朝、駅へ向かう。買い物に出かける。仕事を終えて家に帰る。
自転車は、その日常を支える道具だ。しかし、どれほど乗りやすい自転車を手にしても、道が怖ければ使いにくい。目的地に停める場所がなければ、出かけることをためらう。
商品としての完成度と、生活の中で使えること。そのあいだには、企業だけでは解決できない条件がある。
日本とオランダの自転車利用を手がかりにすると、マーケティングの視野を「商品を選んでもらうこと」から「使い続けられる条件をつくること」へ広げられる。
1.オランダの自転車文化を、「国民性」で片付けない
オランダ中央統計局によると、2023年の国内住民の移動のうち、自転車は27%を占めた。自転車は、日常の移動を担う交通手段の一つである。
ここで「オランダ人は環境意識が高いから」とだけ説明すると、行動を支えている仕組みを見落としてしまう。
オランダ政府は、自転車利用を促す施策として、地域の自転車ルート、駐輪施設、公共交通との接続などを挙げている。
走れる道がある。停める場所がある。鉄道と組み合わせられる。
こうした条件は、自転車を選ぶ際の負担を減らす。もちろん、地形、距離、天候、個人の事情も関わるため、利用率を一つの要因だけで説明することはできない。
それでもマーケティングの視点からは、重要な問いが生まれる。
顧客が動かない理由は、商品の魅力が足りないからなのか。それとも、使うための条件が整っていないからなのか。
2.鉄道会社が、自転車を提供する理由
オランダの鉄道会社NSは、「OV-fiets」というレンタサイクルサービスを提供している。駅に着いたあと、自転車で目的地へ移動するための仕組みだ。
このサービスをマーケティングの視点で見ると、鉄道会社の価値を「駅から駅までの輸送」の先へ広げるものと解釈できる。
利用者が行きたいのは、駅そのものとは限らない。職場、友人の家、施設、店など、その先に目的地がある。
電車に乗りたいという要望の奥には、「目的地まで移動したい」という目的がある。
鉄道と自転車をつなぐことは、その目的に近づくための選択肢を増やす。
これは、あらゆる利用者が手続きなしで使えるという意味ではない。利用条件はある。それでも、駅に到着したあとの移動をサービスの範囲に含めている点に、学びがある。
自社の商品を使う前後まで見ると、提供できる価値が変わる。
3.日本にも、自転車を生活に結びつける取り組みがある
一方、日本を「商品づくりだけに優れ、利用環境を考えていない国」と捉えるのも正確ではない。
国土交通省と警察庁は「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン」を策定し、歩行者と分離した自転車通行空間の整備や、自治体によるネットワーク計画の策定を進めている。
たとえば横浜市の自転車活用推進計画でも、安全で快適な通行環境と、適切に停められる駐輪環境を扱っている。
日本にも、商品、道路、駐輪、交通をつなぐ視点がある。
両国を比較して考えるべきなのは、優劣よりも、それぞれの場所で利用の障害が何になっているかだ。
日本には坂の多い街も、道路空間が限られる地域もある。オランダの仕組みをそのまま移すのではなく、その地域の生活に合わせて組み立てる必要がある。
4.商品を見る視点と、利用を見る視点
自転車という商品を中心に考える場合と、顧客の移動全体を中心に考える場合では、問いが変わる。
| 視点 | 商品を中心にした問い | 利用全体を中心にした問い |
|---|---|---|
| 品質 | 乗りやすく、壊れにくいか | 安全に目的地まで使えるか |
| 価格 | 車体価格に納得できるか | 保管や整備を含め、続けられる負担か |
| 販売 | どこで購入できるか | 必要な場所と時間に利用できるか |
| 利便性 | 操作は簡単か | 道、駐輪、他の交通との接続は分かりやすいか |
| 継続 | また選んでもらえるか | 日々の生活で使い続けられるか |
これは、日本とオランダを二分する表ではない。今回の比較から導いた、マーケティング上の二つの見方である。
品質や価格は欠かせない。そのうえで、顧客が商品を生活に取り込むまでの過程を見る。
販売時には魅力的だった商品が、購入後には使われなくなる。その理由は、商品の外側にあるかもしれない。
5.「使わない」という競合を、具体的に見る
自転車の競合は、別のメーカーの自転車だけではない。自動車、公共交通、徒歩、そして移動自体を取りやめることも、場面によっては選択肢になる。
広告で「健康によい」「環境にやさしい」と伝えても、利用者が「途中の道が不安だ」と感じていれば、その価値は行動に結びつきにくい。
説得が必要な場面と、負担を減らす必要がある場面を見分けたい。
この考え方は、他の商品やサービスにも当てはめられる。
料理キットなら、届いたあとに調理できる時間があるか。
学習サービスなら、受講する時間を生活のどこに置けるか。
観光施設なら、駅から現地まで移動できるか。
機器なら、設置や初期設定で止まっていないか。
これらは説明のための例だが、共通する問いがある。
「欲しい」と思った人が、どこで立ち止まっているのか。
その場所を見つけるためには、購入者の感想に加え、使うのをやめた人や、購入を見送った人の生活も知る必要がある。
6.PSELで見る——価値は、道具と生活のあいだに生まれる
P:Product|使う目的に応えられるか
車体や機能だけでなく、利用の目的を見る。
駅から職場へ行くのか。荷物を運ぶのか。休日に遠くへ出かけるのか。目的が変われば、必要な商品やサービスも変わる。
S:Story|どんな暮らしにつながるか
性能の説明に加え、使う場面を具体的に伝える。
ただし、広告で描く暮らしと、実際の使い勝手が離れていては信頼が続かない。物語を支える実態が必要だ。
E:Energy|続ける理由と負担を見る
移動の楽しさ、自分で動ける感覚、日々の習慣。その人が続けたいと思う理由を知る。
同時に、怖さ、手間、疲れなど、継続を妨げる条件も見る。意欲の問題に置き換えず、具体的な経験として捉える。
L:Land|その場所で使えるか
坂、道路幅、交通量、駅との距離、駐輪場所。
土地の条件は、商品が提供できる価値に影響する。地域が変われば、同じ商品でも使い勝手は変わる。
PSELで考えると、商品の価値は、完成した物の中だけで決まるものではなく、人と場所との関係の中で具体化すると分かる。
7.企業は、どこまで関われるのか
道路や都市の整備は、一企業だけで進められるものではない。行政、交通事業者、地域の人々などとの協力が必要になる。
だからこそ、自社で改善できることと、連携が必要なことを分けて考えたい。
利用方法を分かりやすくする。修理や相談の窓口を用意する。施設に駐輪場所を設ける。交通事業者と移動の案内をつなぐ。
すべてを一度に変える必要はない。顧客が困る接点を一つずつ改善することから始められる。
評価する指標も、購入数に加えて、利用開始、継続、問い合わせ、利用をやめた理由へ広げられる。
売れたあとに、どれだけ役に立っているか。その確認が、次の改善につながる。
8.よい道具が、日常の一部になるまで
よい自転車をつくることには、技術が必要だ。
その自転車で安心して出かけ、目的地に停め、また家へ帰れるようにすることには、別の設計が必要になる。
オランダの自転車利用と、日本の利用環境づくりを見比べると、商品を磨くことと、使える条件を整えることの両方が見えてくる。
買う理由をつくる。
使える接点を整える。
続けられる負担にする。
その積み重ねによって、商品は暮らしの中に居場所を持つ。
マーケティングの仕事は、よい道具が、誰かの日常の一部になるところまで続いている。
参考資料
- CBS:Hoeveel fietsen inwoners van Nederland?
https://www.cbs.nl/nl-nl/visualisaties/verkeer-en-vervoer/personen/fietsen - Government.nl:Ways of encouraging bicycle use
https://www.government.nl/themes/transport/bicycles/bicycle-policy-in-the-netherlands - NS:Hire an OV-fiets
https://www.ns.nl/en/products/door-to-door/ov-fiets - 国土交通省:自転車利用環境の整備
https://www.mlit.go.jp/road/road/bicycle/ - 横浜市:横浜市自転車活用推進計画
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/doro/jigyo_kikaku/jitensha/by-cycle-plan.html
※交通政策・サービスの事実をもとにしたマーケティング上の解釈は、本記事の考察です。
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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