マーケティングを、専門学校の学生にどう教えればいいのだろう。
授業を担当することになったとき、私が最初に考えたのは、知識をどれだけ並べられるかではなかった。学生たちが、自分の活動やこれからの仕事に引き寄せて考えられる「地図」をどう渡すか、ということだった。
広告、ブランディング、SNS、動画、記事、販売促進。マーケティングにはさまざまな言葉がある。しかし、それぞれを別々の施策として覚えても、目の前に商品やサービスが現れたとき、何から考えればいいか分からなくなる。
そこで、自分が長年携わってきた映像制作やダイレクトマーケティング、そして現在のメディア運営で経験してきたことを、ひとつの流れとして整理してみた。それが、私の考える「MDCA理論」の出発点である。
これは、どんな商品にも当てはめれば必ず売れる、という公式ではない。人が誰かや何かと出会い、理解し、信頼し、自分の意思で動くまでに、何を設計できるのか。その問いを忘れないための思考の枠組みだ。
施策の前に、「受け手の時間」を考える
「商品を広めたい」と相談されると、私たちはすぐに施策を考えがちだ。動画をつくる。SNSに投稿する。広告を出す。インフルエンサーに紹介してもらう。
だが、発信する側に理由があることと、受け取る側が時間を使いたいことは同じではない。毎日膨大な情報に触れる人にとって、こちらの一本の動画や一つの投稿を見る理由は、まだ存在していない。
私は「どう発信するか」の前に、「なぜ、その人が振り向くのか」を考えたい。
さらに言えば、振り向いたあとに何が起きるのか。興味を持った人の疑問に答えられるか。関わり続ける理由があるか。最後に、その人の時間や選択に、どんな良い変化を返せるか。
この一連の問いを、学生にも、自分自身にも使える形にしたかった。
M——世界観が、出会う理由をつくる
MはMass。私の整理では、マスマーケティングの視点を「世界観を提示すること」と捉えている。
ここでいうMassは、テレビで大量に広告を流すことだけを意味しない。まだこちらを知らない人に向けて、「これは何だろう」「少し見てみたい」と思える入口をつくる働きである。小さな活動でも、その役割は必要だ。
たとえば、一人の若いクリエイターがライバーやVTuberとして活動を始めるとする。配信の頻度や機材の選定より先に考えたいことがある。
どんな景色を見せる人なのか。どんな感情を大切にするのか。見に来た人は、その場でどんな空気を感じるのか。
同じ「雑談配信」でも、毎日を少し笑って終えられる場所と、知的な好奇心を一緒に育てる場所では、集まる人が変わる。声の調子、話題、画面の色、言葉遣いも変わるだろう。
世界観とは、格好のよいビジュアルを先につくることではない。その人が何を見つめ、どんな時間を届けるのかが、表現の細部まで通っている状態だ。
相手がこちらの存在を知る前に、こちらは相手の関心と向き合えているか。Mは、その最初の接点を設計する。
D——「好きかもしれない」を「自分に合う」へ変える
DはDirect。ダイレクトマーケティングの視点で、魅力や価値を具体的に説明し、納得につなげる役割を担う。
私は長く、インフォマーシャルや通販に関わってきた。そこで痛感するのは、印象に残る映像と、相手が選べるだけの情報を届けることは、両方必要だということだ。
雰囲気が素敵でも、何が得られるのか分からなければ選べない。逆に、機能を隙間なく説明しても、その商品が自分の暮らしとどう関係するか見えなければ、心は動きにくい。
ライバーなら、「配信しています」だけでなく、どんな話題を扱い、初めて来た人がどう参加でき、いつ訪ねればその体験に出会えるかを伝える。サービスなら、誰のどんな困りごとに応え、何ができて、何はできないのかを明確にする。
説得とは、相手を言い負かすことではない。相手が自分にとって必要かどうかを判断できる材料を、誠実に渡すことだ。
Dをきちんと考えるほど、受け手は「よく分からないまま選ぶ」負担から解放される。
C——接点を重ね、信頼を育てる
CはContent。継続的なコンテンツと相互のコミュニケーションを通じて、理解と信頼を深める視点である。
一度の広告で伝えられることには限りがある。とくに人や活動への信頼は、何度も触れる中で育つ。記事を読む。短い動画を見る。配信で質問する。返ってきた言葉に、その人の考え方を感じる。
この過程で大切なのは、発信の量だけではない。質問や反応によって、こちらも何を伝えるべきかを学び、表現を変えていけるかどうかだ。
コンテンツは、相手を購入や登録まで運ぶための長い広告ではない。まだ選ばない人にとっても、知る喜びや考えるきっかけ、明日の暮らしに使える発見が残るものであってほしい。
NEOTERRAINのJournalや動画を続ける中でも、私はそのことを考える。すぐに仕事につながらなくても、ある土地の見方が変わったり、社会の出来事を考える言葉が一つ増えたりする。そうした価値を積み重ねることが、結果として「この人の話をまた聞きたい」という信頼につながるのではないか。
受け手が何を知りたがっているかに耳を傾けること。Cには、発信する側が変わる余地も含まれている。
A——行動は「買う」だけではない
AはAction。受け手の行動が変わることである。
マーケティングでいう行動は、購入や申し込みとして語られやすい。もちろん事業には必要だ。ただ、受け手の行動をそれだけに狭めると、見落とすものがある。
記事を読んで、別の地域を調べてみる。動画を見て、これまで通り過ぎていた風景に目を向ける。配信で勇気をもらい、翌日、小さなことに挑戦する。商品を比較して、今回は買わないと決める。自分に合わないと判断できることも、一つの有益な行動だ。
発信者や企業にとっての成果と、受け手にとっての価値が重なっているか。ここを問い直さなければ、Aは単なる「誘導」になってしまう。
私が目指したいのは、見た人が自分の意思で次の一歩を選べる状態である。その一歩が、時間の使い方を豊かにしたり、面倒を減らしたり、考える力を増やしたりするなら、発信には意味があったと言える。
四つを、一直線の正解にしない
MDCAを授業で説明するときは、まず「知る→納得する→信頼する→動く」という順序で示す。この流れなら、学生も全体像をつかみやすい。
ただ、現実の人の気持ちは、それほど整然とは進まない。友人の紹介で先に信頼が生まれることもある。試しに買ってから世界観が好きになることもある。コンテンツから偶然出会い、後でサービスの説明を読む人もいる。
したがって、MDCAは決まった順に施策を実行する工程表ではない。四つの役割を見渡し、いま何が欠けているのかを考えるための地図である。
世界観だけが強ければ、印象は残っても価値が伝わらない。説明だけが強ければ、理解はされても惹かれない。交流だけを増やしても、何のための活動かが曖昧なら関係は続きにくい。行動だけを急がせれば、相手に考える余白を渡せない。
このバランスを見つめ直すと、「SNSを毎日更新すべきか」という施策の問いも、「誰と、どんな関係を育てたいか」という設計の問いに変わる。
ライバーやVTuberを目指す学生に渡したい地図
専門学校の学生が、自分自身を発信の主体にする時代である。ライバー、VTuber、映像作家、デザイナー。活動の形は違っても、「見つけてもらう」「選んでもらう」「関係を続ける」という課題は共通している。
そんなとき、自分に問いかけてみてほしい。
- M: 自分の世界を初めて見る人に、どんな時間が始まると感じてほしいか。
- D: 興味を持った人が、自分に合うか判断できる情報を渡しているか。
- C: 見てくれる人と、言葉や体験をどう積み重ねるか。その声から何を学ぶか。
- A: 見終わった人に、どんな良い変化が残るか。参加する次の一歩は分かりやすいか。
たとえば「ファンを増やしたい」という目標は、そのままでは抽象的だ。毎晩、安心して戻ってこられる場所をつくりたいのか。少人数でも作品づくりに参加する仲間と出会いたいのか。それによって必要な発信も、望ましい規模も変わる。
何万人に届くことだけが成功ではない。届けたい価値に深く共鳴する人が集まり、活動を続けられる関係が生まれることも、一つの成果だろう。
理論を教えることは、答えを渡すことではない
私がMDCAを考えたのは、学生にマーケティングの用語を四つ覚えてもらうためではない。
自分の好きなことやつくりたいものを、どうすれば他者との接点に変えられるか。その接点に、相手の時間を使うだけの意味があるか。思いついた施策を、こうした問いに立ち戻って見直せるようになってほしかった。
これは私自身への問いでもある。映像をつくるとき、記事を書くとき、NEOTERRAINを育てるとき。発信する側の熱量だけで前に進んでいないか。受け手が感じること、理解できること、関われること、持ち帰れることまで考えられているか。
MDCA理論は、私の仕事と教育の現場を行き来する中で生まれた、まだ育て続けている考え方だ。
世界観で出会い、説明によって納得し、対話とコンテンツで信頼を重ねる。その先に、受け手自身が選ぶ行動がある。
その一連の設計が、誰かの一日を少し良くする。あるいは、少数でも熱心に集まる人たちに、ここにいたいと思える時間をつくる。
マーケティングを学ぶ学生に、まず渡したいのは、その可能性である。
――三宅雅之

