静岡海岸の侵食から問い直す、日本の豊かさと自然環境
「スクラップ・アンド・ビルド」という言葉がある。
古くなった建物や設備を壊し、新しいものへ建て替える。戦後復興から高度経済成長へ向かう日本では、都市を更新し、経済を動かす象徴的な考え方でもあった。
しかし、自然の側からこの時代を見直すと、別の言葉が浮かび上がる。
ビルド&スクラップ。
都市や道路、港湾、住宅をビルドする一方で、その材料を供給した川や海岸、生態系を、知らないうちにスクラップしていたのではないか。
もちろん、高度経済成長そのものを、現在の価値観だけで否定することはできない。
戦後の日本には住宅が必要だった。道路や橋、港、堤防、学校、病院を整え、人々の命と暮らしを支えることも必要だった。建設・土木産業は雇用を生み、地域を結び、生活を便利にした。
私たちが問うべきなのは、成長が正しかったか、間違っていたかという二者択一ではない。
豊かさをつくるために、どの土地の自然が、どれだけの負担を引き受けたのか。
その問いを、静岡海岸の砂は今も投げかけている。
都市の成長を支えた、川の砂利
高度経済成長期の日本では、住宅、工場、道路、鉄道、港湾などの建設が全国で進んだ。コンクリートをつくるには、骨材となる砂や砂利が欠かせない。
その供給地の一つとなったのが河川だった。
静岡市を流れる安倍川でも、戦後復興と建設需要の拡大を背景に、大量の砂利が採取された。
国土交通省の資料によると、昭和30年代の安倍川では、年間平均約70万立方メートルに及ぶ砂利採取が行われた。その結果、直轄管理区間の河床は最大約2.9メートル、平均約1.3メートル低下し、橋梁や護岸などの構造物にも被害が生じたという。
だが、影響は川の中だけにとどまらなかった。
安倍川から駿河湾へ流れ出る土砂が減少し、海岸に沿って運ばれる砂の量も減った。静岡海岸、さらに清水海岸へと侵食が広がり、その影響は三保松原にまで達した。
都市で新しい建物が立ち上がる一方、遠く離れた海岸では砂浜が後退していた。
都市の成長と海岸侵食は、別々の出来事ではなかったのである。
砂は「資材」ではなく、移動する自然だった
私たちは、砂を袋に入った建設材料として見ることに慣れている。
しかし、自然のなかで砂は静止していない。
安倍川の源流域には、日本三大崩れの一つとされる大谷崩がある。山地で生まれた土砂は、雨や洪水によって川を下り、河口から駿河湾へ流れ出る。そこから波や沿岸流に運ばれ、静岡海岸、清水海岸、三保松原へと移動していく。
砂浜は、最初から海岸に置かれていたものではない。
山が崩れ、川が運び、海が受け取り、波が分配する。長い時間をかけた土地の循環によってつくられてきた。
ところが、人間はその流れの途中から大量の砂利を取り出した。
採取地点だけを見れば、砂利は豊富な資源に見えたかもしれない。しかし、山から海までを一つのつながりとして見れば、それは海岸を維持するために移動していた砂でもあった。
ここに、高度経済成長期の開発が見落としやすかった視点がある。
自然は、行政区分や産業分野ごとに分かれていない。
河川で行ったことが海岸に現れ、都市で消費した資材の影響が、別の地域の生態系に現れる。
一つの場所では合理的に見えた判断が、土地全体では不均衡を生むことがある。
人の暮らしを守る開発が、別の暮らしを脅かす
海岸の砂が減ることは、景観が変わるだけの問題ではない。
砂浜は、波のエネルギーを受け止め、高潮や高波から陸地を守る。海岸に生きる動植物の生息場所であり、漁業、観光、地域文化を支える基盤でもある。
砂浜が後退すれば、その機能も弱くなる。
人の暮らしを豊かにするために採取された砂利が、別の場所では防災、生態系、地域の風景を損なう要因になる。
ここで難しいのは、開発する側にも、守るべき暮らしがあったことだ。
道路がなければ物流は滞る。住宅がなければ生活は安定しない。堤防や港がなければ、災害や産業上の不利益が生じる。
だからこそ、環境問題を「開発か、自然保護か」という単純な対立にしてはいけない。
問われているのは、開発の必要性ではなく、開発によって生じる負担を、時間的にも地理的にも見えない場所へ押し出していないかということである。
経済の数字に表れにくかった、自然の損失
建物や道路が完成すれば、その投資額や生産額は経済の成長として記録される。雇用が生まれ、物流が改善され、土地の価値が上がることもある。
一方で、失われた砂浜、生物の生息地、自然の防災機能、地域の記憶は、同じ尺度では捉えにくい。
高度経済成長期、日本は大きな物質的豊かさを手に入れた。その一方で、各地で公害や健康被害が発生し、自然の大規模な改変も進んだことを、環境省の白書も振り返っている。
当時は見えなかったのではない。
見える仕組みが十分になく、見えたとしても、経済成長の速度のなかで優先順位を与えられなかったのである。
静岡海岸の侵食は、その構造を象徴している。
都市の側では「建設資材」として数えられた砂が、自然の側では「海岸を維持する流れ」として失われていた。
経済の帳簿では資源の移動でも、土地の帳簿では自然資本の減少だった可能性がある。
砂利採取を止めれば、すべて元に戻るのか
安倍川総合土砂管理計画によると、安倍川では昭和43年に直轄管理区間の砂利採取が規制された。その後、下流の河床は上昇傾向へ転じ、海岸へ供給される土砂も増加し、前浜には徐々に回復が見られるようになった。
しかし、話はそこで終わらない。
川に土砂がたまりすぎれば、洪水時の流下を妨げ、堤防や河川構造物への危険を高める場合がある。海岸へ砂を届ける必要がある一方で、河川の治水安全性も確保しなければならない。
砂は、少なければよいわけでも、多ければよいわけでもない。
どこに、どの程度存在し、どのように移動するかが重要なのである。
現在、国土交通省は、山地から海岸まで土砂が動く範囲全体を「流砂系」として捉え、砂防、ダム、河川、海岸を横断して管理する「総合的な土砂管理」を進めている。
安倍川でも、河道掘削、海岸への養浜、土砂移動の観測などを組み合わせ、安全と自然の循環を両立させようとしている。
これは、過去の失敗を元に戻す作業というより、分断して管理してきた土地を、もう一度つなぎ直す試みだといえる。
「つくる時代」から、「持たせ、つなぎ直す時代」へ
国土交通省によれば、高度経済成長期に集中的に整備された日本のインフラは、いま一斉に老朽化の時期を迎えている。
人口が増え、都市が拡大していた時代には、新しくつくることが社会の成長と結びついていた。しかし、人口減少と担い手不足が進む現在、同じ速度と発想で建設と更新を繰り返すことは難しい。
これから必要になるのは、建設をやめることではない。
つくる前に、本当に必要なものを見極める。既存の建物やインフラを長く使う。壊す場合は、資材を再利用する。完成時の便利さだけでなく、数十年後の維持管理や解体まで設計する。そして、資材がどこから来て、どの土地に負担を残すのかを追跡する。
社会に求められる力も変わっていく。
大量につくる力から、長く持たせる力へ。
分野ごとに整備する力から、山、川、海、都市をつなぎ直す力へ。
自然を開発の制約として扱う発想から、暮らしと経済を支える基盤として評価する発想へ。
環境省の第六次環境基本計画も、自然資本をあらゆる経済社会活動の基盤と捉え、GDPだけでは測れない健康や幸福、環境の価値を含む「新たな成長」を掲げている。
豊かさを減らすのではない。
何を豊かさと呼ぶのかを、広げていく必要がある。
静岡海岸は、世界の縮図である
安倍川の砂利採取と静岡海岸の侵食は、一つの流域で起きた地域の環境問題である。
しかし、その背後にある構造は、世界各地で繰り返されている。
都市で資源を消費し、その採取地で自然環境が変化する。利益を得る場所と負担を引き受ける場所が離れ、影響が見えにくくなる。問題が顕在化した後に、多額の費用と長い時間をかけて修復する。
気候変動、生物多様性の損失、資源枯渇、海洋汚染も、規模は異なっていても、この構造と無関係ではない。
地域の小さな環境変化が積み重なり、遠くの土地と結びついたとき、地球環境問題になる。
だから、静岡海岸の侵食は、静岡だけの過去ではない。
世界の都市がこれからどのような成長を選ぶのかを考える、先行事例でもある。
私たちは、地球環境問題とどう向き合うのか
地球環境問題に向き合うとは、人間の活動を止めることでも、過去の成長を断罪することでもない。
まず、自分たちの豊かさが、どこから来たのかを知ること。
そして、目の前の便利さだけでなく、資源の採取地、川の下流、海岸の先、次の世代まで含めて判断すること。
経済、人の暮らし、自然、生態系を別々の課題として扱わず、一つの循環のなかで考えること。
高度経済成長期の日本は、つくる力によって豊かになった。
その豊かさを経験した現在の日本だからこそ、次は、壊さずに豊かさをつくる方法を示せるのではないか。
足元のコンクリートを見れば、都市の完成した姿が見える。
しかし、その向こうにある川や山、海岸まで想像したとき、初めて豊かさの全体像が見えてくる。
ビルドの陰で、何をスクラップしてきたのか。
その問いに向き合うことが、過去を否定するのではなく、過去から学び、次の社会へ活かすということなのだと思う。

