——湖と暮らしのあいだに、もう一度、水の道をつくる
田んぼに、水が張られる。
人にとっては、米づくりが始まる季節。
魚にとっては、新しい命を育てる場所が開く季節でもある。
浅い水に光が入り、小さな生きものが育つ。その水の中を、まだ細い体の稚魚が泳ぐ。秋に稲穂が揺れる土地は、春から夏にかけて、魚のゆりかごにもなり得る。
福井県の三方五湖では、かつて湖と水路と田んぼがつながり、フナなどの魚が田んぼを繁殖の場所として利用していた。ところが、土地の整備が進むなかで、その行き来が難しくなった。env.go.jp
湖は残っている。
田んぼも残っている。
それでも、二つの場所のあいだにあった道が、途切れている。
三方五湖の自然環境問題を見つめると、自然の豊かさは、面積や見た目だけでは測れないことに気づく。
そこを、命が行き来できるかどうか。
静かな水面の下には、そんな問いがある。
五つの湖に、五つの水の個性がある
若狭町と美浜町にまたがる三方五湖。
三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖。山と海のあいだにある五つの湖は、それぞれ塩分濃度が異なる。淡水から海水へと変化する水の条件が、多様な魚の暮らす環境を生み出している。
固有の魚類を支える場所であり、産卵や稚魚の生育にも重要な湿地として、2005年にはラムサール条約湿地に登録された。福井県ホームページ
この土地の豊かさは、湖の中だけに収まっていない。
周辺には、田畑、梅林、里山林、土の水路、ヨシ原が組み合わさる風景がある。環境省は、そうした湖と周辺地域のつながりを評価し、「重要里地里山」に選定している。env.go.jp
梅を育てる斜面から、田んぼへ。
田んぼから、水路へ。
水路から、湖へ。
地図では別々の色に塗られる場所を、水はひと続きにしている。
その途中にある浅い水辺や草の際、小さな隙間も、生きものにとっては暮らしの一部だ。
人が眺める風景より、魚が使う風景は、ずっと細かい。
暮らしを守った整備が、魚の道を変えた
三方五湖周辺は、古くから水害に悩まされてきた土地でもある。
そのため、コンクリート護岸の整備や、土地改良による田面のかさ上げなどが進められた。人々の安全や農業を支えるために必要だった整備は、一方で、水辺の環境を変えていった。
環境省の白書は、湖と水田のつながりの減少を、フナなどの生息数が減った理由の一つとして挙げている。env.go.jp
水路と田んぼに高低差ができると、水が流れていても、魚は上れない。
人の目にはつながって見える水が、魚にとっては、途中で終わっている。福井県の稚魚育成マニュアルも、圃場整備によって水田と水路の落差が大きくなり、産卵のための遡上が難しくなったことを説明している。福井県
ここに、簡単には割り切れない事情がある。
水害から家を守ること。
米をつくりやすくすること。
魚が子を残せる場所を守ること。
どれも、この土地に必要なことだ。
過去の整備を責めるだけでは、次の風景は描けない。いまの暮らしを支えながら、失われた行き来をどう取り戻すか。その工夫が問われている。
魚のために、小さな道をつくる
田んぼと水路のあいだに、魚が通れる道を設ける。
「水田魚道」と呼ばれる取り組みは、言葉にすると素朴だ。けれど、その道がつなぐのは、水の高さだけではない。湖で生きる魚の一生と、米を育てる人の一年である。
若狭町の「かや田」では、2005年と2006年に水田魚道が設けられた。その後の調査では、7種365匹の魚が水路から田んぼへ上ったことが確認され、夏には田んぼで育つ未成魚の姿も見られた。若狭町
小さな道をつくることで、田んぼが持っていた、もう一つの役割が見えてくる。
稲を育てる水の中で、魚も育つ。
すべての田んぼで、同じ方法が使えるわけではない。水の管理や作業の都合もある。それでも、米づくりと生きものの暮らしを、同じ場所で考え直す余地はある。
三方五湖では、水田魚道に加え、湖で採卵したフナやコイを田んぼで育て、湖へ放す取り組みも行われている。env.go.jp
魚のための仕事に、農家が関わる。
田んぼの水が、漁業につながる。
自然再生は、離れてしまった生息地をつなぐとともに、別々に考えられがちな仕事のあいだにも、接点をつくっている。
湖岸の「隙間」に、暮らしが宿る
湖の岸辺には、水と陸が少しずつ入れ替わる場所がある。
浅いところ、深いところ。草が揺れる際。石の下。砂に潜れる場所。
人にとっては、小さな地形の違いかもしれない。けれど、生きものにとっては、身を隠す場所や、餌を探す場所の違いになる。
三方五湖の自然再生では、コンクリート護岸の前面などに石や砂を用い、生息場所を取り戻す取り組みが進められている。石積みは魚介類のすみかに、砂を使った浅場はシジミなどが暮らせる場所になる。治水と生物多様性の保全を両立させるための工夫だ。三方五湖自然再生協議会
大きな湖を守る仕事が、足元の小さな隙間をつくることから始まる。
その尺度が、心に残る。
遠くから見れば、わずかな岸辺の変化でも、そこに暮らせる生きものにとっては、世界の広さが変わる。
緑が増えることと、豊かになることは同じではない
水面を覆う、ヒシの葉。
緑が広がる湖を見て、自然が豊かになったと感じることがあるかもしれない。しかし、植物が増えることと、生態系全体の状態がよくなることは、必ずしも一致しない。
三方湖では、ヒシの過度な繁茂が、漁船の航行や魚の生息環境などに影響を与えてきた。
ただし、福井県のヒシ対策ガイドラインは、その負の面だけを見ていない。ヒシは、コンクリート護岸が進んだ湖で、水辺の植生が担っていた機能の一部を補っている面もあるとしている。
そのため、対策では、被害の軽減と植生の機能の維持を両立させ、作業の効果を観察しながら管理することが提案されている。福井県
多すぎるから、すべて取り除く。
緑だから、そのまま残す。
そのどちらかだけでは、湖の事情を受け止めきれない。
どこに残し、どこを刈るのか。
そのあと、水辺はどう変わったのか。
自然に関わる仕事には、答えを決める力とともに、答えを直していく力が要る。
魚が帰れる風景を、次の世代へ
2011年に設立された三方五湖自然再生協議会には、漁業者、農業者、地域住民、研究者、行政などが参加してきた。目指しているのは、生きもののにぎわいを取り戻しながら、地域の暮らしを持続させることだ。env.go.jp
その仕事は、湖の水面だけでは完結しない。
田んぼの水をいつ落とすか。
魚が通る道をどう保つか。
岸辺のどこに浅場をつくるか。
一つひとつは、小さな判断である。けれど、その積み重ねによって、次の春に魚がたどり着ける場所が変わる。
自然環境問題は、ときに遠くの大きな出来事として語られる。
三方五湖が教えてくれるのは、その問題が、日々の仕事の寸法にも宿るということだ。水路の高さ、岸辺の傾き、水を張る時期。人が決める細部が、ほかの命の行く先に触れている。
田んぼに水が張られるとき、そこに稲だけでなく、小さな魚も育っている。
そんな風景を、当たり前に見られる未来へ。
湖を守ることは、湖の外側にある暮らしと、もう一度つながることから始まっている。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
三方五湖について調べながら、何度も考えたのは、魚の目の高さから見た風景でした。
私たちは、湖が残っていれば、自然も残っていると思いがちです。けれど、魚にとっては、そこからどこへ行けるのかが大切なのかもしれません。生まれる場所へたどり着けるか。育ったあと、湖へ戻れるか。
地図に描かれた水のつながりと、命が通れるつながりには、違いがある。
そして、その道を取り戻そうとする人たちがいます。
田んぼで魚を育てる農家。湖の魚を知る漁師。岸辺を調べる研究者。その仕事を知ると、米と魚が同じ食卓に並ぶことにも、この土地ならではの奥行きが生まれます。
自然を守るという大きな言葉を、暮らしの中で扱える大きさにしていく。
三方五湖の水辺には、そのための具体的な仕事があります。NEOTERRAINは、その仕事と、そこから続いていく風景を見つめていきたいと思います。
本稿は、福井県・若狭町・環境省および三方五湖自然再生協議会の公開資料に基づくデスクリサーチ記事です。冒頭などの情景は土地の環境を伝えるための表現であり、現地取材の記録ではありません。

