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紙のまちは、山の向こうの水でできている|四国中央市の地政学

山間を流れる水路の先に、海沿いの工場と貨物船が見えるイメージ。「一枚の紙に、山と海がある。」の文字入り
山間を流れる水路の先に、海沿いの工場と貨物船が見えるイメージ

愛媛県の東端、四国中央市。瀬戸内海に面した工場群からは、毎日の暮らしに欠かせない紙が送り出されている。

なぜ、このまちで紙産業が育ったのか。港があるからだろうか。それだけでは説明できない。海岸部の土地は細長く、背後には山が迫る。かつて大きな河川に恵まれず、水不足に悩まされた土地でもあった。[1]

紙のまちをつくったのは、海だけではない。山の向こうを流れる水を引き、海を通じて原料と製品を運び、地域に技術を蓄積してきた歴史だ。愛媛県の地政学を、四国中央市の「水と紙」から掘り下げる。

Contents

紙づくりは、分水より前から始まっていた

四国中央市によると、この地域の紙づくりは18世紀半ばの宝暦年間に始まったと伝えられる。山間に自生する楮や三椏を使った手漉き紙が里へ伝わり、農家の副業から地場産業へ育っていった。[2]

ここに、現在の産業を考えるうえで大切な順序がある。ダムが完成したから、突然、紙のまちが生まれたわけではない。紙づくりの知識、人手、取引関係が先にあり、手漉きから機械抄きへと生産が移る時代に、水の確保が産業を拡大する条件になった。[2]

紙の製造には、生産工程で使う水が欠かせない。ところが四国中央市の海岸側には大きな川がなく、県は古くから干ばつに悩まされていたと記す。[1] 「海に近い工業都市」という風景の背後には、水の制約があった。

銅山川の水は、山を越えて海岸へ向かった

解決の鍵となったのが、法皇山脈の向こうを流れる銅山川だ。銅山川は吉野川水系に属する。県によれば、山を隔てた川からトンネルで分水する構想は江戸時代にまでさかのぼる。その実現には、下流の徳島県を含む関係者の協力が必要だった。[1]

柳瀬ダムの完成を経て、銅山川の水は海岸側の宇摩平野へ導かれた。その後も新宮ダム、富郷ダムが整備され、四国中央市の生活用水、工業用水、農業用水を支えている。[1][2]

水はただ山を越えたのではない。県の銅山川発電所では、導水途中の高低差を利用して発電し、その後の水を上水道や製紙工場の工業用水として利用している。[3] 山の水と落差を、電力と用水の双方に結びつけた仕組みだ。

この分水を地図上の一本の線として見れば、四国中央市の産業は県境を越えた水系とも関係していることが分かる。行政上は愛媛の都市でも、工場を支える水の物語は、山の向こうと下流域への配慮抜きには語れない。

港は、紙の原料と製品の出入り口になった

水を確保する一方、大量生産には大量輸送も必要だった。市は、製紙に関わる商社や機械メーカーの集積と、三島川之江港の整備が、紙産業の基盤を強めたと説明する。[2]

港では、原料を受け入れ、出来上がった紙やパルプを送り出す。国土交通省の港湾資料も、三島川之江港で紙・パルプが主要な移出品目となっていることを示している。[4]

四国中央市の立地は、海岸に工場が並ぶだけの単純な構図ではない。山側から水を引き、海側から原料を受け取り、製品を外へ運ぶ。 二つの流れが工場で交わる。その結節点に、紙のまちがある。

「日本一」を支えるのは、工場の外側にもある

愛媛県の資料によると、四国中央市の製紙・紙加工業の製造品出荷額等は、2024年の経済構造実態調査で約6,082億円。市区町村単位で全国1位とされる。[5] ただし、この数字は紙関連の出荷額等であり、市全体の産業規模を表す数字ではない。

大きな工場の存在に目が向きやすいが、市は原料や薬品を扱う商社、製紙機械メーカー、港の整備も紙産業を補完してきたと説明している。[2] 地域の強さは、工場一つの生産能力だけでは測れない。原料を調達し、設備を動かし、加工し、運ぶという工程が地域に重なっている。

長く続く紙づくりの技術に、分水、発電、港、周辺企業の集積が加わった。四国中央市の「日本一」は、一つの資源だけから生まれたものではない。

水の条件は、いまも産業の条件である

銅山川から水を引けるようになったことは、水の制約が消えたことを意味しない。市が公表する工業用水道の情報からも、紙産業を含む地域の生産が、継続的な用水供給に支えられていることが分かる。[6]

一方、紙の需要や用途も変わっている。市は、紙を取り巻く情勢の変化を踏まえ、研究機関や大学と連携して新しい市場や技術を模索している。[2] かつて水を通すことで生産を広げたまちは、これから何をつくり、どう資源を使うのかという問いにも向き合う。

ここで地政学は、過去の立地を説明するだけの言葉ではなくなる。水をどう配分するか。港をどう使うか。蓄積した技術を次の製品へどうつなぐか。地形の制約に応えてきた地域だからこそ、その選択が未来の産業を左右する。

目に見える工場の背後に、見えない地図がある

瀬戸内海沿いの工場から、山の向こうの銅山川は見えないかもしれない。けれど、工場の水をたどれば、法皇山脈を抜ける導水路と、別の流域にまで地図が広がる。

紙のまちは、海だけでも山だけでもできなかった。先にあった紙づくりの技術に、水を引く構想と港を使う物流が重なり、現在の四国中央市へつながった。

私たちが毎日手にする一枚の紙にも、その見えない地図が折り込まれている。


参考資料

[1] 愛媛県「愛媛の水事情――主な水資源開発の歴史」
[2] 四国中央市「日本一の書道用紙のまち 四国中央市」
[3] 愛媛県「銅山川発電所」
[4] 国土交通省「三島川之江港金子地区・村松地区における取扱貨物量の推移」
[5] 愛媛県「地域再生計画」
[6] 四国中央市「工業用水道事業」

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