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『ハケンアニメ!』に描かれた、才能を世の中へ届ける仕事——監督とプロデューサーの関係から考えるクリエイティブとマーケティング

制作スタジオで絵コンテを見つめる監督とプロデューサーたち。「才能を守るだけでは、作品は届かない。」という言葉を重ねた水墨画風のイラスト
制作スタジオで絵コンテを見つめる監督とプロデューサーたち

作品を作る人と、作品を売る人。

この二つを、私たちはつい別々の役割として考えてしまう。前者は純粋で、後者は現実的。前者が表現を守り、後者が数字を求める。だが、現場にいると、そんなに簡単には分けられない。

どれほど優れた映像も、完成しなければ届かない。完成しても、存在を知られなければ、誰かの人生に触れることはできない。一方で、届けやすさだけを優先して作品の核を失えば、そもそも届ける意味が薄れてしまう。

映画『ハケンアニメ!』が面白いのは、その矛盾を、二組の監督とプロデューサーの関係に置いているところだ。新人監督・斎藤瞳(吉岡里帆)とプロデューサー・行城理(柄本佑)。そして、天才監督・王子千晴(中村倫也)と、彼の才能を信じるプロデューサー・有科香屋子(尾野真千子)。映画の公式紹介も、監督とプロデューサーの「共犯関係」に焦点を当てている。(東映ビデオの作品紹介)

ここから先は、映画の筋書きの紹介ではなく、長く映像制作に関わってきた私の視点による読み解きである。

Contents

二組の関係が映し出す、異なるプロデュース

瞳は、自分の作りたいものが明確な監督だ。初めての監督作に込める思いは強い。しかし、テレビアニメは、彼女一人の頭の中で完結する作品ではない。制作の時間、スタッフの仕事、放送、宣伝、視聴者との出会いが、同時に進んでいく。

行城は、瞳の思いにそのまま同調する存在ではない。ビジネスを優先するように見える彼の要求は、ときに監督を追い詰める。けれど、そこで突きつけられているのは「その表現を、作品として成立させ、観客まで連れていけるか」という問いでもある。彼を単純な悪役として見ると、この映画の面白さを取り逃がす。

一方、王子と香屋子の関係には、別の緊張がある。すでに名のある監督の作家性をどう守り、再び世の中へ送り出すか。香屋子は才能の理解者であると同時に、その才能が制作の現実から離れすぎないよう引き受ける人でもある。才能を信じることと、才能の言いなりになることは違う。

瞳と行城には、まだ社会に十分知られていない才能をどう立ち上げるかという課題がある。王子と香屋子には、すでに期待されている才能をどう次の作品へ進ませるかという課題がある。両者とも、監督の名前や世界観が観客との約束になることを知っている。その約束を成立させるために、プロデューサーは、ときに守り、ときに押し返す。

「作家性を守る」とは、何を守ることか

作家性という言葉は、しばしば「好きなように作らせること」と混同される。だが、予算も時間も無限ではない現場で、すべての希望を叶えることはできない。

守るべきものは、細部のすべてではなく、その作品から失われてはいけない視点や感情だと思う。どの場面に時間をかけるのか。何を削っても、何だけは削らないのか。監督自身が譲れないと思っていたものが、対話を経て変わることもある。

プロデューサーの仕事は、監督の表現にただ「はい」と言うことではない。「なぜ、それが必要なのか」を問い続け、作品の核が見えたら、そこに人と予算と時間を集めることだ。理解者であり、交渉相手であり、最後まで作品を成立させる責任を負う人。その関係には、衝突が生まれて当然だ。

私はTVCMの現場で、予算、スケジュール、クオリティを管理するプロダクションマネージャーを経験してきた。クライアントや広告代理店のクリエイティブに寄り添い、求められた表現を実現することが仕事だった。その後、自分でクライアントと向き合い、自分の裁量で企画から完成まで担うようになった。そこで初めて、作る側の意思と、事業として届かせる責任が、一人の中にも共存することを実感した。

マーケティングは、完成後に始まる仕事ではない

「いい作品を作れば、あとは宣伝が売ってくれる」。そう考えると、クリエイティブとマーケティングは制作工程の前半と後半に分かれる。だが実際には、誰に、どんな場面で、どんな期待を持って見てもらうかという問いは、企画の段階から作品の形を変えている。

これは、観客に迎合するという意味ではない。まだ作品を知らない人に、その作品を受け取る入口を用意するということだ。監督の名前、過去作への記憶、ビジュアル、予告、紹介する言葉、公開のタイミング。それぞれが、作品の外側に生まれる小さな物語になる。

『ハケンアニメ!』における「覇権」という言葉は、勝敗の言葉であると同時に、作品が同じ時期の人々の会話に入り込めるかという問いでもある。観客の時間は有限だ。見てもらうための設計は必要になる。ただし、数字のために作品の本質を偽れば、入口で生まれた期待は視聴体験の中で裏切られる。

作品の世界観を守ることと、売れる道筋を作ること。優れたプロデュースは、その二つを対立させず、互いに検証し続ける。

PSELで読む、作品が価値になるまで

この関係を、NEOTERRAINのPSEL——Product、Story、Energy、Land——の四つの視点で見直してみたい。四つは別々の担当部署ではなく、一つの作品が人に届くまでに必要な、重なり合う条件だ。

P|Product——世界観を、体験できる形にする

監督の頭の中にある映像は、まだ作品ではない。脚本、絵、音、演技、編集を経て、観客が実際に見られるものになって初めてProductとなる。ここでプロデューサーが支えるのは、単なる納品ではなく「どの品質を実現するか」という選択だ。

予算と時間の制約は創作に影響する。だからこそ、どこに力を集中させるかが世界観を左右する。作家性を守るとは、限られた資源を、その作品らしさが最も強く立ち上がる場所へ配分することでもある。

S|Story——作品を見る理由を、外側にもつくる

作品の物語と、作品を世の中へ届ける物語は同じではない。観客は本編を見る前に、監督は誰か、どんな挑戦なのか、なぜ今見るべきなのかに触れる。新人監督のデビューにも、名のある監督の復帰にも、違う期待が生まれる。

プロデューサーが監督をプロモーションするというのは、人物を消費することではない。その人がなぜこの作品を作るのかを、作品の魅力と矛盾しない言葉にすることだ。作品の中身と外の語りがつながったとき、宣伝は単なる告知を超える。

E|Energy——人を動かす熱量を、燃やし尽くさない

一本の作品には、監督だけでなく、制作スタッフ、出演者、宣伝に携わる人のエネルギーが入る。監督の熱量が強いほど、周囲が黙って受け止めればよいわけではない。無理を積み重ねれば、作品を支える人々が疲弊する。

プロデューサーは、ときに監督の孤独を受け止め、ときに現場の声を監督へ返す。衝突を避けることが良い関係ではない。何のために作っているかを共有し、チームの力が作品に向かう状態を保つことが、Energyの設計だ。

L|Land——作品が置かれる社会と接点を持つ

ここでのLandは、地理的な土地だけを指さない。作品が公開される時代、メディア、産業、コミュニティ、観客が暮らす場所を含む「作品の足場」だ。テレビアニメなら、放送枠や視聴習慣、同時期の作品、ファンが言葉を交わす場も含まれる。

どんなに強い世界観でも、宙には浮かんでいられない。作品を置く場所が変われば、届き方も変わる。プロデューサーは作品を社会へ接続し、監督はその接続の中でなお、自分の視点を失わない。この往復から、作品は「誰かが作ったもの」から「誰かにとっての出来事」へ変わっていく。

作品を守ることは、届く可能性を守ること

私は、プロデューサーに常に強い個人の作家性が必要だとは思わない。クライアントや監督の意思に寄り添い、その価値を最大化する仕事もある。一方で、作り手自身として意思決定を担うときは、何を伝え、何を残すかという自分の判断も問われる。仕事によって立ち位置は変わる。

『ハケンアニメ!』の二組を見ていると、プロデューサーとは、監督と観客の間に立って表現を薄める人ではなく、表現が観客に届くまでの厳しい現実を引き受ける人なのだと感じる。監督もまた、プロデューサーの現実をただ拒むのではなく、その摩擦を通じて自分の作品の輪郭を知っていく。

作品の核を見つける。形にする。語る。チームの熱を保つ。世の中に置く。その一連の仕事は、クリエイティブであり、マーケティングでもある。

誰かの人生に触れる作品は、一人の才能だけでは生まれない。才能を信じながら、その才能に問いを返し続ける関係から生まれるのだと思う。


作品情報:映画『ハケンアニメ!』(2022年)。辻村深月の同名小説を原作とし、吉野耕平が監督。人物と配役は映画公式サイトおよび東映ビデオの作品紹介を参照した。(映画公式サイト/東映ビデオの作品紹介)

NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。

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