世界のマーケティングを、土地と暮らしから読み解く|オーストラリア編
ワインを一本買う。
その理由は、味や価格だけではない。
旅先で見た畑の傾斜。醸造所で聞いた、収穫までの話。グラスを置いたテーブルの向こうに広がっていた、午後の風景。
家に帰って栓を抜いたとき、その時間が、もう一度立ち上がることがある。
オーストラリアのワインツーリズムを見ていると、マーケティングが商品を紹介する仕事であると同時に、商品と出会う時間をつくる仕事でもあることに気づかされる。
日本にも、酒蔵があり、茶畑があり、窯元がある。
そこで生まれるものを買うことと、その場所を訪れること。
二つの間に橋を架けると、地域の価値はどのように変わるのだろうか。
「オーストラリア産」の、その先へ
オーストラリアと聞いて、広い空や強い日差しを思い浮かべる人は多いだろう。
しかし、その大きなイメージだけでは、ワイン産地ごとの違いは見えてこない。
南オーストラリア州のバロッサ・ヴァレーと、その東に位置するイーデン・ヴァレー。近接する二つの産地にも、異なる表情がある。
バロッサ・ヴァレーはシラーズで知られ、イーデン・ヴァレーは標高が高く、より冷涼な条件のもとでリースリングなどを育んできた。隣り合う土地でも、気候や栽培条件が変われば、ワインの個性も変わる。Wine Australia
ここに、地域ブランドを考える手がかりがある。
「オーストラリアのワイン」という入口から、「この産地の、この造り手のワイン」へ。
理解が深まるほど、消費者の選ぶ理由は具体的になっていく。
これは日本にも通じる。
「日本のおいしいもの」という大きな括りから、山梨のワインへ、勝沼の風景へ、ひとつの醸造所へと視線が近づいていく。その過程で、遠かった地名が、自分に関係のある場所になっていく。
産地名を知らせることと、その産地を選びたくなること。その間には、土地を理解する時間がある。
セラードアは、商品と風景が出会う場所
オーストラリアのワイナリー観光で、よく登場する言葉がある。
「セラードア」。
もともとの言葉は貯蔵庫の扉を意味するが、ワイナリーで試飲や購入を楽しむ、訪問者のための場所として使われている。
その接点を、さらに広げる取り組みもある。
オーストラリア政府観光局が紹介する「Ultimate Winery Experiences Australia」では、樽からの試飲、造り手との食事、プライベートな畑のツアーなど、ワインを中心にした多様な体験が案内されている。Tourism Australia
注目したいのは、ワインの周囲にあるものだ。
畑を見る。人と話す。料理と合わせる。その場所で時間を過ごす。
マーケティングの視点で捉えると、これらは、商品の特徴を自分の感覚で理解する機会になる。
説明文で「冷涼な気候」と読むことと、畑を渡る風に触れること。
ラベルで造り手の名前を知ることと、その人の声を聞くこと。
伝わる情報が同じでも、自分との距離は違ってくる。
その距離の変化が、購入を考える理由のひとつになり得る。
日本でも、畑へ向かう道はつくられている
日本にも、商品と土地を結ぶ取り組みがある。
山梨県の公式観光情報では、公共交通機関を使ったワイナリー巡りや、ワインタクシーを利用する方法が紹介されている。勝沼周辺のワイナリーを訪れ、試飲や買い物を楽しむための道筋が、具体的に案内されている。yamanashi-kankou.jp
これは、地域マーケティングの重要な仕事だ。
どれほど美しい畑があっても、駅からの移動方法が分からなければ、訪問をためらう人がいる。
どれほど魅力的な造り手がいても、予約の要否や見学できる時間が分からなければ、出会いは生まれにくい。
「訪れたい」という気持ちが、「訪れられる」という確信に変わる。
そのためには、物語に加えて、移動や予約の情報が必要になる。
風景に心を動かす文章と、迷わず辿り着ける案内。その両方があって、地域への入口が開く。
産地の名前は、物語を支える約束でもある
土地の価値を語るとき、情緒だけでは支えきれない部分もある。
その名前が、何を意味するのか。
どこで育てられ、どこで造られたものなのか。
オーストラリアには、ワインの産地を示す地理的表示、GIの仕組みがある。ゾーン、リージョン、サブリージョンなどの区分が設けられ、産地の境界が登録されている。Wine Australia
日本の「GI山梨」も、産地名を使うための基準を持つ。
山梨県で収穫されたぶどうを使用し、県内で醸造、貯蔵、容器詰めを行うことなどが求められ、品質審査や表示審査も実施される。山梨 甲州 ワイン
両国の制度の要件は同一ではない。それでも、産地名の適切な使用を守る仕組みがあるという点は共通している。
マーケティングの観点では、こう考えられる。
風景や造り手の物語が、興味を生む。
原産地や生産の基準が、その関心を信頼へつなぐ。
「この土地のものを買った」という実感には、その言葉を支える確かさが必要なのだ。
比較すべきは、国民性よりも「出会い方」
ここで、「オーストラリアは体験を売る国、日本は品質を売る国」と分けてしまうと、多くのものを見落とす。
オーストラリアにも品質を追求する生産者がいる。日本にも、優れた訪問体験をつくるワイナリーがある。
今回の事例から比較できるのは、商品と消費者をつなぐ接点のつくり方だ。
| 比較の視点 | オーストラリアの事例 | 日本の事例 |
|---|---|---|
| 土地の違いを伝える | バロッサ・ヴァレーやイーデン・ヴァレーの産地特性 | 山梨などの産地名と、その土地での生産 |
| 現地で理解を深める | 畑のツアー、樽からの試飲、造り手との食事 | ワイナリー巡り、試飲、造り手との交流 |
| 訪問を後押しする | 体験内容をまとめて紹介する仕組み | 公共交通のモデルコースやワインタクシーの案内 |
| 産地名への信頼を支える | ワインのGI制度 | GI山梨などの生産基準と審査 |
この比較から見えてくるのは、地域ブランドには、複数の仕事が必要だということだ。
違いを伝える人。訪問者を迎える人。移動を支える人。名前への信頼を守る人。
一本のワインの背後には、地域として選ばれるための連携がある。
一本の購入から、地域との関係へ
地域の商品を販売するとき、まず気になるのは売上だろう。
もちろん、それは事業を続けるために欠かせない。
一方、現地を訪れる体験を用意するなら、その後の関係にも目を向けたい。
訪問した人が、自宅用に再び注文する。
食卓で、その産地の話をする。
誰かへの贈り物に、同じ造り手の一本を選ぶ。
こうした行動が生まれているかどうかは、実際に確かめる必要がある。体験を用意すれば、自動的にファンが増えるわけではない。
だからこそ、体験の参加者数だけでなく、訪問後の再購入や紹介、再訪までを見る意味がある。
マーケティング上の仮説は、こうだ。
土地を知る時間が、購入後にも続く関係を育てるのではないか。
この問いは、ワイン以外にも持ち帰ることができる。
茶畑で飲む一杯のお茶。窯元で手に取る器。漁港の近くで食べる干物。
その商品が生まれた場所を知ったとき、いつもの買い物に、別の意味が加わることがある。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
旅から持ち帰った一本を、家で開ける。
グラスの中には、目の前の食事に合う味わいがある。同時に、あの日見た畑や、交わした短い会話がよみがえるかもしれない。
地域の価値は、そうした個人の記憶の中にも蓄えられていく。
オーストラリアのワインツーリズムから考えたいのは、土地にある魅力を、誰かが受け取れる時間に変えることだ。
日本の産地にも、その時間の種はある。
畑を守る手。収穫を待つ季節。毎年違う条件に向き合う仕事。
それらに出会う道をつくることで、商品は、暮らしの中へもう少し深く届くのかもしれない。
一本を選ぶ。
その小さな行為の向こうに、また訪れたい土地がある。
参考資料
- Wine Australia|Barossa Valley
- Wine Australia|Eden Valley
- オーストラリア政府観光局|Curated Australian Experiences
- Wine Australia|Australian Wine Geographical Indications
- 山梨県ワイン酒造組合|GI山梨
- 山梨県公式観光情報|公共交通機関を使ったワイナリー巡り
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