川越はなぜ、小江戸になったのか。
——蔵造りと舟運から読む、商人たちの街
黒い壁の前を、焼き菓子を手にした人が歩いていく。
店先には暖簾が揺れ、通りの向こうには時の鐘が見える。重なり合う屋根と厚い瓦。その下では、今日も商いが続いている。
川越を歩く楽しさは、古い街並みの中に、いまの時間が流れていることにある。
建物を眺め、気になった店に入り、路地へ曲がる。少し歩くたびに、目に入るものも、漂ってくる香りも変わっていく。
「小江戸」という言葉が、よく似合う街だ。
けれど、ここで一つ考えてみたい。
なぜ、江戸から離れた川越に、江戸の面影があるのだろう。
その答えを探すには、蔵造りの通りから、少し視野を広げる必要がある。街を江戸と結んだ川へ。そして、火災のあとに、もう一度店を建てようとした商人たちへ。
01|江戸との距離は、川で縮まった
川越の街を支えたものの一つに、新河岸川の舟運がある。
江戸時代、川越は城下町として整えられ、周辺地域の物資が集まる商業の拠点でもあった。その川越と、大きな消費地である江戸を結ぶ輸送に、新河岸川が使われた。city.kawagoe.saitama.jp
いまの私たちは、街と街の距離を、電車の所要時間や道路の長さで考える。
当時の商人にとっては、川がどこへつながっているかが、商いの可能性を左右した。
集めた商品を、どれだけ運べるか。誰に届けられるか。帰りの舟には、何を積めるか。
川は水の流れる場所であり、仕事を遠くへ届ける道でもあった。
河岸には船問屋が並び、荷物を集め、舟に積み、送り出す仕事があった。下新河岸に残る旧船問屋・斎藤家の建物や舟運関係の文書は、その営みを伝えている。city.kawagoe.saitama.jp
蔵造りの街並みを見ているだけでは、川越は内陸で完結した古い街に見えるかもしれない。
けれど、その繁栄は、外とのつながりの中にあった。
江戸を支える商品が川越を通り、江戸との取引が川越の商人を育てた。その往来を思い浮かべると、「小江戸」という呼び名にも、見た目の懐かしさを超えた意味が感じられる。
02|江戸の面影は、明治の再建にも宿っている
川越の一番街を歩くと、厚い壁と大きな屋根が目に入る。
いかにも古い時代から、そのまま残っているように見える建物だ。
しかし、現在につながる蔵造りの町並みが形成される大きな契機は、江戸時代ではなく、1893年、明治26年の川越大火だった。
当時の川越町の約3分の1を焼いた火災で、蔵造りの建物の中には焼失を免れたものがあった。商人たちはその防火性に着目し、再建にあたって蔵造りの店舗を次々に建てた。city.kawagoe.saitama.jp
私たちが江戸の情緒を感じている風景には、明治の商人たちによる再出発が重なっている。
店を失えば、建物だけでなく、仕事を続ける場所も失う。
もう一度建てるなら、次は何を選ぶのか。商品を守り、家業をつなぐには、どんな建物が必要なのか。
厚い壁を、そんな問いへの答えとして見てみる。
黒く重厚な外観が、少し違って感じられる。そこにあるのは、懐かしい意匠とともに、再び商いを始めるための現実的な判断だ。
実際、現在の蔵造り資料館となった旧小山家の建物は、大火で焼け残った蔵造りや、東京・日本橋界隈の商家を参考に建てられたという。city.kawagoe.saitama.jp
災害を経験した街で、人々は、残った建物を見て学んだ。
その学びが、次の街並みの形になっていった。
03|その蔵では、商品を売っていた
川越の蔵造りを眺めるとき、知っておくと面白い言葉がある。
「店蔵〈みせぐら〉」だ。
蔵と聞けば、荷物や大切な品を保管する建物を思い浮かべる。けれど、川越の町並みを特徴づける蔵造りには、店舗として使われてきた建物がある。大火後、商人たちが建てたのも、蔵造りの店舗だった。city.kawagoe.saitama.jp
そのことを知ると、目が屋根から店先へ移る。
どこから客が入ったのだろう。何を並べ、どのように品物を見せていたのだろう。
通りに向けて開かれた商いと、火から守りたい財産。その両方を受け止める場所が、店蔵だったと考えられる。
建物には、そこで営まれる仕事が表れる。
商人たちは、商品を仕入れて売るだけでなく、その仕事を続けるための器もつくっていた。
いま、古い建物の中に入り、品物を選ぶ。その行為は、建物が担ってきた役割と、どこかでつながっている。
川越の魅力は、歴史的な建物を通りから眺められることに加え、店の扉を開き、その空間で商いに触れられることにもある。
04|古い町並みは、残そうとした人がいたから残った
蔵造りが火災を生き延びても、その先の時代まで残るとは限らない。
建物は傷む。店の使い方は変わる。商業の中心が移れば、古い商店街から人が遠ざかることもある。
川越でも、1960年代以降、一番街周辺の旧市街地は衰退し、蔵造りの外観が変えられたり、建物が取り壊されたりする状況があった。
そうした中、若手商店主や建築・まちづくりの専門家らによる勉強会を背景に、1983年、市民団体「川越蔵の会」が発足した。NPO法人 川越蔵の会
ここで注目したいのは、街並みの保存と、商店街の活性化を結びつけて考えたことだ。
建物を残すには、そこを使い、維持する人が必要になる。店として続けるなら、客が訪れ、商いが成り立つことも欠かせない。
国土交通省が紹介する川越の取り組みでも、蔵造りの街並みを保存するためには商店街の活性化が必要だという考え方が示されている。mlit.go.jp
守りたい景観と、続けたい仕事。
その二つを同じ場所で考えることが、川越のまちづくりの大切な視点だった。
そして1999年、一番街周辺は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。koedo.or.jp
今日、旅人が見ている街並みには、明治の再建と、その後の保存の取り組みが重なっている。
残っているものの向こうには、残すために動いた人々がいる。
05|食べ歩きの途中で、店先から上を見てみる
川越を訪れる入口は、気軽でいい。
食べてみたかった菓子でも、写真に撮りたかった時の鐘でもいい。気になる店を探しながら歩く時間そのものに、旅の楽しさがある。
その途中で、ときどき視線を上げてみたい。
店先の上に、重い屋根がある。窓の周囲には、厚い壁がある。隣り合う建物にも、形や細部の違いがある。
それぞれの店を建てた人は、何を扱い、何を大切にしていたのだろう。
建物の形を眺めることが、商人の仕事を想像することへと変わっていく。
時の鐘にも、目を向けたい。
江戸時代から街に時を知らせてきた鐘は、現在も一日に4回、音を響かせている。www.city.kawagoe.saitama.jp
時計を各自が持つ以前、街で同じ時刻を知ることには、いま以上の意味があっただろう。
店を開ける。人と会う。仕事の区切りをつける。
鐘の音を聞くとき、その音が長く商いと暮らしの上を渡ってきたことを思う。
川越には、目で見る歴史だけでなく、耳で触れられる時間も残っている。
06|川越を歩くと、街の価値の育ち方が見えてくる
舟運は、川越を江戸と結んだ。
大火後の商人たちは、防火性に着目して店蔵を建てた。
時代が変わると、地域の人々は、その建物と商店街をどう未来へつなぐかを考えた。
現在の川越の魅力は、一度の計画で完成したものではない。
それぞれの時代に、必要なものを選んだ結果が積み重なっている。
商売をするための建物が、後の時代には、人を惹きつける景観にもなった。その景観を受け継ぐために、また新しい仕事や工夫が求められている。
そう考えると、「小江戸」は過去だけを指す言葉ではなくなる。
古い建物を使いながら、いまの人を迎える街。その営みが続いているから、川越には歩きたくなる時間がある。
通りの向こうから、鐘の音が聞こえる。
誰かが店に入り、誰かが品物を包み、また誰かが暖簾をくぐって出てくる。
旅人にとっては特別な一日が、商う人にとっては、今日の仕事として流れている。
その二つの時間が重なるところに、川越の豊かさがある。
EDITOR’S NOTE — NEOTERRAIN
川越について調べていて心に残ったのは、蔵造りの町並みが、大火後の商人たちの判断から広がったということでした。
いま私たちは、その重厚な姿を美しいと感じます。
けれど、建てる側には、また火災に遭ったらどうするのか、どうすれば商いを続けられるのかという、切実な問いがあったはずです。
遠い時代の人々も、自分たちの仕事の先行きを考え、ほかの事例を見て学び、お金と手間をかけて選択していた。
そのことに気づくと、古い街並みが、急に身近になります。
そして、後の時代には、古くなった建物を残しながら商店街を続けるという、別の課題が生まれた。川越の風景には、一度の成功では終わらない仕事の時間が刻まれています。
地域の魅力は、名所をつくった瞬間だけに生まれるものではないのでしょう。
日々店を開き、建物に手を入れ、訪れる人を迎える。その積み重ねによって、街は次の時代へ渡っていく。
川越を歩くときは、屋根や壁と一緒に、今日も開いている店の扉を見ていたいと思います。
参考資料・関連情報
- 川越市「川越市の歴史 近世」
- 川越市「川越に蔵造りの町並みができるまで」
- 川越市「蔵造りの町並み」
- 川越市「蔵造り資料館」
- NPO法人 川越蔵の会「川越蔵の会について」
- 国土交通省「地域の取組み」
- 川越市「川越を観光しよう!」
※公開資料に基づいて構成しています。冒頭などの情景描写は、現地取材の記録ではありません。

