「売り手よし、買い手よし、世間よし」。
滋賀・近江商人が大切にしてきたこの言葉を、どこかで聞いたことがある人は多いかもしれません。
三方よし。
商売をする人だけが得をするのではなく、買う人も満足し、さらに社会全体にも良い影響があること。 それが、近江商人の商いの思想として語り継がれてきました。
一見すると、これは昔ながらの商人道徳のように聞こえます。
けれど、いま改めてこの言葉を見つめ直すと、そこには現代の経済が失いかけている、とても重要な視点が隠れているように思えます。
経済は、誰のためにあるのか
私たちは長い間、「安く買うこと」「効率よく売ること」「利益を最大化すること」を、経済活動の中心に置いてきました。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
安く良いものが手に入ることは、生活者にとって大きな価値です。 企業が利益を出すことも、雇用を守り、新しい商品やサービスを生み出すためには欠かせません。
けれど、その一方で、私たちは少しずつ見えにくいコストを抱えるようになりました。
過剰な価格競争。 作り手への負担。 地域産業の衰退。 環境への影響。 そして、便利さの裏側で失われていく、人と人との関係性。
「買う」という行為は、単なる消費ではありません。
それは、どの企業を支持するのか。 どの地域の産業を残すのか。 どんな社会の仕組みにお金を流すのか。
そう考えると、日々の買い物は小さな経済投票でもあります。

近江商人は、なぜ遠くまで商いに出たのか
近江商人は、現在の滋賀県にあたる近江国を拠点に、全国各地へ商いに出向いた商人たちです。
彼らは、単に商品を売り歩いただけではありません。
その土地の人々の暮らしを知り、必要とされるものを届け、信頼を積み重ねながら商圏を広げていきました。
つまり、近江商人の商いは「売って終わり」ではなかったのです。
一度きりの取引ではなく、長く続く関係をつくること。 目先の利益だけでなく、信用を資産として育てること。 そして、自分たちの商売が地域や社会にどう受け止められるかを考えること。
この姿勢が、三方よしという考え方につながっていきます。

三方よしは、サステナビリティの原型かもしれない
現代では、SDGs、ESG、サステナブル経営、エシカル消費といった言葉が広がっています。
企業は利益だけでなく、環境や社会への責任を問われるようになりました。 消費者もまた、安さや便利さだけでなく、その商品がどこで、誰によって、どのようにつくられたのかに関心を持ち始めています。
けれど、その考え方は決して新しいものだけではありません。
近江商人の三方よしには、すでに「自分だけが得をすればいい」という発想を超えた経済観がありました。
売り手が続けられること。 買い手が納得できること。 社会にとっても意味があること。
この三つが揃ってはじめて、商いは長く続いていく。
それは、現代の言葉で言えば、持続可能な経済設計そのものです。
“世間よし”とは、誰のことなのか
三方よしの中で、もっとも現代的な意味を持つのは「世間よし」かもしれません。
売り手よし、買い手よしは比較的わかりやすいものです。
売る側に利益がある。 買う側に満足がある。
では、世間よしとは何でしょうか。
それは、目の前の取引には直接関わっていない人たちのことです。
地域の人々。 次の世代。 環境。 文化。 作り手の背景。 社会全体の空気。
つまり「世間よし」とは、取引の外側にいる存在まで想像する力のことだと思うのです。
この商品を選ぶことで、誰が支えられるのか。 このサービスを使うことで、どんな働き方が広がるのか。 この安さの裏側で、誰かが無理をしていないか。
三方よしは、買い物の前に一度立ち止まるための思想でもあります。

“誰かのために買う”という新しい消費
これからの時代、消費はもっと意味を帯びていくのかもしれません。
安いから買う。 流行っているから買う。 便利だから買う。
もちろん、それも日常の自然な選択です。
けれど、その先にもう一つ、選び方がある。
応援したいから買う。 残したいから買う。 広がってほしいから買う。 誰かの挑戦を支えたいから買う。
たとえば、地域の小さな工房の商品を選ぶこと。 環境負荷に配慮した商品を選ぶこと。 顔の見える生産者から買うこと。 大量生産ではない、物語のあるものを手に取ること。
それは、単なる消費ではなく、未来への参加です。
買うという行為は、社会の流れを少しだけ変える力を持っています。
近江商人の思想は、現代のブランドにも通じている
現代のブランドづくりにおいても、三方よしの視点はとても重要です。
いま、企業に求められているのは、ただ商品を売ることだけではありません。
なぜその商品をつくるのか。 誰の課題を解決するのか。 社会にどんな価値を残すのか。
その問いに答えられるブランドほど、長く支持される時代になっています。
広告で一時的に注目を集めることはできるかもしれません。 けれど、信頼は一度のキャンペーンでは生まれません。
日々の姿勢、商品設計、言葉の選び方、顧客との関係性。 その積み重ねの中に、ブランドの信用は宿ります。
近江商人が大切にした信用の経済は、現代のブランド経営にもそのままつながっているのです。

経済の行き詰まりを超えるために
いま、多くの人が経済の行き詰まりを感じています。
物価は上がる。 賃金は思うように伸びない。 地方の産業は縮小し、若い世代は将来に不安を抱えている。
そんな時代に必要なのは、単にもっと売ること、もっと買わせることだけではないのかもしれません。
誰かの負担の上に成り立つ経済ではなく、関係が循環する経済。 一部だけが豊かになる仕組みではなく、地域や社会も含めて価値が残る仕組み。
三方よしは、過去の言葉ではありません。
むしろ、これからの経済を考えるための、極めて現代的な問いです。
買い物は、未来への小さな編集である
私たちは毎日、何かを選んでいます。
どこで買うのか。 誰から買うのか。 どんな価値観にお金を払うのか。
その一つひとつは、とても小さな選択です。
けれど、小さな選択が積み重なれば、社会の景色は少しずつ変わっていきます。
三方よしとは、きれいごとの道徳ではありません。
売り手、買い手、そして世間。 その三つの関係をどう設計するかという、経済の思想です。
誰かのために買う。 未来のために選ぶ。 社会に残したい価値へ、お金を流す。
滋賀・近江商人の言葉は、いまも静かに問いかけています。
その買い物は、誰を幸せにしているのか。
そして、その選択は、どんな未来をつくっているのか。
NEOTERRAINは、滋賀に残る商いの思想から、これからの経済のかたちを見つめます。

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滋賀県篇

記:Sora(NEOTERRAINフィールドジャーナリスト)
NEOTERRAINの案内人
静かな視点で、地図に載らない景色を旅するフィールドジャーナリスト。
北の大地の牧場から、南の市場のざわめきまで。
人と社会の営みの中にそっと寄り添い、記憶と問いかけを言葉に残します。
この視点が、あなたの旅の地図になりますように。

