アフリカ中央部、ルワンダとコンゴ民主共和国の国境に、キブ湖がある。
緑の山々に囲まれた湖面は穏やかで、湖岸には都市や集落が広がっている。漁業や交通、観光を支えるこの湖は、地域の人々にとって日常の風景である。
しかし、水深約250メートルより深い場所には、目に見えない大量のガスが溶け込んでいる。
二酸化炭素とメタンである。
キブ湖は、水をたたえた巨大な容器であると同時に、ガスを閉じ込めた地質構造でもある。そのガスは、突然放出されれば災害を引き起こす可能性がある一方、取り出せば発電に利用できる。
湖底に眠るガスは、危険なのか。
それとも、地域を支える資源なのか。
キブ湖では、その二つを切り離して考えることができない。
大地が裂ける場所に生まれた湖
キブ湖は、東アフリカ大地溝帯に位置している。
ここでは、アフリカ大陸を構成するプレートがゆっくりと引き離されている。地殻には断層が走り、周辺にはニーラゴンゴ山やニアムラギラ山などの活火山が存在する。
地下深くから供給される熱や火山性の物質は、湖底から湧き出す水を通じて湖の内部へ入ってくる。
キブ湖は最大水深が約485メートルに達する深い湖である。深部の水には二酸化炭素やメタンが溶け込み、その上を比較的ガスの少ない水が覆っている。
スイス連邦水圏科学技術研究所によると、湖には推定約300立方キロメートルの二酸化炭素と、約62立方キロメートルのメタンが溶存している。Eawag
ただし、湖底に空洞があり、そこへガスが塊となって蓄積しているわけではない。
ガスの多くは、高い圧力によって深層水の中に溶け込んでいる。
炭酸飲料のボトルを開けるまで、二酸化炭素が液体の中にとどまっている状態に近い。
なぜガスは湖底にとどまれるのか
多くの湖では、季節による水温変化や風によって、表層と深層の水が入れ替わる。
しかし、キブ湖では深くなるほど水温や塩分、溶け込んだ物質の量が変化し、密度の異なる水が何層にも分かれている。
重い水は下に、軽い水は上にある。
この安定した成層構造によって、湖の水は上下方向に混ざりにくい。深層水は長い間、湖底近くにとどまり続ける。
このように湖水が恒常的に混ざらない湖は「部分循環湖」と呼ばれる。
キブ湖の深層へは、火山活動や地下水を通じて二酸化炭素などが供給される。さらに湖内の微生物は、沈んだ有機物や二酸化炭素などからメタンを生成する。
本来なら大気へ逃げる可能性のあるガスが、強固な水の層によって深部に閉じ込められているのである。
静かな湖面は、湖が何も動いていないことを意味しない。
その下では、地質、水温、塩分、微生物が関わる複雑な仕組みによって、ガスを蓄える環境が維持されている。
湖が突然ガスを放出する「湖水爆発」
深層水に溶けたガスが何らかの原因で上昇すると、水圧が下がり、ガスが泡となって現れる。
泡を含んだ水は軽くなるため、さらに上昇する。水が上がるほど圧力が下がり、より多くのガスが分離する。
この連鎖が急速に進む現象が「湖水爆発」あるいは「リムニック噴火」と呼ばれる。
火山のように溶岩を噴き出す現象とは異なる。
危険なのは、湖から放出された大量の二酸化炭素である。二酸化炭素は空気より重いため、地表近くを流れ、低地に滞留する可能性がある。高濃度になれば、人や動物は酸素を吸うことができなくなる。
1986年、カメルーンのニオス湖で湖水爆発が発生した。湖から放出された二酸化炭素が周辺の谷や集落へ流れ込み、多くの人々と家畜が命を失った。
キブ湖はニオス湖よりはるかに大きく、周辺には都市を含む人口密集地域が存在する。そのため、同様の現象が起きる可能性は長年にわたって研究されてきた。
明日にでも爆発する湖なのか
キブ湖は、しばしば「爆発する湖」と呼ばれる。
しかし、この表現だけでは現在の科学的理解を正確に伝えられない。
湖水爆発が起こるためには、深層水に蓄積されたガスが飽和状態に近づき、さらに湖の安定した成層を大きく乱す条件が必要になる。
周辺には活火山や地震活動があるため、火山噴火、湖底での地滑り、強い地震などが湖へ与える影響は無視できない。
一方で、2020年に発表された国際研究チームの測定では、過去に指摘されていたメタン濃度の継続的な上昇は確認されず、深層のガス量はおおむね安定した状態にあると結論づけられた。PLOS ONE
つまり、湖水爆発の可能性が存在しないわけではないが、時間とともに危険性が急速に高まり、すぐに災害が起きると断定できる状態でもない。
大切なのは、恐怖を強調することではなく、湖のガス濃度や水温、塩分、密度構造を継続して観測することである。
キブ湖の危険性は、湖面を眺めるだけでは判断できない。
危険なメタンを電力へ変える
キブ湖に溶け込んでいるメタンは、エネルギー資源でもある。
ルワンダでは、湖の深層水を汲み上げ、圧力を下げることでメタンを分離し、発電用燃料として利用する事業が進められている。
電力供給の拡大は、産業や医療、教育、家庭生活を支える。輸入燃料への依存を減らすという意味でも、湖のメタンは重要な資源になり得る。
世界銀行グループも、キブ湖から回収したメタンを利用する発電事業を支援してきた。World Bank
ガスを取り出すことによって、湖内に蓄積されたメタンの量を減らせる可能性もある。
災害リスクとなり得る物質を、地域の電力へ変える。
一見すると、危険の低減とエネルギー確保を同時に実現できる理想的な方法に見える。
しかし、湖からガスを取り出すこと自体が、新たな管理上の課題を生む。
採取方法を誤れば、湖の安定を崩す
メタンだけを湖から取り出すことはできない。
発電事業では、ガスを含んだ深層水を汲み上げ、メタンを分離した後、残った水を湖へ戻す必要がある。
ここで重要になるのが、どの深さから水を取り、どの深さへ戻すのかという設計である。
深層水には、表層水とは異なる温度、塩分、栄養塩、溶存ガスが含まれている。性質の異なる水を不適切な深さへ戻せば、湖を安定させている密度構造を変化させる可能性がある。
また、栄養分の多い深層水が上層へ流入すれば、藻類の増殖や水質変化を招くおそれもある。
メタンの採取は、地下資源を掘り出す一般的なガス開発とは異なる。
資源そのものが、湖の成層構造の中に組み込まれているからである。
ルワンダ政府は、ガス採取の安全性と湖の安定を監視するため、キブ湖監視プログラムを設置している。ルワンダ・インフラ省
発電量だけでなく、湖全体の水温、ガス濃度、塩分、密度を長期的に観測し続けなければならない。
湖は二つの国にまたがっている
キブ湖の管理をさらに複雑にしているのが、湖がルワンダとコンゴ民主共和国の国境に位置していることである。
湖水は国境線で分かれていない。
一方の国で行われたガス採取や排水が湖の成層を変えれば、その影響はもう一方の国にも及ぶ可能性がある。大規模なガス放出が発生した場合も、被害を国境内にとどめることはできない。
湖の安全管理には、両国による観測データの共有、採取基準の統一、緊急時の避難計画、長期的な資源利用の合意が必要になる。
キブ湖は、自然資源をどの国が所有するのかという問題だけではなく、国境を越える環境リスクを誰が管理するのかという問いを突きつけている。
静かな湖を、静かなまま利用できるか
キブ湖の湖面から、深層にあるガスを見ることはできない。
漁船が行き交い、人々が湖岸で暮らす日常の下に、二酸化炭素とメタンを含む巨大な水の層がある。
そのメタンは、地域に電気を届ける資源になる。
同時に、湖の扱いを誤れば、成層や生態系を変化させる可能性がある。火山活動や地震を完全に予測することもできない。
だからこそ必要なのは、「危険だから触れない」「資源だから使い切る」という二者択一ではない。
湖の状態を測り、変化を読み、利用量と採取方法を調整し続けること。
キブ湖が求めているのは、自然を支配する技術ではなく、自然の微妙な均衡を崩さずに使う技術である。
穏やかな湖面は、安全を保証しているわけではない。
しかし、恐怖だけが湖の姿でもない。
キブ湖は、災害と資源、地質と生活、二つの国家が一つの水面の下でつながっていることを、静かに示している。

