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なぜ行政は止められなかったのか─釧路湿原メガソーラー問題が映す“制度のすき間”

北海道・釧路湿原周辺の緑豊かな湿原と、隣接する太陽光パネル群を空から見た風景。自然のつながりと制度上の線引きのずれを表している。
北海道・釧路湿原周辺の緑豊かな湿原と、隣接する太陽光パネル群を空から見た風景

前回の記事では、釧路湿原周辺で進むメガソーラー問題を通じて、再生可能エネルギーと自然保護の矛盾について考えた。

再エネは必要である。
脱炭素も必要である。
気候変動を抑えるために、太陽光発電は重要な選択肢のひとつである。

しかし、その設置場所が、希少な自然環境の近くだった場合はどうだろうか。

自然を守るための技術が、別の自然を傷つけてしまう。
その矛盾が、釧路湿原の周辺で見えてきた。

では、ここで次の問いが生まれる。

なぜ行政は、事前に止められなかったのか。

太陽光発電施設は、行政の許可があって建つのではないのか。
地域にとって問題があるなら、自治体や国が先に規制できなかったのか。
自然保護上重要な場所なら、なぜ開発対象になってしまったのか。

この問いは、釧路湿原だけの問題ではない。
日本各地で起きている再エネ開発、森林伐採、土地利用、景観問題、地域住民との対立にもつながっている。

問題の本質は、行政が何もしていなかったという単純な話ではない。
むしろ、いまの制度が、自然を「先回りして守る」構造になっていなかったことにある。

Contents

太陽光発電は、ひとつの許可で判断されているわけではない

多くの人は、太陽光発電施設のような大きな開発には、行政の包括的な許可が必要だと考えるかもしれない。

しかし実際には、太陽光発電事業は、ひとつの窓口で総合的に判断される仕組みではない。

発電事業としての制度。
土地の造成に関わる制度。
森林を伐採する場合の制度。
農地を転用する場合の制度。
国立公園や自然公園に関わる制度。
景観条例や自治体独自のルール。

これらが、それぞれ別々に存在している。

つまり、行政の関与は「この土地に太陽光発電を置いてよいか」という総合判断ではなく、個別の法令に該当するかどうかで分かれている。

森林を一定面積以上開発するなら、森林法の許可が必要になる。
農地を転用するなら、農地法の許可が必要になる。
国立公園内であれば、自然公園法の規制がかかる。
自治体条例があれば、独自の許可や届出が必要になる。

しかし、どの制度にも強く引っかからない場合、行政は「望ましくない」と思っても、法的に止めにくい。

ここに、制度のすき間がある。

自然はつながっているが、制度は線で区切る

釧路湿原の問題で重要なのは、問題になっている場所が、釧路湿原の中心そのものではなく、周辺地域であることだ。

国立公園の内側であれば、自然公園法などの規制が強く働く。
しかし、国立公園の外側、あるいは周辺部になると、規制の強さは変わる。

行政の制度は、地図上の線で判断する。

ここから内側は保護区域。
ここから外側は別の土地。
ここは市街化調整区域。
ここは森林。
ここは農地。
ここは民有地。

制度上は、そう区切られる。

しかし自然は、人間が引いた線の中だけで成り立っているわけではない。

湿原の水は流れる。
生き物は移動する。
鳥は空を飛び、動物は周辺の土地を行き来する。
希少種の生息環境は、湿原の中心部だけで完結しているわけではない。

だから、国立公園の外側であっても、湿原の生態系にとって重要な場所はある。

このズレが問題を生む。

行政の制度は線で判断する。
自然の仕組みは面でつながっている。
再エネ開発は、その間にある土地を見つけて進んでいく。

釧路湿原周辺のメガソーラー問題は、まさにその構造を映している。

「許可があったから問題ない」とは言い切れない

事業者側から見れば、法令上の手続きを踏んでいる、あるいは許可が不要な範囲で進めている、という主張になる場合がある。

たしかに、法的に開発可能な土地であれば、事業者はそこを利用できる。
土地を取得し、発電設備を設置し、再エネ事業として収益化する。
その行為自体が、ただちに違法とは限らない。

しかし、ここで重要なのは、法令上問題がないことと、地域の自然環境にとって望ましいことは同じではない、という点である。

許可がある。
届出をしている。
基準を満たしている。
区域の外側である。

それだけでは、自然への影響を十分に評価したことにはならない。

とくに湿原のような繊細な生態系では、周辺部の開発が水の流れや生き物の移動に影響する可能性がある。
景観の変化、土壌の改変、排水、伐採、希少種への影響、将来的な設備撤去の問題もある。

つまり、必要なのは「法律に違反しているかどうか」だけではない。

その土地に置いてよいのか。
そこに置く必然性があるのか。
自然環境への影響を誰が、どの範囲で、どこまで見るのか。
地域の合意はあるのか。
将来の撤去や廃棄まで責任を持てるのか。

そうした問いまで含めて判断する仕組みが必要だった。

規制は、問題が起きてから強くなる

釧路市は、太陽光発電施設の設置について、許可制を導入する条例を施行した。

これは大きな一歩である。

市内で太陽光発電施設の設置事業を行う場合には、許可が必要になった。
条例の中では、許可制の導入、禁止区域の指定、事業者が行うべき義務などが示されている。

しかし、ここで見えてくるのは、規制が後追いになりやすいという現実だ。

太陽光発電施設が増える。
地域で問題が顕在化する。
住民や自然保護団体から声が上がる。
行政が条例を整える。
許可制や禁止区域が導入される。

この流れ自体は、自治体が地域の状況に応じて対応した結果である。

だが逆に言えば、問題が起きる前から十分なルールがあったわけではない。

再エネを増やす制度は先に進んだ。
しかし、どこに置いてはいけないのか、どの自然を先に守るべきなのか、地域の合意をどう取るのかという制度設計は、後から追いかける形になった。

ここに、再エネ政策の盲点がある。

脱炭素を急ぐあまり、土地の選び方に対する思想が追いつかなかった。
発電量を増やす制度はあったが、自然環境への配慮を先回りして組み込む仕組みが弱かった。

釧路湿原の問題は、その結果として現れている。

行政だけを責めれば済む問題ではない

もちろん、行政の責任はある。

地域の自然環境を守るルールを整えること。
事業者に対して適切な手続きを求めること。
違反があれば指導し、必要に応じて是正を求めること。
住民や専門家の声を聞き、地域の未来にとって望ましい土地利用を考えること。

これらは行政の重要な役割である。

しかし、行政だけを責めれば済む問題でもない。

国は再エネ導入を進めてきた。
事業者は採算の合う土地を探す。
土地所有者は使われていない土地を収益化したい。
自治体は人口減少や地域経済の課題を抱えている。
地域住民は自然環境や景観の変化に不安を感じる。
自然保護団体は生物多様性への影響を懸念する。

それぞれに理由がある。
それぞれに正当性がある。

だからこそ、問題は複雑になる。

釧路湿原周辺にソーラーパネルが建つことになった背景には、ひとつの悪意ではなく、制度、経済合理性、土地利用、再エネ政策、地域課題が重なっている。

問題の本質は、誰か一人が悪いという話ではない。
自然の価値が、土地の収益性や制度上の区分よりも後回しにされやすい構造にある。

問われているのは、土地を見る目である

これからの再エネには、発電量だけではなく、土地を見る目が必要になる。

どこに置けば、自然への影響が小さいのか。
どこに置けば、地域の合意が得られるのか。
どこに置けば、すでに開発された土地を有効活用できるのか。
どこには、置いてはいけないのか。

この問いが必要だ。

太陽光発電を否定する必要はない。
むしろ、脱炭素のためには、再エネを増やすことは避けられない。

しかし、再エネであればどこに置いてもよいわけではない。

工場や倉庫の屋根。
公共施設の屋上。
駐車場の上部。
すでに開発された土地。
自然環境への影響が少ない遊休地。

そうした場所を優先する発想が必要になる。

一方で、湿原、河川、希少種の生息地、生態系のつながりが強い場所では、慎重な判断が求められる。

再エネには、場所の思想が必要である。

釧路湿原が映す、これからの行政の役割

釧路湿原の問題は、行政のあり方も問い直している。

これまでの行政は、法令に基づいて許可する、届け出を受ける、違反があれば指導するという役割が中心だった。
しかし、自然環境問題が複雑化する時代には、それだけでは足りない。

必要なのは、問題が起きてから止める行政ではなく、問題が起きる前に誘導する行政である。

開発してよい場所。
開発を避けるべき場所。
地域の自然資源として守るべき場所。
将来的なリスクが高い場所。

それらを先に見える化し、事業者にも地域にも分かる形で示すことが重要になる。

「ここなら進めやすい」
「ここは慎重に判断すべき」
「ここは守るべき」

そうした土地利用の地図を、行政、専門家、地域住民が共有していく必要がある。

再エネを進めるためにも、自然を守るためにも、ルールは必要だ。
ルールがなければ、再エネ事業そのものへの不信感が高まる。
結果として、本来必要な脱炭素の取り組みまで、地域に受け入れられにくくなる。

自然を守ることと、再エネを進めることは、本来対立しなくてよい。
だが、そのためには、どこに置くかを判断する制度と合意形成が必要である。

「許可された開発」と「許されるべき開発」は違う

釧路湿原のメガソーラー問題が突きつける最大の問いは、ここにある。

法的に可能な開発は、社会的にも許される開発なのか。
許可された開発は、自然にとっても正しい開発なのか。
制度の線引きの外側にある自然は、守られなくてもよいのか。

答えは、簡単ではない。

しかし、少なくとも言えることがある。

自然は、行政区画や規制区域の境界線だけで守れるものではない。
湿原の水、生き物の移動、土地の記憶、地域の風景は、地図上の線を越えてつながっている。

だから、これからの環境行政には、線ではなく面で自然を見る視点が必要になる。

釧路湿原は、ただの湿地ではない。
日本最大級の湿原であり、希少な生き物が息づく場所であり、地域の誇りであり、未来に残すべき自然の基盤である。

その周辺にソーラーパネルが建つことを、単に「区域外だから問題ない」と捉えてよいのか。

この問いは、釧路だけではなく、日本各地の再エネ開発に向けられている。

脱炭素は必要だ。
再エネも必要だ。
しかし、自然の価値を後回しにする再エネは、持続可能とは言えない。

行政は、事前に止められなかったのか。
その問いの答えは、制度のすき間にある。

そして次に必要なのは、そのすき間を埋めることだ。

自然を守るための技術が、本当に自然を守るために使われるように。
再エネが、地域の未来と対立するものではなく、地域の自然と共存するものになるように。

釧路湿原の問題は、これからの日本に必要な制度と思想を問いかけている。

引用・参考資料

本記事は、以下の公的資料・関連情報を参考に構成しています。

・釧路市「釧路市自然と太陽光発電施設の調和に関する条例」
釧路市における太陽光発電施設の設置事業の許可制、条例の概要を参照。
https://www.city.kushiro.lg.jp/machi/kankyou/1017276/1017277.html

・釧路市「釧路市自然と太陽光発電施設の調和に関する条例について」
条例の主な内容、許可制の導入、禁止区域、事業者の義務などを参照。
https://www.city.kushiro.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/072/2-taiyoukougyourei.pdf

・環境省「釧路地域における太陽光発電施設の開発について」
釧路湿原国立公園周辺で太陽光発電施設が急増している状況、国立公園周辺地域における課題を参照。
https://www.env.go.jp/content/000346294.pdf

・WWFジャパン「キタサンショウウオのいる場所で?釧路湿原周辺で進む太陽光発電」
釧路湿原周辺の太陽光発電計画、生物多様性への懸念、立地適正化に関する要望を参照。
https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/5266.html

・釧路総合振興局「太陽光発電施設の設置を目的とする林地開発行為について」
森林法に基づく林地開発許可、太陽光発電施設に関する許可対象面積の変更などを参照。
https://www.kushiro.pref.hokkaido.lg.jp/ss/rnm/rintikaihatsu.html

最後に

釧路湿原のメガソーラー問題は、「再エネが悪い」という単純な話ではありません。
むしろ、再エネを本当に持続可能なものにするために、どこに置くのか、誰が判断するのか、自然の価値をどう制度に組み込むのかが問われています。

行政が事前に止められなかった背景には、複数の制度に分かれた許可の仕組みと、自然を線で区切って判断する制度の限界があります。

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NEOTERRAIN Journalでは、自然環境、地域、文化、観光、社会課題をつなぐ視点から、これからも各地の変化を記録していきます。

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