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福岡は、なぜ筑後川の水を飲むのか|大渇水と導水がつくった都市の地政学

Watercolor illustration of a glass of water in front of a river, farmland, forested hills, and a distant city, with the Japanese headline “This glass of water sustains the city.”
福岡と筑後川|一杯の水が支える都市の暮らし

天神のカフェで出される、一杯の水。

その水をたどると、街の近くの川だけでなく、南へ向かって流れる筑後川に行き着く。

博多湾に面した都市が、有明海へ注ぐ川の水を飲んでいる。福岡都市圏の水道水の約3分の1を支えるこの関係には、自然の地形に、人がつくったもう一つの水の道が重なっている。

福岡の都市機能は、空港、駅、商業施設とともに語られる。しかし、それらを毎日動かしている基盤を考えるなら、水をたどる必要がある。

1978年の大渇水。筑後川からの導水。配水管理の改善。そして海水淡水化。

福岡の水の歴史には、都市が地理的な制約と向き合い、成長の条件を整えてきた過程が刻まれている。

Contents

1.海に近い都市に、なぜ水が足りなかったのか

福岡市は海に面し、周囲には山がある。それでも、市内には一級河川が流れておらず、大都市の需要を支える水資源の確保に苦労してきた。

水不足を、単に「雨の少ない土地だから」と理解すると、その構造を見落とす。

雨が降っても、必要な時期まで蓄えておけるとは限らない。水源となる流域の広さ、川の流量、貯水施設の容量、そして都市の需要が、供給の安定性を左右する。

水道は、雨をそのまま蛇口へ届ける仕組みではない。降った水を蓄え、取り入れ、浄化し、必要な場所へ送り続ける仕組みだ。

福岡市では近郊河川の水源開発を進めてきたが、その供給は異常な少雨に直面した。

都市としての利便性と、水源としての豊かさは、別々の条件である。

海や空の交通に恵まれた土地でも、生活と事業を続けるための水は、別の地域との関係によって確保されることがある。

2.287日間の給水制限が、都市の弱点を露わにした

1978年、福岡市は大渇水に見舞われた。

同年5月20日から翌年3月24日まで、給水制限は287日間に及んだ。最も厳しい時期には、1日の給水制限時間が19時間に達した。

水が使える時間を軸に、一日の生活を組み立てなければならない。料理、洗濯、入浴。普段は意識しない行為が、水の供給に左右される。

都市の便利さを支える前提が、蛇口のところで揺らいだのである。

福岡市は深井戸の掘削や人工降雨の実験などの対策を講じた。それでも、長期の給水制限を避けることはできなかった。

この経験は、都市の強さをどう測るかという問いにつながる。

商業施設の集積や交通の便利さは、平時の魅力を示す。一方、水が足りなくなったときに生活と仕事をどれだけ維持できるかは、別の能力だ。

都市には、人や企業を引きつける力と、その活動を継続させる力の両方が必要になる。

3.有明海へ向かう水を、福岡都市圏へ届ける

福岡市が筑後川の水を水道用水として受け入れ始めたのは、1983年である。

ただし、筑後川からの水源確保の検討は1978年の渇水以前から進んでいた。大渇水をきっかけに、一から導水計画が生まれたという順序ではない。既に進められていた広域的な水資源開発の重要性が、危機によって明確になったと捉えるほうが正確だ。

筑後川は、福岡、佐賀、熊本、大分の4県にまたがる河川である。その水は流域の暮らしや農業を支えながら、有明海へ向かう。

福岡導水は、筑後川で取水した水を、佐賀県基山町への分水を経て、福岡県大野城市の牛頸浄水場へ運ぶ。導水路の延長は約25キロメートル。ポンプなどを用い、自然の流域を越えて水を届ける施設だ。

ここで区別したいのは、水を運ぶ設備と、水を確保する仕組みである。

導水路は、水そのものを生み出す施設ではない。ダムや堰などによる水源の確保と運用があり、その水を届ける経路として機能する。

水源と都市の距離を縮めたのは、管路だけではない。地域を越えた事業と調整が、水の道を成立させている。

現在、福岡都市圏の水道水の約3分の1は筑後川に由来する。行政の地図で離れた場所が、蛇口の向こうでは一つにつながっている。

4.1994年の渇水は、何が変わったのか

筑後川からの導水が始まっても、渇水の危険がなくなったわけではない。

1994年には、近郊河川だけでなく筑後川でも水が減少し、福岡市は再び長期の給水制限を経験した。

二つの渇水を比べると、対策の意味が見えてくる。

福岡市の記録1978年の渇水1994年の渇水
給水制限日数287日295日
給水制限の延べ時間4,054時間2,452時間
給水車の出動台数延べ13,433台0台

※期間はいずれも翌年まで続いた。給水制限日数は、終日断水した日数ではない。

1994年のほうが制限期間は長かった。しかし、断水の延べ時間は短く、給水時間内の蛇口からの給水が確保され、給水車の出動はなかった。

福岡市は、この違いの背景として、筑後川からの導水などの水資源開発、配水調整システムの構築、市民の節水意識の向上を挙げている。

ここから読み取れるのは、災害対策の成果を「発生したか、しなかったか」だけで評価できないということだ。

同じように危機が起きても、生活への負担を軽減できる。限られた水を配る技術も、都市の耐久力を高める。

企業の事業継続を考える際にも、この視点は役立つ。供給不足を完全に防ぐことと、供給不足が起きても必要な業務を続けられることは、それぞれ検討すべき課題である。

5.節水は、都市を動かす技術になった

「節水」と聞くと、蛇口をこまめに閉める行為を思い浮かべる。

福岡では、それに加えて、水道システム全体の効率を高める取り組みが続けられている。

水の流れや圧力を調整する。配水管を整備する。漏水を見つけ、修繕する。

せっかく確保した水を、使われる前に失わないための仕事だ。福岡市の公表によれば、2024年度の漏水率は1.9%だった。

水源を増やす対策と、既にある水を有効に使う対策は、互いを補う。

この構造は、経営にも重なる。

売上を増やす一方で、工程の無駄を減らす。人を採用する一方で、仕事の進め方を改善する。資源を追加することと、資源から得られる成果を高めることを、同時に考える。

水の制約に向き合ってきた福岡は、都市の運営をその両面から見直してきたといえる。

6.海水淡水化は、雨に依存する度合いを変える

もう一つの選択が、海から真水をつくることである。

福岡市東区にある海の中道奈多海水淡水化センター、通称「まみずピア」は、2005年6月に供用を開始した。最大生産能力は1日5万立方メートルである。

海水に圧力をかけ、逆浸透膜という膜を使って塩分を分離する。川やダムとは異なり、降雨量による水源不足の影響を受けにくいことが特徴だ。

その役割は、淡水化だけで都市の水需要を賄うことにあるのではない。異なる性質の水源を加え、少雨による影響を和らげるところにある。

ただし、海水を水道水へ変えるには、設備とエネルギーが必要になる。まみずピアでは、圧力のエネルギーを回収するなど、省エネルギー対策も取り入れている。

また、塩分が濃くなった海水は、下水処理水と混合して塩分濃度を下げたうえで、博多湾へ放流される。

淡水化は、水不足への対応を可能にする一方で、電力、設備維持、排水管理を必要とする。

制約を一つ減らすために、別の条件を管理する。この関係を理解してこそ、技術の価値と費用を考えられる。

福岡の水供給は、近郊河川、筑後川、海水淡水化などを組み合わせることで支えられている。異なる水源を持つことは、同じ原因で全てが影響を受ける危険を和らげる工夫でもある。

7.水源地域は、都市の成長にどう関わるのか

都市の側から見ると、導水は供給量の話になりやすい。

しかし、水を送り出す地域には、農業、暮らし、川の環境がある。水源開発に伴って、土地利用や生活の条件が変わる地域もある。

水を受け取る側の利便性だけでは、この関係を説明できない。

福岡都市圏では、筑後川流域と水源地域との相互理解を深めるため、流域連携基金事業を実施している。住民同士の交流に加え、地域振興、森林保全、流域や有明海の環境保全活動への支援などが対象となっている。

ここに、水道料金とは別の関係づくりがある。

水を利用する都市が、その水に関わる地域の暮らしや環境を知り、支える仕組みである。

もちろん、交流や支援が存在するだけで、負担と利益が釣り合っていると断定することはできない。それでも、都市の安定供給に水源地域の理解と協力が必要だという認識を、継続的な事業にしている意味は大きい。

企業に置き換えるなら、仕入先や協力会社との関係にも通じる。

自社の活動を支える相手に、仕事を続けられる条件があるか。価格と納期の先に、設備、人材、地域環境の維持を見ているか。

水の道は、都市と周辺地域の関係を考える、具体的な手がかりになる。

8.水の課題は、過去の記憶だけではない

2026年9月17日、福岡市は、梅雨明け以降の少雨と筑後川流域のダム貯水率低下を受け、渇水対策会議を設置した。市民への節水の呼びかけに加え、大口需要者などへの協力要請、水運用の効率化などを対応事項として挙げている。

これは、1978年や1994年と同じ規模の給水制限が起きたという意味ではない。水源が多様化し、運用技術が改善されても、少雨への対応は現在の都市運営に残る課題だということである。

なお、この記述は同年9月17日付の公表資料に基づく。貯水率や取水の状況は変化するため、ここでは固定的な数値を示さない。

福岡の水の歴史が教えてくれるのは、設備が完成した時点で対策が終わるわけではないということだ。

雨の降り方を見ながら、水を配分する。施設を点検し、補修する。利用者に協力を求め、水源地域との関係を続ける。

水道は、つくった後も毎日運営し続ける事業なのである。

おわりに|一杯の水の向こうに、都市の条件がある

天神のカフェで、水を飲む。

その一杯の向こうには、筑後川の流れがある。ダムがあり、導水路があり、浄水場がある。設備を維持する人々と、水源地域の暮らしがある。

福岡の発展を、水道だけで説明することはできない。しかし、水の供給を抜きにして、都市の活動を説明することもできない。

福岡は、土地の制約を、技術と地域間の協力によって補ってきた。その過程で、都市の外側との関係を深めてきた。

街が成長するとき、その街を支える場所にも目を向ける。

一杯の水をたどることは、福岡の未来を、もう少し広い地図で考えることにつながっている。


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参考資料

※公表資料に基づいて構成しています。都市経営や企業活動への示唆は、資料を踏まえた編集上の考察です。

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