インド洋に浮かぶ島国、スリランカ。
青く広がる海、緑の紅茶畑、仏教寺院、古代都市。観光地として語られるとき、この国は「インド洋の真珠」と呼ばれる。
しかし、地図を少し引いて眺めると、別の姿が見えてくる。
スリランカは、東アジアと中東、ヨーロッパを結ぶ主要な海上交通路のすぐそばに位置している。国土は決して大きくない。それでも、世界の物流と大国の戦略において、無視できない場所にある。
この地理的な優位性は、スリランカに交易と文化をもたらしてきた。一方で、植民地支配、国際政治への依存、過剰な開発、そして経済危機を引き寄せる要因にもなった。
スリランカの歴史をたどると、海には二つの顔があることが分かる。
豊かさを運ぶ海と、危機を運ぶ海である。
海上交通の中心に置かれた島
スリランカは、インド亜大陸の南東に位置する。
島の南側を通るインド洋航路は、東アジアからマラッカ海峡を経て、中東やスエズ運河、ヨーロッパへ向かう海上交通の大動脈である。
この場所に港を持つことは、単に船が立ち寄るという意味ではない。
巨大なコンテナ船から貨物を降ろし、より小さな船へ積み替える。船舶へ燃料や食料を供給する。物流企業、倉庫、金融、保険、修理などの産業が集まる。
港を中心に、さまざまな経済活動が生まれる。
スリランカ最大のコロンボ港は、アジアとヨーロッパを結ぶ大型コンテナ船が寄港する、南アジア有数の積み替え拠点である。特にインド向け貨物との結びつきが強く、インド経済の成長はコロンボ港の成長にもつながる。
スリランカ港湾局は、コロンボ港を「インド洋の重要な海上物流拠点」と位置づけ、処理能力の拡大を続けている。Sri Lanka Ports Authority
しかし、世界の航路に近いということは、世界の力関係から逃れられないということでもある。

香辛料と紅茶が引き寄せた植民地支配
スリランカの海を求めたのは、現代の中国やインドだけではない。
16世紀以降、ポルトガル、オランダ、イギリスが相次いでこの島へ進出した。
彼らが求めたのは、シナモンなどの香辛料と、インド洋の交易を支配するための港だった。
1815年には島全体がイギリスの統治下に入り、内陸部の山岳地帯では大規模なプランテーション開発が進められた。当初のコーヒー栽培が病害によって衰退すると、代わって紅茶が主要な輸出品になった。
現在も世界で知られる「セイロンティー」は、この時代につくられた産業構造を受け継いでいる。
紅茶はスリランカを代表する文化であると同時に、土地、労働、輸出市場が植民地経済によって組み替えられた歴史の記憶でもある。
独立後も、スリランカ経済は紅茶、衣料品、観光、海外労働者からの送金など、外貨を得る産業に大きく依存してきた。
島国の経済は、海の向こうにある市場と切り離せない。

中国とインドが交差する港
現代のスリランカを象徴する場所の一つが、島南部のハンバントタ港である。
東西航路に近いこの港は、中国からの融資を受けて建設された。その後、スリランカ政府は2017年、中国国有企業のチャイナ・マーチャンツ・ポートに港の運営権を99年間貸与する契約を結んだ。
この出来事は、中国が融資によって相手国を債務状態に陥らせ、重要施設を取得する「債務のわな」の代表例として語られてきた。
ただし、実態はそれほど単純ではない。
港の貸与によって得た資金は、ハンバントタ港建設に使われた中国向け債務だけを返済するためのものではなかった。スリランカが抱えていた広範な外貨不足や、ほかの対外債務への対応にも使われた。
中国が港を一方的に「取り上げた」という説明では、スリランカ政府側の開発判断、国内政治、財政運営、国際金融市場からの借り入れといった要因が見えなくなる。Chatham House
しかし、中国企業がインド洋の重要港湾で長期間にわたり大きな影響力を持つようになったことは、地政学上の重大な変化である。
インドにとって、スリランカは自国の南端から近い隣国だ。その港に中国の存在感が強まれば、安全保障上の警戒が生まれる。
一方のスリランカは、中国から資金とインフラを引き出しながら、インドとの歴史的・経済的関係も維持しなければならない。
コロンボ港では、中国、インド、スリランカなどに関係する複数の企業や事業体が港湾開発に関わる。
港は、貨物を積み替える場所であると同時に、大国の影響力が交差する場所になっている。

2022年、国家を襲った外貨危機
2022年、スリランカは独立後最悪といわれる経済危機に直面した。
外貨準備が不足し、燃料、食料、医薬品などを十分に輸入できなくなった。長時間の停電が発生し、ガソリンスタンドには長い列ができた。
生活への不満は大規模な抗議運動へ発展し、政権は大きく揺れた。政府は対外債務の支払い停止を表明し、事実上の国家デフォルトに陥った。
原因は一つではない。
長年続いた財政赤字と対外債務への依存。外貨をもたらす観光業の低迷。大幅な減税による税収減少。輸入に依存するエネルギーや食料。政策判断の失敗と国際環境の変化が重なった。
「中国から借りすぎたから破綻した」という単純な物語だけでは、危機の構造を説明できない。
スリランカの問題は、海外から得た資金を、将来の外貨収入につながる産業へ十分転換できなかったことにある。
港や道路を建設することと、そのインフラを使って持続的に利益を生み出すことは、同じではない。
回復する数字、戻りきらない暮らし
経済危機後、スリランカはIMFの支援を受けながら、増税、財政再建、国有企業改革、債務再編を進めてきた。
2024年の実質GDP成長率は5%となり、観光関連サービスや建設業などが回復を支えた。2025年も経済の持ち直しが続き、外貨準備は改善した。
IMFは2026年5月、債務再編によって債務の持続可能性は回復したと評価する一方、依然としてリスクは高いとしている。2026年の成長率についても3%程度への減速を予測している。IMF
数字だけを見れば、スリランカは危機から立ち直りつつある。
しかし、国家経済の回復と、人々の生活の回復は同じではない。
世界銀行によれば、2024年の貧困率は24.5%で、2019年のおよそ2倍の水準だった。2021年から2024年にかけて食料価格は倍以上になり、家計、栄養、食料安全保障への影響が続いた。World Bank
観光客が戻り、港のコンテナ取扱量が増え、外貨準備が積み上がっても、それだけでは暮らしが回復したとはいえない。
新たに生まれた富が、どの地域へ向かい、誰の雇用や所得につながるのか。
経済再建の本当の成果は、成長率だけではなく、生活の側から見なければならない。

2004年、海が見せたもう一つの顔
私がスリランカを訪れたのは、2004年のインド洋大津波のあとだった。
海岸部には、津波によって破壊された建物と、暮らしを立て直そうとする人々の姿があった。
2004年12月26日に発生した津波では、インド洋沿岸全体で22万人を超える命が失われた。スリランカでも約3万5,000人が亡くなり、そのうち少なくとも1万人が子どもだったとされる。
漁業、観光、商業など、海とともに成り立っていた生活も大きな被害を受けた。
その後、スリランカでは避難訓練、防災教育、警報体制の整備が進められた。インド洋では28カ国が参加する津波警報システムが構築され、災害を早期に検知し、情報を共有する仕組みがつくられた。United Nations Sri Lanka
自然災害を完全に止めることはできない。
しかし、記憶を地域の知識へ変え、次の被害を減らすことはできる。
津波後のスリランカで進められたのは、海から離れることではなく、海を理解しながら暮らしを再構築する試みだった。

地理的な強みは、誰の豊かさになるのか
スリランカの未来を考えるとき、港を中国が運営するのか、インドが投資するのかという大国間競争だけに注目してしまいがちだ。
しかし、本当に問われるべきなのは、その先である。
港湾開発によって生まれた利益は、地域の雇用へつながっているのか。観光収入は、海岸部で暮らす人々へ還元されているのか。財政再建の負担を、生活に余裕のない人々だけが背負っていないか。
地理的な優位性は、それだけで国民を豊かにするものではない。
海上交通の要衝であることを、港湾、製造業、物流、教育、地域産業へ結びつけて初めて、土地の強みは暮らしの力へ変わる。
スリランカは長い歴史の中で、海から多くのものを受け取ってきた。
香辛料、紅茶、交易、観光、投資、文化。
同時に、植民地支配、国際競争、津波、経済危機も海の向こうからやってきた。
豊かさも、危機も、海からやってくる。
だからこそ必要なのは、海を閉ざすことではない。外から来る力にすべてを委ねるのでもない。
世界とつながりながら、その利益を土地に残す仕組みをつくること。
インド洋の交差点に立つスリランカの未来は、港を誰が所有するかだけでは決まらない。
その土地で生きる人々が、海との関係をどのように結び直すのか。
そこに、この島の本当の強さがある。

