トヨタとボルボに見る、「選ばれる理由」のつくり方
初めて運転席に座った日、世界は少し広く見えた。
電車の時刻表に合わせなくてもいい。知らない海岸へ、自分で行ける。車の鍵は、移動の道具であると同時に、自由を手にした証しでもあった。
けれど、いま。その自由を手に入れるには、いくらかかるのだろう。
車両代、保険、税金、駐車場、燃料。スマートフォンで移動手段を探せる時代に、何百万円もの買い物をして、維持費を払い続ける理由は何か。
自動車市場の未来を考えるには、エンジンがモーターに変わる話だけでは足りない。
人が、どんな理由なら車を選ぶのか。
日本のトヨタと、スウェーデンにルーツを持つボルボ・カーズ。その歴史と具体的な取り組みから、この問いを考えてみたい。
※本稿の「ボルボ」は乗用車メーカーのボルボ・カーズを指す。年間販売は2025年実績で比較し、日本の若年層調査を世界共通の傾向としては扱わない。
1.「若者の車離れ」という言葉が、見えなくしていること
若者が車を買わない。だから、若者に響く広告をつくろう。
そう考える前に、確かめたいことがある。
買わない理由は、興味がないからなのか。それとも、生活の条件に合わないからなのか。
日本自動車工業会の「2025年度乗用車市場動向調査」では、若年層の車非保有者のうち、「公共交通機関で十分なので車は必要ない」という意見が半数程度を占める。一方、世代別の分析では、年齢が低い層ほど、車を自分の表現手段と捉える意識が高いという結果も示された。一般社団法人日本自動車工業会
実用上は必要ない。でも、自分らしい車には関心がある。
その二つは、同じ人の中にも存在しうる。
費用の問題もある。同調査が示す車の平均購入価格は331万円。非保有世帯では維持費負担が非保有理由の上位に挙がり、地方圏では首都圏より保有率が高い。年齢だけで市場を分けても、暮らしの違いは捉えきれない。一般社団法人日本自動車工業会
ここに、最初のマーケティングの論点がある。
「若者」という属性から一歩進み、「どんな暮らしをしていて、何が購入を妨げている人なのか」まで見ること。
欲しくなる広告が必要な人もいる。維持費の見通しが立てば検討できる人もいる。そして、車を持つ必要がほとんどない人もいる。
それぞれに必要な提案は違う。
2.トヨタは「暮らしに届く車」を、ボルボは「命を守る車」を積み重ねてきた
両社の違いは、歴史をたどると理解しやすい。
トヨタは1966年にカローラを発売し、日本のマイカー時代を支えるファミリーカーを展開した。1997年には、世界初の量産ハイブリッド乗用車プリウスを発売している。トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト
家族が使える車を広く届ける。燃料消費や環境という課題に、量産技術で応える。
この歩みは、「新しい技術を、多くの人が日常で使える形にする」という視点から読み解ける。
ボルボの歴史を象徴するのは、1959年に導入した現代的な三点式シートベルトだ。ボルボは、その特許を他の自動車メーカーも無償で利用できるようにした。Volvo Cars INTL
競合にも技術を開く。短期的な独占という観点では、不思議にも見える選択である。
しかし、マーケティングの視点では、もう一つの意味を持つ。
「安全を大切にしています」という言葉に、企業の行動という裏付けが生まれることだ。
ここで扱う二つの視点は、両社のすべてを説明するものではない。トヨタも安全技術に取り組み、ボルボも使いやすさや価格を考えている。
それでも、歴史のどこに光を当てるかによって、ブランドが選ばれる理由は見えてくる。
トヨタには、生活の中で使える選択肢を広げてきた蓄積がある。ボルボには、安全を企業の姿勢として示してきた蓄積がある。
3.トヨタのKINTO——車の性能を変えずに、乗り始める条件を変える
では、費用や手続きが障壁になっている人に、何を提案できるか。
その具体例が、トヨタ車などを扱う定額サービス「KINTO」だ。
KINTOは、自動車保険やメンテナンス、車検費用などを月額料金に含む。任意保険は年齢や等級によって料金が変わらない仕組みで、初めて車を持つ人に向けた専用の案内も展開している。kinto-jp.com
ここで変えているのは、車そのものだけではない。
購入時には、車両価格を見ても、その後いくら必要になるのかが分かりにくい。保険を比較し、整備の時期を把握し、まとまった出費にも備える必要がある。
KINTOの提案は、そうした費用や管理の一部をまとめ、車に乗る生活を具体的に想像しやすくするものだと読み解ける。
| 顧客の迷い | KINTOの仕組み | マーケティング上の意味 |
|---|---|---|
| 維持にいくら必要か分からない | 保険や整備費用などを月額にまとめる | 費用の見通しを立てやすくする |
| 初めての保険選びが難しい | 任意保険をサービスに含める | 選択や手続きの負担を減らす |
| 初めて車を持つ生活が想像できない | 初心者向けに仕組みを説明する | 商品知識より先に、生活の不安に答える |
もちろん、定額だから誰にとっても安いわけではない。燃料代や駐車場代などは別途必要で、走行距離や中途解約などの契約条件も確認する必要がある。
また、サービスがあることと、それによって若年層の保有が増えたことは別の話だ。効果を判断するには、利用者構成や契約実績などの検証が必要になる。
それでも、この取り組みから得られる学びは明確だ。
顧客がためらう理由によっては、商品の性能を上げるより、支払い方や利用の仕組みを変えることが重要になる。
「もっと欲しくさせる」と同時に、「検討できる条件を整える」。それも、マーケティングの仕事である。
4.ボルボのE.V.A.——「安全」という言葉に、企業の行動を与える
一方、ボルボは、どのように選ばれる理由を伝えているのか。
注目したいのが、2019年に始まった「E.V.A. Initiative」だ。名称は「Equal Vehicles for All」に由来する。長年蓄積してきた安全研究を、他社も利用できる形で公開する取り組みである。history.volvocars.us
この活動を、単に「研究データを公開した」と読むと、技術部門の話で終わる。
しかし、ブランドの視点では、「安全は誰にとっての安全なのか」という問いを社会へ投げかけている。
三点式シートベルトの特許公開から、安全研究の共有へ。異なる時代の行動が、「人を守る知識は、広く役立てる」という一本の線でつながる。
これは、企業の研究活動が、そのままコミュニケーションの根拠になる構造だ。
「安全性に優れた車です」という説明に加えて、「安全のために、この会社は何をしてきたか」を示す。顧客は、装備だけでなく、企業の判断にも触れることになる。
大切な人を乗せるとき、その積み重ねが選択の理由になる可能性がある。
ただし、この活動だけで販売効果や安全性能の優劣を証明できるわけではない。ここで注目したいのは、技術の蓄積を、顧客にとって意味のあるブランドの物語へつなぐ方法である。
情緒的価値は、後から美しい言葉を添えるだけでは強くならない。企業の行動と結びついたとき、信じる理由を持ち始める。
5.電気自動車の未来は、技術だけでは決まらない
では、強いブランドと新しい技術があれば、車は売れるのか。
市場の数字を見ると、話はそれほど単純ではない。
2025年の世界販売は、トヨタ・レクサス合計が約1,054万台、ボルボ・カーズが約71万台。ボルボは前年比7%減だった。企業の規模も価格帯も異なるため、台数だけで戦略の優劣を判断することはできない。Car Watch
ボルボは2024年、2030年に向けた電動化目標を修正した。それまでの完全電気自動車への一本化を見直し、BEVとプラグインハイブリッドを合わせて世界販売の90〜100%を目指すと発表した。背景として、充電設備の整備の遅れや、一部市場での購入支援の縮小などを挙げている。Volvo Cars Media Intl
一方、トヨタは、各地域のエネルギー事情や顧客ニーズに応じて複数の動力源を用意する「マルチパスウェイ」を掲げている。BEVもその選択肢に含まれ、2026年には北米向けハイランダーのBEVモデルを発表した。トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト
この違いを、「EVに積極的か、消極的か」という二択だけで捉えると、顧客の生活が抜け落ちる。
自宅で充電できる人と、設置できない集合住宅に住む人。近距離を中心に走る人と、長距離移動が多い人。購入支援を受けられる市場と、そうでない市場。
同じ車でも、便利さと負担は変わる。
ここで見えてくるのは、技術が提供できる価値と、顧客が実際に受け取れる価値には距離があるということだ。
その距離を埋めるには、商品開発に加え、価格、充電環境、販売時の説明、購入後の支援まで考える必要がある。
6.これから問われるのは、「車のある生活」を成立させる力
トヨタとボルボの事例から、自動車市場の未来をどう考えられるだろう。
本稿では、今後の競争で重要になるものとして、三つを挙げたい。
一つは、暮らしに合うこと。価格、維持費、駐車場所、充電環境。その条件が合わなければ、魅力を感じても購入には至らない。
二つ目は、選ぶ意味があること。なぜ、この車なのか。自分らしさ、大切な人への配慮、運転する楽しさ。機能を、自分の生活の言葉に置き換えられるかが問われる。
三つ目は、乗り始めた後も信頼できること。整備、保険、説明、トラブルへの対応。購入時の期待と、その後の体験がつながっているかという問題だ。
KINTOは、車に乗り始める条件を組み替えている。ボルボの安全研究の共有は、ブランドを信じる根拠を積み重ねている。
この二つから学べるのは、マーケティングには、顧客の現実的な障壁を減らす仕事と、選択に意味を与える仕事がある、ということだ。
未来の自動車市場を見るときにも、「次にどんな技術が登場するか」と一緒に、こう問い続けたい。
その技術によって、誰の暮らしが、どのように変わるのか。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
車の後部座席には、ときどき、その人の人生が見える。
使い込まれたチャイルドシート。部活動の道具。病院へ向かうための上着。海へ持っていく、まだ乾ききっていないタオル。
企業の資料に書かれた「顧客ニーズ」は、生活の中では、こうした小さな姿をしている。
月々の出費が分かることは、家計を考える人の安心につながる。安全技術の蓄積は、後部座席を振り返る人の気持ちにつながる。
数字や戦略をたどる意味は、その先にいる人を、より具体的に想像できるようになることにもある。
次の車を選ぶ理由は、カタログの中だけにはない。これから、誰と、どんな時間を過ごしたいか。その思いの中にもある。
主な参考資料
- 日本自動車工業会「2025年度乗用車市場動向調査」
- トヨタ「継承と進化」
- トヨタ「2025年 年間販売・生産・輸出実績」
- KINTO公式サイト
- Volvo Cars「Safety Heritage」
- Volvo Cars「December and 2025 sales」
- ボルボ・カーズ「電動化の目標を調整」
- トヨタ「HighlanderにバッテリーEVを設定」
NEOTERRAIN JOURNALでは、マーケティングやクリエイティブ、社会の変化を、表面的な手法ではなく、その背景にある構造から読み解いています。
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