相模湾の海は、美しい。
逗子の静かな浜辺、葉山の入り江、三浦の岩礁、城ヶ島の海岸線。水面を見ているだけなら、そこには変わらない海の風景が広がっているように見える。
けれど、その水面の下では、地域の未来に関わる変化が起きている。
海の森が、失われつつある。
カジメ、アマモ、コアマモ、海藻や海草がつくる藻場は、魚や貝のすみかであり、稚魚が育つ場所であり、漁業を支える土台でもある。
そして近年、その藻場は「ブルーカーボン」という言葉とともに、気候変動対策の場としても注目されるようになった。
海藻や海草が生い茂る海の森は、二酸化炭素を吸収する可能性を持つ。
つまり、海の森を再生することは、海の生態系を取り戻すだけではない。
漁業を支え、地域の学びを生み、企業や市民を巻き込み、脱炭素の時代における新しい地域価値をつくる取り組みでもある。
逗子・三浦から始まる海の森づくりは、ブルーカーボンを通じた地域再生の物語なのかもしれない。
海の森は、見えない地域資源である
地域資源というと、私たちは目に見えるものを思い浮かべる。
美しい海岸線、観光地、魚市場、マリーナ、海辺のカフェ、夕日の風景。
けれど、本当の地域資源は、水面の下にもある。
藻場は、海の中にある森だ。
魚や貝が集まり、小さな生きものが育ち、海の生態系を支える場所である。
そこには、観光パンフレットには写りにくい価値がある。
漁業を支える価値。生物多様性を守る価値。気候変動への対策としての価値。子どもたちが海を学ぶ教育資源としての価値。
水面からは見えないけれど、地域の足元を支える重要なインフラが、海の中にある。
だから、藻場が失われることは、単に海藻が減ることではない。
地域の産業、食文化、環境教育、観光、脱炭素の可能性が同時に痩せていくことでもある。
磯焼けは、海の中だけの問題ではない
三浦半島周辺の海では、磯焼けが課題になっている。
磯焼けとは、沿岸の岩場などに生えていた海藻が減少し、藻場が失われる現象である。
原因はひとつではない。
海水温の上昇、台風などによる流失、ウニやアイゴなどによる食害、海洋環境の変化。さまざまな要因が重なり、海の森は少しずつ失われていく。
磯焼けが進むと、魚や貝のすみかが減る。
漁業資源が減る。
海の生物多様性が弱まる。
そして、海が持つ炭素吸収の可能性も小さくなる。
これは、海の中だけで完結する問題ではない。
漁業の問題であり、地域経済の問題であり、気候変動の問題であり、次世代の学びの問題でもある。
だからこそ、磯焼け対策は、単なる環境保全ではなく、地域の未来をどう設計するかというテーマになる。
4市1町で取り組む理由
横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町。
三浦半島の4市1町は、ブルーカーボンの取り組みで連携を進めている。
この連携には、大きな意味がある。
海は、市境で区切れない。
潮の流れは行政区分を知らない。魚も、海藻も、人間が引いた境界線とは別のルールで生きている。
だから、海の課題は、ひとつの自治体だけでは解ききれない。
逗子の海、葉山の海、横須賀の海、三浦の海、鎌倉の海。
それぞれの海は違う表情を持ちながら、同じ相模湾・東京湾の生態系の中でつながっている。
ブルーカーボンの取り組みが面白いのは、環境問題を自治体単位ではなく、海域単位で考え直している点にある。
地域再生とは、ひとつの町だけを元気にすることではない。
共有する海をどう守り、どう学び、どう未来の価値に変えていくか。
その視点が、三浦半島のブルーカーボンにはある。
三浦の海で、子どもたちがアマモを植える
三浦市では、城ヶ島のアマモ場で、アマモの植え付け体験が行われている。
参加対象は、三浦半島4市1町に住む小学生、中学生、高校生など。
実際に藻場造成に取り組む場所で、アマモを植え、漁師の話を聞き、三浦半島で獲れる魚に触れる。
これは、単なる自然体験イベントではない。
海を「眺める場所」から、「支える場所」へ変える体験である。
子どもたちは、海藻を植えることで、海の中にも森があることを知る。
魚が育つ場所があることを知る。
漁師の仕事が、海の環境と深くつながっていることを知る。
そして、自分たちの住む地域の海が、気候変動や生物多様性とつながっていることを身体で理解する。
地域再生において重要なのは、次の世代が地域をどう見つめるかだ。
海の森づくりは、未来世代に地域の見方を手渡す教育でもある。
ブルーカーボンは、企業と地域をつなぐ
ブルーカーボンの取り組みには、企業の参加も広がり始めている。
三浦市では、企業版ふるさと納税を活用し、城ヶ島でアマモ、諸磯でカジメの藻場再生活動に取り組んでいる。
ここに、これからの地域再生のヒントがある。
企業が地域に関わる理由は、単なる寄付やCSRだけではなくなっている。
脱炭素、生物多様性、地域共創、教育、観光、ブランド価値。
海の森づくりは、複数の価値を同時に持つ。
企業にとっては、環境価値をつくる取り組みであり、地域との接点をつくる取り組みでもある。
地域にとっては、資金や技術、発信力を得ながら、海の再生を継続していくための仕組みになる。
ブルーカーボンは、海の中の炭素だけを扱う話ではない。
企業と地域が、未来の環境価値を共につくるための接点になり始めている。
逗子・葉山・三浦が持つ“海辺の編集力”
逗子、葉山、三浦には、共通する魅力がある。
それは、都市に近く、自然に近いことだ。
都心からアクセスできる距離にありながら、海、山、漁港、マリーナ、畑、入り江、岩礁、集落の風景が残っている。
この距離感は、ブルーカーボンの取り組みにとって大きな意味を持つ。
都市生活者が、海の問題に触れやすい。
企業が、地域の環境課題と接点を持ちやすい。
子どもたちが、海を学びのフィールドにしやすい。
観光客が、ただ美しい海を見るだけでなく、その海を支える仕組みを知ることができる。
逗子・葉山・三浦の海辺には、環境問題を難しい言葉だけでなく、体験や風景として伝える力がある。
つまり、この地域には“海辺の編集力”がある。
海の森づくりを、環境保全だけで終わらせず、教育、観光、地域ブランド、企業連携へ広げていく可能性がある。
Jブルークレジットという新しい見える化
ブルーカーボンの取り組みでは、海の再生をどう可視化するかも重要になる。
横須賀市では、藻場の再生や創出による二酸化炭素吸収量を認証するJブルークレジットの申請にも取り組んでいる。
藻場は見えにくい。
海の中の変化は、日常の風景からは分かりにくい。
しかし、再生された藻場の面積や、二酸化炭素吸収量が認証されることで、海の取り組みは社会に伝わりやすくなる。
見えない海の森を、見える価値に変える。
そこに、ブルーカーボンの新しさがある。
環境価値が数値化されることで、企業も参加しやすくなる。
自治体も成果を説明しやすくなる。
市民も、自分たちの海の再生が社会的な価値を持つことを理解しやすくなる。
ブルーカーボンは、自然を守るだけでなく、自然の価値を社会に翻訳する仕組みでもある。
地域再生とは、関係を結び直すこと
地域再生という言葉は、よく使われる。
観光客を増やすこと。
移住者を増やすこと。
特産品を売ること。
もちろん、それらも地域にとって大切な要素だ。
けれど、ブルーカーボンが教えてくれる地域再生は、少し違う。
それは、失われかけた関係を結び直すことだ。
人と海の関係。
漁業と環境の関係。
企業と地域の関係。
子どもたちと海の関係。
都市生活者と沿岸地域の関係。
藻場を再生することは、海藻を増やすことだけではない。
海をめぐる関係性を、もう一度つくり直すことでもある。
逗子・三浦から始まる海の森づくりは、地域再生を「経済の活性化」だけでなく、「関係の再生」として捉え直すきっかけになる。
おわりに
海の森は、水面からは見えない。
けれど、そこには魚が育ち、漁業が支えられ、二酸化炭素を吸収する可能性があり、子どもたちが地域を学ぶ入口がある。
ブルーカーボンは、単なる環境用語ではない。
海を通じて、地域の未来をつくるための新しい言葉である。
逗子・三浦から始まる海の森づくりは、海を守る取り組みであると同時に、地域の価値を再編集する取り組みでもある。
美しい海を眺めるだけでなく、その海の下にある森を想像する。
そこから、地域を見る目は少し変わる。
相模湾の変化を、これからも少しずつ追いかけていきます。気になった方は、ぜひブックマークしておいてください。
引用・参考資料
三浦市「三浦半島4市1町ブルーカーボンプロジェクト『アマモ苗植付イベント』」

