦争や災害、物流の寸断といったリスクも集める。

岐阜の中央性は、豊かさだけではなく、常に緊張を伴ってきた。

中山道は、山の町を点ではなく線にした

岐阜県東部には、中山道の宿場町が連なる。

美濃から木曽へ向かう街道沿いには、御嶽宿、細久手宿、大井宿、中津川宿、落合宿、馬籠宿などが置かれた。現在は観光地として見られることが多いが、本来の宿場町は、人、情報、荷物、文化を次の土地へ渡す中継拠点だった。

山間部では、広い面として都市をつくることが難しい。その代わり、街道沿いに拠点が点在し、それらが一本の線によって結ばれる。

この「点を線でつなぐ」構造は、現代にも残っている。

高速道路や鉄道の駅、インターチェンジ、物流拠点がどこに置かれるかによって、地域の人流と経済は大きく変わる。岐阜県では、山そのものよりも、山を抜けるルートを持つ地域が成長の機会を得やすい。

一方、主要ルートから外れた集落は、距離以上に遠くなる。

岐阜の地域格差を考えるとき、人口や所得だけを見るのでは足りない。どの道につながり、どの都市へ何分で到達できるのか。その「接続の地理」が、地域の未来を左右する。

南部は名古屋圏、北部は独自の重力を持つ

岐阜県南部は、県境を越えて名古屋圏と強く結びついている。

鉄道で岐阜駅から名古屋駅へ移動しやすく、通勤、通学、買い物、企業活動は愛知県との間を日常的に往来する。行政上は岐阜県でも、生活圏や経済圏では名古屋の影響を強く受ける地域が広い。

各務原周辺では航空宇宙産業や輸送機器関連のものづくりが集積し、東濃の陶磁器、西濃の物流、岐阜・西濃の繊維や機械産業も、中京圏の市場と産業ネットワークの中で発展してきた。

それに対して、飛騨地域は高山を中心に独自の重力を持つ。

南部から距離があるだけでなく、山によって移動経路が限定されるため、観光、木工、食文化、祭礼、町並みなど、地域内部で蓄積された文化の輪郭が濃く残った。白川郷や高山が世界的な観光地になった背景にも、単なる古さではなく、山地の中で固有の暮らしが守られてきた時間がある。

ただし、観光で知られることと、地域が持続することは同じではない。

観光客が訪れても、働く人、暮らす人、道路を守る人、森林を管理する人が減れば、土地の基盤は弱くなる。外から訪れる人口を増やすだけでなく、その土地を維持する関係人口や産業をどう育てるかが問われている。

岐阜の産業は、土地の制約を技術へ変えてきた

岐阜県には、ひとつの巨大産業が県全体を支配する構造はない。

関の刃物、美濃和紙、東濃の陶磁器、飛騨の木工、岐阜の繊維、各務原の航空宇宙産業など、それぞれの地域が異なるものづくりを育ててきた。

この多様性は、県内の地形が分かれていることと無関係ではない。

地域ごとに手に入る材料が違い、利用できる水が違い、接続する街道や市場が違う。土地の制約に合わせて技術が磨かれ、それが産地となった。

岐阜のものづくりの本質は、「自然が豊かだったから」だけではない。

海がない。平地が少ない。移動が難しい。洪水が多い。そうした不利を受け入れながら、土地にある資源を加工し、運びやすく、価値の高い製品へ変えてきたことにある。

刃物も、和紙も、陶磁器も、家具も、土地の重さを技術によって価値へ変換した産業だといえる。

リニアは、岐阜の「通過される力」を変えるのか

岐阜県はこれまで、東西交通の重要な通路でありながら、人や経済が県内にとどまらず通過してしまうという課題も抱えてきた。

中央新幹線の岐阜県駅が予定される中津川周辺では、東京・名古屋方面への時間距離が大きく変わる可能性がある。

参考:岐阜県「リニア中央新幹線について」岐阜県「リニア中央新幹線工事情報」

しかし、駅ができるだけで地域全体が豊かになるわけではない。

新しい高速交通は、地域を外の市場へ近づける一方、買い物、仕事、人材を大都市へ吸い出す力にもなる。重要なのは、駅と飛騨、東濃、中濃、西濃、岐阜地域をどう結び、県内を移動する理由をどうつくるかである。

岐阜が単なる通過点になるのか。それとも、日本の中央で異なる地域を結び直す拠点になるのか。

その違いを生むのは、速さそのものではなく、交通と地域産業、文化、暮らしを結びつける編集力である。

これからの岐阜県は、山と水を「県境の内側」だけで考えられない

岐阜県の未来を考えるとき、県内だけを見ていては解けない問題が増えている。

木曽三川の水は愛知県や三重県へ流れ、森林の管理は下流の水害や水資源に影響する。南部の雇用は名古屋圏と結びつき、東部の交通は長野県へ、北部の観光と物流は富山県や石川県へ伸びている。

県境は行政の線であって、水、交通、産業、文化の境界ではない。

これから必要なのは、すべてを岐阜県内で完結させる発想ではなく、流域、街道、産業圏ごとに周辺地域と役割を分かち合う視点だろう。

山間部の道路や森林を維持することは、そこに暮らす人だけのためではない。下流の都市の安全、水資源、観光、文化、脱炭素にもつながっている。

岐阜の山を「遠い地方の問題」として扱うのか。それとも、日本の中央部を支える社会資本として捉えるのか。

その認識の違いが、岐阜県の未来を左右する。

岐阜は、中心ではなく「結び目」である

岐阜県は、日本列島の中央に位置している。

しかし、その価値は地図上の中心点にあるのではない。

飛騨と美濃を分ける山。濃尾平野へ流れる木曽三川。東西を結ぶ関ケ原と中山道。名古屋圏へ開く南部。北陸へ向かう谷筋。そして、土地ごとに発達した異なるものづくり。

岐阜は、異なる地形、文化、経済圏が接する「結び目」である。

山は人を隔てたが、その間に道が生まれた。

川は暮らしを脅かしたが、水を分かち合う共同体を生んだ。

海はないが、東西南北へつながる通路がある。

岐阜県の地政学とは、不利な地形を克服してきた歴史ではない。

山、水、距離という制約を、道、技術、協力という価値へ変えてきた土地の物語なのである。


主な参考資料

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